くすみかけていた結界の色が、突如として最初の時よりも鮮烈な紅を帯びて光り輝いた。
確かに刻まれていたはずの亀裂が、内側から溢れ出す光に飲み込まれるようにして消滅していく。
掌の奥から、熱いものが結界へと流れ込んでいく感覚が。
鬼たちも予想外の反動に驚いたのか、再び私たちの結界から大きく距離を取った。
何が起きたのか分からず、呆然と自分の両手と、結界の向こうで呻く鬼を交互に見つめる。
……私の意志が、結界を強化したの?
「あ……あ……っ、姉さん、あれ……っ」
腰を抜かして座り込む鈴の、震える指の先に目を向ける。
屋敷の塀に巨大な鉤爪をかけ、ゆっくりと立ち上がる影があった。
「え……?」
屋敷を跨ぐことができるほど、山のように巨大な鬼。
今まで見てきた鬼は、どれも人間と同じか、少し大きい程度だった。
けれど目の前のそれは、あまりにも違う。
背中は黒い岩のように盛り上がり、腕は大木の幹のように太い。
ひび割れた額から伸びる角は、古びた刃のように鈍く光っていた。
あんな異形の怪物が、実在するなんて。
巨大な鬼の濁った瞳が、私たちを捉える。
他の鬼たちが一斉に身を低くした。
怯えているのだ。
仲間であるはずの鬼でさえ、あれを恐れている。
結界は奇跡的に輝きを取り戻した。
けれど、目の前の巨大な絶望を前に、私もまた鈴と同じようにその場に崩れ落ちた。
最強の鬼狩りと言われる朔夜でも、あんな鬼に勝てるの……?
それでも、私は朔夜に『おかえりなさい』を言いたい。
永太と琴にも、最後にもう一度だけでいいから会いたい。
ただそれだけの、けれど何よりも切実な願いを抱いて、私は今まさに崩れようとする絶望を見つめる。
巨大な鬼が、その醜悪な爪を塀にかけ、内側へと身を乗り出そうとした、その時——。
空を裂くような、一筋の鋭い閃光が鬼の巨体を横切った。
音を立てて絶命したのは鬼の方だった。
巨体がバランスを崩して塀の上へと倒れ込み、ガシャァンという凄まじい音と共に、瓦が土埃を上げて崩れ落ちていく。
「さく、や……!」
夕日を背負い、塀の上に凛と立つその人影。
逆光で顔は判然としないけれど、その立ち姿を、見間違えるはずがない。
「一番隊!残党を殲滅しろ!!一匹たりとも、この敷地から逃がすな!!」
彼の号令と共に、影が飛ぶように次々と鬼狩りの隊士たちが現れる。
彼らは迷いのない動きで、私たちを包囲していた鬼たちを瞬く間に蹴散らしていった。
その凄惨な戦場の中を、朔夜はただ一人、静かに刀を鞘に納めながら、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。
返り血を浴び、衣の端を土埃に汚しながらも、その足取りには一切の乱れがない。
「……よく頑張ったな。もう少しだけ待っていろ。すぐ終わる」
「っ、はい……っ!」
「すぐ終わる」
その言葉に嘘はなかった。
最強を謳われる睦月隊の蹂躙は、十分もかからずに終結した。
屋敷に入り込んだ鬼たちは次々と斬り伏せられ、最後に残った一体も、隊士の刃に喉を断たれて地に沈む。
耳を塞ぎたくなるような咆哮が、やっと途切れた。
「……もう、出てきて大丈夫だ」
「あ、あの……どうやって出れば……?」
「結界の主であるお前が望めば、普通に通り抜けられるはずだ」
あんなに恐ろしい鬼たちの猛攻を跳ね返していた紅い結界。
恐る恐る、一歩、結界の外側へ向かって足を踏み出した。
私の身体が結界を抜ける。
続いて鈴が這い出すと、結界は役目を終えたかのようにふわっと霧散して消えた。
緊張が解けると同時に、私はまたしてもその場に腰を抜かすように座り込んでしまう。
「……怪我は、ないか?」
「私は、大丈夫です……。でも、屋敷の皆さんが……私を守るために、何人もの方が……」
「それは俺の責任だ。俺が不在だったがゆえの過失。お前が背負うべきことではない」
そんなふうに、割り切れるわけがない。
私なんかよりずっと長く朔夜に仕え、帰りを待つ家族だっていたはずの命が、私のために失われたのだ。
……なぜ、こんなことに。
結界が破られる直前に、真っ白な顔で走り去っていった西園寺さんの姿が、嫌でも脳裏を過る。
彼女のこれまでの言動を考えれば、狙いは私一人だったはずだ。
他の人々は、私の存在に巻き込まれたに過ぎない。
喉の奥が詰まった。
私がここに来なければ。
私が朔夜の番にならなければ。
そんな考えが、胸の中へ流れ込んでくる。
「……そんな顔をするな。お前のために、予定を早めて戻ったんだ」
「私のため、ですか……?」
「ああ。少しでも早く、会わせてやりたくてな」
「会わせ、たくて……?」
確かに刻まれていたはずの亀裂が、内側から溢れ出す光に飲み込まれるようにして消滅していく。
掌の奥から、熱いものが結界へと流れ込んでいく感覚が。
鬼たちも予想外の反動に驚いたのか、再び私たちの結界から大きく距離を取った。
何が起きたのか分からず、呆然と自分の両手と、結界の向こうで呻く鬼を交互に見つめる。
……私の意志が、結界を強化したの?
「あ……あ……っ、姉さん、あれ……っ」
腰を抜かして座り込む鈴の、震える指の先に目を向ける。
屋敷の塀に巨大な鉤爪をかけ、ゆっくりと立ち上がる影があった。
「え……?」
屋敷を跨ぐことができるほど、山のように巨大な鬼。
今まで見てきた鬼は、どれも人間と同じか、少し大きい程度だった。
けれど目の前のそれは、あまりにも違う。
背中は黒い岩のように盛り上がり、腕は大木の幹のように太い。
ひび割れた額から伸びる角は、古びた刃のように鈍く光っていた。
あんな異形の怪物が、実在するなんて。
巨大な鬼の濁った瞳が、私たちを捉える。
他の鬼たちが一斉に身を低くした。
怯えているのだ。
仲間であるはずの鬼でさえ、あれを恐れている。
結界は奇跡的に輝きを取り戻した。
けれど、目の前の巨大な絶望を前に、私もまた鈴と同じようにその場に崩れ落ちた。
最強の鬼狩りと言われる朔夜でも、あんな鬼に勝てるの……?
それでも、私は朔夜に『おかえりなさい』を言いたい。
永太と琴にも、最後にもう一度だけでいいから会いたい。
ただそれだけの、けれど何よりも切実な願いを抱いて、私は今まさに崩れようとする絶望を見つめる。
巨大な鬼が、その醜悪な爪を塀にかけ、内側へと身を乗り出そうとした、その時——。
空を裂くような、一筋の鋭い閃光が鬼の巨体を横切った。
音を立てて絶命したのは鬼の方だった。
巨体がバランスを崩して塀の上へと倒れ込み、ガシャァンという凄まじい音と共に、瓦が土埃を上げて崩れ落ちていく。
「さく、や……!」
夕日を背負い、塀の上に凛と立つその人影。
逆光で顔は判然としないけれど、その立ち姿を、見間違えるはずがない。
「一番隊!残党を殲滅しろ!!一匹たりとも、この敷地から逃がすな!!」
彼の号令と共に、影が飛ぶように次々と鬼狩りの隊士たちが現れる。
彼らは迷いのない動きで、私たちを包囲していた鬼たちを瞬く間に蹴散らしていった。
その凄惨な戦場の中を、朔夜はただ一人、静かに刀を鞘に納めながら、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。
返り血を浴び、衣の端を土埃に汚しながらも、その足取りには一切の乱れがない。
「……よく頑張ったな。もう少しだけ待っていろ。すぐ終わる」
「っ、はい……っ!」
「すぐ終わる」
その言葉に嘘はなかった。
最強を謳われる睦月隊の蹂躙は、十分もかからずに終結した。
屋敷に入り込んだ鬼たちは次々と斬り伏せられ、最後に残った一体も、隊士の刃に喉を断たれて地に沈む。
耳を塞ぎたくなるような咆哮が、やっと途切れた。
「……もう、出てきて大丈夫だ」
「あ、あの……どうやって出れば……?」
「結界の主であるお前が望めば、普通に通り抜けられるはずだ」
あんなに恐ろしい鬼たちの猛攻を跳ね返していた紅い結界。
恐る恐る、一歩、結界の外側へ向かって足を踏み出した。
私の身体が結界を抜ける。
続いて鈴が這い出すと、結界は役目を終えたかのようにふわっと霧散して消えた。
緊張が解けると同時に、私はまたしてもその場に腰を抜かすように座り込んでしまう。
「……怪我は、ないか?」
「私は、大丈夫です……。でも、屋敷の皆さんが……私を守るために、何人もの方が……」
「それは俺の責任だ。俺が不在だったがゆえの過失。お前が背負うべきことではない」
そんなふうに、割り切れるわけがない。
私なんかよりずっと長く朔夜に仕え、帰りを待つ家族だっていたはずの命が、私のために失われたのだ。
……なぜ、こんなことに。
結界が破られる直前に、真っ白な顔で走り去っていった西園寺さんの姿が、嫌でも脳裏を過る。
彼女のこれまでの言動を考えれば、狙いは私一人だったはずだ。
他の人々は、私の存在に巻き込まれたに過ぎない。
喉の奥が詰まった。
私がここに来なければ。
私が朔夜の番にならなければ。
そんな考えが、胸の中へ流れ込んでくる。
「……そんな顔をするな。お前のために、予定を早めて戻ったんだ」
「私のため、ですか……?」
「ああ。少しでも早く、会わせてやりたくてな」
「会わせ、たくて……?」



