連れてこられたのは昔の下人部屋のような板間で、八畳ほどの部屋だった。出ようとするには正面の扉か上方の壁にある明かり取り用の小さな窓しかない。薄暗い室内には、冷え冷えとした空気が滞留していた。
センサー付きのライトが近くにあり、少し動くだけでもすぐに明かりが灯ってしまう。
俺は大型犬を飼えるくらいの檻の中に無理やり入れられる。他にも複数の檻があり、俺はその中の一番中央にあるものの中に閉じ込められた。
「高宮さん……、何で、ここ……」
俺はこの檻越しに見る光景に既視感を感じたものの、今は出してもらうことが先決だと高宮さんに視線を向ける。
「空が俺の事を愛するまで、ここから出さない」
はっきりと告げる言葉はいつもの高宮さんの落ち着いたものだったのに、内容は到底理解出来なかった。
「何それ……。どういうことですか……っ」
高宮さんが檻の中に半身を入れる。それだけで檻の中はいっぱいになるような狭さだった。
彼は俺の質問には答えず、俺の手を握って引っ張る。すぐに肩まで掴まれて、シャツをめくられた。
腹には包帯が巻かれている。それをずらすと蛇のような模様が出てきた。
払いのけなければいけないのに、怖くて体を動かせない。
震えていると、高宮さんはそっと蛇の模様に触れた。
「大人しく俺の事を愛していれば、もうこんなことはしなくてもすんだのに……」
彼の言葉にはどこか俺を責めているような響きがある。
何のことかと思っていると、高宮さんはポケットから注射針を取り出した。
キャップを外し、さらに近づいてくる。
これは本当に危ないものだと本能が悟り、足をバタバタさせて払いのけようとしたが、中に入ってきた彼にあっさり上から乗っかられ、蛇の模様の上から注射された。
赤紫色の蛇の姿が成長し、少し前までは十センチ程度のものだったのが、今は倍近くにまでなる。
「……な……、に、こ……れ」
高宮さんは注射に再びキャップをつけ、ぼそりと呟いた。
「蛇神の祟り、なんだろう?」
注射されたところが燃えるように熱くなっていく。同時に痛みも感じていた。
「ああ……、あ……」
身体が震えていく。自分は何を投与されてしまったというのだろう。
いや、それよりも。
「これ……、父さんや母さんや……、佐久間先生にもやったのか?」
睨みつけるが、視界が定まらなかった。高宮さんは檻から出ると、錠をかける。カチ、と冷たい金属の音が響いた。
「そうだな。同じ痣がついていただろう?」
そこで、ふと思い出す。
「……もしかして、あの動画配信者も?」
高宮さんは酷薄に笑った。
「父さんを愚弄したからだ」
俺は眉間に皺を寄せ、首を傾げた。
「父さん……? あいつらは蛇神様の祠に落書きをしただけじゃ……」
口の端を歪め、高宮さんが続ける。
「蛇神様は、この島の神だ。――つまり、土地を所有している俺達高宮家の当主の事を言う」
俺は目を見開く。
高宮さんのお父さんの死体が見つかった時に、大人たちが皆高宮さんにかしずいていた様子を思い出した。
あれは、地主となっただけではなく、蛇神様というこの島の絶対神となったからこその態度だったのだろう。
頭の中で色んな点が線になって繋がっていく。
蛇神様という概念があることで得をしている人は、やはり目の前にいる男だった。
色々と思うところはあるのに、今は頭が白く染まっていくような感じがしてうまく考えられない。
「この薬の正体は……、らん……、らんだ……」
呂律が回っていない。何なんだと言いたかったのに。
それでも高宮さんは口の端を歪に上げて告げた。
「空が俺の事を好きになる薬。……これを使えば、皆が高宮家の思い通りに動くようになる薬とも言えるかな」
彼の笑みの気持ち悪さに全身が粟立つ。彼はポケットからスマホを取り出すと、数度スワイプした。どうやらメッセージを打っているようだった。
「おれも……、しぬのか?」
高宮さんはスマホから目を離さないまま告げた。
「安心しろ。空に打った分はかなり薄めてある。死にはしないだろう。……代わりに、ゆっくりと空の気持ちを変えさせていくだろうな」
メッセージを打ち終わったのか、彼は再びポケットにスマホをしまう。その動きがやたら緩慢に思えた。
「……おれのきもちは、かわらない……。あなたの手は……、とれない……」
ぐるぐると回る視界の中で、朔弥の事ばかり思い出す。
急に、ガッという大きな音とともに檻に衝撃が走った。高宮さんが檻を蹴ったのだ。
「アイツのことは愛したくせに」
「……は」
彼の目から光が消えていた。相変わらずセンサー式のライトがまばゆく照らし続けているのに俯いた彼の顔は影に覆われていてひどく恐ろしかった。
「俺がダメだってんなら、アイツの事も愛さなきゃよかっただろうがよぉおお! お前がそんなんだから! 腹の虫がおさまらねぇんだよぉお!」
ガンガンとけたたましい音とともに、何度も檻が揺らされる。一部がへこんでしまった。
ギィ、と扉が開き、持田さんが入ってきた。小学校に避難していた際、トイレで朔弥と会っていた時に様子を見に来た男だ。
俺は咄嗟に叫ぶ。
「助けて! 監禁されているんです!」
しかし、持田さんは俺に冷めた目を向けただけだった。高宮さんは持田さんに軽く会釈をする。
「じゃあ、あとはよろしく」
「はい」
高宮さんは先ほどまでの激昂がなんだったのかと言うような爽やかな態度で持田さんの隣をすり抜けると、そのまま蔵から出て行った。
「……え? 持田さん?」
正常な大人ならば、今の光景を見て警察に通報するなり、何かするはずだと思った。しかし、彼はじろりと俺の方を一瞥しただけで、すぐに端の方へ行くと椅子に腰かけた。
「あの……、持田さん? その、俺、監禁されているんです……」
彼は俺がこの家の養子になると聞いた時に、優しく笑って迎えてくれた。歓迎すると言ってくれたのも覚えている。
そんな彼が無表情でじっと俺を見つめている様子はただただ不気味だった。
持田さんはやたらゆっくりとした動作でその場に置いてあった金づちを手に取り、揺らす。
何故そんなものがここに置いてあるのだろう。
そう思ったが、何を聞いても答えてくれなかったために、俺は黙るしかなかった。
高宮さんに打たれた注射のせいか、やたら体が熱かった。全身に麻酔がかけられたかのようにけだるいのに、全然眠くならない。その上、センサー式のライトにより少し動くだけでも眩しい光を浴びせられ、そのたびに脳が覚醒してしまった。
何時間も経過しているような気がするのに、実際には明かり取りの窓から差し込んでくる光はまったく位置を変えていない。
何故だろう。
俺はこの感覚を知っている気がしていた。
いや、この感覚だけではない。
このライトも、檻の中から見える光景も、蔵の中の冷たい空気も、全て体験したことがあるように感じられる。
ふいに、男性の『ごめんなさい』という声が脳裏に浮かんだ。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
誰かに謝るというよりは虚空に向かって独り言を言っているような抑揚のない様子で呟かれる言葉に、ひどく絶望したのを覚えている。
誰の声だったか。
続いて狂ったように自分の体を叩く女性の姿。
蛇がまとわりついている。虫が全身を上ってくる。そんな事を言いながら何もない白い肌を何度も何度も叩いていた。
俺は周囲に置かれている檻に視線を移す。
その男女は、俺をはさむように両隣にいた。
年の頃は四十代前半くらい。俺は彼らの声を聞いて、震えることしか出来なかった。
徐々に輪郭がはっきりしてくる。
ああ、あれは自分の父と母だ、とようやく気が付いた。
そこで、俺は息を呑んだ。
そうだ。俺は以前も高宮さんの手によってここに監禁されたのだ。
監禁理由は、俺が高宮さんからの告白を断ったから。
彼の告白を断って、朔弥の手を取ったからだった。

