鬼狩りの番~置き去りにされた娘は、半人半鬼に血を捧げる~

俄かに、静まり返っていた屋敷が慌ただしい活気に包まれる。

「朔夜様がお戻りになられました!」

女中の弾んだ声に背中を押されるように、私は玄関先へと急いだ。
廊下を進む足音が、自分でも驚くほど早い。
胸の奥では、待ち望んでいた安堵と、もし傷を負っていたらという不安が、せわしなく入り混じっていた。

最奥に位置していると思っていた、私に与えられた部屋。
それが実は、この広大な屋敷の構造上の中心であることを、私は最近知った。
番を外敵から厳重に守り抜くための、必然の配置なのだという。
その事実は、この屋敷の広さを改めて思い知らされると同時に、番という存在がいかに鬼にとっての標的であり、守られるべき弱点であるかが分かる。

前庭には、帰還したばかりの隊士たちの人だかりができていた。
その中心に、朔夜の姿がある。
長身の軍服姿は、喧騒の中でも一際目を引いた。
深い黒の外套。硬質な横顔。隊士たちへ短く指示を出す声音。
それだけで、場の空気がぴんと張り詰める。

こんなに遠くからなのに、その中心に立つ彼をすぐに見つけることができてしまう。

屋敷の敷居を跨ぎ、外へ出る。
まるで最初からこちらに気づいていたかのように、朔夜と目が合った。

「お帰りなさい!」
「……ああ」

約束通り、無事に戻った彼にその言葉を掛けられたこと。
門を出て行った時と変わらない、淡々とした様子を見られたこと。
ただそれだけで、強張っていた胸がふっと緩んだ。

「明日は休養日だ。各々、英気を養うように」

朔夜の号令で、隊士たちは一斉に敬礼をし、それぞれの帰路へとついていく。
その中心に残った朔夜だけが、まだ戦場の気配をまとっている。

「朔夜様、いかがなさいますか。まずは湯浴みになさいますか、それともお食事を?」
「食事を先に。……お前は、済ませたのか?」
「へぁっ!?」

脱いだ草履を揃えながら不意に声を掛けられ、情けないほど声が裏返ってしまった。
自分でも、何の音を出したのか分からない。

「……なんだ、その妙な声は」
「い、いきなりでしたので。……失礼しました」
「それで、食事はどうした」
「まだです」
「そうか。では、二人分を俺の部屋の奥の間に運んでもらおう」

朔夜の言葉に、控えていた使用人が深く頭を下げた。

二人きりで、彼の部屋で……
そう意識した途端、帰還を喜ぶ気持ちとは別の熱が、じわりと頬に上ってくる。
少しだけ緊張を強めながら、私は彼の一歩後ろを歩いた。
あまりに広すぎるこの屋敷では、いまだに自分に与えられた部屋に向かうのですら迷ってしまう。

黙々と進む彼の後ろ姿を、私は食い入るように見つめた。
見たところ、服に目立つ汚れや斬られた跡はない。
外套の裾にも、血の染みらしきものは見当たらない。
どこか庇うような歩き方や、怪我を負っている素振りもなかった。
けれど、彼はもともと感情を、ましてや弱音を一切表に出すタイプではない気がする。

もし、無理をして怪我を隠していたら?
もし、傷は塞がっていても、鬼力だけが底を尽きかけていたら?

私は身体を左右に揺らすようにして、彼の両肩、両腕、そして脚の運びを見比べる。
歩幅。呼吸。肩の上下。
どこかに違和感がないか、まじまじと見つめてしまう。

「……さっきから、一体なんなんだ!」
「わっ、……あ」

突然振り返られ、声を上げて驚いてしまう。

「あ、いえ……その、怪我とかないか、気になってしまって……」
「……怪我などしていない」
「本当に大丈夫ですか?血が必要でしたら、いつでも、その……」

居ても立ってもいられず、以前彼に噛まれた左の鎖骨から肩にかけての肌を、少しだけさらけ出して見せた。
自分では、手当てのつもり。
本当に、ただそれだけだったのに。

「っ……!お、前、……恥じらいというものがないのか……っ」
「あ……。まだ、この前の痕が残っていますね」

噛み痕に指先が触れる。
そこにはもう痛みはない。
けれど、触れただけで、あの夜の熱い吐息と牙の感触が、ありありと蘇ってしまう。

朔夜の耳が赤くなるのを見て、私はようやく自分が何をしたのか理解し、慌てて着物を直す。
二人の間に、何とも言えない気まずい沈黙が流れる。
廊下のどこかで、控えていた使用人が小さく咳払いをした気がして、余計に顔が熱くなった。

「あ、あの……鬼省庁でいただいた資料に、目立った怪我がなくても、鬼力の消耗が激しければ血が必要になる場合がある、と……書いてあったから……」

しどろもどろになりながら、必死に釈明をする。
けれど、どう言い換えても、まるで自分から彼に吸血を強請っているような気がして、いたたまれず指先を弄った。

大きく、深呼吸のような重い吐息が、朔夜の唇から漏れる。

「……ふぅ。以前も言ったはずだ。基本的に、俺に吸血は必要ない」
「それでも……。心配で」
「必要になれば、こちらから言う」
「本当に、約束ですよ」
「……疑り深い番だな」
「心配くらいさせてください」

彼は吐き捨てるようにそう言うと、再び歩き出した。
けれど、その背中からは、何かを必死に堪えているような——熱を孕んだ重苦しい気配が、痛いほど伝わってくる。

拒まれたはずなのに。
不思議と、見放されたような感じはしない。
必要になれば言う。
その一言が、彼なりに私を頼ると約束してくれたようにも聞こえて、胸の奥がそっと疼いた。