映画館を出たら高く上った日差しが眩しくて、お昼は回った時間だった。
「腹減った~。みなとみらい移動して飯食べる?」
「お前が行きたかった店ってどこだ? そっち寄らなくていいのか?」
そうでした。そういう設定でした……。わざわざ横浜の映画館に寄った言い訳を俺が寄りたい店があるってことにしてたんだった。
「じゃあ、そこ……。少しだけ寄ってから移動して、赤桐が探してくれた店行こう」
俺も色々考えたんだ。沢山店舗がある服屋とか本屋とかだと、わざわざ何で?ってなるし、かといってそこにしかないブランドとかになると、今月はもう服買っちゃってるからさらに買い足すには予算が足りなくなる。
それでまあ、赤桐にだったら知られもいいかなっていう俺の趣味丸出しの店に連れていくことにした。
重たいガラス扉をぐっと引く。中に入ってみると癒し系のオルゴールの音楽がかかっていて、キラキラとした水晶や色付き石のタンブルが硝子の器に入って盛られている。どこもかしこも眩くて綺麗なものばかりが飾られた美しい空間だ。
「ここ……」
「あー。俺。天然石とか化石とか恐竜とか、そういうのが好きなんだよね」
化石とか恐竜も好きなんだけど、その辺は言い訳的につけ足してる。男でこういうキラキラ系の天然石の店が好きとか、珍しい趣味だから今までわざわざ友達とこの手の店に来たこともない。
明らかにスポーツやっていそうなガタイのいい赤桐と、高校生丸出しの俺。店の中に入ると、不釣り合い空間過ぎて、母さんぐらいの年齢の女の人達からいきなり注目を浴びてしまった。
「どうぞゆっくりご覧くださいね」
店員さんから柔らかな声をかけられて俺は慌てて会釈した。
「お前、こういうのが好きなんだな」
「うん」
(引いたかな?)
ちょっと気になったけど、赤桐は物珍しそうに店内を見渡してる。長身過ぎて上から吊るされてるモビールやサンキャッチャーに頭が当たりそうだ。
「よかったら今日はあちらでブレスレットづくりのワークショップを開催してますよ」
流石に自分でブレスレットを作ったことはないけど、こういうところなら好きな石を使って作ることができる。それは結構興味が引かれる。
「気になるか?」
ちらちらと向こうを伺っていたら、赤桐が俺の返事より先に前に立って奥のテーブルに向かっていった。先客が先に二人いて、小柄で優しそうなお姉さんと一緒に石を台の上に並べているところだった。
「まだお席空いてますよ。お二人一緒ならならペア割りもありますよ」
「ペア……」
正直気になるけど、これからご飯も食べるし観覧車代だって結構高い。俺はやってみたいけど、ともかく赤桐は興味ないだろうしって横を見たら、赤桐が注意書きと料金表に目を通していた。
「参加します」
「え? いいの?」
「これ、やりたくて来たんだろ?」
察し良すぎて神! ワークショップやってたのは知らなかったけど、やってみたい。
「どうする?」
「やりたい……、です」
お店のお姉さんも参加してるおばさんたちも、俺たちのことをほほえましー、みたいな目で見てニコニコしてる。
「じゃ、そこのお席に座ってくださいね」
俺達は並んで机に付いた。テーブルの上には色とりどりの石がプラスチックのケースに所狭しと並べられてる。
「これさ、本当にこんな色なのか? 着色じゃなく?」
「着色って書いてあるの以外は天然の色だと思うよ」
「そうか……。地球すげぇな」
赤桐の台詞に後ろに居るっぽいクミと同席してた人達から明るい笑い声が起こった。
「それな。てかそれ俺が小学生んとき言ったのと感想一緒!」
「小学生と一緒にすんのか?」
「いや、素直だってこと」
またクスクス笑い声が起こって、和やかな雰囲気だ。お姉さんが俺達の手首周りの大きさをはかってくれて、続けて目の前にトレイみたいなものを一つずつ置いていった。
「これがデザインボードっていって、自分の手首周りのサイズが書かれているところにある溝に石を置いて行ってもらいます。オベロンゴムを通すのはその後です」
確かにこうして溝のところに置いていくだけなら簡単だ。俺は立ち上がってビーズを上から眺める。赤桐はそのままの姿勢で動かない。
「選ばないのか?」
「これ……、お前がくれたストラップについてた石はどれだ?」
赤桐がスマホを取り出して、石を抱いた白猫のストラップをみんなの目の前に出した。
「ああ、これ。『桜アゲート』ってありますか?」
「あら、詳しいのね。石はお好き?」
「小さい頃、お守り代わりに渡されてから石にハマったって言うか……」
そう、文字通りのお守りだ。今もスマホにつけている。小さい頃オバケが見える怖いよと頻繁に泣いてた俺に、母さんがどうしたもんかと神社のお守りを渡してくれた。そこに小さな石がついてたのが俺が天然石に嵌ったきっかけだ。
「そうなのね。せっかくなら桜アゲート入れたいわよね。8ミリ玉ならあった気がしたけど」
お姉さんが店内に歩いて行って、硝子の器に入っていた石を持ってきて赤桐に手渡した。
「これ、『桜アゲート』っていうのか?」
「あのね。アゲートっていうのは『瑪瑙』の一種だよ。瑪瑙は石英の一種」
「……? なるほど?」
「瑪瑙自体は結構有名で珍しくはない石だよ。だけどこれは桜みたいな柄が入っているからちょっとだけ珍しい」
「まあ、言われてみてそう見えるな」
「そうだろ? ……これ使う?」
「あら、ストラップに桜アゲートが使われてるなんて珍しいわね。作ってもらったの?」
「これは……。こいつから貰ったもので」
「そうなのね。珍しい石を使っているのね!」
石に詳しい人と話をする機会はあまりないので、俺の説明にも何となく熱がこもってしまう。
「そうなんですよ! もとは良くいく雑貨屋さんのオリジナルガチャガチャの景品です。これシークレットで入ってて、大当たりだったやつなんです。桜アゲートと、目がオッドアイの白猫」
「そうなの。すごく大切なものをあげるなんて。友達想いなのね」
赤桐が石から目線を上げてこっちを見てきたから、俺は恥ずかしくなってきょろきょろしてしまった。
「桜アゲートの石の意味は色々あるけれど心を開いたり、癒したり、前向きに生きるとかいい意味があるわ。あとは、魔よけとか」
桜アゲートの入った小さな器を眺めていた赤桐が、ぴくっと顔を上げた。
(魔よけの効果もあるのか。欲しいかも)
「お前、意味分かっててこの石、俺に渡したのか?」
「え、いや……。石はたまたま! どっちかっていえば、お前んちの猫に似てたからだよ」
「そうか」
(まあ……。なんかあの時、赤桐が落ち込んで見えたんだよな。気のせいかもだけど。これあげたら元気出るかなあって思ったんだよな。ただの勘だけど)
それにしてもちょっとレアな石、一粒の値段が俺からしたら結構高い。赤桐から受け取った器に貼られた金額と石をためつすがめつしていたら、店員さんが黒い石や水晶が多めの一袋幾らと大きく値段が書かれた袋を奥から持ってきてくれた。
「これ、ちょっと大きさも透明度もまちまちのものを特価でだしてるから、ベースをこっちの水晶とかオニキスで作っておいて、ブレスレット全体のお値段を調整するといいわよ」
俺達が学生だって分かってて色々気を使ってくださってるみたいだ。
「ありがとうございます。じゃあ好きな石を二つぐらい入れて、後はこれ使わせてもらう?」
「そうだな。もう一つの石は、お前が選んでくれ」
「え……」
『こ、これは大葵君、夕雨とお揃いのブレスを作ろうとしてるんじゃない!! 羨ましいんだけど!』
存在を忘れかけてたけど、正面に回り込んできたクミが目を輝かせながら、口元に手を当ててる。
「もう一つか……」
(赤桐に似合いそうな石)
すっと手が自然と伸びた、オレンジよりの赤い石。
「これがいいかな」
一粒を取り出して、赤桐のトレイに載せた。
「カーネリアン、いい石だと思うわ。古くからパワーストーンとして有名な石ですしね」
「たしか、ナポレオンがカーネリアンで印を作って、持ち歩いていたって聞いたことがあります」
「すごいな。夕雨。もの知りなんだな」
赤桐から褒められると素直に誇らしい気分になれる。
「なんかお前っぽい石だって思ったんだよ。色も『赤』だし。それに……。お前陸上やってるからさ。この石は『勝利』って意味があるんだ」
「……そうか。ありがとうな」
いつもみたいに俺の肩に触れながら、言葉少なながらゆっくり深く礼をいう。赤桐の一言が心に深く沁み込んでくる。
「折角だから、お互いのを作ればいいんじゃない?」
「いいですね。そうします」
更なるお姉さんの提案に赤桐が乗ったので、俺達はお互いのためにブレスレットを作ることになった。赤桐の方が手首が太いから、俺の方が余分にトレーに石を載せる。集中し始めると頭よりも直観力を使って色や配置もバランスよく組みたくなる。赤桐も俺のトレイをちらちらみながら、メインの石の配置は俺を真似るみたいに置いていくみたいだ。
「あら、初めてとは思えないぐらい、上手よ二人とも」
出来上がったブレスレットは、カーネリアンの赤、桜アゲートのピンクがかったライトグレーと、残りは水晶とオニキスの黒。カーネリアン以外はそんなに主張がない色合いだから付けやすそうだ。
「腕、貸して」
サイズを見るために赤桐に腕相撲するような姿勢に腕を曲げさせ、手にブレスレットを通そうとした。なんせ手が凄くでかいから、もたもたしながら何とか通す。ブレスレットと手首の間に俺の指を差し込んで余裕をみる。
「きつくない?」
「いや。ちょうどいい」
赤桐が作ってくれたブレスレットを手に取ったから、俺も黙って腕を差しだした。赤桐も俺の仕草を真似て、俺より太くて長い指を手首とブレスレットの間に入れてきた。
赤桐の指でも二本余裕で入る。そのままの姿勢で俺の手の下に手を添えて、指導してくれたお姉さんに声をかけてくれる。
「これ、どうですかね? 少し緩いですか?」
「ぴったりでつけるか、余裕を持たせるかはお好みだと思いますよ。下にして振って、外れなければ大丈夫ですよ」
赤桐は俺の手を掌にしっかり握ったまま、俺の顔を覗き込んできた。
「夕雨は手首が細いな……。緩いか?」
「え……、どうだろ。ちょっとだけ緩いかも。手首ぴったり目の方がいいかな?」
「すいません。やり直してもいいですか?」
俺はもう一回ゴムに通し直すのは面倒だし、この緩さでもいいかなって即、妥協しようと思ったんだけど、赤桐はそういう性格ではないみたいだ。
「0.5センチ刻みになってるデザインボード使った方が良かったみたいね」
「私もう出来上がったからこっちのを使って」
先に作り終わっていた参加者の人が、自分が使っていたボードを赤桐に回してくれた。
「ありがとうございます」
「その水晶を小さいサイズに二粒変更して大きさ調整するといいと思いますよ」
赤桐の後ろにお姉さんが水晶だけ入ったケースをもってやってきた。仮に通していた透明なゴムを一度引き抜いて、大きな身体を屈めるようにして赤桐は無言でビーズと格闘し始めた。
(赤桐、結構て手こずりながらゴム通してたのに、こういう手間を惜しまないでちゃんとやるとこ、偉いよなあ)
『ちょっと……、大葵優しすぎん? また最初からやり直すなんて、クミなら絶対無理。夕雨愛されてるね』
クミが俺の耳元で俺と似たような感想を囁いて来る。
『あと、この空間なんか気持ちよすぎる。天に召されそう』
クミはオバケジョークをかましながら、ふわんふわんとお店の中を漂っていた。
(愛され……、てるのか?)
大きな背を丸めて頑張る赤桐の手元を隣で見守っていたら、お姉さんが多分誉め言葉として無意識っぽく呟いた。
「二人は本当に仲がいいのね。カップルみたいね」
(カップル……)
俺がどう返答しようかって変に迷って、うんともすんとも言えないでいたのに、赤桐は小さなビーズを頑張って摘まみながら「はい。そうっすね」と呟いた。
否定しないで堂々と流すのが自然で、妙に慌てた自分が恥ずかしくなった。多分、否定されたら否定されたで寂しいって思ってしまったかもしれない。
「どうだ?」
「うん。ちょうどいい」
出来上がったブレスレットをつけて、手首のところを写真に撮らせてくださいって言われたので、折角なので自分たちのスマホでも写真を撮ることにした。
俺と赤桐では骨格自体がまるで違う。写真に写ると俺のひょろりと細い腕のなまっちろさと、筋肉が発達し健康的に日焼けした赤桐の腕の太さは対照的で、でもブレスレットはそのどちらの腕にも似合っているように思えた。
「ありがとう。付き合ってくれて。大葵の分も俺に買わせてくれ」
「いや、自分で払う。それに俺の方が太い分値段上がってるだろ?」
「いいんだ。……こないださ、女子とカラオケで俺がもめてた時、大葵先に帰った女子の分のカラオケ代さらっと払ってただろ。絶対あとから貰ってないだろ?」
「……俺も後から合流したし」
「一時間しかいなかったくせに。だからこれは俺からのお礼。大丈夫。三月沢山バイト入れてたから」
財布を取り出して二人分を支払おうとしたら、大葵もスマホを出してきた。
「じゃあ、お前の分は俺が買いたい。こっちのブレスの分、俺が払います」
大葵はそう言ってスマホでさっさと決裁を済ませてしまった。
「ありがと」
「初めて二人で一緒に出かけた記念だな」
グーにした拳を俺の顔の前に出してきたから、俺もグータッチで返す。レジのお姉さんの方に向き直ったら、口元を拝むみたいな形で覆って「尊い……」って呟いてた。
駅まで戻りがてら甘さマシマシのタピオカミルクティーを飲んで、一旦喉と腹を同時に満たしておいた。
「初、オリジナルのブレス」
電車に乗りなおして移動している間も、嬉しくて、嬉しくて、何度も手元を確認して見てしまう。赤桐は無言で俺と同じように前に腕を持ち上げる。お揃いのブレスレットが俺の目線に入ってきた。
『いいなあ、いいなあ。羨ましい』
本当に嬉しかったから、クミと目が合った時に思わずにっこりしてしまった。
『わあ! ちょっと! ケーブルカーがあるんだけど! なにあれ乗りたい』
(観覧車乗るんだから、予算オーバー、無理!)
手で×マークを作ってこっそりクミに伝えてから、駅から外に出て動く歩道に乗った。観覧車が見えてきたら、それはそれではしゃぐクミとは対照的に、俺の胸にどうしようもなく切ない気持ちが沸き起こってしまう。
(こんなに俺によくしてくれる大葵のこと、騙すみたいにしてキスまでいってもいいのか?)
昼食は遊園地のすぐ傍にあるアメリカンダイナーだった。結構大きめのハンバーガーも赤桐はぺろりと食べ終わる。もちろん俺もお腹が減ってたから、二人してちょっと無言で食べ進める。そしたらクミが『ちょっとガツガツたべすぎでしょ』っていいながらピンクレモネードを飲んでる俺の、余っている方の腕を動かし始めた。
(今度はポテトかよ!)
意地でも言わないぞって思ったのに、首がやや勝手に傾いて、ストローを外した口が勝手に『あーん』とか呟く。映画館とは違ってここは明るい。じんわり汗が背中に滲む。
(うわああ、恥ずかしい。食べるか拒否るかしてくれ!)
赤桐はちょっと目を見張ってから大人しくポテトを大きな口で食べて、またもお返しに俺にもポテトをくわえさせてくれた。
(……ありがとう。お前はいい奴だな。恥ずかしくて死ぬ)
「なあ、夕雨。これって何?」
「え……? なに、とは?」
「こういうことするのって、どういうこと?」
「どどどど、どういうこととは??」
(クミ!!! 赤桐何いってんだ?)
ポテト食べさすことの意味ってなんぞ????
何しろ恋愛偏差値ゼロに等しい俺だ。多分絶対俺より場数踏んでいそうな赤桐のなぞかけみたいな言葉になんて答えていいのか分からない。
真っすぐ見つめてくる赤桐の視線から逃れるように、テーブルに視線を落とした俺はブレスレットをいじくった。
「あ、あの……、いつもほら、購買でパン買ってきて俺に食べさせてくれたりするじゃん。その、お礼、的な……」
(俺に『あーん』とかされんのお礼になるのか?)
「そうか」
顔を上げたら、赤桐は呆れたのかそれとも納得したのか、何とも読み取れない表情になってた。そしてすぐ、遊園地のアトラクションみたいに凝った店の内装の方にすっと視線を反らした。
(俺、なんか変なこと言った?)
恐る恐る様子を伺ってたら、赤桐はコーラを飲んでから俺の方に向き直った。
「夕雨が誰かに何か言われて……、俺の事を揶揄うためにこんなことしてるのかとか、ずっと疑ってた。ごめん」
(すーるーどーいー!!!!)
緊張からだらだらと背中を伝う汗が余計に増えて、俺はもう一度ピンクレモネードに手を伸ばした。ごくっと一口飲んだ。
「どうしてそう思ったの?」
声がちょっと裏返って掠れてしまった。赤桐が腰に手をやって、はーって一度長く息を吐く。それから俺の方を向いて目元を緩め、こっちまで照れたくなるような、見たこともない程甘く優しい笑顔を見せた。
「夕雨が本当に俺の事を好きになってくれたのなら、そんなの夢みたいだなって思ってたから」
『きゃあああああん!!』
俺が叫び出しそうになる前に先にクミが叫んだ。店内中に響き渡りそうな声なのに誰もこっちを見てこないことは不思議なぐらいだ。
(訊いちゃ駄目だ、訊いちゃ駄目……)
必死でそう自分を律しようとしたのにどうしてもできなかった。綺麗な炭酸の泡がしゅわしゅわって次から次に浮かび上がって来るみたいに、とても気持ちを止められなかった。
「お前、俺の事、好きなの?」
しまった、って思った。訊いてどうするんだと。
(赤桐の気持ちを知って、それで俺はちゃんとこいつの気持ちに応えられるのか? こんな騙すみたいなデートを持ちかけて、全然、誠実じゃないのに!)
でももう遅かった。赤桐は迷いなく俺を真っすぐに見つめて言い切った。
「ああ、好きだ」
射貫かれるみたいに強い視線、低いのにちゃんと通る声が俺の胸にどすんってストライクで落ちる。
(こんなの真正面から受け止めるほかないじゃないか)
『大葵! いつから夕雨の事が好きなの?』
「いつから? いつから俺の事好きなの?」
恐る恐る聞いた。赤桐は迷いなく答えてくれた。
「お前が俺にストラップをくれた日からだな」
「それだけ?」
(そんな、たったそれだけの事で、お前が俺なんかの事、好きになってくれたの?)
戸惑う俺に赤桐が両手を膝に置いて背筋を伸ばす。俺もつられて居住まいを正した。お見合いみたいに向かい合い、赤桐は少しだけ間を開けてから続けてくれた。
「俺はちょうどあの頃、色々あって落ち込んでたんだ。お前が励ましてくれて、前を向くことが出来た。……その時からだな。お前の事を意識し始めたのは」
「そうなんだ」
いつもは無口な赤桐が言葉を選びながら、ゆっくり丁寧な口調で話してくれる。
「四月から同じクラスになれて嬉しかったし、今度は俺がお前の助けになれたらって思った。お前は何というか、危なっかしくて、つい手を貸したくなるんだ」
「ああ……ごめん、いつも面倒みてもらって……」
「いや、いいんだ。俺が好きでしている事だ。お前を放って置けないというか……。俺は気が付いたらいつも、お前の事を目で追ってる」
そこまで言い切って、赤桐は自分でも戸惑ったように顎に軽く手を載せた。いつも通り堂々とした佇まいなのに、よく見たら赤桐の耳が少し赤くなってる。それを見て俺も落ち着かない気分になって、またブレスレットの粒を指先で触った。
(おい、そんな顔。反則過ぎだろ。大葵)
赤桐ほどの男にここまで好きだと言ってもらえるなんて凄いことだという気持ちと、なんで俺みたいな平凡な奴にという気持ちが一度に沸き起こって、心がジェットコースターみたいに上へ下へと揺り動かされてる。
助けを求めようと、左右にちらちら目線を走らせたけどクミの姿が見えない。
(なあ、クミどう思う? 大葵みたいなヤツなら他に誰だって選べるはずだろ……。たまたま励ましのタイミングが良かっただけで、俺なんかでいいと思う?)
「夕雨」
名前を呼ばれて否が応でも赤桐の顔を直視するほかなくなった。赤桐は俺をじっと見つめると、一呼吸を置いてからゆっくりと喋った。
「俺は、お前の気持ちが知りたい」
「お、俺の気持ち?」
自分が訊かれているのに、自分の気持ちを掴めなくて、疑問形で返事してしまった。たじろいでレモネードに指を伸ばしかけ、無防備にテーブルの上に置いていた左手の上にそっと赤桐の手が触れてきた。
「……っ!」
思った以上に激しく、びくっとしてしまった。赤桐の顔を見れなくなって目が泳いでしまう。ストローがずずって音を立てるまでピンクレモネードを飲み干している間に、赤桐の手は離れていった。
「……そんなに警戒しなくても。嫌か?」
いつもキリリと上がった形のいい太い眉が、初めてこんなに下がっているところを見た。眉毛が僅かに下がってる。
(傷つけた……、俺が赤桐のこと……)
自分でしてしまった事なのに、ブーメランみたいに自分に戻ってきて頭をカコンって殴られた気になった。俺はどうしていいか分からず、頭をぶんぶんと横に振った。
(嫌じゃない、嫌じゃないよ)
でもその一言がどうしても言えなかった。
(言って、どうするんだよ……。赤桐の気持ちに応えられるのか? 俺まだ全然、気持ちが追いついてないよ。だって……、このデートはクミの為で……)
赤桐が静かに吐息を吐いてからコーラをあおった。失望させてしまったかもしれない。どう取り繕えばいいのか分からない。
「大葵、お前は俺にとって、大事な……」
大事な、の後をすぐに続けられなかった。赤桐の手が伸びてきて、俺の乱れた前髪に触れようとして、止まる。
「触れても、いいか?」
こくこくと頷く。俺が即答できなかったから、赤桐も戸惑って、俺との間に線を引き直そうとしているのかもしれない。それは嫌だと思った。
「触っていいよ……。嫌じゃないから」
喘ぐように声が出た。再び伸ばされた手の行方を、多分俺は不安そうな顔で見守ったのかもしれない。赤桐がぐっと拳を握ってひっこめた。俺はそれが寂しいって思った。
「ごめん……。困らせるつもりはなかった」
「赤桐、俺……」
(大事な人、なんだよ。それは間違いないんだよ)
答えかけた唇の前に、赤桐の大きな手が翳される。
「今じゃなくていい。なんて逃げるみたいだが……」
そういって眉をひそめ、目を伏せた表情は前にも見た、俺の好きなこいつの表情だった。少し切なげで、伏せられた睫毛が濃い影を落とす。大人と子供の間にいる赤桐が、大人の方に針が全振りしているみたいで、ひどく色気があると俺の胸を打つ。
「いつかお前の気持ちを聞かせて欲しい」
(なんでこの顔が好きなんだろ。もっとあるだろ。こいつが俺にだけ笑ってくれたり、ふざけたり、沢山色んな顔を見てきたのに)
思考を巡らせて、行き当たった答えにお腹の当たりがずくり、となった。
(そうだ……。なんでもできる強いこいつに、こんな弱った表情を見せられるの、俺だけなんじゃないか? これは何? 優越感? 独占欲?)
自分がこんなに意地が悪い考えをしてしまうなんて、俺にこんな風にさせるなんて、赤桐が恐ろしいと思った。何も言えない、言わない俺に、赤桐がまたあの表情を見せた。
「……頼む。少し考えてくれ。俺の事どう思ってるか」
返事をしない俺に、赤桐が焦れたような掠れた声で囁いた。
(俺の為に一生懸命なお前に、俺だってなんでもしてやりたい)
「赤桐、俺……」
「本当に、今じゃなくて、いいんだ」
「……」
「情けないよな? でも今日はこのまま、幸せな気分で終えたい。明日も明後日も、答えを聞くまではお前の事をずっと大好きだって思っていたいから」
(こんな、こんなことまで言われて……。俺は……)
俺は頷いてから、下を向いた。みるみるうちに涙の被膜に視界が覆われてしまう。泣いてしまいそうだなんて、こいつにもクミにも知られたくない。
「夕雨、観覧車に乗ろう」
赤桐に促され、俺は胸に溢れてきた熱い甘い苦しい気持ちを載せた一言を飲み込み、唇を閉ざさないといけなくなった。
「分かった……。観覧車、行こう」
日が傾いてきた。空が青から薄黄色が掛かった陽光に煌めいている。俺はさっきよりずっとのろのろと遅い足取りで赤桐の半歩後ろを行く。
赤桐の隣にいるのはクミだ。後ろ手に腕を組んで歩いてる。さっきから何も言わないクミの事も気にかかったけど、俺は自分の気持ちと向き合うのに必死で、前を歩く二人に対して切なく震える胸をどうにもできず、ただもどかしく苦しい。
(赤桐に「俺もお前のこと、特別だって思ってる」って言えなかった……。でもこのデートはクミを成仏させる為にしてるんだろ。俺が今どんな気持ちでいるのかなんて、二の次だろ)
それに今日のデートを目的を持って仕組んでしまった俺が、赤桐に真剣な気持ちを伝えられる資格なんてない。俺の気持ちを今伝えてしまったら、赤桐にもクミにも、どっちに対しても誠実じゃない。中途半端な宙ぶらりんじゃ、何もかもうまくいきっこない。
赤桐が遅れて歩く俺の為に歩調を緩め、振り向いた。
「夕雨?」
こいつが俺を呼ぶ声は、相変わらず低く穏やかだ。俺は多分今、すごく情けない困った顔をしてしまってたらしい。赤桐はいつもみたいに優しく苦笑して、俺に向かって手を伸ばした。
「どうした? 疲れたのか?」
この手を取らなかったら、きっとこいつは今よりずっと傷つく。
(違う、そんなの、言い訳だろ。俺がこいつと手を繋ぎたいんだ)
地面を蹴って、俺は赤桐の隣に並んで立って、自分から赤桐の二の腕を掴んで組んだ。
「今日のデートのしめくくりだな。観覧車並ぼうぜ」
一応気分的にはお互いちょっと気まずくなる前に無理やり戻した感じで、観覧車の列に並ぶ。
「結構混んでるな」
「うん」
普段なら並ぶのは億劫だけど、今日ばかりは地味に順番待ちの列が長くて良かった。並んでいる時はさりげなく赤桐の腕を離してしまったけど、俺がぼんやりしていて前の人との間が空いてしまった時に、さり気なく赤桐が肩を抱いて前へと押し出してくれた。
(こういうの嫌じゃないんだよなあ)
赤桐からのスキンシップに慣れさせられた、ってのが正解なのかもだけど。
「体調は大丈夫か?」
「え……。ああ。うん」
「そうか」
今日も来ました、俺の体調確認。
(こんなに優しい奴を騙すみたいなことしていいのか……)
今度はキリキリと胃が痛み始めた。
「……無理はしなくていいぞ。色々と」
「あ、いや。全然ムリなんてしてないよ」
『夕雨、顔に出ちゃってるんだよ』
ずっと黙っていたクミの声が上の方からした。思わず見上げたら、すうっと降りてくる。クミが赤桐とは逆の俺の隣に並ぶ。もっと何か言いたそうな顔だ。
(忘れてないから。ちゃんと成仏させてやるから)
クミと約束したんだ。流石にいきなりキスとかそういう雰囲気にならなくて赤桐の方から仕掛けてこなかったら、てか多分その方が断然ありうるわけだけど。その場合、クミが俺の身体を一時的に乗っ取って赤桐にキスするって約束していた。
『私もファーストキスだもん。ちゃんとできるか分かんないけどね。あはは。でもこれ以上夕雨たちに迷惑かけてもね。成仏しないと……』
そんな感じで笑ってた。クミはいつのまにか俺や姉さんにとってなんというか、世話の焼ける姉のような妹のような、そんな感覚になっていた。
(クミのこと、やっぱ放っておけないんだよな……)
「夕雨、次だぞ」
「あ……。うん」
紫色のゴンドラに三人で乗り込んだ。八人乗りだから広々してる。俺と赤桐は向かい合わせ、クミは俺とは逆の端っこに座ってる。
「足元まで透けてる、シースルーのゴンドラもあるらしいな。乗ってみたかったな」
「そ、そうだね……」
扉が閉められぐっと押し出されるようにゴンドラが動き始めた瞬間、ひゅっと喉が鳴った。
(二人には言えない……。実は俺が高いとこ苦手だなんて……)
だけどクミと約束した。自分で決めたことだから二言はない。
遊園地の他のアトラクションからの悲鳴に似た歓声が聞こえる。ゴンドラはどんどん高く上がっていった。
(一周、たった十五分だ。我慢、我慢……。思ったより揺れない。大丈夫だ、大丈夫)
下を見ると足がすくみそうになるから、出来るだけ正面を見ていた。
「学校の方はどっちだろうな」
「がっ、学校? 東京方面だから……ええっと……」
スマホを取り出してマップを開こうとしたけど、うまく行かない。手が震えてつるっと派手な音を立ててスマホを床に落としてしまった。
「大丈夫か?」
「大丈夫、大丈夫……」
拾い上げようとした瞬間にゴンドラが上下に揺れて、「ひぃっ!」って声をついに上げてしまった。
「夕雨?」
『あーもう、見てらんない!』
痺れを切らしたクミが俺の身体に乗り移る。魂の重さなんて知らないけど、くっと少しだけ肩に重みが掛かったような感覚になる。
その瞬間、俺は唐突にゴンドラの中で立ち上がった。視界が開けて、近くの海やビル群が目に飛び込んできた。
「わああああ! 無理無理無理! ごめん、俺! 高いとこ苦手なんだよ!」
「夕雨?」
『ええええっつ!!!!!』
俺が叫んだ瞬間にクミが俺の身体からごろんと前に転がり出た。俺もその勢いにつられるように、同じような姿勢で正面に座っていた赤桐の胸に向かって、崩れるようにして抱き着いてしまった。
がっしりと受け止めてくれた赤桐が「おい、ゴンドラの中で立つのは危ないぞ」って諭してくる。俺はものすごく情けなくて顔は熱いし、足は震えるし、一旦気持ちが収まるまで赤桐に抱き着いたままゴンドラの床にしゃがみ込んでた。
「なんで苦手なのに乗ったんだ……」
俺を力強く抱き留めてくれながら、赤桐は呆れ気味に俺に聞いて来た。ゴンドラはゆっくりと、でも確実にてっぺんに向かっている。
(失敗した……、何もかもうまくできない……。ごめんクミ、ごめん赤桐)
自分がふがいなさ過ぎてつらい……。泣きそう。
「ごめん……。ごめん」
「謝らないでいいから、ちゃんと座れ」
手首を掴まれ、背中に逞しい腕を回してもらいながら、俺は半分赤桐にしなだれかかるように隣の席に座った。俺が身動きするごとに、ゴンドラが少し揺れる。
怖すぎて目を瞑ってやり過ごしてたら、赤桐が俺の肩を抱いて逆の手でブレスレットをしてる手を包み込むように握ってくれた。
「震えてる……。夕雨、本当に高いところ苦手なんだな」
『夕雨、中入らせてね』
すっとクミが俺の中に入って来る。たった十五分間の空の旅で、いつの間にか、ゴンドラは天辺へと近づいていた。
心臓がどきどきうるさい。高いところが怖いせいなのか、赤桐が囁いてくる声が思いのほか低くて優しいからなのか、どっちのせいなのか全然分からない。
「どうして、苦手なのに乗ろうと思ったんだ?」
「それは……」
(なんていえばいいんだ? クミのこと以外で、呆れないでここまで俺についてきてくれた赤桐にウソをつかないで誠実に伝えるには……)
じわって、また涙が目に滲んでくる。緊張からなのか恐れからなのか、自分でも意味が分からない。お互いに少し黙った。しんとしたゴンドラの中には黄色い太陽の光が差し込んでいる。
今ほんの少しだけ俺が背筋を伸ばすだけで、いつもぐっと引き結ばれている赤桐の男っぽい唇はすぐそこにある。自然と視線はそこに吸い寄せられていく。
「……夕雨、すごく可愛い顔してる」
赤桐が優しいのにどこか揶揄うような、意地悪な声で囁いて来る。ドキッとするような声色だ。俺の意思とは関係なく動いた右手が、やんわり握られていた赤桐の手を離れて、あいつの背中に回る。
「……観覧車の頂上でキスしたカップルは、幸せになれるって」
(クミ、俺ん中にいるのか?)
心の声で聴いたとしても答えはない。でも視界にクミの姿はない。一瞬俺が赤桐から目を反らした瞬間、ぐっと顎を赤桐の手で掴まれた。
「キス、していいのか?」
やや掠れた低い声、俺の好きな、あの苦しそうな表情。
「夕雨、好きだ」
赤桐が熱っぽく囁きながら、顔を傾けてきた。ゆっくりと近づく唇、俺は視線を下へと反らす。
(クミ……、俺の中にいるよな? このまま俺が赤桐とキスしたら、クミは成仏できるんだよな?)
強くそう念じながら背中に回した手で拳を握ってその時を待つ。だけど同時にものすごい凄い葛藤が胸の中に生まれていた。
(これは真剣にお前と向き合ってくれている赤桐に大して、すごい裏切りになるんじゃないか!)
もう一人の自分が必死に自分を怒鳴りつけてる。
(こんな理由でキスするなんて、本気で俺に「好きだ」って言ってくれた赤桐に大して、俺がしている事ってすごく不誠実で、すごく失礼で……。赤桐の事を、あいつが俺にしてくれたみたいに大切にしてあげたいのに、後ですごく後悔しないか?)
ぶわああって沸き起こる感情の渦に飲まれて、顔は熱く胸の動機激しくなり、一瞬が永遠にも長く思えたその瞬間、無意識に手が動いた。
「だめ……」
クミが動かしたのか、自分が動かしたのかも分からない程、無意識だった。俺の右手は気が付いたら赤桐の口元を掌でやんわりと包んで、キスを拒んでいた。



