※※※
ついに来たデート当日。姿見の前で俺が上着を羽織ったり、なんか違うな?とベットの上に放り投げたりしている間に、ギャルオバケは嬉しそうにくるんくるんって宇宙遊泳するみたいに空中で舞っている。
『大葵君どんな服着てくるのかなあ』
「私服で遊んだことないから分かんなすぎ。意外とジャージとかだったり?」
『えー。デートなんだからそれはないでしょ! ふふふふーん。夕雨はやっぱりこっちのコーデで正解じゃなーい? 肌色がより際立ってるよ』
「そっか? ……まあ好きな色だけど」
最終的に決めたのは春を意識したコーデだ。綺麗系なターコイズグリーンが気に入って買ったパーカーは今日初めて下ろした。好きなブランドで一目ぼれしたやつ。それを人から褒められると嬉しいし照れる。行きつけの古着屋で買った色ぬけが綺麗なライトブルーのジーンズ。裾が長いんでややロールアップ。同じく古着屋で買った明るい杢グレーのTシャツにした。
『いぇーい! めっちゃデート! 私もお着換えしたい!』
「ふーん。やっぱできないのか?」
『できないみたい~ だから夕雨は代わりにおめかししてよね。あーあ。本当なら髪の毛、クミがセットしてあげたかったのになあ』
美容師志望だったっていうクミはそう言いながら指でチョキチョキっと髪の毛を切る真似をした。
(クミ生きてたらうちの親ぐらいの年だったんだろうなあ。どんな美容師になってたのんだろ)
そう思うとなんか切ない。好きな人との初デートをすっぽかされた上に亡くなったなんて、諦めはいい方の俺だって成仏できずに無念を残しそうだ。
『待ち合わせして、映画館でポップコーン食べて、お昼食べて、ショッピングして、観覧車でキス!』
デートが決まってから何度聞かされてきたか分からない予定表をクミがまた口にしている。『キス』の二文字にまたぎゅぎゅっと胸が苦しくなって、俺は髪をがしがしっと乱してからぶるぶるっと色んな心配事を頭の隅へと追いやった。
「ま、あんまり真剣に考えなくてもいいか。男同士だし。ノーカンにできるだろ」
『でも、デートはデートだもん。恋人同士だもん』
「恋人同士……。てか、ウソ恋な」
自分で言っててまた胸が痛む。この間のカラオケから俺はちょっと変なんだ。赤桐の事を知れば知るほど、こんな騙すみたいなことしていいのかって自問自答してしまう。それに俺だって……、どうせあいつとキスをするならこんな追い立てられるような気持ちじゃないほうが……。
青空の下、芝生の上。昼休みみたいにのんびりしてる時がいい。肩が触れ合う位置に並んで座って、あいつがらしくなく、優しく俺の頬に触れてくる。いや、あいつがそんな風にしたら、くすぐったいかもな……。いつもみたいにぐあっと勢いで、俺が避ける暇もない程求められたら……。そんな風に考えてしまって、自分で自分に驚く。
(え……。いま……、俺。あいつとのキスを想像してた?)
『もーう、夕雨。無視しないでよお』
「え、ああ。ごめん」
声をかけられて我に返った。顔が熱い。我ながら恥ずかしすぎる想像をしてた。
(クミが人の頭の中とか覗けなくてよかった)
『この間カラオケにクミが入れなかったことまだ怒ってるの? 仕方ないでしょ。なんかあそこ入ろうとしたら、イヤーな気配があったんだもん』
「オバケの事情はよく分からないけど、オバケ同士でもまるっきりみんなが同じわけじゃないってことは良く分かった。あと、クミはさ、やっぱ変な人じゃないな。まあ底抜けに明るいけど、悪い奴じゃないっていうか……。結局人間にも悪い奴もいい奴もいるみたいに、オバケも色々いるんだろうな」
『当り前じゃない~ クミは気のいいオバケなんだから。早く成仏させてね。生まれ変わってまた女子高生したいんだから』
「生まれ変わりたい?」
『そうだよ~ 夕雨と赤桐見てたらなんか変にキュンキュンしちゃって、赤桐がクミのタイプのイケメンだからだけど、夕雨もさ……。なんかたまにちょっと色っぽいじゃん。きゃああああ、変なこと言っちゃった。照れるう!』
なんてクミが自分の身体を自分で抱きしめながら、くねくねぐるぐる視覚的にも煩い。
「はあ? 色っぽくねぇし」
『そーお? 夕雨って可愛い顔してるよ。お母さんと似てるね。派手な顔立ちじゃないけど、黒目がちの目も、ちっちゃめの鼻も口も、バランスイイ感じだし。真っ白もちもち肌だし。私が高校生の頃はさあ、男っぽい、よく日に焼けてる、濃い顔結構モテてたけどさ、今は夕雨みたいな綺麗系の男の子もモテるんでしょ?』
「なにそれ、どこ知識?」
『朝花ちゃんが言ってたよ~』
「変な事ばっか喋ってるんだな。姉さんと」
『とにかく夕雨は可愛いよ。ちょっと私のすっぴんに似てる』
「それ褒めてるのか?」
『失礼だなあ」
俺に憑りついてるらしいクミだけど、何でか気を使って寝る時とか風呂の時とかは姉の部屋にいってる。まあ一応女子だし、そのくらい気を使ってくれるとありがたいなとも思う。
『恋バナぐらいしたいもん。気持ち盛り上げてんの! 今日で成仏できるかもしれないんだから。そしたら夕雨、私とお別れだよ。寂しいでしょ?』
「寂しいっていうか……」
その時頭を過ったのは、静かになるけどちょっと寂しいかなっていう想いと、そのあとは赤桐とちゃんとした友達に戻らなきゃなっていう想いで……。
(戻れんのか? 普通の友達になんて……。最初から俺とあいつは距離感狂ったまんま、さらに深みにはまってるだろ)
「はあ……」
『なにその悩ましいため息!! ちょっとぞくっと来ちゃったじゃない。夕雨の癖に!』
「クミいなくなったら静かになるから、やっと高校生活楽しめる。あ……、もう行かないと電車間に合わなくなる」
すっかりお馴染みになった軽口を叩き合いながら、部屋を出たらリビングから姉が廊下にやってきた。
『じゃあね、クミちゃん。生まれ変わっても、友達になろうね』
リビングからの逆光で姉もなんか儚い感じに光り輝いてる。
『じゃあね、朝花ちゃん。成仏して生まれ変わってくるから! 待っててね!』
「うん。待ってるよ」
オバケの癖に、クミは涙声だ。いつの間にか友情が生まれたのか、二人はなんかちょっとだけしんみりした雰囲気で手を振りあってた。
「クミ」
『なあに?』
「空の上で成仏させてやるから、ちゃんと天国行くんだぞ」
『……夕雨の癖にカッコいいこと言うじゃん』
なんかちょっと涙声のクミだ。俺もちょっとエモい気持ちに苛まれながら、表に出た。まだ午前中、朝日が輝いてる。ゴールデンウィークの五月晴れにオバケは全然似合わない。
『デート日和だね』
外で話しかけられてもあんまり答えられないから、俺はこくっと頷くだけだ。
『ランチして、映画見て、観覧車でキス! ここぞって時は夕雨の中に入るからよろしく』
「何度も言うなって……。そんな恋愛シュミレーションゲームみたいに、イベント決められててもねえ……」
クミは俺の前に行ったり後ろにいったり、時折風に煽られる風船みたいにふわふわ浮かびながらついてくる。本当に嬉しそうで微笑ましいけど、俺は今日のミッションをクリアーできるのかまた心配になってきた。
自慢じゃないけど俺は生まれてこの方デートと言うものをしたことがない。勿論彼女もいたことがない。中学の時はちょっといいなって子はいたけど、誰かと付き合うまでいってない。
(そもそも同級生の男同士で出かけるのに、ほんとにデートっぽくなるのか? 友達と出かけるのと何が違う? 赤桐は絶対彼女居たことあるよなあ……。イケメンだし。今だって彼女いないの信じられないぐらいだし)
そりゃ少しは、いや大分今回のデートのことは意識はしてた。あいつはどんな格好してくるんだろうとか、先月のバイト代で買ったばっかの服下ろしたりとか、俺だって色々気を使ったし……。
赤桐から夜に『明日楽しみだな』とか連絡来たら、こっちだってやっぱ映画とか遊園地とか、そりゃ楽しみだしさ……。
(『楽しみだな。ちょっと目が冴えちゃって眠れない』とか返信しちゃったよ。なにやる気満々アピールしてんだよ)
確かに寝れなかったけど、半分はファーストキス云々のプレッシャー、半分はクミと姉さんが二人して夜中まで俺のデートについて、あれこれ語ってて煩かったからだけど。
待ち合わせは映画開始の30分前だ。クミが横浜駅の周辺を見て回りたいって言ったから、俺は約束の時間より大分早くついた。
『なにこれ……。これがあの、ずーっと工事中だった横浜駅? きた西口って、きたなの西なの?』
「わからん。俺普段あんま横浜来ないから、そんな詳しくないんだよね」
人目を気にして、俺はイヤフォンをしてスマホに向かってしゃべってる風を装った。
『前は工事中だったからか駅の構内を西口に抜けようと思うと、狭くてバシバシ人が肩に当たってきて歩きにくかったんだから。すごく綺麗になってる! 知らないビルがある!』
本人の感想だからよく分からないけど、昔と今では大分様変わりしているらしい。今どきはスマホがあるしゆるっと待ち合わせを決めるけど、今回はクミが佐藤君と待ち合わせしたっていう、老舗デパートの入り口で待つことになってる。
先に映画館の方に行ってみようと思っていたのに、行きかう人の向こうに見慣れた目立つ男が立っていた。
「は、早くないか……」
『わお! すごい! 大葵君ってば、彼氏の鑑!』
俺は思わず通路に戻り、足早に通り抜けた。幸い、スマホを見ていたあいつには気づかれていないみたいだ。そのまま隣のビルの二階に上がるエスカレーターに思わず飛び乗った。
『どうしたの?』
「いや……。まだ心の準備が……」
『えー。せっかく早く会えるなら会えばいいのに!』
俺は私鉄の改札へ続く通路の太い柱を背にして、同じような姿勢でこちらを見てるクミを見下ろした。
「なあ、お前大丈夫なの?」
『なにが?』
クミはきょとんっとした顔で、長い睫毛をぱちぱちさせてる。家の中にいる時よりより一層透けていて、ちゃんと意識してみないと表情を汲み取ってやれない。
「寒い日に待ち合わせ場所でずっとその……、『佐藤』君の事を何時間も待って、その後風邪を拗らせて亡くなったんだろ? 平気そうな顔してるけど、実はあそこ行くの辛かったりしない?」
するとクミは頬を緩めてへにゃって笑った。
『えー。夕雨って本当に優しいなあ。あはは。だからずっと夕雨に話しかけちゃうんだろうな。私、優しい男の子が好きなんだ。佐藤君もすごく優しかったから』
「でも、待ち合わせに来なかったんだろ、そいつ」って喉まで出かかる。
クミが大好きだった奴の事を、悪く言うのはよくない。我慢して飲み込んだ。
「……優しくて、イケメンで、だろ?」
『そうそう、イケメン。そこは譲れないけど。佐藤君とはさあ、保育園から高校まで一緒だったんだよね』
「幼馴染ってやつ?」
『うん。あたしんち色々あって片親だったからさ、あっちもそうで……。母さん美容師で髪の毛も小学生の時から金髪で派手めにしてたし? それだけが原因じゃないかもだけど、意地悪なこと言われたり、女子から外されたりしたんだよね。佐藤君はそんな時はいつも私の事、男子の仲間に入れてくれたんだ。だから私、キャッチボールとか上手だよ』
笑いながら言ってるけど、笑い事じゃないって思った。ただひたすらに明るい子だと思っていたクミの見方が変わった。
「そっか。クミにとって佐藤君はいい奴だったんだ」
『うん。高校入って、あいつ増々格好よくなって、だけど私のことは昔と変わらずにかまってくれたんだよね。まあ、私可愛かったし? 男子と仲良くしてたらすぐ男好きとか色々噂されてさ。人気のある佐藤君とは釣り合わないかなあなんてちょっと引いてみたり……」
「そっか……、ヤナクミはヤナクミで色々苦労してたんだな」
『あー、しんみりしないでよ。その頃には女子の友達も少しはいたし。楽しくやってたよ。佐藤君はさ、高校からはバイトもしてたし、受験勉強もして、何もかも忙しそうで、恋愛とかしてる暇なさそうだったし』
「そっか」
『もう卒業だし、思い切って一か八か、言ってみたの。『高校生活一度ぐらい、誰かとデートしたかったなあ。観覧車のてっぺんでキスしたカップルはずっと幸せになれるんだって』って。そしたら『じゃあ俺と行ってみるか?』って。そんなの。期待しない方が無理でしょ? 嬉しかったなあ。結局すっぽかされちゃったけど』
へへって笑った顔がなんか健気で、何でこんないい子が若くして死ななきゃならなかったんだって、なんで来なかったんだよ佐藤!って、俺は神様と佐藤、どちらにも文句を言いたくなった。
「佐藤が来なかった理由は分からなかったんだ」
『しらなーい。だってそのまま死んじゃったから。だから今日デート気分を味わって、それで成仏してやるんだから』
「……どうしてすっぽかされたのかとか、相手の気持ち知りたくなかった?」
クミは小首をかしげて可愛らしく唇に手を当てた。
『えー。今更佐藤君の事探せるはずないじゃん。クミだってそのくらいわかるよ。あはは。オバケになってたらあの世で逢えるかもだけど』
「そりゃそうだけど……。クミがうちの学校の何年度卒とか分かればいいんだけどな。うち、親が卒業生だから同窓会とかに問い合わせて、調べたりできるかもだし」
赤桐に似ているんなら赤桐のお父さんかも?とか一瞬思ったけど、そもそも佐藤君って苗字だったことを思い出した。
『知りたかったよ。私の事どう思ってたのかとか。知りたいよ……』
今更迷わせて、しょぼっとさせてしまった。
(そもそも成仏させることが目的なのに、迷わせてどうするんだ。アホか、俺は)
『でも、いーの。今日は大葵君と夕雨の初デートで私も楽しんじゃうんだから。目指せ! 映画館でイチャイチャ! 観覧車でキス!』
「あー、それなあ」
思い出させられてしまった。俺のファーストキスが成仏の代償とは複雑すぎる。
(大葵だって、俺とキスなんて……したくないかもだよな。てかそもそも、あいつ俺の事好きなのか? これほんとにデートだって思ってる? 俺もあいつとキス出来んのか? 友達だぞ、友達……)
思い出したのは、生クリームを舐めとった時の綺麗な形で厚みのある赤桐の唇だった。絶叫したいほど恥ずかしくなって、俺は深呼吸をするともう一度エスカレーターをおりていった。
(とりあえず、クミの成仏優先。それ乗り切ってから色々考えよ。あいつとのことも……)
「大葵! ごめん。遅くなった」
駆け寄っていくとあいつはスマホから目線を上げて、俺の方に長い脚で颯爽と歩み寄ってきてくれた。
「待ち合わせの時間より早いぞ」
「大葵こそ、すごく……、早くついたんだね?」
「ああ。楽しみだったからな」
俺を見下ろしてにこって笑う。なんかいつも以上に素直な赤桐に調子がくるってしまう。
(楽しみにしてくれてたんだ……)
赤桐は服装のせいかいつもよりさらに大人っぽく見える。赤桐の横でクミが舌ペロしながら、親指を立てて俺に向かってグーってやってる。
「夕雨、その色似合ってるな」
「え……、ありがと。そっちもいいね」
(やばい、じろじろ見まくってしまった。正直むちゃくちゃ格好いいな。モデルとかスカウトされそうなぐらい)
俺は高校生丸出しコーデだけど、赤桐は大学生がするみたいな大人っぽいシティ系のコーデだ。腰の位置が高いから決まってる、ワイドシルエットのウォッシュブラックのデニムに、ネイビーのヘンリーネックT。アンダーシャツの白い縁の裾だしがあるから爽やかな感じだ。柔らかめのワッフル木地のトップスがこいつの鍛え上げた上半身のなだらかな線を拾って、逞しくかつスタイルの良さが際立って見える。首に巻かれた二種類のチェーンを使ったシルバーアクセサリーも真似したくなる感じだ。
(普段のジャージ姿の大葵と全然違う……。大人っぽい)
「夕雨?」
うっかり見惚れてしまったじゃないか。俺もこういう服装さらっと着こなせる男になりたい。似合わないかもだけど……。
「もう映画館いこっか。ポップコーンとか飲み物とか買って中にはいろ」
「そうだな」
澱んだ川にかかった歩道橋を渡り、目当ての青い建物に入ってビックリしてしまった。飲食店も入っている複合施設の中にある映画館は、予約サイトは良くいくシネコンと同じだったのに、大分古めかしい作りだったからだ。
(まあ、クミが高校生の頃からあるんなら、ざっと二十年以上たってるってことだもんな。古くて当たり前といえば当たり前だ)
「思ったより、あれだよな……。ごめん。大葵は出来たばかりの最新シネコンに行きたかった?」
なんかこっちの事情でごり押ししたからちょっと申し訳なくて、ちらっと赤桐を見上げた。
「ああ、レトロだな。かえって新鮮だ」
「そっか? なら良かった」
「それにどこに行くかより、誰と行くかが俺には大事だ」
「……っ!」
(殺し文句過ぎるだろ、お前)
『夕雨、耳が真っ赤になってるよ!』
先を行く赤桐にこの顔は見られなかっただろうか……。
上の階へあがって売店でそれぞれ大きなサイズの塩バターとキャラメルポップコーンと飲み物を買った。シアターの中はスクリーンは広いけど、傾斜がなだらかでやっぱり今どきの作りとは違って感じる。幸い座席のシートは綺麗になっていて足元もゆったりしてる。休みの午前中だけどそれほど混んでもいなかった。
(オバケもクミ以外はいないし、良かった)
「すいてる。穴場だな」
「うん」
(流石大葵、ナイスフォロー!)
赤桐のさり気ない一言一言に、好感度爆上がりだ。ドリンクホルダーにトレーをさして、シートに身体を預ける。さっきまで春の青空の下にいたのに、映画館の少し絞られたライトは眠気を誘う。こそっと欠伸を噛み殺ろす。
「お前、いきなり寝そうだな」
「寝ないよ。見たかったやつだし」
言ってから変な言い回しになってなかったかなと気になった。よほど人に合わせたのでなければ、わざわざ見たくもない映画に来る奴なんていないだろう。
(俺の方から映画に誘ったのに、意味わかんないこと言いそうになった……。気を付けないとな。ぼろが出そ)
それとこれは赤桐が分かるはずもないけど、赤桐の右隣りの席、クミの分ってことで余分にもう一つ取ってあるんだ。赤桐は知らない間に、俺とクミに挟み込まれているってことになってる。
『映画中にいい感じにラブラブモードをあげてこ!』
赤桐の向こうからひょこっとクミが顔を出した。相変わらずテンションが高い。
(ラブラブモードって……。いや、これ普通に友達と映画見てるのと変わんなくない?)
ポップコーンの香ばしい匂いに誘われて、朝食が早かったせいで、早くも腹が減ってしまった。予告編が終わって本編が流れる間も俺はまだまだキャラメルポップコーンを口の中に頬り込み続ける。ふいに赤桐の腕がこっちに伸びてきた。
「なに?」
赤桐の方へとよそ見をして囁いた唇に、塩バターのポップコーンが押し当てられる。甘いのの次にしょっぱいのもは最高だ。むしゃっと食べ終わったらまた、次から次へとポップコーンが口に入れられていく。
(こいつ。またいたずらかよ)
何度目かの時に、あいつの指先に軽く歯を当てて齧ってやったら、ほっぺたをむにって摘まむ反撃をされてから手が引っ込んでいった。
(あーもう。冒頭のところの会話、聞き漏らして分からなくなっちゃったじゃないか)
『いいかんじ~ じゃあ、こっちからも』
俺がスクリーンを見つめたら、一瞬身体がふっと重くなって、俺の右手が勝手に動き始めた。クミが俺の身体に入ったに違いない。手だけが糸で持ち上げられたみたいに、かくかく動いてる。俺の右手は身体の前を横切って、キャラメルポップコーンを一摘まみした。それで何となく意図を察する。
(大葵にポップコーンあげるわけね。はいはい)
とはいえ、俺もクミの腕の動きに身体を合わせないと『なんでやねん!』みたいな動きになっちゃうし、ノールックで渡すのもなんかシュールだ。ちゃんと腰を捻りながら、赤桐の口元にキャラメルポップコーンを運んだら、明るい映像に照らされた顔が、首をちょっとこっちを傾けて片眉を上げてる。
気を良くしたのか、クミが女子っぽい仕草で俺の首を赤桐を迎えるみたいに傾けながら、あいつの口元にポップコーンを運ぶ。音を出してよい場面だったら「あーんして」とか言い出しかねない。恐ろしい。だけど赤桐は思いのほか素直に口を開いた。
もう一回差し出したポップコンを口に入れた後、赤桐がこっちを向きながら俺の右手を顔の前で見せつけるみたいにして掴まれた。
(ああ、もういらないってこと?)
スクリーンが光って照らされた赤桐の奥に、なんかちょっといつもと違うような熱を感じた。普段なら軽口をたたく口が何も語らずに一瞬だけ俺をじっと見て、それでまたスクリーンに向き直る。
(え? 手ぇ、離さないのかよ)
右手は赤桐に上から握られたまま、俺の膝の上に置かれた。意識したら心臓がなんかばくばくいう。
(友達相手にこんな感情っておかしくないか?)
繋いでる手は熱いのに、横顔は全然こっちに興味がないような無表情に近い。高い鼻梁や引き締まった口元なんかを見つめていたら、逆にそれがちょっと危うい色気があるように見えてくるっていうか……。なんでかそれにちょっとだけ焦れる。
(ああ、なんだよ。俺だけドキドキさせられてんのかよ)
『きゃんっ』
素直に恥じらいの悲鳴を上げて、クミが俺の身体から飛び出していった。手をひっこめようとしたけど、指の間に指を入れられて、握ったり、親指の先で小指の付け根とか手の縁をすりりって触られたりする。
(くっそ、なんなんだよ。こいつ……)
それだけの仕草なのに、ちょっとどきどき、ぞくぞくどっちも止まらなくなって、それをこいつにだけは絶対に悟られたくなくて、俺はとても映画を見るどころでは無くなってしまった。
『もももも、もう一回!』
俺に飛び込んできたクミが『きゃああああん』とか『ドキドキ!』とか『手がおっきい』とか出たり入ったりしながら大騒ぎして、ものすごく煩い。
赤桐は俺達をこんなにドキドキさせているくせに、相変わらずスンっとした表情で、逆の腕をひじ掛けに載せながらゆったりとスクリーンを見つめている。
(くそう、こいつ手慣れてやがる!)
こっちが映画そっちのけで赤桐の事を見てんのに、あっちは俺の方を見ようともしない。長くて太い首、がっしりした骨格、眉一つ動かさない端正な顔。どれもこれもが俺とは正反対だ。
(後で内容聞かれて答えられなかったら、俺がこいつにドキドキして覚えてなかったとか思われるじゃんか。悔しい。映画ちゃんと見てやる)
妙な負けず嫌いが頭をもたげてきて、俺は赤桐に手を掴まれたまんま、必死で画面に集中した。映画そっちのけで大騒ぎする、クミのBGMまで聞きながら……。 映画が終わり、明るくなってからも繋いだままだった手は、俺の方から慌てて強引にひっこめた。あからさまだったかなと思ったけど、赤桐は腕をそのまま伸ばしてスクリーンを向いたまま伸びをしていた。俺もなんか一緒になって同じ姿勢で固まっていた背中をぐーっと反らす。
『わー。ドキドキしたねぇ』
そうクミが俺に同意を求めて来たけど返事は出来ない。こっそり「うん」って頭を縦に振っておいた。映画の内容も面白かったから良かったんだけど、時折赤桐の手が動く度にそっちに意識を引き戻されて、結局半分ぐらい赤桐のことを考える羽目になった。
(こいつ、本気で俺とデートしてるつもりなのかな)
どこかで冗談だって思われてた方がいいって日和る気持ちと、こいつのこと今俺が独占してるんだっていう密やかな優越感と、この後まじでどうしよって言う迷いと、混ぜこぜで頭ぐるぐるだ。
ついに来たデート当日。姿見の前で俺が上着を羽織ったり、なんか違うな?とベットの上に放り投げたりしている間に、ギャルオバケは嬉しそうにくるんくるんって宇宙遊泳するみたいに空中で舞っている。
『大葵君どんな服着てくるのかなあ』
「私服で遊んだことないから分かんなすぎ。意外とジャージとかだったり?」
『えー。デートなんだからそれはないでしょ! ふふふふーん。夕雨はやっぱりこっちのコーデで正解じゃなーい? 肌色がより際立ってるよ』
「そっか? ……まあ好きな色だけど」
最終的に決めたのは春を意識したコーデだ。綺麗系なターコイズグリーンが気に入って買ったパーカーは今日初めて下ろした。好きなブランドで一目ぼれしたやつ。それを人から褒められると嬉しいし照れる。行きつけの古着屋で買った色ぬけが綺麗なライトブルーのジーンズ。裾が長いんでややロールアップ。同じく古着屋で買った明るい杢グレーのTシャツにした。
『いぇーい! めっちゃデート! 私もお着換えしたい!』
「ふーん。やっぱできないのか?」
『できないみたい~ だから夕雨は代わりにおめかししてよね。あーあ。本当なら髪の毛、クミがセットしてあげたかったのになあ』
美容師志望だったっていうクミはそう言いながら指でチョキチョキっと髪の毛を切る真似をした。
(クミ生きてたらうちの親ぐらいの年だったんだろうなあ。どんな美容師になってたのんだろ)
そう思うとなんか切ない。好きな人との初デートをすっぽかされた上に亡くなったなんて、諦めはいい方の俺だって成仏できずに無念を残しそうだ。
『待ち合わせして、映画館でポップコーン食べて、お昼食べて、ショッピングして、観覧車でキス!』
デートが決まってから何度聞かされてきたか分からない予定表をクミがまた口にしている。『キス』の二文字にまたぎゅぎゅっと胸が苦しくなって、俺は髪をがしがしっと乱してからぶるぶるっと色んな心配事を頭の隅へと追いやった。
「ま、あんまり真剣に考えなくてもいいか。男同士だし。ノーカンにできるだろ」
『でも、デートはデートだもん。恋人同士だもん』
「恋人同士……。てか、ウソ恋な」
自分で言っててまた胸が痛む。この間のカラオケから俺はちょっと変なんだ。赤桐の事を知れば知るほど、こんな騙すみたいなことしていいのかって自問自答してしまう。それに俺だって……、どうせあいつとキスをするならこんな追い立てられるような気持ちじゃないほうが……。
青空の下、芝生の上。昼休みみたいにのんびりしてる時がいい。肩が触れ合う位置に並んで座って、あいつがらしくなく、優しく俺の頬に触れてくる。いや、あいつがそんな風にしたら、くすぐったいかもな……。いつもみたいにぐあっと勢いで、俺が避ける暇もない程求められたら……。そんな風に考えてしまって、自分で自分に驚く。
(え……。いま……、俺。あいつとのキスを想像してた?)
『もーう、夕雨。無視しないでよお』
「え、ああ。ごめん」
声をかけられて我に返った。顔が熱い。我ながら恥ずかしすぎる想像をしてた。
(クミが人の頭の中とか覗けなくてよかった)
『この間カラオケにクミが入れなかったことまだ怒ってるの? 仕方ないでしょ。なんかあそこ入ろうとしたら、イヤーな気配があったんだもん』
「オバケの事情はよく分からないけど、オバケ同士でもまるっきりみんなが同じわけじゃないってことは良く分かった。あと、クミはさ、やっぱ変な人じゃないな。まあ底抜けに明るいけど、悪い奴じゃないっていうか……。結局人間にも悪い奴もいい奴もいるみたいに、オバケも色々いるんだろうな」
『当り前じゃない~ クミは気のいいオバケなんだから。早く成仏させてね。生まれ変わってまた女子高生したいんだから』
「生まれ変わりたい?」
『そうだよ~ 夕雨と赤桐見てたらなんか変にキュンキュンしちゃって、赤桐がクミのタイプのイケメンだからだけど、夕雨もさ……。なんかたまにちょっと色っぽいじゃん。きゃああああ、変なこと言っちゃった。照れるう!』
なんてクミが自分の身体を自分で抱きしめながら、くねくねぐるぐる視覚的にも煩い。
「はあ? 色っぽくねぇし」
『そーお? 夕雨って可愛い顔してるよ。お母さんと似てるね。派手な顔立ちじゃないけど、黒目がちの目も、ちっちゃめの鼻も口も、バランスイイ感じだし。真っ白もちもち肌だし。私が高校生の頃はさあ、男っぽい、よく日に焼けてる、濃い顔結構モテてたけどさ、今は夕雨みたいな綺麗系の男の子もモテるんでしょ?』
「なにそれ、どこ知識?」
『朝花ちゃんが言ってたよ~』
「変な事ばっか喋ってるんだな。姉さんと」
『とにかく夕雨は可愛いよ。ちょっと私のすっぴんに似てる』
「それ褒めてるのか?」
『失礼だなあ」
俺に憑りついてるらしいクミだけど、何でか気を使って寝る時とか風呂の時とかは姉の部屋にいってる。まあ一応女子だし、そのくらい気を使ってくれるとありがたいなとも思う。
『恋バナぐらいしたいもん。気持ち盛り上げてんの! 今日で成仏できるかもしれないんだから。そしたら夕雨、私とお別れだよ。寂しいでしょ?』
「寂しいっていうか……」
その時頭を過ったのは、静かになるけどちょっと寂しいかなっていう想いと、そのあとは赤桐とちゃんとした友達に戻らなきゃなっていう想いで……。
(戻れんのか? 普通の友達になんて……。最初から俺とあいつは距離感狂ったまんま、さらに深みにはまってるだろ)
「はあ……」
『なにその悩ましいため息!! ちょっとぞくっと来ちゃったじゃない。夕雨の癖に!』
「クミいなくなったら静かになるから、やっと高校生活楽しめる。あ……、もう行かないと電車間に合わなくなる」
すっかりお馴染みになった軽口を叩き合いながら、部屋を出たらリビングから姉が廊下にやってきた。
『じゃあね、クミちゃん。生まれ変わっても、友達になろうね』
リビングからの逆光で姉もなんか儚い感じに光り輝いてる。
『じゃあね、朝花ちゃん。成仏して生まれ変わってくるから! 待っててね!』
「うん。待ってるよ」
オバケの癖に、クミは涙声だ。いつの間にか友情が生まれたのか、二人はなんかちょっとだけしんみりした雰囲気で手を振りあってた。
「クミ」
『なあに?』
「空の上で成仏させてやるから、ちゃんと天国行くんだぞ」
『……夕雨の癖にカッコいいこと言うじゃん』
なんかちょっと涙声のクミだ。俺もちょっとエモい気持ちに苛まれながら、表に出た。まだ午前中、朝日が輝いてる。ゴールデンウィークの五月晴れにオバケは全然似合わない。
『デート日和だね』
外で話しかけられてもあんまり答えられないから、俺はこくっと頷くだけだ。
『ランチして、映画見て、観覧車でキス! ここぞって時は夕雨の中に入るからよろしく』
「何度も言うなって……。そんな恋愛シュミレーションゲームみたいに、イベント決められててもねえ……」
クミは俺の前に行ったり後ろにいったり、時折風に煽られる風船みたいにふわふわ浮かびながらついてくる。本当に嬉しそうで微笑ましいけど、俺は今日のミッションをクリアーできるのかまた心配になってきた。
自慢じゃないけど俺は生まれてこの方デートと言うものをしたことがない。勿論彼女もいたことがない。中学の時はちょっといいなって子はいたけど、誰かと付き合うまでいってない。
(そもそも同級生の男同士で出かけるのに、ほんとにデートっぽくなるのか? 友達と出かけるのと何が違う? 赤桐は絶対彼女居たことあるよなあ……。イケメンだし。今だって彼女いないの信じられないぐらいだし)
そりゃ少しは、いや大分今回のデートのことは意識はしてた。あいつはどんな格好してくるんだろうとか、先月のバイト代で買ったばっかの服下ろしたりとか、俺だって色々気を使ったし……。
赤桐から夜に『明日楽しみだな』とか連絡来たら、こっちだってやっぱ映画とか遊園地とか、そりゃ楽しみだしさ……。
(『楽しみだな。ちょっと目が冴えちゃって眠れない』とか返信しちゃったよ。なにやる気満々アピールしてんだよ)
確かに寝れなかったけど、半分はファーストキス云々のプレッシャー、半分はクミと姉さんが二人して夜中まで俺のデートについて、あれこれ語ってて煩かったからだけど。
待ち合わせは映画開始の30分前だ。クミが横浜駅の周辺を見て回りたいって言ったから、俺は約束の時間より大分早くついた。
『なにこれ……。これがあの、ずーっと工事中だった横浜駅? きた西口って、きたなの西なの?』
「わからん。俺普段あんま横浜来ないから、そんな詳しくないんだよね」
人目を気にして、俺はイヤフォンをしてスマホに向かってしゃべってる風を装った。
『前は工事中だったからか駅の構内を西口に抜けようと思うと、狭くてバシバシ人が肩に当たってきて歩きにくかったんだから。すごく綺麗になってる! 知らないビルがある!』
本人の感想だからよく分からないけど、昔と今では大分様変わりしているらしい。今どきはスマホがあるしゆるっと待ち合わせを決めるけど、今回はクミが佐藤君と待ち合わせしたっていう、老舗デパートの入り口で待つことになってる。
先に映画館の方に行ってみようと思っていたのに、行きかう人の向こうに見慣れた目立つ男が立っていた。
「は、早くないか……」
『わお! すごい! 大葵君ってば、彼氏の鑑!』
俺は思わず通路に戻り、足早に通り抜けた。幸い、スマホを見ていたあいつには気づかれていないみたいだ。そのまま隣のビルの二階に上がるエスカレーターに思わず飛び乗った。
『どうしたの?』
「いや……。まだ心の準備が……」
『えー。せっかく早く会えるなら会えばいいのに!』
俺は私鉄の改札へ続く通路の太い柱を背にして、同じような姿勢でこちらを見てるクミを見下ろした。
「なあ、お前大丈夫なの?」
『なにが?』
クミはきょとんっとした顔で、長い睫毛をぱちぱちさせてる。家の中にいる時よりより一層透けていて、ちゃんと意識してみないと表情を汲み取ってやれない。
「寒い日に待ち合わせ場所でずっとその……、『佐藤』君の事を何時間も待って、その後風邪を拗らせて亡くなったんだろ? 平気そうな顔してるけど、実はあそこ行くの辛かったりしない?」
するとクミは頬を緩めてへにゃって笑った。
『えー。夕雨って本当に優しいなあ。あはは。だからずっと夕雨に話しかけちゃうんだろうな。私、優しい男の子が好きなんだ。佐藤君もすごく優しかったから』
「でも、待ち合わせに来なかったんだろ、そいつ」って喉まで出かかる。
クミが大好きだった奴の事を、悪く言うのはよくない。我慢して飲み込んだ。
「……優しくて、イケメンで、だろ?」
『そうそう、イケメン。そこは譲れないけど。佐藤君とはさあ、保育園から高校まで一緒だったんだよね』
「幼馴染ってやつ?」
『うん。あたしんち色々あって片親だったからさ、あっちもそうで……。母さん美容師で髪の毛も小学生の時から金髪で派手めにしてたし? それだけが原因じゃないかもだけど、意地悪なこと言われたり、女子から外されたりしたんだよね。佐藤君はそんな時はいつも私の事、男子の仲間に入れてくれたんだ。だから私、キャッチボールとか上手だよ』
笑いながら言ってるけど、笑い事じゃないって思った。ただひたすらに明るい子だと思っていたクミの見方が変わった。
「そっか。クミにとって佐藤君はいい奴だったんだ」
『うん。高校入って、あいつ増々格好よくなって、だけど私のことは昔と変わらずにかまってくれたんだよね。まあ、私可愛かったし? 男子と仲良くしてたらすぐ男好きとか色々噂されてさ。人気のある佐藤君とは釣り合わないかなあなんてちょっと引いてみたり……」
「そっか……、ヤナクミはヤナクミで色々苦労してたんだな」
『あー、しんみりしないでよ。その頃には女子の友達も少しはいたし。楽しくやってたよ。佐藤君はさ、高校からはバイトもしてたし、受験勉強もして、何もかも忙しそうで、恋愛とかしてる暇なさそうだったし』
「そっか」
『もう卒業だし、思い切って一か八か、言ってみたの。『高校生活一度ぐらい、誰かとデートしたかったなあ。観覧車のてっぺんでキスしたカップルはずっと幸せになれるんだって』って。そしたら『じゃあ俺と行ってみるか?』って。そんなの。期待しない方が無理でしょ? 嬉しかったなあ。結局すっぽかされちゃったけど』
へへって笑った顔がなんか健気で、何でこんないい子が若くして死ななきゃならなかったんだって、なんで来なかったんだよ佐藤!って、俺は神様と佐藤、どちらにも文句を言いたくなった。
「佐藤が来なかった理由は分からなかったんだ」
『しらなーい。だってそのまま死んじゃったから。だから今日デート気分を味わって、それで成仏してやるんだから』
「……どうしてすっぽかされたのかとか、相手の気持ち知りたくなかった?」
クミは小首をかしげて可愛らしく唇に手を当てた。
『えー。今更佐藤君の事探せるはずないじゃん。クミだってそのくらいわかるよ。あはは。オバケになってたらあの世で逢えるかもだけど』
「そりゃそうだけど……。クミがうちの学校の何年度卒とか分かればいいんだけどな。うち、親が卒業生だから同窓会とかに問い合わせて、調べたりできるかもだし」
赤桐に似ているんなら赤桐のお父さんかも?とか一瞬思ったけど、そもそも佐藤君って苗字だったことを思い出した。
『知りたかったよ。私の事どう思ってたのかとか。知りたいよ……』
今更迷わせて、しょぼっとさせてしまった。
(そもそも成仏させることが目的なのに、迷わせてどうするんだ。アホか、俺は)
『でも、いーの。今日は大葵君と夕雨の初デートで私も楽しんじゃうんだから。目指せ! 映画館でイチャイチャ! 観覧車でキス!』
「あー、それなあ」
思い出させられてしまった。俺のファーストキスが成仏の代償とは複雑すぎる。
(大葵だって、俺とキスなんて……したくないかもだよな。てかそもそも、あいつ俺の事好きなのか? これほんとにデートだって思ってる? 俺もあいつとキス出来んのか? 友達だぞ、友達……)
思い出したのは、生クリームを舐めとった時の綺麗な形で厚みのある赤桐の唇だった。絶叫したいほど恥ずかしくなって、俺は深呼吸をするともう一度エスカレーターをおりていった。
(とりあえず、クミの成仏優先。それ乗り切ってから色々考えよ。あいつとのことも……)
「大葵! ごめん。遅くなった」
駆け寄っていくとあいつはスマホから目線を上げて、俺の方に長い脚で颯爽と歩み寄ってきてくれた。
「待ち合わせの時間より早いぞ」
「大葵こそ、すごく……、早くついたんだね?」
「ああ。楽しみだったからな」
俺を見下ろしてにこって笑う。なんかいつも以上に素直な赤桐に調子がくるってしまう。
(楽しみにしてくれてたんだ……)
赤桐は服装のせいかいつもよりさらに大人っぽく見える。赤桐の横でクミが舌ペロしながら、親指を立てて俺に向かってグーってやってる。
「夕雨、その色似合ってるな」
「え……、ありがと。そっちもいいね」
(やばい、じろじろ見まくってしまった。正直むちゃくちゃ格好いいな。モデルとかスカウトされそうなぐらい)
俺は高校生丸出しコーデだけど、赤桐は大学生がするみたいな大人っぽいシティ系のコーデだ。腰の位置が高いから決まってる、ワイドシルエットのウォッシュブラックのデニムに、ネイビーのヘンリーネックT。アンダーシャツの白い縁の裾だしがあるから爽やかな感じだ。柔らかめのワッフル木地のトップスがこいつの鍛え上げた上半身のなだらかな線を拾って、逞しくかつスタイルの良さが際立って見える。首に巻かれた二種類のチェーンを使ったシルバーアクセサリーも真似したくなる感じだ。
(普段のジャージ姿の大葵と全然違う……。大人っぽい)
「夕雨?」
うっかり見惚れてしまったじゃないか。俺もこういう服装さらっと着こなせる男になりたい。似合わないかもだけど……。
「もう映画館いこっか。ポップコーンとか飲み物とか買って中にはいろ」
「そうだな」
澱んだ川にかかった歩道橋を渡り、目当ての青い建物に入ってビックリしてしまった。飲食店も入っている複合施設の中にある映画館は、予約サイトは良くいくシネコンと同じだったのに、大分古めかしい作りだったからだ。
(まあ、クミが高校生の頃からあるんなら、ざっと二十年以上たってるってことだもんな。古くて当たり前といえば当たり前だ)
「思ったより、あれだよな……。ごめん。大葵は出来たばかりの最新シネコンに行きたかった?」
なんかこっちの事情でごり押ししたからちょっと申し訳なくて、ちらっと赤桐を見上げた。
「ああ、レトロだな。かえって新鮮だ」
「そっか? なら良かった」
「それにどこに行くかより、誰と行くかが俺には大事だ」
「……っ!」
(殺し文句過ぎるだろ、お前)
『夕雨、耳が真っ赤になってるよ!』
先を行く赤桐にこの顔は見られなかっただろうか……。
上の階へあがって売店でそれぞれ大きなサイズの塩バターとキャラメルポップコーンと飲み物を買った。シアターの中はスクリーンは広いけど、傾斜がなだらかでやっぱり今どきの作りとは違って感じる。幸い座席のシートは綺麗になっていて足元もゆったりしてる。休みの午前中だけどそれほど混んでもいなかった。
(オバケもクミ以外はいないし、良かった)
「すいてる。穴場だな」
「うん」
(流石大葵、ナイスフォロー!)
赤桐のさり気ない一言一言に、好感度爆上がりだ。ドリンクホルダーにトレーをさして、シートに身体を預ける。さっきまで春の青空の下にいたのに、映画館の少し絞られたライトは眠気を誘う。こそっと欠伸を噛み殺ろす。
「お前、いきなり寝そうだな」
「寝ないよ。見たかったやつだし」
言ってから変な言い回しになってなかったかなと気になった。よほど人に合わせたのでなければ、わざわざ見たくもない映画に来る奴なんていないだろう。
(俺の方から映画に誘ったのに、意味わかんないこと言いそうになった……。気を付けないとな。ぼろが出そ)
それとこれは赤桐が分かるはずもないけど、赤桐の右隣りの席、クミの分ってことで余分にもう一つ取ってあるんだ。赤桐は知らない間に、俺とクミに挟み込まれているってことになってる。
『映画中にいい感じにラブラブモードをあげてこ!』
赤桐の向こうからひょこっとクミが顔を出した。相変わらずテンションが高い。
(ラブラブモードって……。いや、これ普通に友達と映画見てるのと変わんなくない?)
ポップコーンの香ばしい匂いに誘われて、朝食が早かったせいで、早くも腹が減ってしまった。予告編が終わって本編が流れる間も俺はまだまだキャラメルポップコーンを口の中に頬り込み続ける。ふいに赤桐の腕がこっちに伸びてきた。
「なに?」
赤桐の方へとよそ見をして囁いた唇に、塩バターのポップコーンが押し当てられる。甘いのの次にしょっぱいのもは最高だ。むしゃっと食べ終わったらまた、次から次へとポップコーンが口に入れられていく。
(こいつ。またいたずらかよ)
何度目かの時に、あいつの指先に軽く歯を当てて齧ってやったら、ほっぺたをむにって摘まむ反撃をされてから手が引っ込んでいった。
(あーもう。冒頭のところの会話、聞き漏らして分からなくなっちゃったじゃないか)
『いいかんじ~ じゃあ、こっちからも』
俺がスクリーンを見つめたら、一瞬身体がふっと重くなって、俺の右手が勝手に動き始めた。クミが俺の身体に入ったに違いない。手だけが糸で持ち上げられたみたいに、かくかく動いてる。俺の右手は身体の前を横切って、キャラメルポップコーンを一摘まみした。それで何となく意図を察する。
(大葵にポップコーンあげるわけね。はいはい)
とはいえ、俺もクミの腕の動きに身体を合わせないと『なんでやねん!』みたいな動きになっちゃうし、ノールックで渡すのもなんかシュールだ。ちゃんと腰を捻りながら、赤桐の口元にキャラメルポップコーンを運んだら、明るい映像に照らされた顔が、首をちょっとこっちを傾けて片眉を上げてる。
気を良くしたのか、クミが女子っぽい仕草で俺の首を赤桐を迎えるみたいに傾けながら、あいつの口元にポップコーンを運ぶ。音を出してよい場面だったら「あーんして」とか言い出しかねない。恐ろしい。だけど赤桐は思いのほか素直に口を開いた。
もう一回差し出したポップコンを口に入れた後、赤桐がこっちを向きながら俺の右手を顔の前で見せつけるみたいにして掴まれた。
(ああ、もういらないってこと?)
スクリーンが光って照らされた赤桐の奥に、なんかちょっといつもと違うような熱を感じた。普段なら軽口をたたく口が何も語らずに一瞬だけ俺をじっと見て、それでまたスクリーンに向き直る。
(え? 手ぇ、離さないのかよ)
右手は赤桐に上から握られたまま、俺の膝の上に置かれた。意識したら心臓がなんかばくばくいう。
(友達相手にこんな感情っておかしくないか?)
繋いでる手は熱いのに、横顔は全然こっちに興味がないような無表情に近い。高い鼻梁や引き締まった口元なんかを見つめていたら、逆にそれがちょっと危うい色気があるように見えてくるっていうか……。なんでかそれにちょっとだけ焦れる。
(ああ、なんだよ。俺だけドキドキさせられてんのかよ)
『きゃんっ』
素直に恥じらいの悲鳴を上げて、クミが俺の身体から飛び出していった。手をひっこめようとしたけど、指の間に指を入れられて、握ったり、親指の先で小指の付け根とか手の縁をすりりって触られたりする。
(くっそ、なんなんだよ。こいつ……)
それだけの仕草なのに、ちょっとどきどき、ぞくぞくどっちも止まらなくなって、それをこいつにだけは絶対に悟られたくなくて、俺はとても映画を見るどころでは無くなってしまった。
『もももも、もう一回!』
俺に飛び込んできたクミが『きゃああああん』とか『ドキドキ!』とか『手がおっきい』とか出たり入ったりしながら大騒ぎして、ものすごく煩い。
赤桐は俺達をこんなにドキドキさせているくせに、相変わらずスンっとした表情で、逆の腕をひじ掛けに載せながらゆったりとスクリーンを見つめている。
(くそう、こいつ手慣れてやがる!)
こっちが映画そっちのけで赤桐の事を見てんのに、あっちは俺の方を見ようともしない。長くて太い首、がっしりした骨格、眉一つ動かさない端正な顔。どれもこれもが俺とは正反対だ。
(後で内容聞かれて答えられなかったら、俺がこいつにドキドキして覚えてなかったとか思われるじゃんか。悔しい。映画ちゃんと見てやる)
妙な負けず嫌いが頭をもたげてきて、俺は赤桐に手を掴まれたまんま、必死で画面に集中した。映画そっちのけで大騒ぎする、クミのBGMまで聞きながら……。 映画が終わり、明るくなってからも繋いだままだった手は、俺の方から慌てて強引にひっこめた。あからさまだったかなと思ったけど、赤桐は腕をそのまま伸ばしてスクリーンを向いたまま伸びをしていた。俺もなんか一緒になって同じ姿勢で固まっていた背中をぐーっと反らす。
『わー。ドキドキしたねぇ』
そうクミが俺に同意を求めて来たけど返事は出来ない。こっそり「うん」って頭を縦に振っておいた。映画の内容も面白かったから良かったんだけど、時折赤桐の手が動く度にそっちに意識を引き戻されて、結局半分ぐらい赤桐のことを考える羽目になった。
(こいつ、本気で俺とデートしてるつもりなのかな)
どこかで冗談だって思われてた方がいいって日和る気持ちと、こいつのこと今俺が独占してるんだっていう密やかな優越感と、この後まじでどうしよって言う迷いと、混ぜこぜで頭ぐるぐるだ。



