鬼狩りの番~置き去りにされた娘は、半人半鬼に血を捧げる~

「……やっと、夜明け……」

重苦しい沈黙を破るように零れた言葉は、朝日を浴びても少しも温まらなかった。

屋敷の人たちは、一体どうなったのだろう。
視界に入る範囲に、生きて動いている人の姿はない。
昨夜、屋敷の結界が破られた時には数体だったはずの鬼が、今では私たちの『結毬』の結界を包囲するように、十数体もの群れとなって蠢いている。

夜の間、何度も遠くで悲鳴のようなものが聞こえた。
木が折れる音。瓦が砕ける音。何かを引きずるような、湿った音。
そのたびに息を殺し、鈴の口を塞ぎ、自分の心臓の音さえ鬼に聞こえてしまうのではないかと怯え続けた。

「なんで……なんでこんなことになったのよ……。どうして、鬼が……っ、誰か助けてよ……!」

鈴はずっと膝を抱えたまま、歯の根も合わないほどガクガクと震え続けている。
目元は泣き腫らして赤く、声は掠れていた。

あの時、彼女を見捨てて逃げることもできた。
けれど、もしそんなことをして生き残ったとして、私はこの先、笑顔で永太や琴の隣に立つことなんてできない。
二人に、胸を張って会えなくなる。
それだけの理由で、身体が勝手に動いていたのだ。

どれほどの時間が過ぎただろうか。
時が経つごとに、私たちを囲む鬼の数は増えていく。
その群れの中には、見覚えのある着物を纏った影も混ざっていた。
おそらく、逃げ遅れた屋敷の人たちが鬼化させられたのだろう。

昨日まで、私に茶を淹れてくれた人。
廊下ですれ違うたび、静かに頭を下げてくれた人。
その誰かだったかもしれないものが、濁った瞳でこちらを見つめている。
あまりにも残酷な現実に、意識が遠のきそうになる。

「あれ……?」

気のせいだろうか。
でも……確信に近い違和感が指先に走る。

「ねえ、鈴……」
「なによっ!?こんな時に話しかけないでよ!」
「この結界……色が薄くなってきていない?」
「はあ!?……嘘、そんな、どういうことよ!!」

確信は絶望へと変わっていく。

本来、一人で使用すれば三日は持つはずの結界。
けれど、定員外の二人が入っているせいで、効力が弱まっているのかもしれない。
紅く輝いていた光の網目は、少しずつ濁り、ところどころに頼りない灰色が混じり始めていた。

あとどれくらいの猶予が残されているのだろう。
もし結界が解けてしまったら、二人で逃げ切れるだろうか。
いや、これだけの鬼に全方位を囲まれていて、逃げ場所なんてどこにもない。

「鈴……約束して。もしここから逃げられたら、永太と琴のことを……二人をよろしくね」
「っ、突然何を言い出すのよ……死ぬみたいな言い方しないでよ!」

鬼たちの狙いは、間違いなく番である私。
私が囮になって鬼を惹きつければ、鈴だけでも門の外へ逃がすことができるかもしれない。
その先に味方がいる保証などないけども、ここで二人とも喰われるよりは、まだわずかな可能性がある。

「約束して。あの子たちの家族は、もうあなたしかいないんだから」
「っ、無理よ!私一人じゃ何もできないわよ!!」
「お願い!!鈴にしか頼めないの、実の姉でしょう!?」
「……だって、見つかってないんですもの!!」
「……え?」
「見つけたなんて嘘よ!姉さんばかり綺麗で安全な場所にいて、いい目を見てるから、悔しくて嘘をついただけよ……っ!」

鈴の言葉に、頭の中が真っ白になる。

私は、なんて馬鹿なのだろう。
懲りずに何度も騙されて。
また、この子の嘘に踊らされていた。

胸の奥で、怒りとも絶望ともつかないものが膨れ上がる。
けれど、目の前では結界の光がじわじわと弱まっている。
今は、怒っている場合じゃない。

……落ち着いて。
永太と琴が見つかっていないなら、まだどこかで生きている可能性もある。
ここで諦めてはいけない。

「……それなら、私の代わりに、二人のことを探して。……頼んだわよ、鈴」
「だから、死ぬみたいな言い方しないでって言ってるでしょ……っ!」

鈴の声は怒っているようで、泣き出しそうでもある。
けれど私は、それ以上言い返すことができない。

やがて、空が茜色に染まり始める頃。
最初は鮮やかな紅色を放っていた格子の結界が、全体がくすんだ灰色を帯び始めた。
ピシッ、という音と共に、結界の表面に無数の亀裂が入る。

「……鈴、結界が壊れたらすぐに全速力で門に向かって。鬼は私が惹き付けるから……」
「嫌ぁっ!!そんなの無理よ!!まだ助けは来ないの!?鬼狩りとやらは何をしてるのよ!!!」

一定の距離を保っていた鬼たちが、一斉に立ち上がり、にじり寄ってくる。
向こう側から見ても、この結界が限界を迎えているのは明白なのだろう。
裂けた口元から涎を垂らし、爪を地面に食い込ませながら、じわじわと距離を詰めてくる。

不意に、結界に触れようとした鬼の手が、ジュッと嫌な音を立てた。
けれど、その手は弾け飛ばない。
最初に結界に触れた鬼の腕は、炭のように丸焦げになっていたはずなのに……。

「来ないで……っ」

再び、飢えた手を伸ばしてきた鬼を押し返すように、私は渾身の力を込めて結界の壁へと両腕を伸ばした。

「来ないで……っ!!近寄らないで!!!」
「ギィヤァァァァッ!!!」
「えっ……!?」