将棋部への復讐に燃える僕の奮闘は、後輩君に完全サポートされている、ハズだよな?

 部長は塾があるから、と先に帰った。これは古田と二人で話すチャンスだ。
「二人きりですね」
 気が付くと僕の真後ろに古田が立っていた。
「うわ。びっくりするって」
 少し距離を取ろうとすると、古田は僕の髪の匂いを嗅ぐかのように近づいてきた。その仕草がやけにゆっくり目に映る。
「な、なに?」
 古田の体の大きさとか匂いを意識してしまい、急に居心地の悪さを感じた。妙に緊張する。逃げたいような気持ちが生まれる。どうしよう。
「部長と二人きりの部活は、距離感は? こうして密着したりしました?」
 古田が大きな身体を僕の背に預けてくる。重くはない。ただ、背中に熱を感じる。ジワリと背から熱が侵入してくる。まるで古田が僕に入り込むような錯覚が生まれる。心臓がドッドッと激しく動く。
 ――どういう、意味だ? どうして誠は不機嫌なんだ?
 分からなくて混乱する。ただ、誤解を解かなくてはいけない。それだけは確かだ。
「ま、誠。なんか、怒ってんならゴメン。えっと、部長とは普通の距離感だから。僕にくっついてくるのは誠だけだって」
 必死に伝えれば、密着した身体が大きく息を吐いた。その動きを背で感じる。古田の圧が少し弱まる。きっと誤解が溶けたのだ。よかった、そう思った時。古田の腕が僕の身体を包んだ。不意打ちの様な抱擁に僕の背がゾクっと震える。
 ――誠に、捕らわれる。
 そんな思いが脳に駆け巡った。頭に古田の息がかかる。フウっと熱を帯びた風が抜けた。
「良かった。俺だけ、ですね」
 低い声に腰が砕けそうになる。背後の古田の迫力を肌で感じて、その腕をほどけない。
「はは、あ、当たり前だろ。部長は先輩だし。こんなの後輩の特権、だろ?」
 胸の高鳴りに焦りを感じて、しどろもどろに答えた。途端に古田がガクリと項垂れた。
「ああああ。もう! だから! あぁ、何でそうなるんだ! 後輩だけど……」
 古田は僕を解放して、自分の頭をガシガシと掻いている。その幼い行動が先ほどまでとは真逆だ。古田は掴みどころがない。大人っぽく見えたり、犬のようになったり。
 おかげで僕の心は乱されっぱなしだ。
 抱擁から解放されても僕の胸はトクトクと高ぶったままだった。

 古田がガタンと椅子に座った。何となく隣に座れずに僕は向かいの席。話しかけて良いのか分からずに静かな時間が流れる。将棋部の話題を今は避けるべきだろうか。
「優斗先輩、すみません」
 急にしおらしく謝罪を口にするから、僕の身体が大きくビクリと反応した。謝られると心がズキッと痛む。
「や、別に、謝らなくても……」
「いえ。ちょっと、コントロール利かなくて。ほんと、自分がガキで嫌になります」
 目に見えて落ちこまれると励まさなくてはいけない気になる。
「や、もういいって。ほら、今日は僕の相談に乗ってくれるんだろ? 将棋部のこと」
 慰めるように身を乗り出せば視線がバチリとぶつかる。真剣な古田の瞳にハッと息を飲む。キリっとした顔は男の色気を孕んでいる。目線が合ったまま、古田は優しく微笑んだ。不思議な魅力にドキっとする。
「はい。優斗先輩のためなら何でもします」
 良かった。いつもの古田だ。ドキドキ動く心臓を落ち着かせるために、そう自分に言い聞かせた。誤魔化すように将棋部のことに意識を集中する。
「ん。じゃ、とりあえず、将棋部が僕らの部見学者に何をしたか知りたい。証拠が欲しい」
「証拠、ですか。難しいですね。今更ですし」
 確かに部活見学から一ヶ月以上が経過している。
「けど、僕がたまたま聞いたように、なにかボロを出すかもだろ?」
「じゃ、これからしばらく部活後に残ります?」
「そうだな。将棋部のほうが遅くまで人が残る。あいつらが部室に戻って雑談するのを、窓開けて聞く作戦だ」
「盗み聞きですね」
「バッカ、お前、それじゃこっちが犯罪みたいじゃんか」
 古田の額にコツンと触れる。友人にするような仕草だったけれど、古田の熱を手に感じてしまい、先ほどの抱擁を思い出した。窓から抜ける風が古田の髪を揺らす。急に照れくさくなり、古田から目線を外して熱を持った右手を左手で包む。
「優斗先輩? どうかしました?」
 再び彼に向けば、窓から入る夕暮れの陽が古田を照らしている。黒髪が綺麗に映えて瞳もいつも以上に鋭く見える。
「誠ってイケメンだな……」
 口から素直な言葉が滑り出ていた。すると古田の顔が真っ赤に染まっていく。黒曜の目が右往左往と動く。その様子に僕の胸がキュンと音を立てた。
 カッコいいのに、どうしようもなく、可愛い!
 ――抱き締めたい。
 そんな思いが湧き上がった。その欲望を打ち消すように自分の手をギュっと握る。向かいの席で良かった。隣ならあの身体に触れていただろう。
 何も言わずに古田は僕から視線を逸らす。
 窓の外から運動部の活動の声が響いてくる。静かな部室内と激しく活動をしている外の様子が相反して、まるでここだけ時が止まったかのようだ。妙な非現実感。
 古田がゆっくりと僕に向いた。
 ガタンと音を立てて彼が立ち上がる。
「優斗、先輩。俺は、先輩の事が……」
 真剣な古田の声をかき消すように、隣の部室から「お疲れ様です!」「お疲れです!」「暑いなぁ。そっちも窓開けて!」と声が侵入してきた。
 古田の身体が大きくビクリと動き、彼は言葉を止める。古田はフイっと横を向いて汗を拭う。室内の緊張した空気が溶けていく。
 ――またしても邪魔しやがって! 将棋部め!
 そう考えて隣を睨んだ。けれど。どうして自分が『邪魔された』と思うのか理解できずに首を傾げた。僕は何を考えているのだろう。
 古田はしばらく赤い顔で立ち尽くしていた。