あの夏の私が、すくえなかったもの

 私たちは、何も変わっていないはずだった。
 学校でも、当たり前みたいに隣にいて、たまにからかわれては照れたように笑い返す。
 周りから見れば、きっと何も変わっていない。
 付き合い始めた頃と同じように、私は、明るくてどこにいても目立つあの人の彼女。
 ——でも。
 それは、本人たちにしか分からないくらいの小さな違和感として、確かにそこにあった。

 「帰ろ」
 席まで来た彼が、いつもと同じ調子でそう言う。私は顔を上げて、曖昧に微笑んだ。
 「……うん」
 昼に聞いた先輩たちの声が、まだ耳に残っていた。
 ——引退したとき、まだ好きでいてくれたら。
 中庭で見たお似合いの二人の姿も、頭の奥に、こびりついたまま離れない。
 先に廊下へと歩き出した後ろ姿を、私は小走りで追いかけた。

 コンビニで買ったお菓子が、ビニール袋の中で踊り回る。それを片手にぶら下げて、私たちはいつもの公園へ向かった。
 夕方の空気は冷えていて、頬に当たる風の感触も、夏より冷たくなっている。
 公園に入っていつも通りに話していても、胸の奥でじわじわと広がっていくものは抑えきれなかった。
 やがて、耐えきれなくなった私は数歩前の彼に駆け寄って、そのままぶつかるように抱きつく。

 「……紗夏?」
 誰に見られるかもわからない、通学路の公園だったけど、そんなこと、全く気にならなかった。
 その腕はすぐには返ってこなくて、その事実にさらに不安は大きくなっていく。
 私は背伸びをして、彼の首に腕を回した。そのまま、彼がいつもしてくれるように、首を傾けて唇に触れる。
 数秒経って、目を開けると、彼は目を開けたまま驚いたように固まっていた。
 「どうしたの……」
 キスをしたあとの、照れたような優しい笑顔が見えなくて、苦しいくらいに息が乱れていく。
 「好きだよ……」
 私は、震える声で小さく呟いた。
 「私、ちゃんと……。ちゃんと、大好きだよ……っ」
 喉が震えて、言葉が、うまく繋がらない。ポロポロと流れ出してしまった涙に俯く。
 ーーお願いだから、一緒にいて。
 私を好きなままでいて。
 重たすぎる気持ちを言葉にできないまま、ただ必死にすがる思いで、彼の制服を握りしめた。

 「……壱生の家に行きたい」
 服をぎゅっと握ったまま、広い胸に頭をこつんとぶつける。
 「今度はちゃんと、拒まないから……っ」
 少しの間があったあと、彼は私の肩に優しく触れて、そっと体を離した。
 「無理しなくていいって」
 諭すように落とされた声は、苦しいくらいに優しくて私の道を塞いでいく。
 「気にしてないから」
 その一言で、全部が、崩れ落ちていった。

 これが、今の不安から解放される唯一の方法だと思ったんだ。
 受け入れてもらえなかったら、それなら私は、どうすれば、あなたと一緒にいられるの。
 行き場をなくした不安が、一気に溢れ出す。
 喉の奥が締まって、息がうまくできなくて。
 困ったように背中を撫でてくれる彼に、私は何も言えないまま、ただただ、泣き続けることしかできなかった。