翌日。
「長倉、なんか一年が呼んでる」
クラスメイトに声を掛けられて教室の出入り口に目を向ければ古田が立っていた。
「おお⁉ あ、サンキュな」
彼に声を掛け、慌てて古田に駆け寄った。二年の教室に一年が来れば目立つ。
「どうかしたのか?」
周囲の目を気にして小声で話しかける。
「いえ。今日は優斗先輩が部活に来るか聞きたくて」
途端に頬が熱を持つ。
――行きたいけど、行きたくないんだよ。
言えない言葉は飲みこんだ。
「ちょっと、体調で分かんないし。部長にメッセ送るから」
下を向いて答えた。昼休みでクラスメイトの目線が痛い。古田を無視できない。
「俺に連絡ください」
――できないんだよ。
そう言えずに僕は下を向いたまま黙った。
「長倉ぁ、後輩イジメんなよぉ」
急にクラス内から声が飛んだ。
「ち、違う! そんなんじゃないって」
恥ずかしくなり古田の腕を掴んで廊下の隅に引っ張った。
「誠、教室まで来るなよ」
あまり周囲に聞かれたくない。身体を近づけて声を掛けた。
古田はじっと動かない。返事もしてくれない。どうしたのか心配になり見上げると、すぐに目が合う。
――距離が近い。
ふと脳裏に夕刻の教室での出来事がよぎる。
あれは夢のはずなのに、唇に感じた熱がリアルに蘇る。つい古田の唇を見てしまった。呼吸に合わせた動きが艶めかしい。
いや、僕は何を考えているのだ! ただ息をしているだけの自然な動きのはずだ。
妙な色眼鏡で見てしまった自分が情けない。ぶんぶんと軽く頭振れば古田がクスッと笑みをこぼした。
「優斗先輩、何かソワソワしてます?」
「は? ソワソワ?」
予想外の言葉に首を傾げた。
「なんか、目線定まらないし。動きが小動物系になってるし」
嬉しそうに目を細める様子に毒気を抜かれる。
「小動物って。あのなぁ、誠には緊張感がないのかよ」
「久しぶりの密着なんです。緊張してたら勿体ないです」
嬉しそうに笑うからつられた。古田の雰囲気に吞みこまれて頬が緩む。
「はは。なんか、誠って感じだ」
「はい。俺です。優斗先輩、部活に来てください」
大型犬のように可愛く言われると胸がチクリと痛む。以前のように可愛い後輩とは思えなくなっている。
――こいつは僕が将棋部への怒りに燃えるのを見て面白がっていたかもしれない。
古田が良い後輩だと思う自分と、裏切られたような気持ちが再燃する。
まだ、向き合いたくない。気持ちが落ち着くまでは古田と一緒にいたくない。
大きく息を吐いて古田から目を逸らした。
「また、連絡する。教室まで、来ないでくれ」
冷たい事を言っていると思う。僕の心がズキリと痛んだ。
「どうしてダメですか? 俺の事が嫌いになりました?」
古田の気迫に圧される。
「嫌いとか、そう言うんじゃなくて……」
答えに困って言葉が続かない。
「ボードゲーム部は優斗先輩がいなくちゃダメです。うちの部を、楽しめない部にしていいんですか?」
ハッとする。楽しいだけの部活があってもいい。そう思っていた僕の心の奥がミシっと軋む。
「優斗先輩、俺が嫌なら退部しますから。先輩の居場所を、奪うつもりはありません」
決意の込められた小声に身体が震えた。
――誠が、やめる?
「だめだ! それは、頼む。待って!」
思わず引き留めていた。考えるより口が動いていた。古田が辞めたら廃部になってしまう。
「先週、児童クラブの子どもたちが、優斗先輩がいないって寂しがっていましたよ。俺では役不足でした」
「そ、そっか……」
子供の明るい笑顔が浮かぶ。悪いことをしたな、と思った時。古田が顔を近づけた。もともと近い距離なのに、耳に唇が触れそうになる。
「俺も、寂しい、です」
声と共に熱い息が耳に入り込んだ。その独特な感覚に「ひえっ」と小さく声がでる。同時に心臓がドッドッと走り出す。
「部室で、待っています」
再び耳に言葉が注がれて僕の身体がビクっと動く。そのまま去って行く古田の姿を目で追った。
古田に向き合えない気持ちのままで一緒に部活動ができるだろうか。ボードゲームを楽しめるだろうか。こんな少しの接触に構えてしまう自分がいるのに。
行きたくないけれど。
『部室で、待っています』
先程の言葉が頭に残っている。古田ならずっと待ち続けそうだ。
僕は大きくため息をついて教室に戻った。
午後の授業が憂鬱だ。
放課後。
迷いながらも部室に向かう。扉の前で足を止めれば、ポンと肩を叩かれる。振り返れば部長がいた。
「長倉君、久しぶりだな。頭痛は?」
「大丈夫です。すみません」
部長と一緒に部室に入った。室内には誰もいない。古田は部室で待っていると言っていたのに。少しガッカリする。
ーーん? 僕がガッカリ? なんでだ?
自分の気持ちに首を傾げた。
「今日は古田君が用事で休みだ。せっかく部員が三人になったのに二人での活動が続くなぁ」
寂しそうに笑う部長に申し訳なさが沸き上がる。耐えられずに僕は直角に頭を下げた。
「部長、すみません! 全部、僕のせいだったんです」
「はぁ? どうしたんだよ、長倉君?」
「僕が、部見学で失敗したから、入部者がいなくなってしまって……。僕、全然気がついてなくて。すみません!」
少し沈黙が流れる。入部者を楽しみにしていた部長のことだ。怒っているかもしれない。頭を下げたまま、僕の心は地の底まで沈みこんだ。
「なんだ。そんなこと気にしていたのか? それ、いつ知った?」
穏やかな部長の声に緊張が溶けて、僕は顔を上げた。部長は優しく微笑んでいる。
「えっと、一週間前に。偶然、将棋部の話を聞いてしまって」
「じゃ、古田君からじゃないんだな。ま、座って話そうよ」
なぜ古田の名が出てくるのだろう。部長の言葉に疑問を抱きながら着座した。
「さて、と。まずさ、長倉君が謝ることじゃない。オレも後から偶然知ったんだけど、もともと部の見学者が冷やかしだったんだよ」
「え?」
「聞いてるかもだけど、長倉君のアイドル顔を見ようって来た子たちだっただけ。ほら、古田君以外は女子だったろ?」
「あ、まぁそうでしたけど」
「それでも入ってくれれば嬉しいかなって思ったけどね。けど、古田君がキレちゃったからさ」
「はい?」
――誠が、キレた?
驚いて部長の顔を見つめた。
「そこは知らないんだ。見学に来た子たちが、うちの部のことをキモいとかオタクとか騒いだらしいんだ。そしたら、古田君が、『お前ら最低だ!』って」
「なに、それ……」
知らなかった。なんだ、そのエピソードは! 古田は僕に何も言わなかった。何も……。胸がじわりと熱くなる。
「それでさ、将棋部が『うちは優しい部活だよぉ』って全員かっさらったらしいぞ。でも、オレは幽霊部員十人より古田君が一人いてくれれば、それで十分嬉しいんだ。何より長倉君を大切にしてくれるしな」
体中を言いようのない感情が走り回る。叫び声を上げたい。古田にいますぐ抱きつきたい!
「先輩、誠は、どこですか?」
「たぶん、廊下にでもいるんじゃないか? オレはもう帰るから、二人でよく話し合えよ」
廊下? 用事があって帰ったのではないのか?
疑問に思う僕を残して部長がスタスタと扉に向かい、バタンと開けた。そこには。
部長が言うように古田が立っていた。古田は真っ直ぐに僕に目線を向けている。僕の高ぶった心を射貫くような瞳だ。
「誠……」
声を掛けたけれど。古田はきびすを返して走り去る。
「ええ? 古田君?」
部長が驚きの声を上げる。
「誠! ちょっと待て!」
すぐに追いかけたけれど、さすが元サッカー部。大きなスライドでどんどん姿が遠ざかる。
これは文化部男子には厳しい展開だ。
「長倉、なんか一年が呼んでる」
クラスメイトに声を掛けられて教室の出入り口に目を向ければ古田が立っていた。
「おお⁉ あ、サンキュな」
彼に声を掛け、慌てて古田に駆け寄った。二年の教室に一年が来れば目立つ。
「どうかしたのか?」
周囲の目を気にして小声で話しかける。
「いえ。今日は優斗先輩が部活に来るか聞きたくて」
途端に頬が熱を持つ。
――行きたいけど、行きたくないんだよ。
言えない言葉は飲みこんだ。
「ちょっと、体調で分かんないし。部長にメッセ送るから」
下を向いて答えた。昼休みでクラスメイトの目線が痛い。古田を無視できない。
「俺に連絡ください」
――できないんだよ。
そう言えずに僕は下を向いたまま黙った。
「長倉ぁ、後輩イジメんなよぉ」
急にクラス内から声が飛んだ。
「ち、違う! そんなんじゃないって」
恥ずかしくなり古田の腕を掴んで廊下の隅に引っ張った。
「誠、教室まで来るなよ」
あまり周囲に聞かれたくない。身体を近づけて声を掛けた。
古田はじっと動かない。返事もしてくれない。どうしたのか心配になり見上げると、すぐに目が合う。
――距離が近い。
ふと脳裏に夕刻の教室での出来事がよぎる。
あれは夢のはずなのに、唇に感じた熱がリアルに蘇る。つい古田の唇を見てしまった。呼吸に合わせた動きが艶めかしい。
いや、僕は何を考えているのだ! ただ息をしているだけの自然な動きのはずだ。
妙な色眼鏡で見てしまった自分が情けない。ぶんぶんと軽く頭振れば古田がクスッと笑みをこぼした。
「優斗先輩、何かソワソワしてます?」
「は? ソワソワ?」
予想外の言葉に首を傾げた。
「なんか、目線定まらないし。動きが小動物系になってるし」
嬉しそうに目を細める様子に毒気を抜かれる。
「小動物って。あのなぁ、誠には緊張感がないのかよ」
「久しぶりの密着なんです。緊張してたら勿体ないです」
嬉しそうに笑うからつられた。古田の雰囲気に吞みこまれて頬が緩む。
「はは。なんか、誠って感じだ」
「はい。俺です。優斗先輩、部活に来てください」
大型犬のように可愛く言われると胸がチクリと痛む。以前のように可愛い後輩とは思えなくなっている。
――こいつは僕が将棋部への怒りに燃えるのを見て面白がっていたかもしれない。
古田が良い後輩だと思う自分と、裏切られたような気持ちが再燃する。
まだ、向き合いたくない。気持ちが落ち着くまでは古田と一緒にいたくない。
大きく息を吐いて古田から目を逸らした。
「また、連絡する。教室まで、来ないでくれ」
冷たい事を言っていると思う。僕の心がズキリと痛んだ。
「どうしてダメですか? 俺の事が嫌いになりました?」
古田の気迫に圧される。
「嫌いとか、そう言うんじゃなくて……」
答えに困って言葉が続かない。
「ボードゲーム部は優斗先輩がいなくちゃダメです。うちの部を、楽しめない部にしていいんですか?」
ハッとする。楽しいだけの部活があってもいい。そう思っていた僕の心の奥がミシっと軋む。
「優斗先輩、俺が嫌なら退部しますから。先輩の居場所を、奪うつもりはありません」
決意の込められた小声に身体が震えた。
――誠が、やめる?
「だめだ! それは、頼む。待って!」
思わず引き留めていた。考えるより口が動いていた。古田が辞めたら廃部になってしまう。
「先週、児童クラブの子どもたちが、優斗先輩がいないって寂しがっていましたよ。俺では役不足でした」
「そ、そっか……」
子供の明るい笑顔が浮かぶ。悪いことをしたな、と思った時。古田が顔を近づけた。もともと近い距離なのに、耳に唇が触れそうになる。
「俺も、寂しい、です」
声と共に熱い息が耳に入り込んだ。その独特な感覚に「ひえっ」と小さく声がでる。同時に心臓がドッドッと走り出す。
「部室で、待っています」
再び耳に言葉が注がれて僕の身体がビクっと動く。そのまま去って行く古田の姿を目で追った。
古田に向き合えない気持ちのままで一緒に部活動ができるだろうか。ボードゲームを楽しめるだろうか。こんな少しの接触に構えてしまう自分がいるのに。
行きたくないけれど。
『部室で、待っています』
先程の言葉が頭に残っている。古田ならずっと待ち続けそうだ。
僕は大きくため息をついて教室に戻った。
午後の授業が憂鬱だ。
放課後。
迷いながらも部室に向かう。扉の前で足を止めれば、ポンと肩を叩かれる。振り返れば部長がいた。
「長倉君、久しぶりだな。頭痛は?」
「大丈夫です。すみません」
部長と一緒に部室に入った。室内には誰もいない。古田は部室で待っていると言っていたのに。少しガッカリする。
ーーん? 僕がガッカリ? なんでだ?
自分の気持ちに首を傾げた。
「今日は古田君が用事で休みだ。せっかく部員が三人になったのに二人での活動が続くなぁ」
寂しそうに笑う部長に申し訳なさが沸き上がる。耐えられずに僕は直角に頭を下げた。
「部長、すみません! 全部、僕のせいだったんです」
「はぁ? どうしたんだよ、長倉君?」
「僕が、部見学で失敗したから、入部者がいなくなってしまって……。僕、全然気がついてなくて。すみません!」
少し沈黙が流れる。入部者を楽しみにしていた部長のことだ。怒っているかもしれない。頭を下げたまま、僕の心は地の底まで沈みこんだ。
「なんだ。そんなこと気にしていたのか? それ、いつ知った?」
穏やかな部長の声に緊張が溶けて、僕は顔を上げた。部長は優しく微笑んでいる。
「えっと、一週間前に。偶然、将棋部の話を聞いてしまって」
「じゃ、古田君からじゃないんだな。ま、座って話そうよ」
なぜ古田の名が出てくるのだろう。部長の言葉に疑問を抱きながら着座した。
「さて、と。まずさ、長倉君が謝ることじゃない。オレも後から偶然知ったんだけど、もともと部の見学者が冷やかしだったんだよ」
「え?」
「聞いてるかもだけど、長倉君のアイドル顔を見ようって来た子たちだっただけ。ほら、古田君以外は女子だったろ?」
「あ、まぁそうでしたけど」
「それでも入ってくれれば嬉しいかなって思ったけどね。けど、古田君がキレちゃったからさ」
「はい?」
――誠が、キレた?
驚いて部長の顔を見つめた。
「そこは知らないんだ。見学に来た子たちが、うちの部のことをキモいとかオタクとか騒いだらしいんだ。そしたら、古田君が、『お前ら最低だ!』って」
「なに、それ……」
知らなかった。なんだ、そのエピソードは! 古田は僕に何も言わなかった。何も……。胸がじわりと熱くなる。
「それでさ、将棋部が『うちは優しい部活だよぉ』って全員かっさらったらしいぞ。でも、オレは幽霊部員十人より古田君が一人いてくれれば、それで十分嬉しいんだ。何より長倉君を大切にしてくれるしな」
体中を言いようのない感情が走り回る。叫び声を上げたい。古田にいますぐ抱きつきたい!
「先輩、誠は、どこですか?」
「たぶん、廊下にでもいるんじゃないか? オレはもう帰るから、二人でよく話し合えよ」
廊下? 用事があって帰ったのではないのか?
疑問に思う僕を残して部長がスタスタと扉に向かい、バタンと開けた。そこには。
部長が言うように古田が立っていた。古田は真っ直ぐに僕に目線を向けている。僕の高ぶった心を射貫くような瞳だ。
「誠……」
声を掛けたけれど。古田はきびすを返して走り去る。
「ええ? 古田君?」
部長が驚きの声を上げる。
「誠! ちょっと待て!」
すぐに追いかけたけれど、さすが元サッカー部。大きなスライドでどんどん姿が遠ざかる。
これは文化部男子には厳しい展開だ。



