鬼のつがい~競売に堕ちた令嬢は不器用な年下当主の執愛に絡め取られる

「新樹様、そんなにお菓子ばかり食べていたら、夕食が食べられなくなりますよ」
 缶を抱きかかえながら、次から次へとクッキーを口の中に放り込んでいるのは新樹である。その様子を、航平は呆れた声色で注意した。
「はぁ? 百花からの贈り物は食べ物だから、さっさと食べろと言ったのは航平だろ!」
「ええ、言いました。確かに言いましたが、そういう意味ではございません」
 ソファの上に胡坐をかいて座っていた新樹の腕から、航平はひょいっとクッキー缶を奪い取る。
「おい、何をするんだ」
「やけ食いなんてやめましょう。そろそろ夕食の時間ですから。夕食を残したら、百花さんが泣きますよ?」
 泣くという表現はいささか大げさであるが、新樹が食事を残せば、百花が心配するのは嘘ではない。食事や寝起きの様子から、彼女は敏感に新樹の変化を読み取ってくれるのだ。
「新樹様~。それは悪いことを考えている顔ですね? まさか、百花さんに心配してもらいたいとか、そんなこと思ってません?」
「思ってない」
 即答してみたが、ほんの少しだけ心の中にそんな考えはあった。
「では、私は夕食の用意を言いつけてきますが……食堂に行かれますか? それともこちらにお運びしましょうか?」
「部屋に運べ。今日は疲れた。もう動きたくない……」
「ですよね。だから、車でお送りすると言ったのに……まぁ、百花さんと手つなぎデートをしたかった気持ちはわかりますけど。その割には、なんなんですか? あの態度は」
 それは買い物などを終え、車に戻ってきたときの新樹の態度を指摘しているのだ。
「終わりよければすべてよし。つまり、終わりが悪ければすべてが悪いんですよ。最悪のデートだったと、百花さんがそう思っていたらどうするんですか!」
 耳が痛い話だ。最後に晶翔に会い、彼の視線が百花を追っているのに気づいたら、自分がひどくみじめに感じたのだ。
 だが、それ以外は百花とのデートはうまくいったと自負している。
「そんなことはないだろ? 喜んでくれたぞ? それに、そのクッキーだって……」
 悔しいがクッキー缶は航平に奪われたままである。中身のクッキーを食べ終えたら、缶を小物入れに使おうと思っていた。とはいえ、中に入れるような小物を多く持っているわけではないが。
「そうですね。百花さん、自分のお給金から新樹様に御礼のクッキーを買ったんですよね? 健気ですよね~」
 航平もそう言った割には、クッキー缶を新樹に返すつもりはないらしい。
「で? 何があったんですか?」
 やはり航平を誤魔化せない。厳密に言えば、昂焔も誤魔化すのは難しい相手である。この一人と一匹は、新樹本人すら気づいていないような気持ちも読み解くのだ。
 少し頬を膨らませた新樹は「あいつらに会ったんだよ」と乱暴に答える。
「あいつら……ですか?」
「はぁ? 昂焔も言っただろ? 呉服店で瑞雨加恋に会ったんだよ。なんなんだ? あいつ」
「まぁ……あそこは、瑞雨家もご用達ですからね。新作が入ったと聞けば、暇なご令嬢はそれを見に行きたくなるのでは?」
 何気に航平も毒舌である。誰も加恋が暇だとは言っていない。
「あいつは会うたびに俺の婚約者気取りをするから嫌いだ」
「嫌い、ではなく苦手と言いましょう」
 それは当主たるもの、あまり感情をむき出しにしないようにという、航平なりの教えでもある。
「でも、まぁ……新樹様が瑞雨家のご令嬢を苦手なのも納得できます。あそこは暁陽家を乗っ取るつもりでいますからね。ご令嬢と新樹様を結婚させて、という思惑が丸見えです」
 だから加恋は新樹の姿を見るたびに、声をかけ、媚を売り、しなを作ってくる。あれは、自分の容姿に自信があり、魅せ方もわかっている女だ。
 同い年なだけに、変に接点を持とうとするから、面倒で仕方ない。
「では、さっさと婚約発表でもします?」
 航平はさらりと言ってのけるが、婚約発表するにもその相手が問題である。抗議の意味を込めて航平を睨みつけるが、もちろんそれが彼に効果がないことなどわかっている。
 航平は新樹を振り回して楽しんでいるだけなのだ。
《オレ様も、そのほうがいいと思うぜ?》
 どこから話を聞いていたのか、昂焔が「よっこらせ」とソファによじ登ってきた。
《坊、そろそろ嬢ちゃんと婚約しちまえよ。あの男、嬢ちゃんの力に気づいたかもしれん》
「あの男……?」
 航平がすぐに反応を示す。
「あの男って、新樹様。誰に会ったんですか?」
「晶翔だよ。あのタラシだ」
 まさか帰り際、晶翔に会うとは思ってもいなかった。
「よりによって天雪家ですか……なんなんですか? 今日は帝国六家が勢ぞろいですか?」
 表面上、手を結んで帝国のために仲良くしているよう見える六家だが、実は大きく二つの派閥に分かれている。
 それは未成年の新樹が暁陽家当主になったため、暁陽家を取り込もうとする派と、暁陽家を六家のうちの一家として残そうとする派の二つ。
 そして瑞雨家と天雪家は、暁陽家を自分たちの一族に取り込もうとしているのだ。そのため瑞雨家は加恋と新樹の縁談を望んでいるし、晶翔にいたっては新樹の弱点を探っている。晶翔が当主になったときに新樹をつぶそうと、虎視眈々と狙っているのだ。
「百花の力を知られたとしたら、厄介だな……」
 百花本人は気づいていないが、彼女には霊力を増幅させる力がある。
 そのため、彼女が作るぬいぐるみだけに、昂焔が式神として定着できる。昂焔がこのようにしゃべって意思疎通できるのも、百花の力のせいだろう。だが百花本人はただの人だ。鬼人でも半鬼人でもない。
 今はまだ、それを彼女に教えるつもりはなかった。新樹の“つがい”である事実も伝えていないのだ。
 これらは新樹が成人してから、彼女に伝えようと思っていた。
 今、新樹は皇帝の庇護下にある。今、何を言ったとしても、後ろに皇帝がいれば、皇帝の言葉だと解釈する者もいるだろう。
 そうではなく、新樹の言葉で百花が唯一無二の伴侶だと、伝えたかった。
 だから百花を婚約者に据えるのを躊躇っているのだ。
《だから、婚約しちゃえって言ってんだよ》
「俺の気持ちをわからないおまえに、とやかく言われる筋合いはない」
《はぁ? そんな悠長なことを言っていて、嬢ちゃんを横からかっさらわれたらどうすんだよ。そんなにオレ様と別れたいのかよ!》
 百花の力を知られ、昂焔の存在も知られたら、新樹の鬼族としての立場は危うくなる。百花と昂焔を奪われたら、新樹は式神を使役できない。となれば、暁陽家を狙う者にとっては、絶好の機会だ。
「まあまあ、昂焔さん。今のところ、百花さんを新樹様の婚約者に据えるには、少しばかり問題がございます。百花さんは商家の娘ですが、その商家が没落してなくっておりますからね。百花さんのご両親が商売繁盛でご健在でしたら問題はなかったのですが……」
 航平が懸念しているのは、百花と新樹の身分差である。だがそれも“つがい”であれば、障害にすらならないのだが、彼女を“つがい”だと公表するにも、新樹は抵抗があった。
「どちらにしろ、百花を俺の“つがい”だと周知させるのは、まだ早い。だから婚約の発表はできない」
 何よりも、新樹は百花に気持ちを伝えていない。百花の存在にどれだけ救われてきたか。それは“つがい”としての本能だけでなく、彼女の些細な気遣いに次第に心が惹かれ、凪いでいくのだ。
《なんだよ。結局、坊はへたれっつうわけだな》
 それを否定するつもりはないが、ここで焦っても仕方ない。
 皇帝が後見から外れるまで、百花には少しずつ好きになってもらいたい。求婚したときに、命令だと思われたくないし、“つがい”だからという理由もいらない。
「とにかく、瑞雨家と天雪家には気をつけてくださいよ。新樹様が意地を張って、百花さんまで巻き込まないようにしてください」
 航平に苦言を呈され、新樹は静かにうなずいた。