最後の火花を、君と

 四月の光は妙に白い。

 段ボールに囲まれた六畳の部屋は、もう「わたしの部屋」という感じがしなかった。カーテンを外した窓から午後の日差しが真っ直ぐに入り込んで、フローリングの傷や壁の画鋲の穴を容赦なく照らしている。五年間住んだ部屋の、知らなかった素顔みたいだった。

 ガムテープを引き伸ばす音が、がらんとした部屋にやけに響く。台所用品、書籍、冬物の衣類。ひとつずつ箱に詰めていくたびに、この部屋で過ごした時間が少しずつ軽くなっていく気がした。転職先は隣の県で、来週にはここを明け渡す。感傷に浸っている暇はないはずだった。

 押し入れの天袋に手を伸ばしたとき、見覚えのある紙袋が奥から出てきた。

 中身は浴衣だった。紺地に白い撫子(なでしこ)の柄。去年の暮れに母が「もう着ないなら処分するけど」と電話をよこして、「送って」と言ったきり、しまい込んでいたものだ。

 畳紙(たとうし)を開くと、淡い樟脳(しょうのう)の匂いがした。もう何年も袖を通していないのに、帯の端だけがわずかに色褪せている。母がずっと箪笥に入れていたのだろう。わたしは手を伸ばし、きっちり巻かれた帯をほどいた。

 ――ひらり、と。

 帯の間から、小さく折りたたまれた紙片が落ちた。

 膝の上に落ちたそれを拾い上げ、開く。大学ノートから丁寧に切り取られた一片。几帳面な文字で、一行だけ書かれている。

『藤野さんへ』

 その下には――何もなかった。白紙だった。

 指先が震えたわけではない。涙が出たわけでもない。ただ、呼吸がひと拍だけ、止まった。エアコンのない部屋を、四月の風がカーテンレールの金具を鳴らして通り抜けていく。

 瀬川(せがわ)くん。

 声には出さなかった。十年間、声に出したことはない。それでもその名前を心の中でなぞった途端、樟脳の匂いの奥から、もっと古い夏の気配が立ち上がってきた。アスファルトの熱。蝉の声。信号待ちの横断歩道で、隣に立っていた誰かの影。

 わたしはメモ用紙を両手で持ったまま、段ボールの谷間にゆっくりと座り込んだ。

 あの夏の話をしよう。誰にも話したことのない、わたしだけの――線香花火みたいに灯って、線香花火みたいに終わった、十七歳の夏の話を。