「……こんな任務にまで同行するなんて。どこまで厚顔無恥なの」
「っ、……西園寺さん」
朱色の番装束を翻し、影の中から現れた彼女。
番候補も時として実戦の空気を知るために任務に同行すると聞いてはいたけれど。
先日の、あの服を汚された件が脳裏を掠め、反射的に一定の距離を取る。
西園寺さんは、そのわずかな動きを見逃さなかったのだろう。
口元に、冷ややかな笑みが浮かんだ。
番候補には名家の子女が多い。
それは、鬼狩りの隊長格の番になれれば、一族にとって至上の名誉となるからだという。
ましてや朔夜は、名家の出。
けれど、彼女が抱く感情は、単なる名誉欲だけじゃない。
もっと深く、暗く、崇拝にも近い執着のように感じられた。
「ごめんなさい。あれからずっと考えてみました。……けれど、やっぱりあなたの望みを叶えることは、私にはできません」
「っ……!その分をわきまえぬ態度が、烏滸がましいと言っているのよ!!」
「それでも、です。私が彼の番です」
声は震えなかった。
自分でも少し驚くほど、静かに言えた。
私は彼女を刺激しないよう、けれど視線だけは逸らさずにすれ違う。
背中を見せるのは怖い。
けれど、ここで立ち止まって言葉を重ねれば、また互いに傷つけ合うだけ。
「何も知りもしない、成し遂げてもいないくせに……っ!」
何も知らない。
彼女の言う通り。
私が知っていることなんて、鬼狩りは番が死ぬまで新たな番を持てないこと。
そして番にとっては、鬼狩りが死んでも、その呪縛にも似た重い血の契約は永遠に終わらないこと。
たったそれだけ。
私はまだ、この場所で朔夜のために何もできていない。
彼の隣に立つ覚悟も、知識も、きっと足りていない。
勢いではあったけれど、私は朔夜の番になることを選び、自分の意志で彼の苦しみを受け取ると決めた。
だから、逃げない。
背後から、彼女が悔しげに歯を食いしばる音が聞こえた気がした。
周りの木々を揺らす夜風が、急に冷たさを増したように感じて、私は自分の肩を抱く。
やがて、天幕から漏れる淡い光を背負って、入口に朔夜が立っている。
「遅かったな。夜は冷える。食事が冷めてしまうぞ」
その声に心から安堵の息を吐く。
ついさっきまで、この広大な野営地の中で自分の居場所など、どこにもないと感じていたのに。
彼の姿を見つけただけで、ここが私の帰るべき場所なのだと、そう告げてもらえたようだった。
「明日は朝から討伐戦が始まる。早めに休んでおけ」
討伐戦——。
不穏な響きを持つその言葉を、私は初めて耳にした。
戦うのだと分かっていても、その言葉にはどこか、後戻りできない現実が目の前に迫るような重さがある。
「……鬼は、こうしている間に逃げ出したり、逆にこちらを襲ってきたりはしないんですか?」
「しない。……いや、できないようにしてある」
「そんなこと、できるんですか……?」
「八番隊がすでに周囲に結界を張り、完全に封鎖しているからな」
八番隊。
確か、結界を専門とする部隊だと聞いていた。
どおりで、これほど派手に焚き火の煙を上げ、食事の匂いを漂わせることができるわけだ。
こんなに近くに人間がいることを知らせて大丈夫なのかと疑問だったけれど、鬼にとっては出たくても出られない状態だなんて。
「明朝、陽光が差す直前の、鬼の動きが最も鈍る刻限を狙って一気に掃討する」
目の前の温かな食事を口にする。
湯気の立つ汁物も、炊き立てのお米も、いつもならほっとするはずなのに、今夜は妙に胸に引っかかってしまう。
あと何回、こうして彼と一緒に食べられるのだろうか。
戦う人の傍らに身を置くということは、常に喪失の予感と隣り合わせであるということ。
番が戦地に同行する意味。
これが人生最後の晩餐になるかもしれないという覚悟。
それを身を以て学ぶために、あの西園寺さんたち番候補もこの地に足を運んでいるんだと、ようやく理解できた気がした。
「鬼って……一体、どこから来ているのでしょうか」
「さあな。それが分かれば、これほど苦労はしていない」
それはそうか、と自嘲気味に笑いながら、私はパリッとお新香を齧った。
乾いた音だけが、妙に大きく耳に残る。
「ただ、以前は今よりもずっと数が少なかった」
「そうなんですか?」
「あぁ。十五年前、人間が『半人半鬼』となる術を得たことで、鬼に対抗しうる異能の力を手に入れた。それと歩調を合わせるかのように、鬼の繁殖も加速し始めた」
子どもの頃から耳にしてきたお伽話には、幾度となく鬼が登場する。
たまに「どこそこの村が鬼に襲われた」という噂が流れてきても、結局は野盗や盗賊の仕業だったとか、飢えた熊の通り道だったとか、そんな話ばかり。
物心ついた頃、どこかで「鬼を狩る『鬼狩り』という組織がいる」と聞いた記憶がある。
けれど、それがいつどこで聞いたのかさえ思い出せない。
まさか彼らが実在し、今この瞬間も命を懸けて戦っているなんて。
故郷で同じ話をしても、きっと誰も信じるわけがないに違いない。
いつもと変わらず、特別な会話を交わすこともなく、淡々と夕餉の時間は過ぎていく。
けれど、その静けさは決して冷たいものではない。
箸を置く音も、朔夜が湯呑みに口をつける気配も。
薄い布の天幕越しに聞こえる、外の足音や号令。
どれもが、明日の戦いへ向かうための、静かな所作のように思えた。
「っ、……西園寺さん」
朱色の番装束を翻し、影の中から現れた彼女。
番候補も時として実戦の空気を知るために任務に同行すると聞いてはいたけれど。
先日の、あの服を汚された件が脳裏を掠め、反射的に一定の距離を取る。
西園寺さんは、そのわずかな動きを見逃さなかったのだろう。
口元に、冷ややかな笑みが浮かんだ。
番候補には名家の子女が多い。
それは、鬼狩りの隊長格の番になれれば、一族にとって至上の名誉となるからだという。
ましてや朔夜は、名家の出。
けれど、彼女が抱く感情は、単なる名誉欲だけじゃない。
もっと深く、暗く、崇拝にも近い執着のように感じられた。
「ごめんなさい。あれからずっと考えてみました。……けれど、やっぱりあなたの望みを叶えることは、私にはできません」
「っ……!その分をわきまえぬ態度が、烏滸がましいと言っているのよ!!」
「それでも、です。私が彼の番です」
声は震えなかった。
自分でも少し驚くほど、静かに言えた。
私は彼女を刺激しないよう、けれど視線だけは逸らさずにすれ違う。
背中を見せるのは怖い。
けれど、ここで立ち止まって言葉を重ねれば、また互いに傷つけ合うだけ。
「何も知りもしない、成し遂げてもいないくせに……っ!」
何も知らない。
彼女の言う通り。
私が知っていることなんて、鬼狩りは番が死ぬまで新たな番を持てないこと。
そして番にとっては、鬼狩りが死んでも、その呪縛にも似た重い血の契約は永遠に終わらないこと。
たったそれだけ。
私はまだ、この場所で朔夜のために何もできていない。
彼の隣に立つ覚悟も、知識も、きっと足りていない。
勢いではあったけれど、私は朔夜の番になることを選び、自分の意志で彼の苦しみを受け取ると決めた。
だから、逃げない。
背後から、彼女が悔しげに歯を食いしばる音が聞こえた気がした。
周りの木々を揺らす夜風が、急に冷たさを増したように感じて、私は自分の肩を抱く。
やがて、天幕から漏れる淡い光を背負って、入口に朔夜が立っている。
「遅かったな。夜は冷える。食事が冷めてしまうぞ」
その声に心から安堵の息を吐く。
ついさっきまで、この広大な野営地の中で自分の居場所など、どこにもないと感じていたのに。
彼の姿を見つけただけで、ここが私の帰るべき場所なのだと、そう告げてもらえたようだった。
「明日は朝から討伐戦が始まる。早めに休んでおけ」
討伐戦——。
不穏な響きを持つその言葉を、私は初めて耳にした。
戦うのだと分かっていても、その言葉にはどこか、後戻りできない現実が目の前に迫るような重さがある。
「……鬼は、こうしている間に逃げ出したり、逆にこちらを襲ってきたりはしないんですか?」
「しない。……いや、できないようにしてある」
「そんなこと、できるんですか……?」
「八番隊がすでに周囲に結界を張り、完全に封鎖しているからな」
八番隊。
確か、結界を専門とする部隊だと聞いていた。
どおりで、これほど派手に焚き火の煙を上げ、食事の匂いを漂わせることができるわけだ。
こんなに近くに人間がいることを知らせて大丈夫なのかと疑問だったけれど、鬼にとっては出たくても出られない状態だなんて。
「明朝、陽光が差す直前の、鬼の動きが最も鈍る刻限を狙って一気に掃討する」
目の前の温かな食事を口にする。
湯気の立つ汁物も、炊き立てのお米も、いつもならほっとするはずなのに、今夜は妙に胸に引っかかってしまう。
あと何回、こうして彼と一緒に食べられるのだろうか。
戦う人の傍らに身を置くということは、常に喪失の予感と隣り合わせであるということ。
番が戦地に同行する意味。
これが人生最後の晩餐になるかもしれないという覚悟。
それを身を以て学ぶために、あの西園寺さんたち番候補もこの地に足を運んでいるんだと、ようやく理解できた気がした。
「鬼って……一体、どこから来ているのでしょうか」
「さあな。それが分かれば、これほど苦労はしていない」
それはそうか、と自嘲気味に笑いながら、私はパリッとお新香を齧った。
乾いた音だけが、妙に大きく耳に残る。
「ただ、以前は今よりもずっと数が少なかった」
「そうなんですか?」
「あぁ。十五年前、人間が『半人半鬼』となる術を得たことで、鬼に対抗しうる異能の力を手に入れた。それと歩調を合わせるかのように、鬼の繁殖も加速し始めた」
子どもの頃から耳にしてきたお伽話には、幾度となく鬼が登場する。
たまに「どこそこの村が鬼に襲われた」という噂が流れてきても、結局は野盗や盗賊の仕業だったとか、飢えた熊の通り道だったとか、そんな話ばかり。
物心ついた頃、どこかで「鬼を狩る『鬼狩り』という組織がいる」と聞いた記憶がある。
けれど、それがいつどこで聞いたのかさえ思い出せない。
まさか彼らが実在し、今この瞬間も命を懸けて戦っているなんて。
故郷で同じ話をしても、きっと誰も信じるわけがないに違いない。
いつもと変わらず、特別な会話を交わすこともなく、淡々と夕餉の時間は過ぎていく。
けれど、その静けさは決して冷たいものではない。
箸を置く音も、朔夜が湯呑みに口をつける気配も。
薄い布の天幕越しに聞こえる、外の足音や号令。
どれもが、明日の戦いへ向かうための、静かな所作のように思えた。



