「忘れられない恋、ですか……?」
私の困惑したような声を気にもせず、課長が平然と続ける。
「そう。そんなエピソードの一つや二つあるでしょ?」
ないよ、と心の中でつい言い返してしまう。あったとしても、もはやセクハラだろうし、急に言われてどう対応すれば良いかすら分からない。
メイク用品を作るウチの会社はそろそろ新商品のシリーズを出す。そして課長曰く、次の新商品のCMでは男女の恋愛をモチーフにするらしい。そして、その企画会議で今までの恋愛エピソードを使うというのだ。
「えっと、フィクションでも良いんですよね?」
「いやー、出来たらリアリティがあった方が良いから……まぁ、そこら辺は適当に」
「はぁ……分かりました」
ここで断れないのは、悲しい社畜の性だろうか。
(忘れられない恋、か)
まずそんなものはないし、もっと言えばあったとしても面白いエピソードを持っている人などいないだろう。どうせみんな適当に出してくる、そんな私の考えを否定するようにその日の昼休みはいつもと違う盛り上がりを見せた。
「ねぇ、課長から聞いた? 忘れられない恋の話」
「聞いた。やばいよね。私、元カレに浮気されて捨てた話でも書こうかな」
「じゃあ、私はピュアな高校生の頃の自分で」
「あんたにそんな時代ないでしょ」
「はぁ!? ありますー」
四人がけの丸テーブルを囲うようにして座り、それぞれが小さな可愛らしいお弁当箱をつつきながらエピソードに花を咲かせている。それをコンビニのサンドイッチを齧りながら聞く私は、「あははっ」と適度に笑いを入れながら相槌を打っている。
(なんでみんなそんなに充実したエピソードがあるの……)
心の中はそんな考えでいっぱいだ。華奢な身体に可愛いらしい顔立ち、そしてお洒落なメイク。私がこの場に馴染むためだけに覚えたものを、彼女たちは平然としているように見える。それとも、彼女たちも私と同じように浮かないように頑張っているだけなのだろうか。今、話しているエピソードも作り話だったりしないだろうか。
「それで、部屋に戻ったら彼氏が別の女と電話している声が聞こえてさー。それくらいなら、もう部屋に連れ込んでくれてた方が証拠取れるのにって思ってー」
生々しいエピソードを聞いて、「これは作り話ではないな」と冷静な考えが頭に戻ってくる。同僚の忘れられない恋のエピソードを聞きながら、「みんな案外恋してるんだなー」という少女漫画の出だしのようなことを考えていた。
それでも、サンドイッチの味はいつも通りで、やっぱりここは現実だなと分かりきっていたことを再認識しながら、同僚が話し終わるまでサンドイッチが食べ終わらないようにわざと小さな口で食べ進めた。
誰もいない一人暮らしの家に帰っても、頭の中の十パーセントくらいは忘れられない恋を提出しなければいけない焦りが占めていて、一体どうしたら良いのか分からない。夕食の片付けをさっさと済ませ、テーブルの上に新商品のアイシャドウとチークのセットを並べる。可愛らしいピンクのチーク。アイシャドウは桜色からほぼ赤とも言えるピンクまでパレットに豊富に並んでいる。
「瑞々しい青春のCMでも作れそう……」
恋をしている女の子の赤く染まった頬のようなチーク……って、そんな青春は送っていないけれど。アイシャドウとチークをテーブルに並べたまま、今回のCMの資料を取り出す。そして、大事なことを思い出すのだ。
『テーマ 忘れられない恋』
その文字が目に入った瞬間、小さなため息が一つ溢れた。
社会人女性がメインターゲットなら恋のCMより使い勝手を売り出した方が良くないか? いつも同じことをしていても変わり映えしないのも事実だろうけれど……。
鮮やかなピンクのチークを手に取り、パカっと蓋を開けば、チークの中に入っているラメが輝いている。今まで何回も商品開発部からお願いされて試し、アンケートに答えた商品。それでも……
「明日のメイクはこれを使うか」
キラキラのチークの蓋を閉めた時、ある過去が一瞬だけ浮かんだ気がした。
私の困惑したような声を気にもせず、課長が平然と続ける。
「そう。そんなエピソードの一つや二つあるでしょ?」
ないよ、と心の中でつい言い返してしまう。あったとしても、もはやセクハラだろうし、急に言われてどう対応すれば良いかすら分からない。
メイク用品を作るウチの会社はそろそろ新商品のシリーズを出す。そして課長曰く、次の新商品のCMでは男女の恋愛をモチーフにするらしい。そして、その企画会議で今までの恋愛エピソードを使うというのだ。
「えっと、フィクションでも良いんですよね?」
「いやー、出来たらリアリティがあった方が良いから……まぁ、そこら辺は適当に」
「はぁ……分かりました」
ここで断れないのは、悲しい社畜の性だろうか。
(忘れられない恋、か)
まずそんなものはないし、もっと言えばあったとしても面白いエピソードを持っている人などいないだろう。どうせみんな適当に出してくる、そんな私の考えを否定するようにその日の昼休みはいつもと違う盛り上がりを見せた。
「ねぇ、課長から聞いた? 忘れられない恋の話」
「聞いた。やばいよね。私、元カレに浮気されて捨てた話でも書こうかな」
「じゃあ、私はピュアな高校生の頃の自分で」
「あんたにそんな時代ないでしょ」
「はぁ!? ありますー」
四人がけの丸テーブルを囲うようにして座り、それぞれが小さな可愛らしいお弁当箱をつつきながらエピソードに花を咲かせている。それをコンビニのサンドイッチを齧りながら聞く私は、「あははっ」と適度に笑いを入れながら相槌を打っている。
(なんでみんなそんなに充実したエピソードがあるの……)
心の中はそんな考えでいっぱいだ。華奢な身体に可愛いらしい顔立ち、そしてお洒落なメイク。私がこの場に馴染むためだけに覚えたものを、彼女たちは平然としているように見える。それとも、彼女たちも私と同じように浮かないように頑張っているだけなのだろうか。今、話しているエピソードも作り話だったりしないだろうか。
「それで、部屋に戻ったら彼氏が別の女と電話している声が聞こえてさー。それくらいなら、もう部屋に連れ込んでくれてた方が証拠取れるのにって思ってー」
生々しいエピソードを聞いて、「これは作り話ではないな」と冷静な考えが頭に戻ってくる。同僚の忘れられない恋のエピソードを聞きながら、「みんな案外恋してるんだなー」という少女漫画の出だしのようなことを考えていた。
それでも、サンドイッチの味はいつも通りで、やっぱりここは現実だなと分かりきっていたことを再認識しながら、同僚が話し終わるまでサンドイッチが食べ終わらないようにわざと小さな口で食べ進めた。
誰もいない一人暮らしの家に帰っても、頭の中の十パーセントくらいは忘れられない恋を提出しなければいけない焦りが占めていて、一体どうしたら良いのか分からない。夕食の片付けをさっさと済ませ、テーブルの上に新商品のアイシャドウとチークのセットを並べる。可愛らしいピンクのチーク。アイシャドウは桜色からほぼ赤とも言えるピンクまでパレットに豊富に並んでいる。
「瑞々しい青春のCMでも作れそう……」
恋をしている女の子の赤く染まった頬のようなチーク……って、そんな青春は送っていないけれど。アイシャドウとチークをテーブルに並べたまま、今回のCMの資料を取り出す。そして、大事なことを思い出すのだ。
『テーマ 忘れられない恋』
その文字が目に入った瞬間、小さなため息が一つ溢れた。
社会人女性がメインターゲットなら恋のCMより使い勝手を売り出した方が良くないか? いつも同じことをしていても変わり映えしないのも事実だろうけれど……。
鮮やかなピンクのチークを手に取り、パカっと蓋を開けば、チークの中に入っているラメが輝いている。今まで何回も商品開発部からお願いされて試し、アンケートに答えた商品。それでも……
「明日のメイクはこれを使うか」
キラキラのチークの蓋を閉めた時、ある過去が一瞬だけ浮かんだ気がした。



