あの夏の私が、すくえなかったもの

 その日は、お昼休みになってもなんとなく気持ちはモヤモヤしていた。
 窓から見える沢山の桜の木はもう新緑に染まりつつある。
 メッセージには、もう見慣れてしまったアイコンから何か通知がきていたけど、開かないまま無視をしていた。
 時間が経つほど、朝の光景が、じわじわと胸の奥に残っていく。
 特別じゃないことなんて分かっていたはずなのに、気付かないうちに勝手に意味を持たせて、期待しかけていた自分が恥ずかしかった。
 もやもやとする気持ちを抑えるように肘をついて窓の外を眺めていると、隣の席から声がかけられた。
 「ゴールデンウィーク、来れるよな?」
 スマホのトーク画面を開いて見せてくれる将吾に、ふわっと心が和らいでいく。
 見せられたグループメッセージは中学一年生で同じグループになってから仲良くしているメンバーのものだった。
 「……やっぱ、南中はいいね」
 ぽつりと呟くと、彼は首を傾げる。
 私たちの中学は、男の子も女の子もなく、割とみんなで仲が良い校風だった。だからか、付き合っている人なんてほとんどいなくて、恋愛ごととなると急に弱い人が多いのだけど、それもどこか心地が良かったことを思い出す。
 「急にどうした」
 優しく笑うその顔に、朝から強張っていた肩の力が抜けた。
 「なんでもない。もちろんいけます」
 両手の指を合わせて丸を作ると、彼も「おっけー」と言いながら同じ丸を作る。
 中学の頃と変わらない距離に、自分の居場所を再確認したような気持ちになって、頰を緩めた。

 休み時間の終わり、いちごミルク味のジュースを手に戻ってきたときだった。
 扉に手をかけて引いた、その瞬間。
 「うわっ」
 ほぼ同時に声が重なった。
 目の前にいたのは壱生くんだった。肩がほんの一瞬だけ触れて、その瞬間に身体中が熱を持った。
 思ったよりもずっと近い距離に、心臓が大きく音を立てたけれど。
 すぐに、朝の感情を思い出して、わざと距離を取るように、一歩引いた。
 「……ごめんなさい」
 他人行儀な言葉で、そのまま横をすり抜けようと下を向く。
 「髪、可愛いじゃん」
 すれ違いざま、そんなひと言が落とされた。
 思わず足を止めて、顔をあげる。視線の先には、頭ひとつ分くらい高い身長で、こちらをイタズラに見下ろす彼の笑顔があった。
 メッセージにある「笑」という文字とも、遠くで一瞬だけ合う視線とも、違う。
 間違いなく私に落とされているその笑顔に、一拍遅れて、熱が一気に顔に上がった。
 さっきまで胸の中にあったはずのもやもやが、あっけなく消えていく。
 ……分かってるのに。
 私じゃ、届くはずのない人なのに。
 たったの一言で、全部ひっくり返されるくらいには——私、もう。
 「……そういうの、やめてってば」
 なんとかそう呟いて、逃げるように教室に戻ると、席の近くで立っていた莉子と目が合った。
 「……どうしたの、その顔」
 全部見透かされているような意地悪な口角に、私は小さく唇を噛んで莉子を睨みつけた。