あの夏の私が、すくえなかったもの

 〈やあ〉
 見慣れないアイコンからそんなメッセージが届いたのは、入学してから二週間が経った放課後のことだった。
 莉子とはもちろん、同じ中学の子と改めて仲良くしながらも、席の近い子たちとは少しずつ打ち解け始めて。
 慣れないブレザーが、少しずつ肌に馴染んできた頃の、放課後だった。

 「その髪、どうやってやってるの?」
 思いがけないメッセージに固まっていた私は、目の前にいたみどりちゃんの声に慌てて顔をあげる。
 閉じたスマホは、隠すように下を向けて机に押し付けられた。
 中学時代に吹奏楽部で一緒だったみどりちゃんは、ストレートで伸ばされた髪に触れながら私の髪型を見つめていた。
 「簡単だよ。ここ座ってみて」
 そう言って席を立ち、代わりにみどりちゃんを座らせる。
 朝練があった中学時代とは違って、朝の時間が増えたので、私は髪型のアレンジを楽しんでいた。
 「こうやって一回くるってしてから〜」
 髪の束を両側からねじって集めて、軽く止めただけのハーフアップを作る。結んだ後に軽く髪を崩せば、私と同じ髪型は簡単にできあがった。
 みどりちゃんは手持ちの鏡を見て、嬉しそうに頬を綻ばせる。
 「すごい!明日やってみようかな」
 「いいじゃん、おそろいにする?」
 そんな風に微笑み合う放課後はポカポカしていて温かい。
 運動神経抜群の莉子は運動部に入るだろうから、一緒にはいられないことを少し不安に思っていたけれど、莉子がいなくてもこんな時間を過ごせていることに安心した。

 ブー、と机が振動を伝えて、私たちは顔を見合わせる。
 「通知、大丈夫?」
 みどりちゃんの声に、スマホは見ないまま私は曖昧に笑顔をつくった。
 「大丈夫。でも、そろそろ帰ろうかな」
 「そうだね。また明日ね」
 彼女と別れて、一人で校舎を後にした。しばらく静かに歩いてから、ポケットの中でずしりと重みを伝えていたスマホを手に取る。
 夜の街灯の下で、笑っている一瞬を切り取ったような男の子のアイコンは見慣れなくて、どくんと大きな音を立てた。
 画面に表示されていた名前は「壱生」
 少し前に送られてきた〈やあ〉という何の内容もない連絡のあと、もう一件が追加されている。
 〈何部、入るの?〉
 返しやすい内容にほっとした。でも、たったの数分前の連絡にすぐに返すのもなんだか落ち着かなくて。
 そのまま画面をオフにして、私は足早に家へと向かった。

 帰り道の脳内は、そのメッセージのことばかりで。返す内容なんて決まっているのに、変に文面を悩んでいるうちに、気づけば家にたどり着いていた。
 自分の部屋に入って改めてスマホを開いた私は、小さく息を吸い込んで、そのメッセージをタップした。
 〈帰宅部のつもりだよ〉と打ち込んで、送信ボタンの上で指が止まる。
 なんで、入学してから一度も話したことのない私に、急にメッセージを送ってきたの?夏祭りの日のことは覚えているの?
 気になることはたくさんあったけど、平然を装うのが一番な気がして、その一文だけを送った。
 悩み抜いた返信には、すぐに既読がついて、私は慌ててメッセージアプリを落とす。
 〈そうなんだ。俺はサッカー部。ちなみにマネージャー募集中〉
 ダンスをしている男の人の絵文字がついてきて、思わず私は目を丸くした。
 イケメン揃いだと、入学してすぐに噂になっているサッカー部。似合うなと他人事で思いつつ、マネージャーの件は、軽く聞き流すことにした。