三日後。
任務へと向かう車の後部座席で、私は朔夜の隣に座っていた。
狭い車内には、私たちの他にも二組の鬼狩りと、その番の方々が同乗している。
並んで寄り添うように座る彼らの間には、互いを慈しみ合うような親密な空気が流れていた。
膝の上で重ねられた手。
何気なく外套を掛け直す仕草。
言葉にしなくても通じ合っているような眼差し。
私と朔夜に比べて、その距離感は驚くほど近く、自然に見えた。
きっと、色々なことを共に乗り越え、長い年月を連れ添ってきたのだろう。
「——これから向かうのは、鬼に占拠された村だ」
朔夜の声が、車輪の振動を縫うように低く響く。
私が襲撃を受けたあの日、目にした鬼はたったの二体だった。
けれど、そのたった二体に、平和だった集落の人々は一瞬で蹂躙された。
村一つが丸ごと占拠されるほどだなんて、一体どれほどの数の鬼が跋扈しているのだろう。
あの夜の赤い空。
血の匂い。
泥の上に転がった母の位牌。
思い出した途端、膝の上で握った手に力が入った。
「心配するな。お前たち番が待機する場には、鼠一匹通さない」
朔夜はそう言い捨てると、静かに瞼を閉じ、悠然と脚を組んだ。
背もたれに預けられた彼の腕が、振動のたびにわずかに私の肩に触れる。
無愛想な彼なりの、不器用な気遣いなのだろうか。
伝わってくる確かな体温が、私の緊張を少しだけ和らげてくれた。
朝から半日ほど車に揺られ、ようやく辿り着いた先では、すでに野営の準備が着々と進められていた。
山の端には夕暮れの色が滲み、遠くの森は黒々と沈んでいる。
空気には、土と草と、陣中食の匂いが混じっていた。
「ここが、俺たちの天幕だ」
周りの幕舎に比べて、一回りほど大きく設えられた天幕に案内される。
外から見れば簡素な作りだが、中は思いのほか広く、整然としていた。
入口近くには作戦用の簡易机と地図が広げられ、壁際には研ぎ澄まされた刀が立てかけられている。
真新しい金盥と水差しまで完備されていた。
「これ……二人一緒、なんですか!?」
「……安心しろ。衝立で仕切らせてある」
「あ……、そっか。そうですよね。すみません」
奥に目をやると、厚手の敷物と夜具が二組。
その境には、目隠し代わりの厚い布が垂らされていた。
同じ空間で寝起きを共にする。
これはこれで、私だけが過剰に意識しているようで、頬に熱が昇るのを感じた。
「——来たな」
「え?何が……」
朔夜が短く呟くと、バサバサッと羽音を立てて、黒い塊が天幕の中へ飛び込んできた。
「きゃっ!?何、何が入ってきたんですか!!?」
「騒ぐな。俺が使役している『隊鳥』だ」
そう言いながら、彼が差し出した腕には、一羽の鳥が止まっていた。
丸い瞳が、瞬きもせずこちらを見ている。
「フクロウ……?」
「アオバズクだ。こいつを介して、逐一お前の弟と妹の情報が届くよう手配してある」
「な、何て書いてあるんですか!?」
「……お前の親が避難した町には、該当する子どもは見当たらなかった、と」
その報告に、暗く重い感情が再び頭の中を塗り潰していく。
やはり、あそこにはいなかったのだ。
永太と琴は、あの日からずっと、どこか知らない場所にいる。
「近隣の宿場町にも捜索範囲を広げる。悲観するな、必ず見つかる」
朔夜の腕の上で、アオバズクが丸い瞳でじっと私を見つめている。
そして、私の悲しみを察してか、あるいは単なる習性か、ぐるんっと器用に首を回した。
その仕草に、張り詰めていた心の糸がふっと緩み、思わず笑みが零れてしまう。
「ふふっ。この子、触っても大丈夫ですか?」
「あぁ。機嫌は悪くない。噛むこともないだろう」
そっと人差し指で頭に触れると、ふわりとした羽毛の、温かな触感に指先が沈み込む。
少し撫でてやると、気持ちよさそうに目を細める。
集落で飼っていたニワトリや、よく見かけたウズラの感触を思い出し、懐かしさが胸を突いた。
「可愛い……」
「そうか。気に入ったのなら、餌もやってみるか?」
「あ、それは遠慮しておきます」
「……なぜだ?さっぱり分からん……」
猛禽類の主食は、おそらく小動物や虫。
それを素手で扱うのは、少々遠慮したい。
私の即答に、朔夜は不思議そうに眉をひそめ、訝しげに目を細めた。
屈強な軍服の男の腕に、丸っこいアオバズク。
張り詰めた戦場の幕間に差し込まれたような、奇妙に穏やかな光景。
そのちぐはぐさが、おかしくて仕方がない。
「俺はこれから作戦会議に行ってくる。野営地内であれば好きに動いて構わない」
「わかりました。お気をつけて」
「あまり遠くへは行くな」
「はい」
「……本当に分かっているのか?」
「分かっていますって」
そう答えると、朔夜はわずかに眉を動かす。
それが安堵なのか、疑いなのかは分からない。
けれど何も言わず、彼は天幕を出ていった。
音もなく飛び立つ鳥の影と、迷いのない足取りで歩き出す朔夜の背中を見送る。
周囲では、隊員たちが設営や整備のために慌ただしく行き交っていた。
縹色の番装束に身を包んでいるのは、隠密を担う四番隊の番。
翡翠色は追跡を得意とする五番隊の番。
誰もが皆、この戦地において何らかの役割を担って動いているように見えた。
荷を運ぶ者。
薬箱を確認する者。
地図を覗き込み、鬼の気配がある方角を示す者。
それぞれの動きには無駄がなく、緊張と秩序が同時に息づいている。
けれど、この空間で、私だけが自分のすべきことを見つけられない。
集落にいた頃と同じだ。
どこにいても、自分の居場所がないような、ふわふわと宙に浮いた感覚に襲われる。
朔夜の番であることは確かなのに、では今ここで何をすればよいのか、誰も教えてはくれない。
何もやましいことはないのに、居場所を探し求めるように、天幕の間を当てもなく歩き出す。
任務へと向かう車の後部座席で、私は朔夜の隣に座っていた。
狭い車内には、私たちの他にも二組の鬼狩りと、その番の方々が同乗している。
並んで寄り添うように座る彼らの間には、互いを慈しみ合うような親密な空気が流れていた。
膝の上で重ねられた手。
何気なく外套を掛け直す仕草。
言葉にしなくても通じ合っているような眼差し。
私と朔夜に比べて、その距離感は驚くほど近く、自然に見えた。
きっと、色々なことを共に乗り越え、長い年月を連れ添ってきたのだろう。
「——これから向かうのは、鬼に占拠された村だ」
朔夜の声が、車輪の振動を縫うように低く響く。
私が襲撃を受けたあの日、目にした鬼はたったの二体だった。
けれど、そのたった二体に、平和だった集落の人々は一瞬で蹂躙された。
村一つが丸ごと占拠されるほどだなんて、一体どれほどの数の鬼が跋扈しているのだろう。
あの夜の赤い空。
血の匂い。
泥の上に転がった母の位牌。
思い出した途端、膝の上で握った手に力が入った。
「心配するな。お前たち番が待機する場には、鼠一匹通さない」
朔夜はそう言い捨てると、静かに瞼を閉じ、悠然と脚を組んだ。
背もたれに預けられた彼の腕が、振動のたびにわずかに私の肩に触れる。
無愛想な彼なりの、不器用な気遣いなのだろうか。
伝わってくる確かな体温が、私の緊張を少しだけ和らげてくれた。
朝から半日ほど車に揺られ、ようやく辿り着いた先では、すでに野営の準備が着々と進められていた。
山の端には夕暮れの色が滲み、遠くの森は黒々と沈んでいる。
空気には、土と草と、陣中食の匂いが混じっていた。
「ここが、俺たちの天幕だ」
周りの幕舎に比べて、一回りほど大きく設えられた天幕に案内される。
外から見れば簡素な作りだが、中は思いのほか広く、整然としていた。
入口近くには作戦用の簡易机と地図が広げられ、壁際には研ぎ澄まされた刀が立てかけられている。
真新しい金盥と水差しまで完備されていた。
「これ……二人一緒、なんですか!?」
「……安心しろ。衝立で仕切らせてある」
「あ……、そっか。そうですよね。すみません」
奥に目をやると、厚手の敷物と夜具が二組。
その境には、目隠し代わりの厚い布が垂らされていた。
同じ空間で寝起きを共にする。
これはこれで、私だけが過剰に意識しているようで、頬に熱が昇るのを感じた。
「——来たな」
「え?何が……」
朔夜が短く呟くと、バサバサッと羽音を立てて、黒い塊が天幕の中へ飛び込んできた。
「きゃっ!?何、何が入ってきたんですか!!?」
「騒ぐな。俺が使役している『隊鳥』だ」
そう言いながら、彼が差し出した腕には、一羽の鳥が止まっていた。
丸い瞳が、瞬きもせずこちらを見ている。
「フクロウ……?」
「アオバズクだ。こいつを介して、逐一お前の弟と妹の情報が届くよう手配してある」
「な、何て書いてあるんですか!?」
「……お前の親が避難した町には、該当する子どもは見当たらなかった、と」
その報告に、暗く重い感情が再び頭の中を塗り潰していく。
やはり、あそこにはいなかったのだ。
永太と琴は、あの日からずっと、どこか知らない場所にいる。
「近隣の宿場町にも捜索範囲を広げる。悲観するな、必ず見つかる」
朔夜の腕の上で、アオバズクが丸い瞳でじっと私を見つめている。
そして、私の悲しみを察してか、あるいは単なる習性か、ぐるんっと器用に首を回した。
その仕草に、張り詰めていた心の糸がふっと緩み、思わず笑みが零れてしまう。
「ふふっ。この子、触っても大丈夫ですか?」
「あぁ。機嫌は悪くない。噛むこともないだろう」
そっと人差し指で頭に触れると、ふわりとした羽毛の、温かな触感に指先が沈み込む。
少し撫でてやると、気持ちよさそうに目を細める。
集落で飼っていたニワトリや、よく見かけたウズラの感触を思い出し、懐かしさが胸を突いた。
「可愛い……」
「そうか。気に入ったのなら、餌もやってみるか?」
「あ、それは遠慮しておきます」
「……なぜだ?さっぱり分からん……」
猛禽類の主食は、おそらく小動物や虫。
それを素手で扱うのは、少々遠慮したい。
私の即答に、朔夜は不思議そうに眉をひそめ、訝しげに目を細めた。
屈強な軍服の男の腕に、丸っこいアオバズク。
張り詰めた戦場の幕間に差し込まれたような、奇妙に穏やかな光景。
そのちぐはぐさが、おかしくて仕方がない。
「俺はこれから作戦会議に行ってくる。野営地内であれば好きに動いて構わない」
「わかりました。お気をつけて」
「あまり遠くへは行くな」
「はい」
「……本当に分かっているのか?」
「分かっていますって」
そう答えると、朔夜はわずかに眉を動かす。
それが安堵なのか、疑いなのかは分からない。
けれど何も言わず、彼は天幕を出ていった。
音もなく飛び立つ鳥の影と、迷いのない足取りで歩き出す朔夜の背中を見送る。
周囲では、隊員たちが設営や整備のために慌ただしく行き交っていた。
縹色の番装束に身を包んでいるのは、隠密を担う四番隊の番。
翡翠色は追跡を得意とする五番隊の番。
誰もが皆、この戦地において何らかの役割を担って動いているように見えた。
荷を運ぶ者。
薬箱を確認する者。
地図を覗き込み、鬼の気配がある方角を示す者。
それぞれの動きには無駄がなく、緊張と秩序が同時に息づいている。
けれど、この空間で、私だけが自分のすべきことを見つけられない。
集落にいた頃と同じだ。
どこにいても、自分の居場所がないような、ふわふわと宙に浮いた感覚に襲われる。
朔夜の番であることは確かなのに、では今ここで何をすればよいのか、誰も教えてはくれない。
何もやましいことはないのに、居場所を探し求めるように、天幕の間を当てもなく歩き出す。



