ジュエルクッキー、君の分だけ様子がおかしい

 翌朝、気づいたら荷物をまとめていた。タイミング良く秋の連休到来だ。答えが出ないまま、俺は逃げるように八ヶ岳の麓にあるばあちゃんの家へ向かった。

 ばあちゃん家の近くに有名な薔薇園があって、薔薇の季節の春と秋だけ主要都市からの直行バスが運行するから、急にアクセスがよくなる。だから、この時期は一人でばあちゃんに気軽に会いに行ける。

 薔薇園までは休憩を挟みながら四時間。バスを降りると一気に緑の香りに包まれて、澄んだ空気が肺を満たしていく。白樺の中の小径を15分ほど歩いて、ばあちゃん家に到着。

 古い木の扉を開け、庭に入ると赤白二色の秋薔薇のアーチに迎えられる。ばあちゃんが大切に育てた薔薇たちだ。

 そして、庭の隅の少し日陰になった場所には、低いコケモモの茂みがあって、今年も赤い実をたくさんつけている。この果実は北欧ではリンゴンベリーと呼ばれていて、深い赤が綺麗だけどそのまま食べると驚くほど酸っぱくて苦い。

 奥の方へと進むと、藤のバスケットを抱えて実を収穫するばあちゃんを見つけた。

「ばあちゃん、来たよ」と声をかけると、「よく来たね、澪」と笑顔で迎えてくれて、俺も収穫を手伝い始めることに。すると、バスケットはすぐに満タンになった。

 ばあちゃんに「お茶の時間にしようか」と言われ、家のキッチンへ移動した後、近況を話しながらティータイムを楽しんだ。

 お茶が無くなったと思ったらすぐに、ばあちゃんは「さあ、ジャムでも仕込もうか」と言って立ち上がり一緒にキッチンに向かう。ばあちゃんは休むことを知らない。もう70歳だけど、ずっと動いてて何かをしている。

 ジャム作りの前に、台所で一緒に実を掃除しながら、俺は呟いていた。

「……ばあちゃん。最近さ、俺のお菓子を、やたら食べたがるやつが現れて」

 何でもないことのように言ったつもりだったけど、ばあちゃんは年季の入ったブルーの琺瑯鍋を火にかけながら、ふふっと喉を鳴らした。

「へぇー。珍しいね、そんな話するの。恋でもしてるのかい?」

「……えっ、恋……じゃない。あいつは、ただいつも腹を空かせてるみたいだから、食べさせたくて……喜ぶ顔が見たいだけだし……」

「ふーん。そうかい」

 ばあちゃんはニヤニヤしながら、洗い終えたばかりのコケモモをドサッと鍋に投げ入れて、続けて砂糖もザザーッと入れて、レモンをギュッと絞った。

 火が通るにつれて、鮮烈な赤に染まっていく鍋の中を見ていたら、俺は無意識にシュガーポットに手を伸ばしていた。

 あいつ、これくらい甘い方が喜ぶだろうな、なんて考えながら……追加の砂糖をスプーンで投入しようとした瞬間。

「ねえ、澪。スウェーデンにはね、『トロールにお菓子を食べさせたら、一生面倒を見なきゃいけない』っていう話があるのよ」

 ばあちゃんがいきなり話し出した。

「トロール?」

「そう。その味を覚えたら死ぬまで忘れない、執念深い妖精さ。『施しは、時に自分を縛る鎖になる』。澪はその子を繋ぎとめたいんだね」

 俺が鍋に足そうとしていたスプーンを、ばあちゃんが指差した。
 ドクドクと激しくなる心音に動揺してしまう。なんだ、この感じ……。

「喜ばせたい」なんて綺麗な言葉の下に隠していたのは――真っ黒な独占欲だ。あいつに、俺のお菓子を食べさせたい。「美味い」と瞳を輝かせるのは、俺の前だけでいい――深層心理では、そう思っていたみたいだ。

 なんなんだよ……俺って、こんなに七瀬のことを……。

「……面倒、見なきゃいけないのかな」

 声は煮え立つジャムの音に消えていく。そんな俺に、ばあちゃんは火を止めながらぽつりと言った。

「好きなら、面倒みてあげればいい。簡単なことだよ」

 柔らかく諭してくれたと思ったら、次は大量の瓶の煮沸を始める。ばあちゃんは止まらない。

 胸の奥が、深紅のジャムになったコケモモみたいに、じりじりと焼けるように熱を帯びていく。
 もう、ちゃんと返事しないとな……俺に出来るのかな。

 ◇

 ばあちゃん家から戻った翌日は、弓道の大会当日だった。
 朝、目が覚めた時から落ち着かない。行かないと決めていた。七瀬には「わからない」と答えたけど、行く資格ないし……それでいいはずだったのに。

 昨夜も布団の中で何度も考えていた。七瀬は選ばれた人間で、その世界は壮大だ。弓道で名前を刻んでいくあいつの隣に、俺のような凡人が並んでいいのだろうか。

 それに、酷い言葉を聞かれたままで、謝罪もしていないし、会いに行くことは出来ない。

 なのに気づいたら、身支度をして、制服を着て、鞄を持って学校に向かっていた。

 部室に直行すると、急いでオーブンの電源を入れた。
 何を焼くかは決まっている。それは、あれしかないだろう。

 ばあちゃん家から持ち帰ったジャムを鞄から取り出し、瓶をギュッと握りしめると力が湧いてきて、脳裏には七瀬のニカッとした笑顔が浮かんでくる。

 ジャムが滴りそうなスコーネを満足そうに食べていた、初対面の日。嫉妬して、エプロンをつまんで離さなかった手。ここで、過ごした日々の全てを――。

 手が勝手に動いていた。材料を計量して、生地をヘラでさっくりと混ぜ、セルクル型に入れて、中央を凹ませて赤と黄金色のジャムを乗せる。

 焼けていく匂いの中で、七瀬のことを考えていた。