0と100のあいだ

 あれから、二週間がたった。
 体育祭の準備が本格的に始まり、クラスは毎日どこか慌ただしい。企画や装飾に追われて、放課後まで残るのが当たり前になっていた。
 そのせいもあって、湊に会えない日が続いた。
 ……いや、正確には、会おうと思えば会えたのかもしれない。けれど、会ってもどうせ気まずい。そう思うと、自然と足が遠のいていた。結局、流されるままに、また避けてしまっている。

 そして、体育祭前日。
 教室はすでに装飾で彩られていた。壁や黒板の周りには、女子たちが作ったキラキラしたボードや飾りが並んでいる。普段とは違う空気に、少しだけ落ち着かない。
 今日の作業は椅子の移動くらいで、思っていたよりあっさり終わった。午前中のうちに片付いてしまい、時間が余った午後は、いつもの三人で集まって、特に目的もなく雑談していた。
「しつれいしまーす!冬馬いるー?」
 明るい声が、教室に弾けた。
 視線が自然と扉に向く。少しだけ開いた扉の隙間から、顔を出す。短く切られたスカートに、ゆるく結ばれたネクタイで、目を引く格好。
 いろはだ。
「え、なんや。あの女の子と冬馬知り合いなん?……は!もしかして」
「言っとくけど、違うからな……」
 来人の顔が、にやにやとしている。絶対ろくでもないことを考えているに違いない。
「あ、いたいた。冬馬、ちょっと来て」
「え?ちょっと——」
 返事をする間もなく、腕を強引に掴まれて、引っ張られる。そのまま教室の外へ連れ出された。
「……なんや、冬馬が女子に誘拐された」
「用事でもあるんだろ」
「事件の匂いがする」
「お前の推理あてにならん」
 後ろでそんなやり取りが聞こえた気がしたけど、振り返る余裕はなかった。

 連れてこられたのは、人のいない踊り場だった。窓から差し込む光と、やけに静かな空気。こういう場所って、大体ろくでもないイベントが起きる気がする。
「……で、何?」
 少し警戒しながら聞くと、
「あ、告白じゃないからね?うち彼氏いるし」
「別に……そういうこと聞いてない」
 にやにやしながら言われて、思わず目を逸らした。
「で、本題なんだけどさ」
 いろはの表情が少しだけ真面目になる。
「最近、湊の調子悪いの」
「……え?」
「最近ミスタッチ増えてるし、集中も続いてない。話聞いてもさ、『先輩がー』とかしか言わないの。明日が本番なのに、ほんと、まいっちゃうんだけど」
「え……俺?」
「そう。冬馬のこと」
 心臓が、どくんと跳ねた。
「なんかさ、『嫌われたかも』とか言ってて。ほんと意味わかんないんだけど。だからさ、どうにかしてくんない?」
「いや……俺に言われても……」
 逃げるように視線を逸らす。そんなこと言われても、今はなんとなく会いたくない。
「でも原因、あんたでしょ?」
「……」
 言い返せない。というか、図星すぎて何も言えない。
「はぁ……まあいいや。あんたはどうなの?」
「……なにが?」
「なんで避けてんの」
 真っ直ぐに見られて、言葉が詰まる。
「別に……避けてるわけじゃ」
「いや避けてるでしょ。湊見てれば分かるし。あいつ、今ほんとに変なんだって」
「……」
 視線を逸らしたまま、何も言えずに黙り込む。
 逃げ道が、ない。少しだけ沈黙が落ちて、それが重くて。観念したみたいに、口を開いた。
「……なんか俺、最近ずっと変で」
「うん?」
「湊といると……楽しいんだけど、それ以上に、なんか……イライラするし、モヤモヤするし」
 言葉にするたびに、自分でも訳が分からなくなる。
「友達なのに、なんでだろうって」
「……うん」
 いろはは遮らずに聞いている。その静けさが、逆に気まずい。
「この前、部活見せてもらってから、余計に」
 あのときの光景が、頭に浮かぶ。自分の知らない場所で、当たり前みたいに居場所がある湊。
「なんか……湊、俺といるときと全然違って」
「そりゃそうでしょ。あいつ猫かぶりだから」
「……分かってる。でも」
 喉の奥が、少し引っかかる。
「俺といる時間なんて、あいつの中じゃその一部でしかないのに……なんか、それが嫌で」
「……へぇ」
「ごめん、意味わかんないよな」
「いや、分かるけど」
「え?」
「むしろ、こういうのこそ、だよ。うちも、よくあるし」
「……?」
 さらっと当たり前のように言われて、思考が止まる。
「自分だけが知ってる顔でいてほしい、とか。自分だけの時間にしたい、とかでしょ?」
 いろはが少しだけ口元を緩めた。
「好きなんじゃないの?」
「……は?」
 言葉の意味が、理解できるまで数秒かかった。
「え、なにその顔。あんた……自覚なかったの?」
「いや、だって……」
 心臓の音が、うるさい。
「湊は、その、友達だし……」
「友達にそんなことでイライラしないでしょ普通」
「……」
「はい確定。おめでとー」
 いろはは、もう話は終わったとばかりに帰ろうとした。
「いや、ちょっと待って……」
 頭が追いつかない。
 でも、さっき言われた言葉が、やけにすとんと落ちた。
 好き。
 その二文字を頭の中でなぞった瞬間、全部、繋がった気がした。
 楽しいのも、苦しいのも、モヤモヤするのも、目で追ってしまうのも。全部。
 いやでも、はっきりと理解してしまう。
「……俺、……好き、なのか」
 ぽつりとこぼれたその言葉は、自分でも驚くくらい、しっくりきた。
 ああ、ダメだ。気づきたくなかった。でも、もう分かってしまった。
 俺は湊のことが、好きだ。
「じゃ、さっさと仲直りしてよね。明日本番なんだから。それと、なんかあったら、抱え込まないでうちに言って」
「うん、ありがと」
 いろはは満足そうに笑うと、「じゃ、がんばりな」と軽く手を振って去っていった。
 一人残されて、踊り場の窓にもたれる。
 ……好き、か。
 逃げてた理由も、距離を置いてた理由も、全部そこに繋がっていた。