ジュエルクッキー、君の分だけ様子がおかしい

 製菓部室は今日も甘い匂いに包まれている。

 バターとヴァニラ、キャラメルみたいな甘い香り。焼き菓子特有の砂糖を焦がした香ばしさがたまらない。オーブンを開けると一気に熱が溢れ出す。急いで焼きあがった鉄板を取り出し、準備していた次の鉄板を押し込む。

 梅雨が明けたから湿度も下がって、今日は上手く焼けてるみたいだ。空が茜色に染まり、温かみのある赤い光が窓から注がれている。

 俺――白石澪(しらいし みお)は、この部屋の空気が好きで、毎日ここで何かを焼いている。始業前や放課後、空いている時間はだいたいここに。

 小さい頃からばあちゃんの家のキッチンで習ったお菓子が好きで、製菓部に入った。将来は、ばあちゃんが教えてくれたスウェーデン菓子を日本に広めたいと思っている。

 今日はスコーネを作る日だ。さっき焼いたやつは、キャラメル・スコーネで今焼いてるのはプレーンのやつ。ジャムをのせたり、ハムやチーズを挟んだりと色々とアレンジが効く。

 これは、ばあちゃんがスウェーデンで習った、甘くないスコーンに似た伝統菓子だ。今日合わせるのは、二種類のジャム。ばあちゃんの庭で採れたマルベリーの赤と、近所の農家からもらう紅玉に庭の姫林檎を混ぜた黄金色の林檎ジャム。

 林檎と相性の良いシナモンとカルダモンを多めに入れて煮詰めるのが白石家のルールで、ばあちゃんは毎年この季節になると瓶に詰めて送ってくれる。大量に並ぶ二色のジャムたちはまるで宝石箱みたいだ。

「白石、今日のジャム多めで頼みますよ」

 同じ2年の田中(たなか)が、試食用の皿に手を伸ばしながら言った。製菓部に入ったくせにほとんどお菓子は作らず、試食だけは毎回欠かさない、それが田中という男だ。要領がよく、俺が困った時は助け船を出してくれたり、外交が苦手な俺の代わりにトラブル等は対応してくれる。なので、まあ……憎めないやつだ。

「自分で作ってから言えよ」

「厳しいな~ 副部長なんだからもっと愛嬌よくしてくださいよ」

「お前に使う愛嬌はない」

 田中が笑いながらスコーネを頬張るのを横目に、次の生地を伸ばし始める。この量では足りないからだ。もうすぐやって来る、試食目当ての連中の為に沢山焼き続けなくてはならない。

「おつかれ」とか言いながら、ぞろぞろ腹を空かせた男たちが入って来る。この学校は私立の男子校で、部活が盛んで運動部も文化部も全国大会に出場レベルのエリート校なんて言われている。そのせいか、部費の予算も多くて毎日お菓子を焼いても赤字になる事はない。

 ユニフォームから着替えて、ジャージやら、制服やら様々な格好をしているため、どこの部活かは不明だ。多分、でかい男たちはバレー部やらバスケ部やらに違いない。

 焼きたてを取っていく大男たち……いつもの光景だな、と眺めていると――入り口に見慣れない顔が立っていた。このフレッシュさは一年生だろうか。

 サラサラした黒髪の顔整いで、背もスラっと高く、弓道部の袴みたいな恰好だ。目が合い、口角を上げたと思ったら、白い歯を光らせニカッとする。

 田中が「あ、弓道部の七瀬(ななせ)くんじゃないですか」と声をかけると、その子はすたすた入って来て、「ここに来たら、お菓子が貰えるって聞いて来ました」と瞳を輝かせる。

 悪びれる様子が全然なくて、近くで見ると、色白で鼻が高くて唇は桜色で……めちゃくちゃ小顔で絵に描いたような美形だった。

 弓道部の奴らも来てるとは思うけど、みんな着替えてから来るから、袴姿を見たのは初めてだった。彼は、ニヤニヤしながら口を開く。

「製菓部なんですよね? これって、食べてもいいんですか」

「いいよ。試作品だから」

「やった。腹減ってて。こんな所があったんですね!」

 彼は七瀬蒼(ななせ あおい)、弓道部の1年生だそう。田中が「七瀬くんって弓道めちゃくちゃ強いんですよね」と話しかけると、「まあ」とだけ答えて、もうお菓子の方しか見ていなかった。

 他の連中がわいわいスコーネを取り合っている中で、七瀬だけがじっと、二種のスコーネを乗せた皿を見ていた。宝物を扱うみたいに手を添えて、一口ずつ確かめるようにゆっくり食べ始める。さっきまでのちょっとだけチャラい雰囲気はどこへやら。とんでもなく真剣な顔だ。

 周りのやつらに勧められるがまま、七瀬もトッピングコーナーでわいわいし始めた。やっぱり運動部のやつらって陽キャしかいない。
 俺が世話を焼かなくても馴染めてるから心配いらないなって思った時だった。

「白石先輩、スコーネって、ジャムをたくさんつけてもいいんですか?」

 七瀬が、半分に割ったスコーネにジャムを乗せたものを見せてきた。
 その量は……ないぞ。こぼれる寸前で適量の三倍を超えていて、俺は吹き出しそうになり、耐えることで精一杯になる。

「乗せすぎだよ。甘党なんだな」

 七瀬が一瞬固まり、耳をわずかにピンクに染めて、「……甘いもの好きなのは別にいいじゃないですか」とボソッと呟く。
 恥ずかしいんだ、と思ったら少し可笑しかった。背も高いし大人っぽいけどまだ16歳なんだな。

「いいんじゃないかな。見かけによらず……」

「見かけによらずって、どういう意味なんですか?」

「そのままの意味だよ」

 七瀬がむっとした顔でこちらを見ていたが、山盛りに盛られた赤紫と黄金色のジャムをじっと見つめて、「ヘヘッ」とはにかんだ。さっきのむっとした顔と全然違って、俺は少し面食らった。

「宝石みたいですね。特にこっちの黄色いの、すごくいい匂いがします」

「カルダモンを挽きたてで入れてるからね。スコーネはジャムを食べるための台座だって、ばあちゃんも言ってたから、だから、ジャム山盛りでも気にしなくていいから」

「じゃあ、もっと乗せます!」

「乗せすぎだって言ってるのに……はやく食べて、垂れそうだから」

 七瀬は「はい」と元気に答えて、ジャムが滴りそうなスコーネを満足そうに口に運ぶ。そして、指先を赤く染めながら、「美味しいです」と目を丸くした。

 その様子を見ていると、本当に甘いもの好きなんだな、ほっこりした。それと、なんだか、憎めない奴だな……なんて。

 ◇

 数日後。放課後にジュエルクッキーを焼く事にした。
 これは、ばあちゃんに習ったスウェーデンのお菓子で、通常は丸く成型したサブレ生地の中央を凹ませて、ジャムを流し込んで焼き上げる。ばあちゃんに習ったお菓子の中で、俺が一番好きなやつ。

 このジュエルクッキーはスウェーデンのFika(フィーカ)には欠かせない、ハッロングロットルというお菓子で、仕上がると中央のジャムが熱で透き通り、夕陽にかざすと本物のステンドグラスみたいにきらきら光る。

 焼き上がった大量のクッキーを並べながら、ふと手が止まる。あの「ヘヘッ」という嬉しそうな七瀬の顔を思い出してしまって……あの、スコーネの山盛りのジャムは面白かったな、なんて考えていたら、無意識のうちに勝手に手が動いていた。

 ふたつのクッキーに追加でジャムをスプーンで落とす……かなり多いけど、七瀬にはこの位がちょうど良いはずだ。宝石というより、もはや宝石箱みたいに発光している。

 甘党だから――それだけだ。特別扱いとかじゃなくて……そう自分に言い聞かせながら、それらを皿に乗せて、戸棚の中へしまっておく。

 廊下から、わいわいとした声が聞こえてきたと思ったら、部室にぞろぞろと大男たちが入って来て、いつものように試食会が始まる。

「白石、このクッキーマジで美味いぞ」とみんなが言ってくれて嬉しくなる。

「白石先輩、今日は何ですか?」

 気づけば、七瀬も男たちの輪に入っていた。いつの間に来たのか。今日も袴姿で……急いで来たのが分かってしまって、可笑しくなる。

「君の分はこっち。それに取って置くから、そんなに急いで来なくてもいいよ」

 吹き出しそうなのを我慢しつつ言うと、七瀬は少し言葉に詰まったけど、「次からは少し遅れます」とだけ言って、俺が戸棚から出したジュエルクッキーを瞳をキラキラさせながら受け取る。

「このクッキー、宝石みたいに綺麗ですね……それと、これって、俺だけジャムを多めにしていただけたんですよね?」

 バレてる、と思ったけど認めたくなかった。なんか、急に恥ずかしくなって。

「甘党だから多めにしといただけ。気にしないで」

「そうなんですか?」

 ニヤニヤしながら、見つめられて、ちょっと気まずい空気が流れる。やっぱり、変に思われたかも……気持ち悪いことしちゃったかな、と反省していたら七瀬が続ける。

「すみません、手が少し汚れてしまっていて……食べさせてくれませんか?」

「……え?」

 確かに、なんか黒い墨みたいなのが手に付いてる。あー、弓道で汚れたのか。今日はクッキーだから手で食べれると思ったし、カトラリーは出してなくて、俺はあたふたする。

 周りにまだ何人かいるし、絶対変に思われる! 
 どうしよう……でも、七瀬は表情をほとんど変えずに俺に食べさせて貰えるのを待っているみたいだ。さっきまでのおちゃらけた雰囲気はなくて、真剣な表情をしている。

 田中がこっちを見ているのが視界の端に映ったけど、今はそれどころじゃなかった。カトラリーを取りに行くのも面倒だし、この美しい顔を見ていたら好奇心が勝り……断るという言葉が頭から消えた。なんで俺がこいつの顔に負けてるんだ――そう思いながら、俺は覚悟を決めた。

「……もう、しょうがないな」

 ジュエルクッキーを一枚取り、口元に差し出してみる。七瀬は俺の瞳を見つめたまま、ゆっくりと口を開けた。指先が、彼の柔らかい唇に触れてしまう。温かくて、思っていたより柔らかくて――触れているのは指先だけなのに、心臓まで熱が届いた気がした。

「……ん。とても美味しいです、白石先輩。すごく……甘いですね」

 俺は視線を逸らし、手をサッと引いて、もう一枚を手に取る。心臓がうるさいけど、悟られないように。

 後輩のくせに、なんでこんな事させるんだよ――恥ずかしくて狂いそうだ。耳が熱くなって、顔が火照っていくのを感じた。

「ジャム多めなの。嬉しいです。もう一枚もいいですか?」

 無邪気に口を開ける七瀬は、俺がクッキーを口元に運んでやると、また俺の瞳を捉えたまま口にクッキーを頬張る。今度は早めに指を引き、唇に触れないようにした。

 ◇

 その夜は、布団に入ってもなかなか眠れなかった。

 天井に右手をかざし、人差し指をぼんやり眺める。温かくて少し湿った感触がまだ残っている気がして……何度も忘れようとしたのに、全然消えない。
 あんなに見つめられて、正直変な気分になる……でも、後輩のひとりのはずだ。

 ただ手が汚れてたから手伝っただけなのに……何考えてんだよ。そう思うのに、あの美しい顔が頭から離れなくて。
「すごく……甘いですね」と言った時の、落ち着いた静かな声が頭の中で響いて消えない。

 やばすぎるし……陽キャのイケメン怖い……。

 明日七瀬が来たら、どんな顔をすればいいんだろう。また食べさせてって強請られたら、俺は断れるのだろうか。カトラリーを出すのを忘れないようにしないと……。

 しばらく布団の中でぐるぐる明日の事をシミュレーションしていくうちに、いつの間にか寝落ちしていた。