死神元帥に嫁いだ伯爵令嬢ですが、思いのほか溺愛されています

「……私は君と会って初めて他者に興味を持って好意を抱いたし、誰かを大切にしようと思えた。多くの命を奪った男が、今さら人の愛を求めるなど図々し話かもしれない。それでも私は君に笑っていてほしいし、安全な場所で私だけを見て、幸せそうにしていてほしいと願ってしまう」

「……はい」

 それは言葉通りの願いにも聞こえたし、「頼むから危ない事に巻き込まれるな」と心配しての願いにも思えた。

「……つけ加えるなら」

「はい、なんでもします」

 シャーロットはまだギルバートの望みを聞けるのかと思い、目を輝かせて夫を見つめる。

 忠犬のようなその姿を見ると、お尻にフサフサの尻尾が生えて、勢いよく左右に振っているように思える。

 ギルバートはそんな妻を見て静かに笑い、優しく頭を撫でた。

「どうか私を愛してくれ」

「……はい!」

 ――それでいいのなら。

 夫の無欲とも思える願いを聞いたシャーロットは、ギルバートの頬を包むとそっとキスをした。

 そのあとシャーロットは彼の両頬、額、鼻先、そして両目蓋に唇を落とす。

 ギルバートは妻が己の醜い目元に美しいキスをした瞬間、得も言われぬ快楽を得る。

「ところで、怖くて聞けなかったのだが、男たちに乱暴されていなかったか?」

 夫が「怖い」と言ったのを聞き、シャーロットは喜びを得てしまった。

 誰もが恐れる死神元帥が、自分を失うかもしれない事に恐怖すら抱いてくれた。

 それは、彼に大切にされている何よりの証拠だ。

「大丈夫です。私、ずっと気を失ったふりをしていました。意識がなければ相手も興味を持たないだろうと思って」

「シャルは賢いな」

 ギルバートに褒められて頬にキスをされ、シャーロットは「えへへ」と緩んだ笑みを浮かべる。

「体には触られていないか?」

「ほんのちょっとだけ……」

 つい本当のことを口走ってしまったシャーロットは、ギルバートの目がギラリと光ったのを知らない。

「どこだ?」

 ギルバートは唇を離し、正面から妻を見据える。

「え……と。いやらしく触られたとかではなく……」

「消毒するから。どこだ?」

「胸をつつかれたり……。腰や太腿を撫でられただけです」

「十分いやらしいじゃないか」

 ギルバートはスゥッと息を吸い込って天井を仰ぎ、片手で口元を覆うと「殺してやる……」と呟く。

 だがすぐに気を取り直すと、真面目な顔で妻を覗き込んだ。

「……他にいやらしい事はされなかったか? コルセットを脱がされたり、脚を開いてその奥の」

「されていません!」

 シャーロットは夫の頭の中で自分がどんな破廉恥な姿になっているか想像し、赤面して大きな声を上げた。

 すぐに反省した彼女はボソボソと言い訳する。

「……と、とにかく……。ギル様に顔向けできない事にはなっていません。確かにギル様以外の男性に肌を晒したのは事実ですが、不貞を働いてはいません」

「……良かった」

 ギルバートはホッと息を吐き、改めて〝消毒〟を始めた。

「明日は一日、屋敷を出るんじゃない」

 そう言ってギルバートはシャーロットの首筋から肩、デコルテとあますことなく舐め、キスマークをつけていく。

「ん……っ、あ……、つよ……い」

 皮膚に歯を立てるほど強いキスマークをつけられたシャーロットは、顔を仰のけて唇を震わせる。

 そのあとギルバートは後ろから妻を抱き締め、うなじにキスをしてきた。

「本当に心配した。胸が張り裂けそうになって弱気になり、君がいない世界を想像してしまった」

 自ら孤独の世界に身を置き、それでいいと言っている人が弱音を吐いている。

 その気持ちだけで十分だと思ったシャーロットは、優しく夫の手を握った。

「私はずっとギル様のお側にいます。お子だって授かりたいですし、やりたい事だって沢山あります。……もう大丈夫ですよ」

 シャーロットが夫の手をとって甲に口づけると、ギルバートは小さな声で「無事で良かった」と繰り返した。

 彼はしばらくその体勢のまま、妻を抱き締めていた。

 背を向けているシャーロットは、夫がどんな顔をしているのか見えない。

 彼は嗚咽しないし、ただ不安と恐怖を堪えているだけだろう。

 そう思っていた時、肩に温かな雫が落ちた気がして、ハッとする。

「……ギルさま?」

 肩に感じた雫は、もしかしたら夫の涙かもしれない。

 しかし夫は何も言わず、同じ体勢のままシャーロットを抱き締め続けている。

 そんな不器用な夫が愛しく、抱き締めて「もう大丈夫ですよ」と言ってあげたくてならなかった。

 やがてギルバートはポツリと言った。

「……もう二度と離さない」

 ギルバートは自らに誓い、もう一度シャーロットの肩に口づけると、指先で彼女の胸元にできた傷に触れた。

 その傷は、死神元帥と呼ばれた男の過失そのものだ。

「もう二度と、君に怖い思いはさせない」

 自らに誓いを立てたあと、ギルバートは十分に温まってからシャーロットを抱いてバスタブから上がった。



**



「ん……、……ぅ、……あ」

 夢の中、シャーロットは無数の手に撫でられてうなされていた。

 手の感触が気持ち悪くて振り払いたいのに、亡者の手のようなそれは彼女を闇の中に引きずり込もうとする。

 ――あぁっ!

 悲鳴を上げたシャーロットは闇色の沼に引きずり込まれる。

 必死に手を伸ばして顔を出した時、鋭利な刃物が目に映った。

 刃物の切っ先が胸元に当たり、スゥッと動くと彼女の肌を音もなく切り裂いていく。

 温かい血が溢れ始めた事に耐えられなくなったシャーロットは、父からもらった指輪の蓋を開いて毒を舐めた。

 すると、途端に全身が冷たくなり、意識が遙か上へ飛んでいって世界が変わる。

 鳥のように空を飛んだシャーロットは、墓地に佇むギルバートを見つけた。

 悲痛な顔をした彼は、妻の名前が刻まれた墓石の前で膝をつき、何かを呟くと短剣を抜く。

 そして迷いなく、短剣を己の喉に突き立てた――!





「きゃあああぁあぁっ!」

 夜中、シャーロットは悲鳴を上げて飛び起きた。

 彼女は全身に冷や汗をかき、胸をバクバクと鳴らしている。

 体は酷く震え、意識は混乱し、自分が今どこで何をしているのか分からない。

「大丈夫か?」

 混乱していた時、力強い腕に抱き寄せられ、フワッと嗅ぎ慣れた香水の匂いが鼻腔をかする。

「……あ……」

 ――ギル様がいる。

 安心したシャーロットはボロッと涙を零し、夫にすがりついた。

 何を言わずとも、ギルバートは妻が誘拐された時にまつわる、悪夢を見たのだと察したようだった。

「すまない。本当に怖い思いをさせたな。もう大丈夫だ」

 何度も背をさすられ、シャーロットは気持ちを落ち着かせていく。

「……もう大丈夫です。少し悪い夢をみただけですから……」

「疲れているかもしれないが、明日は私の側にいなさい」

「でも、お仕事の邪魔をしてしまいます」

「君が安心できる環境を作るほうが大切だ」

 シャーロットは夫の優しさに感謝し、また涙を流した。

「ギル様……、優しい。……好き」

「私はずっと側にいる。安心しなさい」

「……毒を舐めなくてよかった」

 妻がポツリと呟いた言葉を聞いたギルバートは、胸を引き裂かれるような思いを抱いた。

 誘拐されて死の恐怖に怯え、恥ずかしい目に遭わされただけでなく、そんな覚悟までさせてしまっていたとは――。

 一国の元帥とあろうものが、妻一人守れないなんて、いい笑い物だ。

 ギルバートはその屈辱を押し殺し、努めて優しい声で言った。

「こうして抱き締めているから、ちゃんと寝なさい」

「……はい」

 夫の声も匂いも、大きな手も温もりも、すべてがシャーロットを落ち着かせてくれる。

 また悪夢をみないだろうかという不安はあったが、夫が側にいてくれるなら大丈夫だと思えた。



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