あの夏の私が、すくえなかったもの

 長袖に変わり始めた制服の袖口を指で整えながら、私は教室のざわめきをぼんやりと眺めていた。
 「惜しかったよなー」
 「でも全国出場ってだけですごいよ」
 教室の中心では、バスケ部の話題が広がっている。
 今年のバスケ部は、全国大会に出場した。その活躍は学校中の話題となって、初戦敗退、という結果にはみんなが肩を落としたけれど、それでも十分すぎる結果だった。
 誰かが「先輩たち引退かあ」とぽつりとこぼす。
 「先輩たち、引退かあ」
 そんなひと言を聞いた紘くんが、ちらりと壱生くんを見る。一瞬だけ私とも目が合ったけれどすぐに逸らされた。
 そして、小さく残った違和感の意味を、私はすぐに知ることになる。

 渡り廊下の扉を開けて外気に触れた瞬間、少しひんやりとした風が頬を撫でる。中庭の木々は、ところどころ色を変え始めていて、季節の移り変わりを静かに知らせていた。
 何気なく中庭に視線を向けて、私は静かに足を止める。
 ーー壱生くん?
 ベンチに腰掛けた彼は、ショートカットの女子生徒と並んで座っていた。
 笑顔のふたりの間にあるやわらかい雰囲気は、距離があっても嫌というほど伝わってくる。
 夏祭りの日に見た、あの距離とは違う。入り込む余地なんて全くない空気に、動けなくなった。
 二階から見下ろすこの距離が、やけに遠い。
 不安に耐えられなくなった私は、視線を逸らしてその場から背を向けた。

 「あれ、華月じゃない?」
 ちょうど前から歩いてきた先輩たちの声が、耳に入り息が止まる。
 「ほんとだ。隣にいるの壱生?」
 「まだ付き合ってたっけ?」
 逃げるように校舎の中へ戻ったけれど、ふたりを眺めるように立ち止まった彼女たちの声は、一枚のドアでは筒抜けだった。
 「別れたじゃん。華月がバスケに集中したいって」
 「あーそうだ。壱生も結構粘ったんだよね」
 胸の奥が、どくんと音を立てる。聞きたくないのに、足は動かなくて、私はそのまま扉に手をつけてしゃがみ込んだ。
 「引退したし、また付き合うのかな」
 「彼女いるしそれはないんじゃない? でも、華月に聞いたんだけどさ」
 震える指先を抑えるように、ぎゅっと両手を口元で握る。
 「引退したとき、まだ好きでいてくれたら付き合おうって話してたんだって」
 私は反射的に立ち上がって、階段を、勢いよく駆け下りた。
 息がうまく吸えなくて、でも止まったら全部こぼれてしまいそうで、そのまま足を動かし続ける。

 ーー私の方が、邪魔者だった。
 そんな真実、知りたくなんて、なかった。