無意識のうちに、親指が刀の鍔を押し上げていた。
鯉口が、ちり、と小さく鳴る。
「ちょ、待ってください隊長!!違います!!」
「そういう意味ではありません!!一般的な、客観的な、事実としての感想です!!」
「そ、そうです!隊長の番様に不埒な目を向ける命知らずなど、この世にいるわけが……少なくとも一番隊にはおりません!!」
「つまり、他の隊にはいるかもしれないということか」
一番隊には。
その言い方も気に食わない。
「墓穴を掘るな馬鹿!!」
副隊長が慌てて部下の口を塞ぐ。
俺は半ば抜きかけていた刀を、ゆっくりと鞘へ戻した。
「……今後、俺の番について軽々しく口にするな」
「は、はいっ!」
「承知しました!」
「肝に銘じます!」
三人揃って背筋を伸ばす部下たちを見て、ようやく息を吐く。
別に、怒るようなことではない。
彼らが彼女を褒めた。ただ、それだけの話だ。
だというのに。
彼女の姿を、自分以外の誰かが見ていた。
その事実が、妙に腹の底をざらつかせる。
「……やはり、番とは厄介なものだな」
「いえ、隊長。それは恐らく番のせいではなく……」
「番のせいでないなら、何なんだ」
「……何でもありません」
副隊長はなぜか、ひどく生温かい目でこちらを見ていた。
気に食わない。
「いやぁ、しかし、よい傾向ですよ」
「……どこがだ」
「今までの隊長は、どこか己の命を削り、生き急ぐような戦い方をされていましたから。今日の、余裕のある刃運びを見て、少し安心しました」
「……それが、番の影響だとでも言うのか」
ますます混迷が深まる。
出会って、まだ数日。
交わした言葉など、片手で数えるほどだ。
それが、自身の剣筋にまで影響を及ぼしているというのか。
「少なくとも自分にとっては、帰りを待つ番がいることは、生きて戻るための何よりの理由になりますからね」
……ふいに、出立の際の彼女の姿が脳裏を掠めた。
どこか不安げで、それを悟られまいと無理に作ったような、あの微かな微笑み。
それでも、まっすぐに俺を見ていた瞳。
『行ってらっしゃい』
屋敷の使用人たちも、確かに俺を案じてはくれていただろう。
だが、彼らはいつも、武人の門出を静かに、粛々と見送るだけだった。
あのような、日常へ帰ることを約束させるような言葉で見送られたのは、人生で初めてのことだったかもしれない。
あの娘は、俺に戦えと言ったのではない。
勝てとも、討てとも、命じなかった。
ただ、帰ってこいと。
そう告げたのだ。
「……やはり、よい傾向です」
「……何が言いたい」
「別に。番様のところへ無事に帰るためにも、今回もきっちり片付けましょう、というだけです」
「余計な世話だ」
薄々気づきながらも、認めたくない感情が胸の中で邪魔をする。
この高鳴りは、単に番という機能的な存在に向けられたものなのか。
それとも、彼女だからこそ抱くものなのか。
再び彼女の前に立った時、自分はどのような顔をすればいいのか。
何と声をかければいい。
無事に戻ったと顔を合わせれば、あの娘はまた、ほっとしたように笑うのだろうか。
戦場では一度も感じたことのない種類の畏怖が、静かに胸を焦がしていた。
俺は息を吐き、刀の切っ先を闇へ向ける。
考えるのは後だ。
今は、斬る。
あの娘が待つ場所へ帰るために。
鯉口が、ちり、と小さく鳴る。
「ちょ、待ってください隊長!!違います!!」
「そういう意味ではありません!!一般的な、客観的な、事実としての感想です!!」
「そ、そうです!隊長の番様に不埒な目を向ける命知らずなど、この世にいるわけが……少なくとも一番隊にはおりません!!」
「つまり、他の隊にはいるかもしれないということか」
一番隊には。
その言い方も気に食わない。
「墓穴を掘るな馬鹿!!」
副隊長が慌てて部下の口を塞ぐ。
俺は半ば抜きかけていた刀を、ゆっくりと鞘へ戻した。
「……今後、俺の番について軽々しく口にするな」
「は、はいっ!」
「承知しました!」
「肝に銘じます!」
三人揃って背筋を伸ばす部下たちを見て、ようやく息を吐く。
別に、怒るようなことではない。
彼らが彼女を褒めた。ただ、それだけの話だ。
だというのに。
彼女の姿を、自分以外の誰かが見ていた。
その事実が、妙に腹の底をざらつかせる。
「……やはり、番とは厄介なものだな」
「いえ、隊長。それは恐らく番のせいではなく……」
「番のせいでないなら、何なんだ」
「……何でもありません」
副隊長はなぜか、ひどく生温かい目でこちらを見ていた。
気に食わない。
「いやぁ、しかし、よい傾向ですよ」
「……どこがだ」
「今までの隊長は、どこか己の命を削り、生き急ぐような戦い方をされていましたから。今日の、余裕のある刃運びを見て、少し安心しました」
「……それが、番の影響だとでも言うのか」
ますます混迷が深まる。
出会って、まだ数日。
交わした言葉など、片手で数えるほどだ。
それが、自身の剣筋にまで影響を及ぼしているというのか。
「少なくとも自分にとっては、帰りを待つ番がいることは、生きて戻るための何よりの理由になりますからね」
……ふいに、出立の際の彼女の姿が脳裏を掠めた。
どこか不安げで、それを悟られまいと無理に作ったような、あの微かな微笑み。
それでも、まっすぐに俺を見ていた瞳。
『行ってらっしゃい』
屋敷の使用人たちも、確かに俺を案じてはくれていただろう。
だが、彼らはいつも、武人の門出を静かに、粛々と見送るだけだった。
あのような、日常へ帰ることを約束させるような言葉で見送られたのは、人生で初めてのことだったかもしれない。
あの娘は、俺に戦えと言ったのではない。
勝てとも、討てとも、命じなかった。
ただ、帰ってこいと。
そう告げたのだ。
「……やはり、よい傾向です」
「……何が言いたい」
「別に。番様のところへ無事に帰るためにも、今回もきっちり片付けましょう、というだけです」
「余計な世話だ」
薄々気づきながらも、認めたくない感情が胸の中で邪魔をする。
この高鳴りは、単に番という機能的な存在に向けられたものなのか。
それとも、彼女だからこそ抱くものなのか。
再び彼女の前に立った時、自分はどのような顔をすればいいのか。
何と声をかければいい。
無事に戻ったと顔を合わせれば、あの娘はまた、ほっとしたように笑うのだろうか。
戦場では一度も感じたことのない種類の畏怖が、静かに胸を焦がしていた。
俺は息を吐き、刀の切っ先を闇へ向ける。
考えるのは後だ。
今は、斬る。
あの娘が待つ場所へ帰るために。



