あの夏の私が、すくえなかったもの

 〈数学の課題多くね?〉
 〈今日の体育、男女合同だな〉
 それ以来、放課後や朝に、壱生くんから何気ない連絡が届くようになった。
 朝と夜に一通ずつくらい。不思議と途切れない会話が、いつの間にか、ささやかな楽しみになっていた。
 それでも、教室の中での距離感は変わらない。
 新しい学校になっても、クラスの盛り上げ役にいる姿は、夏祭りの日に感じた距離と同じように遠くて。
 莉子と話しているのを時々見かけるけれど、私はいつも、少し離れた場所から見ているだけだった。

 「今日の音楽、教科書いるよね!」
 莉子の声にハッとして、私は教室後ろのロッカーに教科書を取りに行った。
 ちょうど振り返ったところで、同じくロッカーに来た壱生くんと視線が合う。
 毎日連絡をとっているからか、入学してすぐのような気のせいという感覚はなくて。
 どこかイタズラに笑っているようにも見える微笑みは、私の心を鷲掴みにする。
 私は逃げるように目を逸らして、教科書を抱きしめたまま自分の席へとガタンと座った。
 タイミングを見ていたかのように、机の上に置いていたスマホがブーっと机全体に振動を与えて、私は肩を震わせる。
 表示された通知に、反射的に振り返りそうになったけれど、ぎゅっと堪えきった。

 〈逸らすなよ笑〉
 顔に熱が集まっていくのがわかって、私は横髪に落ち着きなく触れる。
 「どうかした?なんか顔赤くない?」
 移動のために私の席にやってきた莉子に、私はブンブンと首を左右に振った。
 「なんでもない、早く行こ!」
 ガタッと立ち上がった私に、莉子は不思議そうな顔をしていた。

 〈学校で送ってこないでよ〉
 音楽室の机に肘をついたまま打ち込むと、送った直後に、すぐ既読がついた。
 〈だって紗夏ちゃん、無視すんだもん〉
 〈メッセージだったらこんなに話してくれるのに〉
 立て続けに送られてきた内容に、指が止まる。
 ……それは、だって。文字なら、考える時間があるし。メッセージだと、話しやすいんだもん。
 何も打ち込めず困っていると、さらにもう一通が通知を鳴らす。
 〈ま、俺だけが知ってるみたいでなんかいいけどね〉
 そのメッセージを見た途端、また、自分でもわかるくらい、一瞬で顔に熱が集まった。
 スマホで口元を隠したまま、そっと視線を向ける。
 楽しそうに話している集団の中で、彼の目がほんの一瞬だけこちらを捉えた。

 〈そういう冗談やめてください〉
 〈え、こっち見たよね、嬉しい〉
 ほとんど同時に送ってしまって、画面の中のやりとりが、少しだけ噛み合わなくなる。
 いつもは時間を置いて連絡しているから、珍しい現象に、思わず小さく笑ってしまった。
 見られているかもしれない、という意識が追いついて、慌てて表情を引き締める。
 遠くから、イタズラな笑顔が見えた気がしたけれど、私は気付かないふりをした。