鬼狩りの番~置き去りにされた娘は、半人半鬼に血を捧げる~

「こっちを向け」

朔夜は返事を待たずに一歩踏み込むと、私の顎へ躊躇いなく指をかけ、強引に顔を上向かせた。

「ひゃ……っ」
「黙っていろ。動くな」

頬、額、剥き出しになった首筋。
射貫くような鋭い視線が、傷の有無を探るように執拗に滑っていく。
次いで肩へ、腕へ、手首へ。
掴む手は乱暴なようでいて、肌に触れる指先だけは、壊れ物に触れるかのように妙に慎重で、熱かった。

「本当にどこにも怪我はないんだな。隠してはいないだろうな」
「は、はい……たぶん。大丈夫だと、思います」
「……『たぶん』では困る。確証がほしい」
「……ない、です。どこも痛くありません」

絞り出すように言い直すと、朔夜はようやく拘束を解き、手を離した。
けれど離れる直前、熱を帯びた指先がほんの一瞬だけ、私の首筋に残るあの噛み痕のすぐ近くに触れた気がした。
確かめるように。
あるいは、そこにある熱を思い出してしまったかのように。

「なら、いい」

それだけ吐き捨てて、彼はすぐに踵を返す。
その顔はいつも通り、冷徹な一番隊隊長の顔に戻っていた。

「負傷者の重症度を分けろ。八番隊は結界の再点検を急げ。村の外れ、裏山の奥まで徹底的に見ろ。取りこぼしが一体でもいれば、これまでの被害がすべて無意味になると思え!」
「はっ!」

張り詰めた声があちこちから返る。
鬼を討ち終えた安堵に浸る暇もなく、辺りは再び、戦場特有の殺伐とした空気に包まれ始めた。
倒れた鬼狩りが担架で運ばれ、傷の浅い者はその場で手当てを受け、重傷者は隔離された天幕へ。
後方支援の者たちは血に濡れた残骸を片付け、薬や水を運び、結界を維持し続けていた術者たちは、精根尽き果てた顔で地面に座り込む。

先ほどまで、雷を纏うような太刀筋に目を奪われていた場所。
そこは一瞬で、救護と弔いの場へ姿を変えていた。
鬼を斬り終えても、その後には人が倒れ、誰かが走り、誰かが泣いて。
そんな残酷な現実を、目の当たりにさせられる。

「……私にも、何かできることはありませんか」
「では、こちらの補佐を。人手がいくらあっても足りないの」

年嵩の番の女性に、清潔な手ぬぐいを手渡される。
それを口元を覆うように結べば、鼻を突く濃厚な血の匂いと、何かが焦げた不快な臭いが、少しだけ遠のいた。

「生存している村の方々を、ひとまず広場の一か所に集めて。それから……亡くなった方々は、後でご遺族が分かるように、身元を改めておいて……」

最後の言葉は、祈るように小さかった。
私は深く頷いて、言われた通りに動き出す。
毛布を運び、戦いを終えた鬼狩りに水を配り、泥に汚れた遺体へ、そっと静かに布をかける。

さっきまで鬼に怯えていたはずなのに、今はただ手を止めることの方が怖い。
止まってしまえば、いろいろなものを考えてしまうから。
あの鬼たちも、かつては人だったのかもしれない。
布の下に横たわる人たちは、朝を迎えた時、まさか自分の命がここで終わるなんて思ってもいなかったはず。

考え始めると、膝が震えそうになる。
だから、手を動かす。
動いていないと、胸の奥が潰れてしまいそうで。

ふと、違和感に気づく。
この混乱した野営地の中に、一番隊の鬼狩りの姿が思ったよりも少ない。
他の隊の者たちは、負傷していても何人かは後始末を手伝ったりしているのに、朔夜と共に最前線で戦っていたはずの隊員たちの姿が、ほとんど見当たらない。

「あの……一番隊の隊士の方々は、どちらに?」
「ん?ああ……」

近くで重い薬箱を抱えていた後方支援の男性が、腕で額の汗を拭う。

「……番のところだよ」
「え……?」
「一番隊は最前線を受け持つ分、消耗も激しい。さっきみたいな大規模な掃討や乱戦の後は、ほとんどの者がこうなる。そうしなければ、立っていられないんだよ」

そう言われて、急いで朔夜の背中を探す。
少し離れた瓦礫のそばで、彼はまだ隊士たちに指示を出している。
返り血を浴びたまま、まるで何事もなかったかのように、悠然と立っていた。
誰よりも激しく戦ったはずなのに。
誰よりも血を浴び、誰よりも鬼力を使ったはずなのに。

その背中だけが、まだ誰にも支えられずに立っている。

「……朔夜」
「なんだ」

振り返りもしない、事務的な声。
けれど、私の気配だけは的確に捉えている。

「……一番隊の方々は、その……皆、番の方と一緒だと聞きました」
「それがどうした」
「朔夜は、いいんですか?その……」

私の言葉に、彼はようやくこちらを向いた。
燃えるような赤い瞳が、不快そうに、険しく細められる。

「……誰に聞いた」
「えっ、と……後方支援の方が、教えてくれました。皆さん、今そうしているのだと……」
「余計なことを」

忌々しげに吐き捨てて、朔夜は視線を外した。

「俺に吸血は不要だ。勝手な気を遣うな」
「でも、他の一番隊の方はみんな……」
「……あの程度の戦闘なら、血を求めるほどではない」

はっきりと言い切られてしまう。
あまりに迷いのない拒絶に、それ以上、言葉を継ぐことができない。

それはきっと、戦場に立つ者としての矜持なのだろう。
隊長として弱さを誰にも見せないこと。
そうして朔夜は、鬼狩りになってから七年もの間、一番隊の先頭に立ち続けてきた。

朔夜は一番隊の隊長で、誰よりも強く、誰よりも『半人半鬼』としての完成度が高いのだから。
独りで戦い、独りで立ち、独りで傷をなかったことにして。
今までも、これからもそうしていくのかもしれない。

「……わかりました。差し出がましいことを言いました」
「わかったなら、もう聞くな。自分の仕事に戻れ」

頷いたものの、胸の奥には小さな棘が刺さったまま抜けない。
ほんの少しでも、何か役に立てると思ったのに。
いざ彼を支えられるかもしれない場面で、私だけが必要とされていないような疎外感。
そんな情けない考えを振り払うように、朔夜の元から歩き出す。

せめて、今自分にできる精一杯のことをしよう。
そう決めて、土に汚れた手で重い鍬を受け取り、浅く掘られた穴のそばに膝をつく。

喧騒の中、慌ただしく人々が行き交う。
朔夜はもう二度とこちらを見ようとはしない。

その横顔はいつも通り鉄のように無愛想で、一片の迷いもないように見える。
けれど、彼は隠すのが上手いだけで、私が見えていないだけかもしれない。

ただ、差し出そうとした手を退けられた感覚だけが、いつまでも掌の奥に残っていた。