必要な材料を手に入れた百花は、早速、新しいぬいぐるみを作っていた。昂焔は「狼がいい」と叫んでいたので、できるだけ本人の希望を叶えるつもりである。
百花にとって唯一といってもいいほど、誇れるものはこのぬいぐるみ作りだろう。それに新樹がうさぎのぬいぐるみを他の誰にも触らせないという点が、百花の自尊心を刺激していたのだ。
そうやって百花が針子部屋でせっせとぬいぐるみを作っていたところ、家令の影月が大慌てで飛び込んできた。
「百花さん、申し訳ありません。旦那様が……」
どうやら新樹は、今日の六家会議で使う資料を屋敷に忘れていったらしい。航平から影月に連絡が入り、急いで資料を帝国会館にまで持ってきてほしいという内容である。新樹の部屋にあるが、もしわからなければ百花に聞くようにと言っていたようだ。
「はい、それなら心当たりがあります」
影月と共に新樹の部屋へと入り、机の上に乱雑に置かれている書類の中から、封筒を抜き出した。
「こちらで合っているはずです。帝国会館ですよね? お持ちします」
今日は来客の予定があり、その対応を任されているのが影月なのだ。となれば、彼は屋敷を空けることはできないため、百花が届けるのが無難だろう。
「ありがとうございます、すぐに車を用意します」
帝国会館はここから車で十分もかからないため、歩いて行ける距離だが、相手は急いでいるのだ。影月の言葉に従い、車を利用させてもらう。
「それから、美代さんをお呼びしますので、すぐに着替えをお願いします」
影月は、車の用意をしている間に、お仕着せから他の服に着替えてほしいと言う。帝国会館は鬼族たちが集う場であるため、使用人であったとしてもそれなりの格好をしないと取り次いでもらえないらしい。
影月が美代を呼びつけると、美代はすぐに百花の着物を準備して、手早く着つけてくれた。
「あらあら、よく似合っていること」
その出来栄えに影月も満足そうにうなずけば「よろしくお願いします」と頭を下げて、百花を見送った。
自動車はすでに屋敷の目の前に用意されており、運転手も顔なじみの男性だ。今朝も新樹たちを帝国会館にまで送っていったため、彼にとっては慣れた道ですぐに着いた。
「百花さん。車はここからは進めないため、こちらで降りてください。受付はあちらになります。私は待避所で待っておりますので、場所がわからないときは受付にお尋ねください」
「はい、ありがとうございます」
車からひょこっと降りた百花は、書類を両手に抱え、今しがた教えてもらった受付の場所へと足を向ける。大きな門の脇にある小さな小屋だ。
着物が着崩れしないように注意を払ってしずしずと歩くが、気持ちは急いでいるだけにもどかしい。
「すみません、暁陽家のつかいの者です。忘れ物を届けに来たのですが」
百花が、小さく開いた扉から小屋の中にいる人に声をかけると、身体の大きな男性が小窓から顔を出してきた。
「暁陽家の秘書の方ですか? 身分証の提示をお願いします」
男は百花にいぶかしげな視線を向け、百花も目の前に現れた男性に萎縮してしまう。
「えっと、身分証は持っていませんが、私は暁陽家で女中を務めております藤澤百花と申します。こちらを当主の新樹様にお渡しいただきたいのです……」
百花が男に書類を手渡そうとしたとき、会話に割って入る者がいた。
「あれ? 君は……」
声がしたほうに顔を向ければ、どこかで見たことがあるような、すらっとした体格の男性が立っている。年齢は航平と同じくらいか、それより上か。
「晶翔様、お知り合いですか? もしかして本当に暁陽家当主様の秘書さんでしょうか? 鬼人ではないため、疑っていたのですが……」
「あぁ、うん。そうだね、暁陽家の子に間違いない。僕が身元を保障するから、彼女を通してやってくれないか?」
その言葉に、受付の男は快諾する。
「ありがとう。では、藤澤百花さん。新樹のところに案内するよ」
しかし百花は戸惑っていた。書類は受付に渡してさっさと帰ろうと思っていたのと、目の前の彼がいったい誰かを思い出せないからだ。
「ああ、ごめん。もしかして、僕のことを忘れちゃった? 僕は天雪晶翔。天雪家の次期当主ね。先日、新樹と一緒に街を歩いていたでしょ? あのときに会ったはずなんだけど」
そこでやっと百花の記憶がつながった。新樹と一緒に手芸店で買い物へ行った日、菓子店から駐車場へと向かおうとしたところ、その途中で会ったのが彼なのだ。
「申し訳ありません。お名前をお聞きしたはずなのに、思い出せず……」
「いや、あのときはお互いにバタバタしていたからね。今日は、新樹のおつかい?」
正門を抜け、ベージュ系の外観の上品な建物へと向かって歩く。
「はい。会議に使う資料を忘れたようなので、届けに来たのです。受付に渡せばよいと思っていたのですが」
「直接渡したほうが、新樹も安心するでしょ?」
やはり人との付き合いに慣れている男性なのだろう。百花の警戒心を解くような会話術がうまいのだ。これは、商売人に多いタイプである。会話で相手の懐に入り込み、財布のひもをゆるくする。
「そうですね。でも私一人では、このような大きな建物では迷子になってしまいますし……。天雪様にお会いできてよかったです」
受付の人間の態度を見る限り、ただの人である百花が入ってはならないような場所なのだと実感した。
だが晶翔は、そんな百花の気持ちと裏腹に、ははっと軽快に笑う。
「そうだね。中に入れるのは関係者のみだから。それよりも、僕のことは名前で呼んで。天雪の当主は僕の父だから」
百花はしばし思案する。というのも、年上の男性を名前で呼んでいいのだろうかという考えが、一瞬、頭をよぎったからだ。だが、本人がいいと言っているのであれば、失礼にはならないだろう。
「はい、承知しました」
「堅苦しいけれど、そういうところもいいいね。そういえば今日は、洋装じゃないんだね。でも、その着物も似合ってるけど……いかにも新樹が好きそうな感じだよね」
晶翔が何を言っているのかちんぷんかんぷんで、百花は困った顔をする。
「あぁ、ごめんごめん。新樹が執着しているから、つい揶揄いたくなった」
建物の中に入ると、目の前には豪奢な踊り場つきの階段が現れる。思わず百花は「うわぁ」と声をあげてしまうほど。
「この階段で二階まで行くよ。そこの一番奥の部屋に新樹はいるはずだから」
「はい、ありがとうございます」
初めて足を踏み入れた帝国会館に、百花の胸は高鳴っていた。目に入るものすべてがきらびやかに輝いて見え、それは階段も手すりも、吹き抜けの天井からぶら下がっているシャンデリアも。吹き抜けからは一階の様子がよく見え、たくさんの人が思い思いに歩いている。
階段を上がりきった百花は晶翔の後ろについていき、建物の奥へと延びる薄暗い廊下を進む。とはいえ、足元には明るい色調の毛のやわらかな絨毯が敷かれており、踏みしめるたびに足がずしっと沈む。
「この部屋だね。ちょっと待ってて」
晶翔が扉をノックしてから部屋の中へと入っていく。百花は書類をしっかり両手で抱えたまま、扉の外で待っていた。
しばらく待った後、扉が開いて顔を出したのは、新樹である。
「おまえ、ここまで一人で来たのか?」
この場に百花がいるのが信じられないといった口調だ。だが彼の視線は、百花の頭のてっぺんから爪先までを、さっと確認する。
「いえ、晶翔様に案内していただきました」
新樹のこめかみがひくりと動く。
「受付で航平を呼べばいいだろう?」
「はい。本当は受付にこれを渡して帰ろうと思ったのですが。そこで晶翔様とお会いしまして、案内していただきました」
受付の人間に邪見に扱われ、取り次いでさえもらえなかった事実は、胸の奥にしまい込んだ。
「ところで、書類はこちらで間違いはないですよね?」
百花が新樹に茶封筒を手渡すと、彼はすぐに中身を確認した。
「ああ、間違いない。助かった。おまえ、帰りは?」
「車を待たせてありますので。確か……待避所で待っていると」
「そこまで航平に送らせる。それから、その着物、よく似合ってる」
一人で大丈夫だと言いたかったが、最後の新樹の言葉が百花の思考を奪った。
頬に熱をためている間に航平がやってきたため、彼に待避所まで案内してもらった。
「お手を煩わせてしまい、申し訳ありません」
「いえ。私が送らなかったことで、百花さんの身に何かあったほうが大変ですからね。これは言わば、初期投資のようなものです」
航平の言葉の意味がよく理解できず、百花は小さく首をひねった。
百花にとって唯一といってもいいほど、誇れるものはこのぬいぐるみ作りだろう。それに新樹がうさぎのぬいぐるみを他の誰にも触らせないという点が、百花の自尊心を刺激していたのだ。
そうやって百花が針子部屋でせっせとぬいぐるみを作っていたところ、家令の影月が大慌てで飛び込んできた。
「百花さん、申し訳ありません。旦那様が……」
どうやら新樹は、今日の六家会議で使う資料を屋敷に忘れていったらしい。航平から影月に連絡が入り、急いで資料を帝国会館にまで持ってきてほしいという内容である。新樹の部屋にあるが、もしわからなければ百花に聞くようにと言っていたようだ。
「はい、それなら心当たりがあります」
影月と共に新樹の部屋へと入り、机の上に乱雑に置かれている書類の中から、封筒を抜き出した。
「こちらで合っているはずです。帝国会館ですよね? お持ちします」
今日は来客の予定があり、その対応を任されているのが影月なのだ。となれば、彼は屋敷を空けることはできないため、百花が届けるのが無難だろう。
「ありがとうございます、すぐに車を用意します」
帝国会館はここから車で十分もかからないため、歩いて行ける距離だが、相手は急いでいるのだ。影月の言葉に従い、車を利用させてもらう。
「それから、美代さんをお呼びしますので、すぐに着替えをお願いします」
影月は、車の用意をしている間に、お仕着せから他の服に着替えてほしいと言う。帝国会館は鬼族たちが集う場であるため、使用人であったとしてもそれなりの格好をしないと取り次いでもらえないらしい。
影月が美代を呼びつけると、美代はすぐに百花の着物を準備して、手早く着つけてくれた。
「あらあら、よく似合っていること」
その出来栄えに影月も満足そうにうなずけば「よろしくお願いします」と頭を下げて、百花を見送った。
自動車はすでに屋敷の目の前に用意されており、運転手も顔なじみの男性だ。今朝も新樹たちを帝国会館にまで送っていったため、彼にとっては慣れた道ですぐに着いた。
「百花さん。車はここからは進めないため、こちらで降りてください。受付はあちらになります。私は待避所で待っておりますので、場所がわからないときは受付にお尋ねください」
「はい、ありがとうございます」
車からひょこっと降りた百花は、書類を両手に抱え、今しがた教えてもらった受付の場所へと足を向ける。大きな門の脇にある小さな小屋だ。
着物が着崩れしないように注意を払ってしずしずと歩くが、気持ちは急いでいるだけにもどかしい。
「すみません、暁陽家のつかいの者です。忘れ物を届けに来たのですが」
百花が、小さく開いた扉から小屋の中にいる人に声をかけると、身体の大きな男性が小窓から顔を出してきた。
「暁陽家の秘書の方ですか? 身分証の提示をお願いします」
男は百花にいぶかしげな視線を向け、百花も目の前に現れた男性に萎縮してしまう。
「えっと、身分証は持っていませんが、私は暁陽家で女中を務めております藤澤百花と申します。こちらを当主の新樹様にお渡しいただきたいのです……」
百花が男に書類を手渡そうとしたとき、会話に割って入る者がいた。
「あれ? 君は……」
声がしたほうに顔を向ければ、どこかで見たことがあるような、すらっとした体格の男性が立っている。年齢は航平と同じくらいか、それより上か。
「晶翔様、お知り合いですか? もしかして本当に暁陽家当主様の秘書さんでしょうか? 鬼人ではないため、疑っていたのですが……」
「あぁ、うん。そうだね、暁陽家の子に間違いない。僕が身元を保障するから、彼女を通してやってくれないか?」
その言葉に、受付の男は快諾する。
「ありがとう。では、藤澤百花さん。新樹のところに案内するよ」
しかし百花は戸惑っていた。書類は受付に渡してさっさと帰ろうと思っていたのと、目の前の彼がいったい誰かを思い出せないからだ。
「ああ、ごめん。もしかして、僕のことを忘れちゃった? 僕は天雪晶翔。天雪家の次期当主ね。先日、新樹と一緒に街を歩いていたでしょ? あのときに会ったはずなんだけど」
そこでやっと百花の記憶がつながった。新樹と一緒に手芸店で買い物へ行った日、菓子店から駐車場へと向かおうとしたところ、その途中で会ったのが彼なのだ。
「申し訳ありません。お名前をお聞きしたはずなのに、思い出せず……」
「いや、あのときはお互いにバタバタしていたからね。今日は、新樹のおつかい?」
正門を抜け、ベージュ系の外観の上品な建物へと向かって歩く。
「はい。会議に使う資料を忘れたようなので、届けに来たのです。受付に渡せばよいと思っていたのですが」
「直接渡したほうが、新樹も安心するでしょ?」
やはり人との付き合いに慣れている男性なのだろう。百花の警戒心を解くような会話術がうまいのだ。これは、商売人に多いタイプである。会話で相手の懐に入り込み、財布のひもをゆるくする。
「そうですね。でも私一人では、このような大きな建物では迷子になってしまいますし……。天雪様にお会いできてよかったです」
受付の人間の態度を見る限り、ただの人である百花が入ってはならないような場所なのだと実感した。
だが晶翔は、そんな百花の気持ちと裏腹に、ははっと軽快に笑う。
「そうだね。中に入れるのは関係者のみだから。それよりも、僕のことは名前で呼んで。天雪の当主は僕の父だから」
百花はしばし思案する。というのも、年上の男性を名前で呼んでいいのだろうかという考えが、一瞬、頭をよぎったからだ。だが、本人がいいと言っているのであれば、失礼にはならないだろう。
「はい、承知しました」
「堅苦しいけれど、そういうところもいいいね。そういえば今日は、洋装じゃないんだね。でも、その着物も似合ってるけど……いかにも新樹が好きそうな感じだよね」
晶翔が何を言っているのかちんぷんかんぷんで、百花は困った顔をする。
「あぁ、ごめんごめん。新樹が執着しているから、つい揶揄いたくなった」
建物の中に入ると、目の前には豪奢な踊り場つきの階段が現れる。思わず百花は「うわぁ」と声をあげてしまうほど。
「この階段で二階まで行くよ。そこの一番奥の部屋に新樹はいるはずだから」
「はい、ありがとうございます」
初めて足を踏み入れた帝国会館に、百花の胸は高鳴っていた。目に入るものすべてがきらびやかに輝いて見え、それは階段も手すりも、吹き抜けの天井からぶら下がっているシャンデリアも。吹き抜けからは一階の様子がよく見え、たくさんの人が思い思いに歩いている。
階段を上がりきった百花は晶翔の後ろについていき、建物の奥へと延びる薄暗い廊下を進む。とはいえ、足元には明るい色調の毛のやわらかな絨毯が敷かれており、踏みしめるたびに足がずしっと沈む。
「この部屋だね。ちょっと待ってて」
晶翔が扉をノックしてから部屋の中へと入っていく。百花は書類をしっかり両手で抱えたまま、扉の外で待っていた。
しばらく待った後、扉が開いて顔を出したのは、新樹である。
「おまえ、ここまで一人で来たのか?」
この場に百花がいるのが信じられないといった口調だ。だが彼の視線は、百花の頭のてっぺんから爪先までを、さっと確認する。
「いえ、晶翔様に案内していただきました」
新樹のこめかみがひくりと動く。
「受付で航平を呼べばいいだろう?」
「はい。本当は受付にこれを渡して帰ろうと思ったのですが。そこで晶翔様とお会いしまして、案内していただきました」
受付の人間に邪見に扱われ、取り次いでさえもらえなかった事実は、胸の奥にしまい込んだ。
「ところで、書類はこちらで間違いはないですよね?」
百花が新樹に茶封筒を手渡すと、彼はすぐに中身を確認した。
「ああ、間違いない。助かった。おまえ、帰りは?」
「車を待たせてありますので。確か……待避所で待っていると」
「そこまで航平に送らせる。それから、その着物、よく似合ってる」
一人で大丈夫だと言いたかったが、最後の新樹の言葉が百花の思考を奪った。
頬に熱をためている間に航平がやってきたため、彼に待避所まで案内してもらった。
「お手を煩わせてしまい、申し訳ありません」
「いえ。私が送らなかったことで、百花さんの身に何かあったほうが大変ですからね。これは言わば、初期投資のようなものです」
航平の言葉の意味がよく理解できず、百花は小さく首をひねった。



