鬼狩りの番~置き去りにされた娘は、半人半鬼に血を捧げる~

目を覚ましてすぐ、昨晩の記憶が一気に蘇って、布団の中で身悶えした。

鬼に襲われてから今日という日まで、私の常識では到底理解できないことばかりが続く毎日。
知らず知らずのうちに情緒不安定になっていた自覚はあった。
あったけれど。

まさか、あの朔夜に抱きしめられ、子どものように泣きじゃくってしまうなんて……!

「ううっ……」

顔を両手で覆い、恥ずかしさのあまり布団の中で足をバタバタと暴れさせる。
思い出すのは、あの腕の力強さと、肩に置かれた大きな手の熱。
それから、ひどく不器用な声で告げられた「これ以上、泣くな」という言葉。

命令のようでいて、少しも冷たくなかった。
あれを思い出すたび、胸の奥が勝手にきゅっと縮こまる。

「梓様。朔夜様が、朝餉もご一緒にと仰っております」

障子の外から掛けられた控えめな声に、跳ね起きた。

「は、はいっ!?すぐに、すぐに向かいます!」

今日は休養日だと聞いていたのに、朝からまた顔を合わせるなんて。
私は心臓を激しく脈打たせながら、大急ぎで身支度を始める。

最初に袖を通した濃紅の装束の他にも、箪笥には着物や洋服が何枚も誂えられていた。
間違いなく私個人のために用意されたものだろうけれど、どれも見たこともないほど艶やかで上質な生地ばかり。
指先で触れるだけでも、粗末な手が叱られてしまいそうな気がする。

本当に、村娘だった私が袖を通してもよいものなのだろうか。
迷いに迷った挙句、結局は昨日と同じ、一番見慣れた服を選んで部屋を飛び出した。

昨日と同じ、朔夜の私室の奥の間。
卓の上には、すでに湯気を立てる朝餉が整然と並べられていた。

このお屋敷では、毎食必ず違う献立が出てくる。
真っ白なご飯に、ふっくらとした山吹色(やまぶきいろ)の卵焼き。
可愛らしい小鉢に盛られた色とりどりのおばんざい。
そして、普段の生活では滅多に拝むことすらできない、立派な厚切りの焼き鮭まで。

見ただけで、お腹がきゅうと鳴りそうになる。
それなのに、今日は食欲より先に緊張が胸を占めていた。

「あ……。おはようございます」
「……あぁ」

そこには、昨日までの峻厳な隊服ではなく、柔らかな薄鼠色(うすねずいろ)の着物に身を包んだ朔夜がいた。
新聞から顔を上げたその表情は、相変わらず氷のように淡々としている。
昨晩、私があれほど泣きじゃくったことなど、まるで何事もなかったような顔。

私だけが昨夜のことを引きずって、一人で意識して、勝手に緊張していたなんて。
そう思うと、恥ずかしさでまた頬が熱くなる。

「今日は、この後に任務の報告書を出しに、鬼省庁へ行く」
「そうなんですね。お忙しいんですね……」

昨夜、私が泣き止んで、部屋に戻ったのはかなり遅い時間だったはず。
やはり隊長ともなると、戦いだけでなく、こうした膨大な事務仕事も避けては通れないのだろう。

「……お前も、一緒に行くか」
「えっ?いいんですか?」
「嫌なら、俺一人で行くが……。無理にとは言わん」

彼はそうぶっきらぼうに付け加えると、ずずっとお味噌汁を啜り、そのまま無言になった。
まるで、今の言葉をなかったことにしたいみたいに。

私も釣られるように、上質なあおさが豊かに香るお椀を手に取り、その一口を口に含んだ。

あ……この感じ、どこかで……。

『おねーちゃん、あそぼー!』
『ちょっと待ってね、この洗い物を済ませたら……』
『むーっ!いやなら、えいただけでいっちゃうからね!』

かつての弟とのやり取りが、今の朔夜の不器用な態度と重なり、思わず頬が緩んだ。
こんなに涼しい顔をして、誘いを断られても傷ついていないふりをしながら、誤魔化すようにお味噌汁を飲む目の前の人が、なんだかとても愛らしく見えてきてしまう。

きっと彼は、どうやって人を誘えばよいのか、その作法を知らないだけなのかもしれない。
戦場で号令をかけることはできても、朝餉の席で誰かを誘うことには慣れていない。
そう思うと、昨日まではずっと遠くに見えていた人が、少しだけ近く感じられた。

「ふふっ」
「……何がおかしい」
「いえ、何でも。……この前は、あんまり余裕がなくて、少ししか滞在できなかったんです。だから、よければ色々と案内していただけたら、嬉しいなって」
「……そうか。ならば、食事が旨い店も、景色がよい場所も、幾つか心当たりがある」

予想外に穏やかな、そして少しだけ弾んだような返事に、私は目を丸くした。
彼の声音はいつも通り低い。
けれど、ほんのわずかに、期待が滲んでいる気がした。

「なんだ、その顔は」
「いえ、とても……楽しみです」

そう、心から楽しみだ。
あの、四季が狂い咲く不思議な空間を、今度はこの人と共に歩ける。

彼が言う「景色のよい場所」からは、一体何が見えるのだろうか。
様々な花が舞う中、隣を歩く彼の横顔を想像して、私の胸は昨日とは違う意味で高鳴っていた。

朔夜は何も言わず、また新聞へ視線を戻す。
けれど、湯呑みを持つ指先が、ほんの少しだけ緩んでいるように見えた。

その小さな変化が、朝の光よりも柔らかく、私の胸に残った。