「屋敷の中央、母屋の方はまだ結界の効力が残っております!急いでください、ここは我々が食い止めます!」
「わかりましたっ……!鈴、立って!早く!」
「梓様!これを、これを持って行ってくださいっ!」
「なんですか……?これ……」
手渡されたのは、両手に収まるほどの、ころんとした可愛らしい刺繍の手毬だった。
赤と白の糸で細かな模様が縫い込まれ、中央には小さな鈴が結ばれている。
こんな状況でなければ、思わず見惚れてしまいそうなほど美しい。
「これは『結毬』といって、一人用の簡易結界です」
「一人用……?」
「はい。上位の鬼が相手でも、三日は持ちこたえます。その紐を解けば、梓様を中心に強固な結界が張られます」
「待って、私がこれを持ったら、戦っているあなたたちは——」
「いいえ。これは朔夜様の……番である梓様のためのものです」
返そうと差し出した手を、彼は強い力で押し返した。
「この屋敷において、朔夜様の番である梓様の命より重いものなどありません」
言葉を失う。
私は、鬼狩りとして最強とされる朔夜の番。
けれど、あの日偶然彼に拾われただけの私が、ここにいる人たちを犠牲にしてまで生き残ること。
その重みの方が、今は何よりも恐ろしかった。
「姉さん!どうしたらいいのよ、何とかしてよ!!早く、早く助けなさいよ!!」
他人である隊士たちが命懸けで守ろうとしてくれている傍らで、鈴の声が耳を突く。
頭の中が、焦燥と混乱でくらくらしてくる。
「……分かりました。でも、皆さんもどうか、どうか無事で……っ!」
腰を抜かして座り込んでいる鈴の手を強引に引き、奥に向かって走り出す。
一度も袖を通すことのなかった美しい着物を、残したまま。
屋敷の中央、私の部屋のある場所。
朔夜は明日の夜には戻ると言っていた。
そこまで耐えれば、十分に間に合うはず。
「あっ……!」
「鈴っ!?」
鈴が足をもつれさせ、床に転んだ。
そのすぐ背後、鬼の姿が見える。
どうしたら……。
……どうしたら?
鈴を、私が助ける義理なんてあるのだろうか。
そんな疑問が湧いてくる。
集落では裏切られて置き去りにされた。
母の形見の位牌まで燃やされた。
永太や琴を、自分の欲のために人質にするような人間を。
「っ、い、嫌ぁぁぁぁっ!!来ないで、誰か助けてえぇ!!」
鬼が愉悦に満ちた声を上げ、鈴に向かって跳躍する。
身体が、勝手に動いた。
「っ——ごめんなさい……っ!」
誰に謝ったのか、自分でも分からない。
朔夜になのか、私を守るために結毬を渡してくれた人か。
それとも、鈴を見捨てられない自分自身にか。
私は反射的に、倒れ込んでいる鈴の元へと駆け寄った。
彼女の身体を抱き寄せるようにして、掌の中の結毬の紐を引く。
刹那。
私たちを包むように紅い光の網目が走り、幾何学的な球体の障壁が展開された。
「グガァァァァッ!!」
障壁に触れた鬼の腕が、焼かれた鉄のように瞬時に真っ黒に焦げ、弾け飛んだ。
腐った肉のような臭いに、鈴が喉を引き攣らせて悲鳴を上げる。
「きゃぁっぁあぁ!!なによこれ、なによこれ……!何が起きてるのよ!!」
「はっ……はっ……間に合、った……」
目の前の鬼には、確かに効果があった。
けれど、これがいつまで続くのか。
本来一人用として渡されたこの狭い結界の中に、どさくさに紛れるようにして鈴と私の二人が入り込んでいる。
紅い網目はまだ強く光っているが、よく見れば、ときおり細かく瞬いていた。
他の鬼狩りの援軍が来てくれたらいい。
屋敷の使用人たちが、持ちこたえてくれたらいい。
そして、どうか朔夜が、少しでも早く戻ってきてくれたら。
もし助けが来なかったら。
朔夜が戻る明日の夜まで、この状態だなんて……。
その時、結界の外側にいた鬼が、焼け焦げた腕を引きずりながら、ゆっくりとこちらへ顔を近づけた。
濁った瞳が、私と鈴をじっと見比べる。
まるで、どちらから喰らうかを選んでいるように。
「わかりましたっ……!鈴、立って!早く!」
「梓様!これを、これを持って行ってくださいっ!」
「なんですか……?これ……」
手渡されたのは、両手に収まるほどの、ころんとした可愛らしい刺繍の手毬だった。
赤と白の糸で細かな模様が縫い込まれ、中央には小さな鈴が結ばれている。
こんな状況でなければ、思わず見惚れてしまいそうなほど美しい。
「これは『結毬』といって、一人用の簡易結界です」
「一人用……?」
「はい。上位の鬼が相手でも、三日は持ちこたえます。その紐を解けば、梓様を中心に強固な結界が張られます」
「待って、私がこれを持ったら、戦っているあなたたちは——」
「いいえ。これは朔夜様の……番である梓様のためのものです」
返そうと差し出した手を、彼は強い力で押し返した。
「この屋敷において、朔夜様の番である梓様の命より重いものなどありません」
言葉を失う。
私は、鬼狩りとして最強とされる朔夜の番。
けれど、あの日偶然彼に拾われただけの私が、ここにいる人たちを犠牲にしてまで生き残ること。
その重みの方が、今は何よりも恐ろしかった。
「姉さん!どうしたらいいのよ、何とかしてよ!!早く、早く助けなさいよ!!」
他人である隊士たちが命懸けで守ろうとしてくれている傍らで、鈴の声が耳を突く。
頭の中が、焦燥と混乱でくらくらしてくる。
「……分かりました。でも、皆さんもどうか、どうか無事で……っ!」
腰を抜かして座り込んでいる鈴の手を強引に引き、奥に向かって走り出す。
一度も袖を通すことのなかった美しい着物を、残したまま。
屋敷の中央、私の部屋のある場所。
朔夜は明日の夜には戻ると言っていた。
そこまで耐えれば、十分に間に合うはず。
「あっ……!」
「鈴っ!?」
鈴が足をもつれさせ、床に転んだ。
そのすぐ背後、鬼の姿が見える。
どうしたら……。
……どうしたら?
鈴を、私が助ける義理なんてあるのだろうか。
そんな疑問が湧いてくる。
集落では裏切られて置き去りにされた。
母の形見の位牌まで燃やされた。
永太や琴を、自分の欲のために人質にするような人間を。
「っ、い、嫌ぁぁぁぁっ!!来ないで、誰か助けてえぇ!!」
鬼が愉悦に満ちた声を上げ、鈴に向かって跳躍する。
身体が、勝手に動いた。
「っ——ごめんなさい……っ!」
誰に謝ったのか、自分でも分からない。
朔夜になのか、私を守るために結毬を渡してくれた人か。
それとも、鈴を見捨てられない自分自身にか。
私は反射的に、倒れ込んでいる鈴の元へと駆け寄った。
彼女の身体を抱き寄せるようにして、掌の中の結毬の紐を引く。
刹那。
私たちを包むように紅い光の網目が走り、幾何学的な球体の障壁が展開された。
「グガァァァァッ!!」
障壁に触れた鬼の腕が、焼かれた鉄のように瞬時に真っ黒に焦げ、弾け飛んだ。
腐った肉のような臭いに、鈴が喉を引き攣らせて悲鳴を上げる。
「きゃぁっぁあぁ!!なによこれ、なによこれ……!何が起きてるのよ!!」
「はっ……はっ……間に合、った……」
目の前の鬼には、確かに効果があった。
けれど、これがいつまで続くのか。
本来一人用として渡されたこの狭い結界の中に、どさくさに紛れるようにして鈴と私の二人が入り込んでいる。
紅い網目はまだ強く光っているが、よく見れば、ときおり細かく瞬いていた。
他の鬼狩りの援軍が来てくれたらいい。
屋敷の使用人たちが、持ちこたえてくれたらいい。
そして、どうか朔夜が、少しでも早く戻ってきてくれたら。
もし助けが来なかったら。
朔夜が戻る明日の夜まで、この状態だなんて……。
その時、結界の外側にいた鬼が、焼け焦げた腕を引きずりながら、ゆっくりとこちらへ顔を近づけた。
濁った瞳が、私と鈴をじっと見比べる。
まるで、どちらから喰らうかを選んでいるように。



