あの夏の私が、すくえなかったもの

 開け放たれた教室の窓から入り込む春の風が、カーテンをふわりと揺らしていた。柔らかく巻いた髪がふわふわと揺れて心地よい。
 新学期から、窓際の一番後ろという良い席をもらった私は、そよそよと揺れて花びらを落とす桜の木を見つめた。
 〈うちらは無事同じクラスだったよ〜!〉
 この春から別の高校に入学した悠里と野々から、四人のグループメッセージに連絡が届く。
 同じタイミングでスマホを確認した莉子が嬉しそうに顔をあげて微笑んだ。

 新しいクラスのざわめきは、まだよそよそしくて、どこか落ち着かない。
 私と莉子は、歩いて十分程度の高校に進学した。中学からも近いので、半分くらいは変わらない顔ぶれなのが救いだった。
 隣の席になったのも中学で親しくしていた将吾で、ほっとしている。慣れなさそうにネクタイに触れる彼と視線が合った。
 「紗夏が隣だと、中学のままみたいで安心するわ」
 考えたことが伝わったように、将吾はそう言って目を細める。
 「わかる。最近まで席近かったもんね」
 安心する見慣れた笑顔に、私も眉を下げて笑った、ちょうどそのときだった。

 「A組みっけ!」
 廊下から鮮明に聞こえてきた明るい声に、何気なく視線を向けて、心臓が大きな音を立てた。
 この春から着ることになった真新しいブレザー。紺色のジャケットにグレーのチェックパンツ。赤色のネクタイは、さっそくすこし緩められている。
 髪色は、あの頃よりは少し落ち着いて見えたけれどやっぱりどこか色素が薄いような気もして……。
 見間違えるはずがなかった。
 去年の夏、たった一言で、私の記憶に深く残ってしまった人。

 ーー『さっき、いちご飴、見てたでしょ』

 ずっと忘れられなかった声が鮮明に頭に響いて、一瞬で、あの夏の夜を思い出してしまう。
 「壱生じゃん!まさかA組?」
 「え!莉子も!?小六ぶりじゃん〜!」
 入り口まで駆け寄って行って笑い合うふたりは、やっぱり隣に立つのが似合う。
 内側から指で押されるようにぎゅっとなる胸を抑えて、私はその二人を見つめていた。
 一瞬、莉子の頭越しに、目が合った気がした。
 時間が止まるみたいに、音が遠のく。
 けれど次の瞬間、何事もなかったみたいに視線は逸らされて、簡単に、元のざわめきの中に戻された。
 はっとした私は、火照る頬を隠すように俯いて教科書に触れる。
 もう半年以上も前のことを覚えているわけない。あの日のことを、ずっと引きずっているのは、きっと私だけなんだから。