その日は、高宮さんと一緒に中間テストで本土の高校へ行き、試験を受けて帰ってきた。
無事に全科目が終わり、言うなら今だろうと俺は船を降りたところで彼に言ってしまった。
「……は?」
高宮さんの顔が強張る。俺はもじもじと指を動かしながら、再び告げた。
「だから……、俺、好きな人がいて……、高宮さんとはお付き合いできません」
ぺこりと頭を下げ、さらに続ける。
「ごめんなさい……。せっかく、俺の事を好きになってくれたって言うのに……」
再び頭を上げた時、高宮さんの顔は無になっていた。いつもの優しい微笑みはどこにもなく、まるで蛇が睨みつけているかのような恐ろしさを感じ、俺の背筋が粟立つ。
更に話を続けようとしたところで、高宮さんの背中がぽんと叩かれた。
「まぁまぁ、そう落ち込みなさんな! そういう心の傷が青年を大きくするってもんだよ!」
そちらを見ると、小柴さんという陽気なおじさんが慰めるように高宮さんの肩に手を回していた。父さんと同じ観光課の職員で、おせっかいでよく話しかけてきてくれる人だった。五年前に家族でこの島に引っ越してきて、娘は小学校二年生だったような気がする。後ろを見ると俺の父親や同じ観光課の職員である葉宮のおじさんもいた。
嫌なところを見られた。
俺は咄嗟にそう思い、顔を歪める。しかし小柴さんは空気を読んでいないのか、さらにもう片方の手で高宮さんの肩を叩いていた。
「この島はちいせぇから、今はそうやって男を好きだって誤解をすることもあるだろうけど、嫁さんをもらったらすぐに忘れちまうよ! 気にすんな!」
どうやら彼は一部始終を見ていたらしい。
こんなところで話を切り出した自分のうかつさに俺は気まずい気持ちになったし、小柴さんの無神経さに腹が立った。
高宮さんは冷たい目で小柴さんを見つめている。その表情の凄みに小柴さんは少し口を開けて身を引いた。
「なんでここにいるんですか?」
高宮さんが淡々とした口調で尋ねる。答えたのは俺の父さんだった。
「観光課の人たちで、本土の県庁を訪れていたんだよ。同じ船に乗っていたんだな」
そうなのか、と俺は目を伏せる。試験の答え合わせに夢中になっていて気が付かなかった。
父さんが声を潜めて続ける。
「……例の件のことでちょっとあって」
思い当たり、俺は眉間に皺を寄せた。
「ああ、あの配信者の……」
その事件は今や島の中で知らない人はいないというほどの噂になっていた。
ほんの一昨日、『蛇神様は存在する』とSNSに投稿し、彼は飛び降り自殺を図ったのだ。
父さんは肩を竦める。
「まったく、困るよな。蛇神様だなんて迷信ばかりが拡散されてしまう。そんなもの、いるわけないのに」
これには葉宮さんも小柴さんも大きく頷いた。皆、ここ十五年のうちに引っ越してきた人たちばかりだった。
「そうですか。ちょうどよかった。父が話したいことがあると言っていたんです。今から一緒に来てもらえますか?」
ようやく高宮さんがにこりと笑う。その話は父さんたちは聞いていなかったようで三人は顔を見合わせたが、この島の地主でもあり、町長でもある高宮さんの父親からの呼び出しは無視できなかったようで、三人と高宮さんは俺と離れて帰っていった。
その日の夜、父さんはなかなか戻ってこなかった。
「空、明日も学校でしょ? 寝なさい」
家でデザイナーとしてリモートワークをしている母さんが告げる。確かその時確認した時計では十二時を超えていたような気がする。
「はーい」
俺は素直に返してゲームをスリープ状態にして二階にあがろうとした。その時、ピンポーンとチャイムの音が鳴り足を止める。
父さんだったらチャイムなんて押さないよな、と扉を開けると、高宮家の使用人が二人ほど立っていた。六十代と三十代くらいの、どちらも女性だった。
「お父様が用事があると言うので来ていただけますか?」
後ろから顔を出した母も俺も、首を傾げる。
「あの……、夫はどこに?」
使用人の一人、六十代半ばの女性は困ったように笑った。
「それが、男の方たち皆で酒盛りを始めてしまって……。泥酔して妻と子を呼べと煩いのです」
母さんは数度目を瞬かせて、それから呆れを顔全面に浮かべて唇を尖らせた。
「あの人……、一体何をしてるんだか」
「すみませんねぇ、こんな時間に……。止めたのですが、自分で行くと聞かなくて。でも、あれだけ酔っていたら心配なので、私たちが来たということです」
「わかりました。お手数をおかけして申し訳ありません」
ぺこりと母が頭を下げる。俺も仕方ないとため息をついて母と一緒に家を出た。
高宮家に到着し、俺は首を傾げる。酒盛りをしているとは思えないほど静まり返っている。
「父はどこに……っ」
そこで、目の前に星が舞い、頭が真っ白になった。びり、とした電流が体を流れる。足の力が抜けてその場に崩れ落ちた。
体が言うことを聞かない。声も出せない。二人がスタンガンを持っていたのだとわかったのは、床に倒れ込んだ後だった。
物陰から男たちが出てきて俺と母さんを担ぎ上げる。
そうして俺は、下人部屋のような板間に連れてこられ、大型犬用のケージに入れられてしまった。
「……は、なんで」
かすれた声で問いかける。うめき声がしてそちらの方に視線を向けた。
端から小柴さん、葉宮さん、父さんといた。皆俺と同じように大型犬用のケージに入れられていて、虚ろな目で虚空を見つめている。小柴さんなどはだらしなくよだれと涙を垂れ流していた。
「空のせいだ」
低い声がしてそちらを見る。高宮さんが冷たい無表情でケージの外から俺を見下ろしていた。
俺の隣に母さんも入れられ、信じられないような目で彼を凝視している。
「お前が、俺をふるからこんなことになったんだ」
次第に俺の体が震え始める。少し動いただけで強力なライトに照らされた。その明るさが、逆に怖かった。
「ど……、どういうことですか……、ふったって……」
母の震える声に、高宮さんは彼女の方に視線を向けた。
「あなたからも言ってもらえますか? 空に、俺と付き合うようにって……。結婚はできないし、俺はちゃんと嫁を娶らなくちゃいけませんが、それでも彼を愛人にすることはできますので」
彼女は驚愕に目を見開いた。
「な……、何を言っているの? あなた、空を愛人にだなんて……! そんなこと、親として認められるわけがないでしょう?」
高宮さんは表情を消すと、母さんのケージに近寄った。
「……、な、なに」
扉を開け、半身を中に入れる。他の使用人たちも無表情で彼女を取り囲んだ。
高宮さんは母さんの腕を掴むとその腕に何かを注射した。
「なっ……、なに! なんなの、これは! やめなさい!」
彼女が暴れると、外から使用人の一人がスタンガンを使って母を黙らせる。高宮さんはケージから出てくると、今度は俺のケージに近づいた。
「空はどうだ? 考え直す気はないか?」
がちゃん、と他の使用人によって母のケージが閉じられる。目の前で起こっていることが恐ろしくて、俺はびくりと震えて一歩下がった。
それでも朔弥の顔が頭に浮かび、俺はブンブンと首を振る。そもそもこんな怖い事をする男とつきあえるわけがない。
「い……、いやだ。俺には、もう、恋人がいるんだ」
震える声で告げる。言ってはいけないことを言ってしまったとわかったのは、口にした後だった。
ガンッとケージが揺れた。高宮さんが蹴ったのだ。
「誰だよ、相手は」
声が低くなっている。どうせわかりっこない。そう思い、俺はその名前を口にした。
「……朔弥」
途端に、高宮さんは目を見開き、周囲が少しざわつく。
「……何でお前があいつを知ってるんだ」
低くかすれた高宮さんの言葉に、今度は俺が目を見開く番だった。
「……なんで、高宮さんが朔弥を……?」
がちゃり、と扉が開かれる。高宮さんの半身が入ってきた。
「もう一度聞く。何でお前があいつを知ってるんだ?」
彼の片手が俺の首を掴む。押しのけたかったが未だに電流が体に残り、うまく動けなかった。
「ぐ、偶然、会ったんだよ。……夜に」
「夜に? あいつは外に出られないはず……」
「それでも、会ったんだ」
「……そうか」
俺の言葉を信じているのかいないのか、高宮さんは冷たい視線を変えようとしなかった。
俺はゴクリと唾を飲んで尋ねる。
「……なんで、高宮さんは朔弥の事を……?」
高宮さんは黙ったまま俺のシャツをたくし上げると、そこに注射をする。どくり、とその辺りが熱を帯び、動脈のあたりがまるで蛇のように赤く膨らんでいった。
「あいつは、俺の弟だ」
それだけ告げると、高宮さんは外へ出る。
「……おと……、うと?」
かろうじてそれだけ返す。徐々に頭が白く濁るようになってきていた。
「腹違いのだがな。……あいつさえいなくなれば、空は俺の物になるんだな」
ぽつりと呟くと、彼は踵を返して部屋を抜け出ていく。どくどくと心臓が嫌な音を立てて軋んだ。
言ってはいけないことを言った。
朔弥が殺されるかもしれない。
慌てて俺は外に出ようと上半身を起こしたが、体に力が入らず、父さん達と同じようにべとりとゲージの中に身を投げ出すだけだった。

