鬼狩りの番~置き去りにされた娘は、半人半鬼に血を捧げる~

喉が千切れるほど名前を呼びながら外へ飛び出したが、二人はおろか、父も、継母も、鈴の姿も、どこにもなかった。
残されていたのは、踏み荒らされた土と、遠ざかっていく幾つもの足音だけ。

私は、()てられたのだ。
その残酷な事実を飲み込むのに、さほど時間はかからなかった。

下げた先のことを考えたら、口減らしのために一人でも荷物を減らしたかったのだろう。
その時、家族にとって一番に切り捨てるべき邪魔な存在が、私だった。
ただ、それだけのこと。
あまりにも簡単で、あまりにも惨めな答えだった。

「邪魔だ、どけっ!」
「……っ!」

逃げ惑う群衆に突き飛ばされ、冷たい地面に這いつくばる。
腕に抱えた位牌だけは離すまいと、咄嗟に胸へ押し込んだ。
肩が石に打ちつけられ、鈍い痛みが走る。

立ち上がらなければ。
私も、逃げなければ。
永太と琴を、あの三人がまともに守ってくれるかわからない。
すぐに追わなければ。

頭ではそう理解しているのに。
石のように冷え切った足には、もう指一本動かす気力が残っていない。

「おか、あさん……っ……!」

堪えていた涙が、堰を切ったように溢れ出す。
それは死への恐怖か、あるいは身内に裏切られた絶望か。
母の位牌を抱きしめたまま、私は泥の上で息を詰まらせた。
心が粉々に砕け散っていくような感覚に、立ち上がる術すら見失ってしまう。

「いやぁぁぁっ……!」
「ぐ、あぁっ!」
「ぎゃあああ!!!」

不意に、これまでとは質の違う、悍ましい悲鳴が夜の静寂を塗り潰した。
怒号でも、泣き声でもない。
命が千切れる音だった。

肉が裂け、骨が砕かれるような鈍い音が近づいてくる。
恐る恐る振り返った私の瞳に、地獄が映り込んだ。

「え……」

次々に、逃げ遅れた村人たちが物言わぬ肉塊へと変わっていく。
迫り来る影が、月光を浴びて血飛沫を撒き散らしているのが見えた。
倒れた誰かの手が、助けを求めるように宙を掻き、その手さえも踏み砕かれた。

逆光の中で蠢くそれは、明らかに人間ではない。
頭上には禍々しい角が二本、天を突いている。
濡れた牙の隙間から、獣じみた息が白く漏れていた。

鬼だ——。

獲物を嬲り殺すことを楽しむかのように、一歩、また一歩と、血の轍を引きながら近づいてくる。
大きな足が地を踏むたび、土に染みた血がぐちゃりと音を立てた。
ああ、あそこで物言わぬ姿になった人々と同じように、私はここで終わるのだ。
けれど、もう、それでもいいのかもしれない。

ただ一つ。

『行かないよ。……永太と琴が大人になるまで、お姉ちゃんはずっと、二人のそばにいるから』

あの子たちと交わした約束を守れないことだけが、それだけが心残り。
あの小さな手を、最後まで握ってやれなかった。
それが、どうしようもなく悔しかった。

「ごめんね……永太、琴……」

静かに、すべてを諦めて瞼を閉じようとした、その刹那。
一陣の烈風が、私の頬を掠めて吹き抜けた。

闇の中に鋭い白銀の閃光が幾筋も走る。
まるで、夜そのものを裂く太刀筋だった。
上段から振り下ろされた刃が、返す勢いで横へ流れ、さらに身を沈めた足捌きから、迷いのない一閃が走る。
圧倒的な威圧感を放っていた鬼が、音も立てずに崩れ落ちた。

何が起きたのか、わからない。
身じろぎもできず、瞬きをすることさえ忘れていた。
私の足元へ、みるみるうちに温かい鮮血が広がっていく。
鉄錆びた匂いが、冷たい夜気に混じった。

目の前に立つ、抜き身の刀を提げた男が、静かにこちらを振り向いた。

鋭く、そして紅く。
月の光に当てられたように光るその眼光から、目が逸らせない。
本来なら恐ろしいと思うはずのその光景。
命を奪う化け物を屠ったその人を、私は——。

月を背負い、静寂の中に佇むその姿を、あまりにも美しいと思ってしまったのだ。

そのあまりに苛烈で、静謐(せいひつ)な光景に息を呑むことしかできなくて。
私はただ、その場に縫い付けられて見惚れていた。

瞬きすら惜しんで見つめていたはずなのに。
不意に、彼の姿が掻き消えた。

私の髪を烈風が揺らし、すぐ傍らでビシャッと耳障りな音が弾ける。
頬を伝い落ちる、ぬるりとした水滴の感触。

それが、物言わぬ肉塊へと成り果てた鬼の返り血であることは、鼻を突く匂いですぐに知れた。
鉄錆びた臭気と、生温い飛沫。
けれど、それを拭うことすら忘れたまま、私はゆっくりと隣へ視線を向ける。

鬼の存在すら半信半疑だった私でさえ、噂に聞いたことがある。
曰く、鬼を討つために、鬼の力をその身に宿し、鬼を狩る人たちがいると。

半人半鬼(はんじんはんき)

まさか、眼前に佇むこの人が、そうなのだろうか。
人でありながら、人ならざる速さで鬼を斬る。
先ほどの一瞬は、まるで目にも留まらぬ刹那の早さだった。

「隊長!!お怪我はございませんか!!」
「……大事ない」
「あれ?そのお嬢さんは……?」
「知らん」
「知らんって、もう……。お嬢さん、お怪我はありませんか?」

降ってきた明るい声に、はっと我に返る。
あまりにも現実離れした出来事が、濁流のように押し寄せ、喉が強張って上手く声が出ない。
自分がまだ生きていることさえ、すぐには信じられなかった。

「え……あ、多分、どこも……大丈夫、です……」
「それはよかった。とりあえず、安全な場所までご案内しますので」

促されるまま、震える膝を叱咤してようやく立ち上がり、一歩を踏み出そうとした。