鬼狩りの番~置き去りにされた娘は、半人半鬼に血を捧げる~

凛とした、けれどどこか棘を含んだ声が響く。
顔を上げると、そこには私と同じ年頃の女性が立っていた。

身に纏っているのは、私の着物とは色違いの、鮮やかな朱色の装束。
白い肌に映えるその色は、燃えるように華やかで、ひと目で良家の娘だと分かる佇まいだった。
彼女は優雅な足取りでテーブルの傍らまで来ると、手にした扇子をトン、と立てるように置いた。

「あなたが、睦月様の番になられた方?」
「え……、はい。そうですけれど」
「……ずいぶんと、代わり映えのしない一般の方とお見受けしますが」
「何を以て一般というのか、私には分かりかねますけれど……」
「あなたさえ現れなければ。睦月様は人の血など求めず、気高く在り続けられたはずなのに」

朔夜の母親と同じ言葉。
けれど、あの場にいなかった人が吐く言葉は、どこまでも軽く、残酷に響いた。

必死に鬼化の毒に抗い、理性を失いかけていた朔夜の姿。
私が首筋を差し出してなお、彼は震える手で私を拒絶しようとした。
それでも、彼は生きるために、私の肌に牙を立てたのだ。
あれを、誰かが勝手に否定するようなことだけは、どうしても許せない。

「……だから、何ですか?」

私の静かな問いに、彼女の細い眉がぴくりと動く。

「あの方は本来、誰にも——それこそ番という枷にすら、縛られる必要のない御方なのよ」
「私は、朔夜を縛っているつもりはありません」
「あなたを庇った末に毒に侵され、番を成さざるを得なかったと聞き及びました」

……それは、否定しようのない事実。
もし、あの夜に私がそこにいなければ。
守るべき弱者がいなかったなら。
恐らく彼は、傷を負うことも、毒をその身に宿すこともなかったのかもしれない。

胸の奥が、鋭く痛む。

「番を持たずとも鬼を屠れた、完成された存在。あなたは睦月様を生かしているつもりでしょうけれど……あなたのせいで、あの方は穢されたのよ」

扇子の先端が、まっすぐに私の眼前へと向けられる。
まるで罪人へ白刃を向けるような仕草。
けれど、私は目を逸らさなかった。

「朔夜は、穢れてなんていません」

あの日、私を救ってくれた朔夜も。
朔夜を救いたいと願い、血を差し出した私も。
その決断を、私は絶対に間違いだったとは思わない。

これだけは、譲れない。
私たちは瞬きもせず、一歩も引かぬまま、鏡合わせのような沈黙の中で睨み合った。

「あわわ……西園寺様!!ここでの騒ぎは困ります~っ!」

書記の少女の必死の制止に、ようやく向けられていた扇子が下ろされた。
それでも、彼女の鋭い眼差しは変わらないまま、私を冷たく射抜き続ける。

「覚えておきなさい。あなたのような者に、睦月様の隣は似合わないわ」

吐き捨てるように言い捨てると、彼女は背を向けた。
ピシャッ!と、飾りのガラスが震えるほどの音を立てて扉が閉まる。

「……何、今の。怖すぎるんですけど……」

緊張の糸が切れ、思わず本音が漏れた。
あの夜、鬼を目の前にした時ほどの恐怖ではない。
強がって睨み返したものの、心臓はまだうるさいほど鳴っていた。

「西園寺様は、睦月隊長の『番候補(つがいこうほ)』の筆頭だったんですよ~」
「えっ!?そうだったんですか……朔夜は、特別な相手はいないって言っていましたけれど」
「睦月隊長は強すぎて、今まで番を必要とする場面が一度もなかったんです。他の隊員なら命を落とすような深手でも、隊長ならば自力で治癒が可能でしたし……」

……ということは。
あの時、私を庇って受けた傷と毒は、それほどまでに致命的なものだったのだ。
もし私が、あの時一瞬でも躊躇っていたら。
今頃、彼は——。

想像するだけで、背筋が凍るような戦慄が走った。

「鬼宿校には名家の令嬢も多く在籍していまして、西園寺様はその中でも中心的な存在でした。ずっと睦月隊長の番になることを望まれていたので……」
「そう、なんですね。……彼女からすれば、突然現れた私は、面白くない存在でしかないでしょうね」

朔夜自身が彼女を求めていなかったとしても。
完璧な彼を『穢した』原因として憎まれるのは、仕方のないことなのかもしれない。
けれど、仕方ないと理解することと、受け入れることは違う。
私は、朔夜が自分を化け物だと思わされるような言葉だけは、聞き流したくなかった。

屋敷に戻った後、畳の上に力なく寝転がる。
鬼省庁で渡された教材をパラパラと捲ってみるが、そこに記されているのは、現実とは到底思えないような異質な内容ばかり。
読み進めるたびに、知らない言葉と知らない理が増えていく。
まるで、昨日まで生きていた世界の外側に、もう一枚別の世界が隠されていたみたいに。

確かなことは、朔夜という男がいかに異次元の強さを持っているかということ。

十五歳で半人半鬼となり、すぐさま一番隊の隊長へ。
以来七年間、一度も番を必要とせず、ただ一人で戦い続けてきたのだ。

そして、番という存在は、生涯にわたって鬼狩りに血を捧げ続ける義務を負う。
もし番が死ねば、鬼狩りはまた新たな番を求める。
鬼狩りとなった時点で番を持つのが通例であるこの世界で、七年もの間、番を不要として在り続けた彼が、どれほど異端で、どれほど孤独だったか。

あの人は強い。
けれど、強かったからこそ、誰にも弱さを預けられなかったのかもしれない。

「生涯、か……」

朔夜が鬼を退治してくれる。
私はここで、彼の力となる。
その先に、いつかまた二人の柔らかな手を握れる日が来ると、私は信じたかった。