ドンドンドン!!!
激しく板戸を叩きつける音に、意識を強引に引き戻された。
眠りの底から、無理やり水面へ引き上げられるような感覚。
その尋常ならざる響きに、隣で眠っていた永太と琴が、浅い眠りの中で眉を寄せ、もぞもぞと身悶え始める。
外はまだ深い闇に包まれている。
夜明けには遠い。障子の向こうは墨を流したように暗く、家の中の冷えだけが、妙にはっきりしていた。
怯える二人をなだめるように、胸元をトントンと優しく叩いてやると、やがて安らかな寝息が戻ってくる。
ほっと息を吐くと、再び静寂を切り裂くように、ドンドンドン!と戸を叩く音。
今度は聞き間違いではない。
私は急いで羽織を掴み、動悸を抑えながら表の戸を繰り開けた。
そこに立っていたのは、昼間に金平糖をくれた新八さんだった。
しかし、その表情は、日中の穏やかさとは似ても似つかない。
「起きてくれた!よかった、無事だったか!!」
「新八さん……?どうしたの、こんな夜更けに——」
私の問いを遮るように、強い力で肩を掴んできた。
指が食い込むほどの力に、息が詰まる。
その剣幕に、何か取り返しのつかない事態が起きているのだと、直感的に悟った。
「鬼だ!隣の集落が襲われた!!すぐに町の方へ逃げるんだ!!」
「え……?鬼?……鬼って、あの……?」
「詳しく話している暇はない!僕は他の家も回ってくる!急げ、早く!!」
叫ぶような声を残し、新八さんは闇の向こうへと走り去っていく。
足音はあっという間に遠ざかり、夜の底へ吸い込まれていった。
鬼……。
人を喰らうという、恐ろしい化け物。
古めかしいお伽話の中では、聞いたことがある。
悪い子をさらうもの。山の奥に棲むもの。人の世に降りてくるはずのないもの。
けれど、まさかそんな。
夢か幻でも見ているのでは……。
しかし、あんなに血相を変えた新八さんが、そんな悪趣味な冗談を言うはずがない。
震えが止まらない手をぎゅっと握りしめ、外へ踏み出す。
裸足に近い足裏から、土間の冷たさが這い上がってきた。
遠くから、夜を裂くような怒号と、逃げ惑う人々の足音が響き始めている。
山の向こう。
隣の集落があるはずの空が、おぞましいほど赤々と染まっていた。
あれは、燃えているのだ。
村が、炎に呑まれている。
喉が、砂を噛んだようにカラカラに乾いていく。
膝から下が、自分のものではないように頼りない。
けれど、立ち止まっている暇などない。
早く、逃げなければ。
「父さん!!継母さん!!!起きて!!すぐに逃げないと!!」
「あぁ……?なんだ、騒々しい……」
「鬼が現れたの!!すぐに、すぐに逃げないと……!」
「はあ?ついに頭までおかしくなったのか、お前は!」
寝ぼけ眼の父と継母を必死に叩き起こすが、返ってくるのは起き抜けにも関わらず罵声だけ。
今この時でさえ、私の言葉はまともに受け取ってもらえない。
悔しさより先に、焦りが喉を塞いだ。
けれど、二人の助けがなければ、永太と琴を連れて逃げ切ることなど、私一人では難しいかもしれない。
「とにかく!鈴も起こしてくるから!!」
外の騒ぎは刻一刻と大きくなっていく。
幾十もの駆ける足音、荷車の軋む音、悲鳴のような呼びかけが、薄い壁を通り越して部屋中に満ちていく。
もう、耳を塞いで眠っていられる夜ではなかった。
「鈴!起きて!!すぐに支度を……!」
「……もう……何よ、うるさいわね……」
「起きて、お願い!もう皆逃げ始めているの!!早く……っ」
「もう!嘘だったら承知しないわよ!」
「それで構わないから!だから起きて!!」
永太と琴のもとへ駆け戻ると、私の必死な声が届いたのだろう。
二人は不安げな表情を浮かべ、既に身を起こしていた。
布団を握る小さな指が、暗がりの中で白く強張っている。
「おねえちゃん……?」
「大丈夫よ、二人とも。まだ夜だけれど、少しお外へ行こうね」
「おねえちゃんも、いっしょ?」
「もちろんよ。ずっと一緒だから」
そう答えると、琴の瞳に溜まっていた涙が、落ちる寸前で止まった。
永太は何かを察したのか、泣き出すのを堪えるように唇を噛んでいる。
暦の上では春とはいえ、夜の空気はまだ肌を刺すように冷たい。
二人が凍えぬよう、手早く半纏を着せ、震える指先を隠すように紐を固く結んでいく。
私の手も震えていた。
それでも、結び目だけはほどけないよう、何度も指で確かめる。
「永太は父さんに、琴はお姉ちゃんが背負うからね」
そう言い聞かせ、二人の手を引く。
ようやく事の重大さに気づいた父と継母が、土気色の顔で慌てて荷造りを始めていた。
箪笥を開け、風呂敷を広げ、何を持つべきかもわからぬまま手を動かしている。
「待って……!二人とも、荷物は後にして……!とにかく一刻も早く逃げないと!」
「あ、ああ……わかった……」
「お父さん!永太を背負って!」
隣の集落が襲われたと、新八さんは言っていた。
男の足でも、ここからは数時間はかかる道のり。
けれど、鬼の足はどれほどのものなのだろう。
見たこともない鬼の速さなど、想像の範疇を超えている。
山を越え、田畑を抜け、炎の匂いよりも早くこちらへ来るものだとしたら。
琴を背負おうと背負い紐を手に取ったとき、遅れて部屋に入ってきた鈴が、私の肩を叩いた。
「姉さん!琴は母さんが連れて行くわ」
「え……?でも」
いつもなら、琴の世話を煩わしそうに私へ丸投げする鈴。
継母にしても、乳離れが済んでからは、この子を抱き上げたことなど、どれほどあったか思い出せないほど。
こんな時だからこそ、急に母親らしさを思い出したのだろうか。
そう思いたかった。
思いたかったのに、胸の奥が妙にざわつく。
「姉さんは、位牌を持ってこないと。そうでしょ?」
「あ……」
母の……お母さんの、位牌。
「大丈夫よ。姉さんが戻ってくるまで、私がここで待っているわ。だって、私たち家族じゃない」
激しく板戸を叩きつける音に、意識を強引に引き戻された。
眠りの底から、無理やり水面へ引き上げられるような感覚。
その尋常ならざる響きに、隣で眠っていた永太と琴が、浅い眠りの中で眉を寄せ、もぞもぞと身悶え始める。
外はまだ深い闇に包まれている。
夜明けには遠い。障子の向こうは墨を流したように暗く、家の中の冷えだけが、妙にはっきりしていた。
怯える二人をなだめるように、胸元をトントンと優しく叩いてやると、やがて安らかな寝息が戻ってくる。
ほっと息を吐くと、再び静寂を切り裂くように、ドンドンドン!と戸を叩く音。
今度は聞き間違いではない。
私は急いで羽織を掴み、動悸を抑えながら表の戸を繰り開けた。
そこに立っていたのは、昼間に金平糖をくれた新八さんだった。
しかし、その表情は、日中の穏やかさとは似ても似つかない。
「起きてくれた!よかった、無事だったか!!」
「新八さん……?どうしたの、こんな夜更けに——」
私の問いを遮るように、強い力で肩を掴んできた。
指が食い込むほどの力に、息が詰まる。
その剣幕に、何か取り返しのつかない事態が起きているのだと、直感的に悟った。
「鬼だ!隣の集落が襲われた!!すぐに町の方へ逃げるんだ!!」
「え……?鬼?……鬼って、あの……?」
「詳しく話している暇はない!僕は他の家も回ってくる!急げ、早く!!」
叫ぶような声を残し、新八さんは闇の向こうへと走り去っていく。
足音はあっという間に遠ざかり、夜の底へ吸い込まれていった。
鬼……。
人を喰らうという、恐ろしい化け物。
古めかしいお伽話の中では、聞いたことがある。
悪い子をさらうもの。山の奥に棲むもの。人の世に降りてくるはずのないもの。
けれど、まさかそんな。
夢か幻でも見ているのでは……。
しかし、あんなに血相を変えた新八さんが、そんな悪趣味な冗談を言うはずがない。
震えが止まらない手をぎゅっと握りしめ、外へ踏み出す。
裸足に近い足裏から、土間の冷たさが這い上がってきた。
遠くから、夜を裂くような怒号と、逃げ惑う人々の足音が響き始めている。
山の向こう。
隣の集落があるはずの空が、おぞましいほど赤々と染まっていた。
あれは、燃えているのだ。
村が、炎に呑まれている。
喉が、砂を噛んだようにカラカラに乾いていく。
膝から下が、自分のものではないように頼りない。
けれど、立ち止まっている暇などない。
早く、逃げなければ。
「父さん!!継母さん!!!起きて!!すぐに逃げないと!!」
「あぁ……?なんだ、騒々しい……」
「鬼が現れたの!!すぐに、すぐに逃げないと……!」
「はあ?ついに頭までおかしくなったのか、お前は!」
寝ぼけ眼の父と継母を必死に叩き起こすが、返ってくるのは起き抜けにも関わらず罵声だけ。
今この時でさえ、私の言葉はまともに受け取ってもらえない。
悔しさより先に、焦りが喉を塞いだ。
けれど、二人の助けがなければ、永太と琴を連れて逃げ切ることなど、私一人では難しいかもしれない。
「とにかく!鈴も起こしてくるから!!」
外の騒ぎは刻一刻と大きくなっていく。
幾十もの駆ける足音、荷車の軋む音、悲鳴のような呼びかけが、薄い壁を通り越して部屋中に満ちていく。
もう、耳を塞いで眠っていられる夜ではなかった。
「鈴!起きて!!すぐに支度を……!」
「……もう……何よ、うるさいわね……」
「起きて、お願い!もう皆逃げ始めているの!!早く……っ」
「もう!嘘だったら承知しないわよ!」
「それで構わないから!だから起きて!!」
永太と琴のもとへ駆け戻ると、私の必死な声が届いたのだろう。
二人は不安げな表情を浮かべ、既に身を起こしていた。
布団を握る小さな指が、暗がりの中で白く強張っている。
「おねえちゃん……?」
「大丈夫よ、二人とも。まだ夜だけれど、少しお外へ行こうね」
「おねえちゃんも、いっしょ?」
「もちろんよ。ずっと一緒だから」
そう答えると、琴の瞳に溜まっていた涙が、落ちる寸前で止まった。
永太は何かを察したのか、泣き出すのを堪えるように唇を噛んでいる。
暦の上では春とはいえ、夜の空気はまだ肌を刺すように冷たい。
二人が凍えぬよう、手早く半纏を着せ、震える指先を隠すように紐を固く結んでいく。
私の手も震えていた。
それでも、結び目だけはほどけないよう、何度も指で確かめる。
「永太は父さんに、琴はお姉ちゃんが背負うからね」
そう言い聞かせ、二人の手を引く。
ようやく事の重大さに気づいた父と継母が、土気色の顔で慌てて荷造りを始めていた。
箪笥を開け、風呂敷を広げ、何を持つべきかもわからぬまま手を動かしている。
「待って……!二人とも、荷物は後にして……!とにかく一刻も早く逃げないと!」
「あ、ああ……わかった……」
「お父さん!永太を背負って!」
隣の集落が襲われたと、新八さんは言っていた。
男の足でも、ここからは数時間はかかる道のり。
けれど、鬼の足はどれほどのものなのだろう。
見たこともない鬼の速さなど、想像の範疇を超えている。
山を越え、田畑を抜け、炎の匂いよりも早くこちらへ来るものだとしたら。
琴を背負おうと背負い紐を手に取ったとき、遅れて部屋に入ってきた鈴が、私の肩を叩いた。
「姉さん!琴は母さんが連れて行くわ」
「え……?でも」
いつもなら、琴の世話を煩わしそうに私へ丸投げする鈴。
継母にしても、乳離れが済んでからは、この子を抱き上げたことなど、どれほどあったか思い出せないほど。
こんな時だからこそ、急に母親らしさを思い出したのだろうか。
そう思いたかった。
思いたかったのに、胸の奥が妙にざわつく。
「姉さんは、位牌を持ってこないと。そうでしょ?」
「あ……」
母の……お母さんの、位牌。
「大丈夫よ。姉さんが戻ってくるまで、私がここで待っているわ。だって、私たち家族じゃない」



