俺は「何」と心中しようとしたんだろう

 俺は心中に失敗した。
 らしい。
 目の前の男、高宮直紀(たかみやなおき)は俺こと、佐伯空(さえきそら)を抱きしめて泣いている。
「空……、生きていてくれてよかった。本当に馬鹿な事をしたもんだ……。あんな奴と死のうとするなんて」
 体を震わせている彼を抱きしめ返していいのかわからず、俺の手は宙に浮いたままだった。そもそもなぜ俺は高宮さんの家にいるのだろう。
 畳が敷かれた十畳ほどの部屋の中央に布団が敷かれ、俺は寝転がせられていた。俺と高宮さんしかおらず、近くに洗面桶が置かれている。俺は大怪我をしてしまったようで、体中に包帯が巻かれ、白い襦袢を着せられていた。
「あの……、高宮さん……? なんで俺、ここにいるんですか?」
 思わず尋ねる。
 高宮さんは俺から顔を離し、まじまじと見つめてきた。
「……覚えていないのか?」
 彼の声がかすれている。目に溜まった涙は俺の事を本当に心配してくれているのだと察するが、それがどうにもわからない。
 俺と高宮さんはそんな仲ではなかったはずだ。
 高宮さんは俺よりも二歳年上で、俺の住んでいる蛇比良島《へびひらじま》一帯を取り仕切る地主である高宮家の次期当主だった。
 対する俺はこれといった特徴もない一般市民で、高宮さんとは同じ学校同じクラスといった仲でしかない。何故二歳年上の彼と同じクラスかというと、過疎化により子供が少なくなった結果、三学年ごとに教室が纏められたからである。
 高宮さんはクラスの皆に慕われていて、俺も彼を慕う一人でしかなかった。そんな高宮さんは中学卒業とともに俺との仲は疎遠になっていた。
 だから、こうして高宮さんが俺のために看病して、抱きしめて泣いているというのが、どうにもピンとこないのだ。
「覚えているって、何をですか?」
 首を傾げ、あれ? と俺は高宮さんをじっと眺める。
 俺が覚えている彼よりも大人になっていると感じたのだ。
「あの、高宮さん……、しばらく会わないうちに、なんだか大人っぽくなりましたね」
 高宮さんの目が大きく見開かれる。
「お前……」
 その時だった。
「うわっ」
 大きな揺れを感じ、布団の上に倒れ込む。地震だとすぐにわかった。
「え? えぇ!?」
 揺れは長く、その後数十秒は続いていたような気がした。
 この部屋の外からサイレンが鳴り、『地震です』と警告が響く。
「随分大きな揺れだったな……。避難勧告が出ると思う。服を貸してやるから着替えろ。すぐに出発するぞ」
 高宮さんは真面目な顔になり、立ち上がった。
「着替えを持ってくる。避難したら、その先で詳しい事を教えてやる」
 言って、彼はこの部屋から出て行った。
 確かに、ゆっくりはしていられなさそうだ。
 この蛇比良島は人口四百人の小さな島である。めったに地震はないが、過去に大地震があった時津波で海に近い家々が壊滅状態になったと聞いていた。
 昔見た、その際のドキュメンタリー映像を思い出して俺はごくりと唾を飲む。高宮さんの家は海に近いというわけではないが、津波の規模によっては飲まれてしまってもおかしくない立地だった。
 バタバタと足音をさせて高宮さんが戻ってくる。貸してもらった服はゆったりとしたGパンと無地の黒の長袖シャツだった。質実剛健な彼らしい。
 脱いで服を着替えると、布団を畳もうとする。
「それどころじゃないだろ! 早く!」
 高宮さんの声に弾かれ、俺は彼と共に部屋を後にする。
 外は廊下になっていて、突き当りに明かり取り用の窓がついていた。空は薄暗く、絶えず雨音がしている。同時にスピーカーから警報音と避難勧告が流れていた。
 彼の家は豪邸なので、他にも作業の手を止めたお手伝いさん達が避難して行っている。
「坊ちゃん! こちらへ!」
 割烹着を着た女性が俺と高宮さんを促す。
「車だと、途中で道路が詰まったら動けなくなります。大変かとは思いますが、歩いて小学校へと向かってください」
 国道とは名ばかりの一車線の道しかない蛇比良島である。俺は靴を貸してもらい、黙ってお手伝いさん達とともに高宮家から抜け出したのだった。