あの夏の私が、すくえなかったもの

 夏休みが終わる頃には、私たちは学年でも知られるくらいのカップルになっていた。
 どこにいても、彼は当たり前みたいに私の名前を呼ぶ。揶揄うように集まる視線に戸惑っていたはずなのに。
 隠そうとしない彼の隣にいるうちに、そこが、私の落ち着く場所になっていた。

 人がいなくなった放課後の教室は、昼間の騒がしさが嘘みたいに静かになる。
 開け放たれた窓から入る風が、カーテンをゆっくり揺らす中、壱生くんは珍しく机に突っ伏していた。
 本当ならとっくに部活へ向かっている時間で、グラウンドからはボールの音が聞こえている。
 「つかれた……」
 廊下側の自分の席で、そう呟いた彼に私は眉を下げる。
 「六限でしょ。だいぶ揉めたもんね〜」
 隣に座ると、彼は顔だけこちらに向けて、小さく息を吐いた。

 六限に行われた後期の委員会決めの時間は、誰もやりたがらない役を押し付け合う良くない空気が教室に広がっていた。
 前期に学級長を担当し、唯一対象外だった壱生くんは、空気を悪くしないように気を遣いながら、なんとかまとめあげたのだ。
 「まあな」
 何気ない動きで髪に触れられた。指先がやわらかく通り抜けていく感覚に、目を閉じる。
 抵抗する理由もなくて、されるがままになっていると、小さく声が落ちた。
 「かわい」
 驚いて目を開けると、彼は机に置いた肘で体を支えながら少しだけ起き上がり、ぼそりと続ける。
 「紗夏といるときが、一番落ち着くわ」
 その言葉に、胸の奥で何かが静かに揺れた。
 教室で見せる、明るくて、誰にでも同じように笑いかける顔とは違う。力の抜けた、無防備な表情。
 「癒される〜〜」
 ぐしゃぐしゃと髪を乱されながら言われたその一言に、胸の奥がきゅっと締まっていく。
 ずっと、裏表なく、太陽みたいな人なんだと思っていた。誰の前でも同じように明るくて、中心にいるのが当たり前な人。
 その人が、こんなふうに力を抜ける相手になれていることが、うまく言葉にできないくらい嬉しかった。