その後も、高宮さんが忙しく歩き回っているようだったので、手持無沙汰になった俺は、散歩がてら外に出ることにした。
ずっと小学校にこもっているのも飽き飽きしていたのだ。
海岸線の方へむかう道をあてどもなく歩く。海が見えてきたあたりで、そういえばこの付近に郷土資料館があることを思い出した。
もしかしたら蛇神様の祟りについて何か書いてあるかもしれない。
直感的にそう思った俺はそちらへと歩を進める。
ほとんどの人が避難所に入っている今、郷土資料館は締め切られていた。
どうにか中へ入れないかと周囲を見る。
「……お」
都合がいいと言ってしまってもいいのかはわからなかったが、窓の一部が地震で割れてしまっていた。
怪我しないように注意しながらそこから中へと入る。割れた付近は汚れていたが、それ以外は綺麗なものだった。
子供の頃の記憶を頼りに、資料室へと向かう。公民館も兼ねているので、小さい頃に遊びに来たことがあるのだ。
建物の端にある資料室には鍵はかかっていなかった。一般の観光客や島民が自由に入れるようになっているところなので、常時開きっぱなしになっている。
中は教室の半分ほどの広さで、壁際に本棚が置かれ、部屋の中央にも仕切りのように本棚が設置されており、薄暗かった。
まずはカーテンを開けて光を入れる。
「えっと……、蛇神様、蛇神様……」
ぽつぽつ呟きながらそれらしき資料を探していく。数冊取り出し、壁に背を向けて座ると中身を確認していった。
五冊ほど空振りを繰り返し、ようやくそれらしき記述にたどり着いた。
「あった! 身体に蛇の模様が現れる症例だ……!」
本は島特有の病気を集めたものだったが、その中にきっちり記述されていた。
その部分を指でなぞる。
「大正三年……、飯田武雄、二十三歳。彼の身体に蛇の模様が現れる。男は意識が朦朧としているようで意思の疎通が出来ず、ただひたすら謝罪と『蛇神様の祟り』という文言を繰り返すだけだった……」
下唇を噛む。昔の資料だから仕方ないが、さらりとしか記述がなかった。
さらに次の行を読んで、俺は息を呑む。
「飯田はその翌日に飛び降り自殺。動機は不明……」
ぞくりと背中が粟立つ。佐久間先生や動画配信者を思い出したのだ。
さらに他にも辿っていくと、同様の症例は数件見つかった。どれも体に蛇のような模様が出て、その後自殺をしているという話だった。
口元に手を当てる。腹の奥に重石を沈められたようだ。
朔弥は、俺は大丈夫だと言っていた。しかし、本当だろうか。俺も、そのうち自殺してしまうのではないだろうか。
奥歯を噛み、さらに過去の記録を漁る。その本には大正までしか載っていなかった。
蛇神様自体は江戸時代からいる神だと、寺の祠に説明書きがなされていた。であれば、江戸時代、明治時代にもそうした記述があるかもしれないと思ったのだ。
「ないでしょう?」
ふいに声をかけられ、顔をあげる。
いつもの白い襦袢に下駄を履いた朔弥が立っていた。ドクンと心臓が跳ねる。
ここのところ、何かと彼を思い出していたので、本物が目の前に現れて心が落ち着かなかった。
前回あまりいい別れ方をしなかったというのに、彼は気にしていないような顔をして俺に向かって微笑んでいる。
朔弥は俺が何を探しているのかわかっているかのように上から本を覗き込んできた。
「一番最初の記述は、その飯田さんの症例。それよりも前には記述はないんだ」
「……なんで」
あまりにもタイミングが良すぎる。まるで俺の行動を読んでいたかのようだった。
彼は至近距離で整った瞳をニィと細めた。
「蛇神様について調べているんでしょ? 江戸時代の文献は書架にあるよ。こっち」
彼が振り返って資料室の隣にある書架に入っていく。そちらは鍵がかけられていた。
朔弥は持っている鍵で扉を開く。
「どうしたんだよ、それ……」
「事務室から貸してもらってきた。誰にも怒られなかったよ」
それは今は誰もいないからだ。
そう思ったが、あえて口には出さなかった。彼の言う、江戸時代の文献とやらが気になっていたからだ。
朔弥は中に入ると、ガラス扉の書棚へと近づき、鍵を開けて中から和綴じの本を取り出した。
「はいこれ。江戸時代の蛇比良島の事件集。俺、全部読んだことあるけど、どれにも祟りの事は書いてなかった」
開くと、当時の崩したような文字で書かれていた。こんなの読めるわけがないと唇を尖らせるが、目の前の男は全部読んだと言っていた。
「……この文字、読めるのか?」
尋ねると、彼は口角を上げた。
「まぁね」
朔弥が頷いたことで、こいつが幽霊なのかもしれないとますます確信を強めてしまう。
俺はパラパラと紙をめくるが、絵もない江戸時代の本なんて、ミミズがのたくっているようにしか思えなかった。
「なんでこれを俺に知らせたかったんだ?」
俺をじっと見つめてくる朔弥に本を返す。朔弥は俺が読めないのはわかっていたのかあっさりと受け取ると、再び書棚に戻し鍵を閉めた。
「記憶をなくしてるって言うんなら、真実を言っても信じてもらえないと思ったから。でも、警戒はしてほしい。だからだよ」
彼は俺に向きなおる。
金色にも見える色素の薄い瞳がじっと俺を捉えていた。
「警戒? ……何に?」
朔弥は俺の質問に答えず、隣を通り抜けた。その先には木製の引き出しがあり、てっぺんに日本人形が飾られていた。
時代劇によく見るような髷を結った女性は着物を着ており、色っぽい流し目をこちらに向けている。
朔弥はそっとその人形の頬に指を振れた。
「ねぇ、空。人形婚って知ってる?」
俺は眉間に皺を寄せる。
「知らない……。何か関係があるのか?」
「東北の方にある風習だよ。結婚しないで死んだ若者と人形を結婚させる風習だ。……始まったのは昭和三十年……、第二次世界大戦終戦から十年後くらいだね」
「……うん」
何故いきなりそんな話になるのか理解できなくて、俺は朔弥の続きを待つ。
「じゃあ、いつ頃広まって定着したのかはわかるかい?」
俺は少しの間考え、すぐに返した。
「……やっぱり、戦争で人がたくさん亡くなった後……、つまり、戦後じゃないのか? その頃は結婚せずに死んでいった人はたくさんいただろうし……」
朔弥は悪戯気に口角を上げた。
「はずれ。答えは昭和五十五年頃。二十五年も開きがあるね。なんでかな? 戦争で死んだ人も、もう結婚適齢期というわけでもないだろう?」
俺はあごに手を当てて考える。昭和五十五年というと、1980年代である。その頃あった事と言えば、と考えるが、現代史は得意ではない。とりあえず、と思いついたことを返した。
「冷戦……?」
予想通り、朔弥はゆっくりと首を横に振った。
「それもはずれ。考える気もなかったでしょ?」
俺は苦笑を返すだけにしておいた。
「答えは、バブル経済がどんどん進んでいった、ってことかな。日本人が豊かになって、人形に手を出す余裕も出てきた。もちろん、死んでいった子供のために、日本人形だって買えるようになったんだ」
朔弥の答えに、俺はそんなことかと肩を落とす。
「まぁ、そりゃ……、需要が出来たって事なんだよな」
「そう。面白いよね。民間習俗という非合理的なものが、経済と言う合理的なものを追い風に広まっていったんだから」
俺は目を瞬かせる。
目の前の男は俺からしたら一番非合理的に見えているのに、そんな彼がつらつらと合理的に語っているのだ。
朔弥は続けた。
「つまりさ、民間信仰と一口に言っても、残っているのには理由があるんだよ。経済的か、科学的か、そういった理由が。……そして、残っている方が都合がいい人は、やっぱり一定数存在する。人形婚における、日本人形職人のようにね」
じっと朔弥は俺を見つめる。
「考えて。蛇神様が残っていたら都合がいい人。その人が一体誰か。よく考えて」
ごくり、と唾液を飲む。ふいに俺は腕につけていた数珠を見た。
志津子さんからもらったものだった。
そんな、まさか。
思いついた可能性に、小さく首を振った。
「……そんなの、嫌だ。信じられない。……信じたくない」
俺の思考回路に想像が及んでいるのだろう。朔弥は真剣な顔で俺を見つめていた。
朔弥がそっと両手を伸ばし、俺を抱きしめてくる。
「お願い。信じて。……考えて」
彼の吐息が耳に触れる。
「俺は、空の味方だから」
彼の言葉は温かくて、同時に恐ろしかった。
彼の示唆するところを受け入れてしまえば、俺はきっと元に戻れない。
それが怖くて怖くて、仕方なかった。
認めたくなくて、思わず、俺は渾身の力で朔弥を引き離していた。
「お前が一番信用できないよ……! もう二度と、俺の前に姿を現すな!」
声が荒れる。朔弥は目を丸くして俺を見つめていた。
徐々にその顔が歪み、瞳が涙に濡れていく。あ、と俺は全身に冷水を浴びせられた心地になり、彼に近寄ろうとした、その時だった。
「空!」
ふいに高宮さんの声がした。びくりと震え、慌てて資料室の方へ戻る。本来ここは立ち入り禁止だと思い出したからだ。
開きっぱなしだった資料室の扉から、高宮さんが顔を覗かせ、俺の姿を見て破願した。
「なんだ、空。やっぱりここにいたのか。なんでこんなところに……?」
そこまで言って、彼は俺の顔をまじまじと見る。
「どうしたんだ? 真っ青になって」
いぶかしむ彼に、俺は咄嗟に首を横に振った。
「なっ……、なんでもないです!」
高宮さんが不思議そうに何度か瞬きをする。
先ほどあんな会話をした後なのだ。気まずくて仕方ない。
高宮さんは周囲を見渡した。
「なんで勝手にここに入ったんだ?」
俺は彼から顔を逸らして本棚に視線を移す。
「あ……、その……、蛇神様の祟りとやらを調べたくて」
高宮さんは困ったように眉尻を下げ、口をもごもごと動かした。
「それで、いい資料は見つかったのか?」
俺はちらりと横目で先ほどまでいた書架を見て、すぐに高宮さんに視線を戻した。
朔弥の事を言おうかと思ったが、どうせもう彼は姿を消しているのだろうし、あんな会話の後で高宮さんの前で彼の名前を出したくなかったのだ。
「ううん……、あんまり。高宮さんはなんでここに?」
俺を呼んでいたということは、俺がここにいるのを知っていたということだ。
先ほどの朔弥の言葉から、嫌な予感がどんどん膨らんでいく。
高宮さんは優しく微笑んだ。
「さっき、志田さんが空がここに入っていくのを見たから注意してくれって言ってきたんだ。勝手に入るのはよくないって」
「え……」
俺は口をぽかんと開ける。
志田さんはこの島の図書館に務めている司書さんで、気難しくいつもねちねちと嫌味を言ってくる中年の女性だった。同じ小学校に避難していて、女性のグループで集まり色々と愚痴をこぼしているのを見かけていた。
「それで……?」
「ああ。偶然通りかかったら、高宮家の当主なんだから、ちゃんと言い聞かせろって」
彼は肩を竦める。
高宮さんにそんな事を言える志田さんに呆れた気持ちを通り越して少しの尊敬すら抱いた。
高宮さんは厳しい顔になる。
「志田さんの言う通り、勝手に入ったらダメだ。もしこれで何かが紛失していたら、空が一番に疑われるんだからな」
う、と俺は肩を竦める。
「はい……。ごめんなさい」
反省しているのを見て取ったからか、高宮さんはふぅと息を吐き出すと隣に回り、俺の手を掴んだ。
「ほら、帰ろう。志田さんには俺がうまくとりなしてやるから」
高宮さんの手が触れた瞬間、急にぞわりと鳥肌が立ち、払いのけたい衝動に駆られた。当然そんなことは出来ない。
この反応こそが朔弥が言っていた言葉の裏付けのような気がして、そんな考えを拒絶したくて、俺は意識的に高宮さんの手を強く握り返した。

