鬼狩りの番~置き去りにされた娘は、半人半鬼に血を捧げる~

やがて門前で車が停まったとき、最初に感じたのは、我が家へ帰ってきた安堵などではなかった。
頭から冷水を浴びせられたような、鋭い緊張が全身を駆け抜ける。

車の戸が開く前から、確信に近い予感があった。
一度だけ経験した、あの肌を刺すような高圧的な気配を、私はもう知っている。

先に車を降りた朔夜の後を追うようにして、恐る恐る地へ足をつける。
顔を上げると、心臓が凍りつくようにきゅっと縮んだ。

玄関の前。
柔らかな朝光の中に、ひときわ凛とした、威厳に満ちた姿で立っている女性がいた。

濃色の着物を一分の隙もなく着こなし、背筋をまっすぐに伸ばしている。
こちらを逃がすまいとするような怜悧な眼差し。
その場に立っているだけで、空気まで冷えていくようだった。

朔夜のお母様——。

「……お帰りなさい、朔夜さん。無事な帰還、何よりですわ」

声は静かで、鈴を転がすように美しい。
けれどその静寂の奥には、薄氷の下に潜む刃のような、冷徹な響きがあった。

朔夜が半歩前へ出て、私を庇うように立つ。
それに合わせて、私は無意識に彼の背中へと身を寄せた。

彼女の視線が、ゆっくりと、私へ移る。
その視線だけで、昨夜の鬼と対峙したときとはまた別の、骨の髄まで凍りつくような怖気が走った。

「ずいぶんと……大切に、お連れ帰りになったのですね」

言葉は穏やかで、作法に則った丁寧なもの。
なのに、その響きは信じられないほど冷酷に聞こえてくる。

「母上。……本日は、どういったご用件でしょうか」
「梓さん……と仰ったかしら?」
「え、あ、はい……。ご挨拶が遅れまして申し訳ありません。諏訪梓と申します」

問いかけに、少しだけ震える声で頭を下げる。
彼女の意識は朔夜を飛び越え、すべての矛先が私へと注がれている。

「あなた……また朔夜さんに、血を与えましたわね?」

心臓が跳ねた。
なぜ、そのことを。

「ふふ。隠しても無駄ですわ。見ればすぐに分かりますもの」

頭を下げたまま、反射的に、昨夜彼が歯を立てた首筋へ手を当てる。
昨晩の甘い余韻とは違う、罪悪感に近い熱が首筋から沸き上がってきた。

「あなた、初対面の時よりも……ずっと、美しくなっておいでですものね」

美しく?

自分の何が変わったというのか。
鏡を見る余裕もなかった私には、彼女の言っている意味が分からない。
ただ、混乱だけが胸の中で渦を巻く。

「鬼狩りとその番は、互いが互いを狂おしいほどに求め合う……。言葉だけを見れば、ずいぶん美しく、完成された共依存の関係ですわね」

ほとんどの番は、鬼狩りの伴侶だと聞いた。
命を懸けて戦う鬼狩りの傷を癒し、異能を支えるために、自らの血を分け与える。
それは鬼狩りであってもなくても、夫婦として共に歩むなら、相手を支えるという尊い献身に変わりはないはずだ。

少なくとも、私はそう思っている。

「吸血には、時に精神的、そして肉体的な強烈な快楽が伴うそうですわ」
「え……?」
「あら、ご存じありませんでしたの?朔夜さんからの吸血はいかがでしたこと?」

優雅に首を傾げて放たれた問いに、私は言葉を失った。

昨夜、あの暗闇の中で感じた、とろけるような甘い痺れ。
身体の奥底からどうしようもなく沸き上がる、名前のない情動。
彼の腕に縋りつき、離れたくないと願ってしまったこと。

あれはすべて、吸血という行為がもたらした反応に過ぎなかったなんて。

違う……そんなはずない。私には、どうしてもそうは思えない。
首筋に触れた唇の柔らかさも、逃がすまいと抱きすくめられた腕の力強さも、耳に残る掠れた吐息も。
あの時、私は間違いなく……朔夜に必要とされていることに、喜びを感じていたのだ。

けれど、それをこんなふうに言葉にされると、昨夜の記憶そのものを汚されたようで、息が苦しくなる。

「母上。それ以上、彼女を辱めるのが目的でしたら、今すぐお引き取りください」
「まあ、怖いこと。……辱め、ね。そう感じる行いをしている自覚は、おありだったのですね」

お母様の表情は、春の陽だまりのように穏やかなままだった。
その実、極北の氷海のように冷たい。

彼女は一歩、また一歩と、威圧感を纏いながら朔夜の前へと歩み寄ってくる。

バシッ!!

瞬きをするほどの、ほんの一瞬だった。
風を切るような鋭い音を立てて、お母様の手が朔夜の頬へと振り下ろされた。

「っ、朔夜!」
「……大丈夫だ。動くな」
「だって、また……!」