この恋全部、オバケのせいにしてしまおう

「夕雨、もうつくぞ」
 東京発、名古屋行きの新幹線。俺は座席を倒さぬまま、がっつり赤桐にもたれかかって、いつの間に眠っていたようだ。
「うわ、体感十分……、もうついたんだ。」
 最初は赤桐と一緒にイヤフォンを片耳ずつ付けて、音楽を聞いていたんだけど、昨日の夜はちょっと緊張して眠れなくて爆睡してしまってたみたいだ。大きな欠伸が続けて出て、俺は肩を上げ下げして伸びをした。
「ふわっ……。午前中まで学校にいたなんて信じられないな」
「そうだな」
 新幹線のチケットは、大好きなアーティストの遠征に行き慣れてる姉さんが、JRのアプリをスマホに入れて取り方を教えてくれた。直前までチケットの変更もできるというから優れモノだ。新幹線の改札を出て、スマホを確認した。
「父さんまだ仕事中だから、退勤したら連絡くれるって」
「お父さんの住んでる最寄り駅に行くんだろ?」
「地下鉄で行ける、今池っていう駅だって。でも俺が日帰りするっていったら、名古屋駅まで来るってさ。店、予約してるから十八時半に待ち合わせ。ひつまぶし食べさせてくれるって」
 最初は俺一人で行く予定だったから、父さんが住んでるマンションの最寄り駅でご飯を食べて、一泊する予定だった。だけど明日部活がある赤桐に合わせて帰宅することにしたんで、予定が変わった。
「父さん「泊まりもしないで俺に会いに来るなんて、母さんとなんかあったのか?」って電話の向こうで焦ってたけどな」
「お前は泊まっても良かったんだぞ」
「折角ついてきてもらったのに大葵一人で帰せるわけないじゃん。それにお前いないとつまんないし」
 赤桐は機嫌よさげに口角を上げてスマホに目を向けた。
「先にお土産買っておくんだろ?」
「そうそう。姉さんと母さんに色々頼まれちゃったんだよな。お前は?」
「名古屋に来ているとわざわざ言ってない」
「そりゃそうか」
 明日も朝から部活の息子が学校帰りに新幹線に乗って出かけるなんていったら、普通の親なら反対するだろう。俺でも変だって思うもん。
 俺は名古屋に来るのが初めてだから、駅の路線図を見ても案内板を見てもとにかく新鮮に映る。
「銀の時計ってなんだ?」
「銀の鈴的な奴だろうな。待ち合わせ場所」
「なるほど」
 待ち合わせ場所、で思い出した。クミがやたらと静かだ。周りを見渡しても一瞬見つけられなかった。なんだか急に、影が薄くなったように感じる。
「クミ」
 近づいて行って小声で声をかけた。クミは振り返って、眉を下げて笑う。
『名古屋来たの初めてだよ。モーニングが有名なんだよね』
(緊張してるのかな……)
 俺が突っ立ったままだったせいか、後ろから赤桐が来て肩を抱かれた。
「名古屋城ぐらい行けるかなって思ったけど、全然時間ないな。待ち合わせまでそこらへん回って、喫茶店入らねぇ?」
「そうだな」
 数時間の滞在時間、余すところなく使おうと思っててもあっという間に時間が経っていく。
「これ先買っちゃうと、ふわふわだから東京まで可愛い形のまんま持たないっていうの本当だな……」
 姉さんに頼まれていた動物の形のスィーツは、そうっと持って歩いているつもりだったのにあえなくぶんって腕を振って、崩してしまった気がする。中を見るのが怖くて箱を持ち上げていた、その姿を赤桐が写真に撮ってた。
「なんだよ!」
「可愛い顔してたから」
「は、はあ? お前たまに俺のこと可愛いとかいうの、はずいからやめろ」
「可愛いものは可愛いからしょうがないだろ」
「あー、いいよな。大葵はどっからどう見てもイケメンだもんな。可愛いって言われる男の気持ちなんてわかんないよなあ。俺だって頼りになるとかカッコいいとか言われたいよ」
「夕雨は、別に格好いいと思うぞ。だが、人として可愛げがあるというのは強みだと俺は思うけどな? 俺は『お前は小さい頃から何をしてもリアクションが薄くて張り合いがない』と母にいつも怒られてる」
「な、なるほど……」
『なんか、あんたたちのイチャイチャにもすっかり慣れたわ……』 
 クミの呆れ声を聞きながら、俺達は父さんと待ち合わせをしている店の前にやってきた。
「あの、六時半から予約してます、蓮見です」
 父さんはまだ到着してない。俺達は先に席へと案内された。温かみのある照明に和モダンな内装の個室席、周りの目を気にすることなく、ゆっくりと食事を堪能できそうだ。とはいえ高校生二人で入るには大人の雰囲気過ぎてちょっと尻込みする。赤桐をちらっと見上げたけど、いつもどおり堂々としたものだ。今日も黒を基調にしたシティ系のコーディネートで鍛え上げた身体を包んでいる。とりあえずTシャツの上に薄手のシャツを羽織ってきた俺より、ずっとこの空間にしっくりきてる。通された四人掛けのテーブル席だったから、一瞬座るのを躊躇した。
(この場合、父さんの前と横に赤桐が座るわけにはいかないだろうから、赤桐に奥に行ってもらって、俺が手前だな)
 俺の意図を察したように赤桐とクミはちゃんと席に着いた。
「ではお連れ様がいらっしゃるまでごゆっくりお過ごしください」
 お店の人が戻っていって、俺はほーっと息をつく。
「あー、なんか緊張した。個室とか、父さん張り切り過ぎなんだけど」
「久しぶりに可愛い息子に逢えて嬉しいんだろう」
 可愛い、とかナチュラルにつけてくるから、赤桐お前って俺の事好きすぎん?って思う。
「つっても、一か月ぶりぐらいだよ」
 席に座って父さんが来る前に段取りをもう一度話そうと思ったら、テーブルの上に置いたスマホが震えて『父さん』の表示が出た。
「ああ、うん……。もうお店の中、入ってるよ」
 二・三言葉軽く言葉を交わして俺は電話を切って、二人と顔を見合わせた。
「父さん、もう店の外にいるって」
『……緊張する』
 そう呟いたクミの顔は、名古屋に付いた直後よりもより一層薄くなってきているように思えた。
『ねえ、夕雨』
「なに?」
『ここまで連れてきてくれて、本当にありがとう。もし佐藤君に会った瞬間、私が消えちゃっても、気にしないで。私もう、大丈夫だから』
「クミ……」
(何か言葉をかけたいのに、ああ、何て言えばいい?)
 クミは今にも泣きだしそうな表情をしていた。気持ちが溢れて言葉にならない。どうしたらいいんだろう。俺も泣き出しそうな顔をしたのかもしれない。赤桐がぎゅっと俺の腕を掴んだ。
「なんて言ってるんだ?」
「お連れ様がいらっしゃいました」
 続けて会話をしようとしたら、和紙張りの格子戸の向こうから声がかかった。すっと引き戸が開くと父が立っていた。
「夕雨、待たせたな」
『佐藤君……』
 クミの声はずいぶん小さく聞こえた。続けて『おじさんになってる……』って聞こえて俺はちょっと吹き出しそうになった。
 すっと赤桐が立ち上がって父に頭を下げて「こんばんは」と挨拶をしたから、俺も慌てて立ち上がった。
「ご丁寧に。こんばんは。夕雨の父です」
「父さん……。久しぶり。ええと、友達の赤桐大葵君、です」
「そうか。よく来てくれたね。さあ、座って」
(父さんと大葵、似てるか?) 
 確かに父さんも背が高い方だし、まだ成人前の大葵と歳をとって少し痩せた気がする父とは背格好が似ている気がした。顔立ちはどちらもちょっと濃いめ、父はまあ若い頃はイケメンだったのだろうという顔立ちだ。
「なんだか不思議な感じだな。平日の夜に夕雨に逢えるとは」
 父さんが穏やかに目尻に皺を寄せてこっちを見てくるのがちょっとこそばゆい。「それに友達を連れてくるなんて、どうしたんだ? なんだか畏まって、交際相手でも紹介されるみたいな雰囲気だな」
「えっ!」
「えっ?」
 真面目な仕事人間で冗談を言うタイプではない父さんがいきなり変なことを言うから、びっくりしてしまった。俺が上げた声に父さんもつられて驚いてる。赤桐はちょっとだけ大きく目を開いてから、面白がって口角を上げた。
「なに変なこと言ってんだよ! このお店選んだの父さんだろ!」
「ひつまぶしが食べてみたいというから折角なら老舗がいいだろうと思ったんだ」
「失礼します」
 お店の方が戻ってきたので、父さんは俺達にメニューを広げてくれた。
「どれでも好きなものを頼むといい」
(結構高い……。父さん張り切りすぎだよ)
「父さんのお勧めでいいよ」
 正直どれを選ぶといいのか分からなかったから父さんに決めてもらうことにした。それよりも父さんの顔をじっと見つめたまま息をひそめている、クミの事が気になってしょうがない。
「夕雨、肝吸いはつける?」
「あー、俺は無理」
「赤桐君、君はいけるかな?」
「はい。いただきます」
「運動をしているのかな? いい体格しているね」
「はい。陸上競技をしています」
「そうなのか。僕は中学までは野球部でねえ。野球は好きかい? 残念なんだが、夕雨はあまり野球に興味がないんだよ」
「そうですね……。小学生の時は地元の少年野球チームに入ってました」
「え? そうなの?」
「そうだ。陸上は中学ではじめた」
「そうかそうか。うちの家族は野球に興味がある人がいなくてね。こっちでドーム戦のチケットを取ってあげるから、夕雨と一緒に見に来るといいよ」
「はい」
(な、なんだこれ……。娘の彼氏と話題が弾む親父みたいになってるじゃん……)
 いつになく饒舌な父さんが次から次へと野球の話題を赤桐に振って、赤桐も律儀に答えるものだから、話題をかえるタイミングが全然つかめない。
「あのさ……、父さん」
 意を決して話しかけようとしたら食事が運ばれてきてしまった。
「温かいうちに食べよう」
「……いただきます」
 食欲をそそる香ばしい匂い、一口頬張ったら甘辛いたれとジューシーな味わいが口いっぱいに広がった。
「美味い」
「美味しいです」
 お腹が空いていたのと、この後じっくり話をしたい一心で俺たちは美味しいひつまぶしをすごい速度であらかた食べた。赤桐はなにより一口が大きい。
「いい食べっぷりだなあ。十代は」
 ウナギをあてに一緒に頼んだビールに口を付けた父さんが、俺達を見て目を細めると、おもむろに聞いて来た。
「夕雨、どうして急に父さんに会いに来たんだい? 朝花からも『夕雨の話をしっかり聞いてあげて』ってメッセージが入ってたんだが……。母さんには言えないような、なにか悩み事でもあるのか?」
 赤桐が綺麗な所作で箸をおいて姿勢を正すのを見て、俺も箸を置いて背筋を伸ばす。クミが居ても立っても居られないという感じで、立ち上がる。
「あのさ……。父さんの幼馴染に、柳木久美子さんっていう人、いなかった?」
「夕雨、どうして……、彼女のことを知っているんだ?」
 父さんの顔色がみるみるうちに変わり、さっきまで機嫌よく緩んでいた頬が強張った。俺も何と口火を切っていいのか迷って、でもはっきりといった。
「信じられないと思うけど、聞いて欲しい。俺はその柳木久美子さんから直接話を聞いたんだ。父さんとクミさんは幼馴染で、横浜でデートをして、観覧車に乗る約束をしてた。あってる?」
「夕雨、悪ふざけはよしなさい。どうしてそんな作り話を……。誰から彼女の事を聞いたんだ?」
(アプローチ大失敗だ……)
 どんどんと顔つきが険しくなっていく父さんに、困っていると、となりで赤桐がついに口を開いた。
「夕雨の話は本当です」
『そうだよ、佐藤君。夕雨はすごく素直ないい子なんだから!』
 クミまでが喚く声が聞こえる。だが父が姉と似て頑固な性格をしていることを考慮すれば、こうなってしまうのは仕方なくも思えた。
「嘘をつくような子じゃありません。お人好しで真っすぐな性格です。お父さんが一番ご存じなはずです」
「大葵……」
「だがね、君……、彼女はもうすでに亡くなっている人だ……。誰かがきっと久美子ちゃんの名前を語って君たちにそんな嘘を……」
『嘘じゃないもん! 夕雨の話を聞いて』
「クミが、今父さんの隣に座って、『嘘じゃない、話を聞いて欲しい』って言ってる」
「お前は、何を言っているんだ?」
「父さん、信じて! お願い。俺と姉さんは子供の頃からオバケが視える。一度そのことを話した時、母さんは信じてくれたけど、父さんは信じてくれなかったよね?」
「そんな荒唐無稽な作り話……、到底信じられるものじゃない。いやお前たちがどうこうじゃない。人は死んだらおしまいだ。だから今の人生を悔いなく行き切ることこそが、ご先祖さまや亡くなった人に対する、生きている人間ができる最大の供養になる。俺はそう信じて生きてきた」
『佐藤君……』
「父さん、それってさ……。クミが高校三年生で亡くなったから? ねえ、教えてよ。父さんはあの日どうして、横浜の待ち合わせ場所にいけなかったの?」
「まだいうのか……。夕雨、お前一体どうしてしまったんだ。こんな……」
 古傷をえぐられたような苦し気な表情で、言葉を失った父さんは、片手で顔を覆って項垂れた。
「思い出させないでくれ……。今詰られるならあの時徹底的に皆から責められたかった……」
「父さん……」
『佐藤君……』
(あの時、父さんが待ち合わせに行けなかったことでクミが体調を崩して亡くなったって……、父さんは自分で自分を責め続けてたんだ)
 寡黙で、不器用で、仕事一辺倒。だけど俺達家族を今も必死に働いて守ってくれている父の、苦しい過去の記憶。
(俺が無理やりこじ開けて、ぐさって新しい傷を父さんにつけたんだ)
「ごめん……、ごめん。でも……、クミが知りたがってるんだ。それが心残りで、天国に行けないって……」
「まだいうのか! 誰に言われたんだ。クミは天国に行ったに決まってる! あんないい子が、苦しみ続けていいはずがないんだ! クミと話ができる? わざわざ名古屋まで来て、そんな寄多話をしにきたのか?」
 動揺して声を荒げた父さんがどんってはじめてみる剣幕で机を叩いた。俺も苦しくなって、どうしていいか分からずにテーブルの上で拳を握る。
「証拠ならあります。……あなたが大切な息子さんの話を少しでも信じてくださる気があるなら、この動画を見てください」
「え……」
 静かに俺達を見守っていてくれた赤桐が俺達の前に自分のスマホを差し出した。そのまま一つの動画を選んで、再生を始める。
「これ……、新幹線の時に撮った?」
「ああ」
 ゴーっと音が響く新幹線の座席、俺はシートに身を任せて眠っている。赤桐はわざと俺の頭に、被ってきたキャップまで被せて完全に視界を塞いでしまった。
「これがなんだと……」
 奇妙なのは俺の腕だけは起きているようにスマホを掲げて、指は自在にスマホを操っていることだ。俺のSNSを連続で更新して、それからスマホアプリの画面を立ち上げて、文章を書き始めた。文章が送信されるたびに、赤桐の方のスマホが立て続けに着信で震えていく。そこで動画は途切れた。俺は自分のスマホを取り出した。そこには新幹線で移動中、俺が眠っていたであろう時刻に赤桐とやり取りしたであろうメッセージが残っていた。
「……クミが、お前と会話してた?」
「そうだ」
『そうだよ。大葵君と話しちゃった』
 新幹線に降りてから今まで赤桐と一緒に行動していたから、スマホでわざわざ履歴を見返したりしていなかった。
「これ……」
 俺は二人のメッセージのやり取りに急いで目を走らせた。赤桐が「夕雨のお父さんとクミさん、二人だけが知っているエピソードは何かありますか?」と丁寧にクミに尋ねている。
(『佐藤君、クミだよ。小学校の時、二人でキャッチボールしてた場所覚えてる?クミが住んでたアパートの前の駐車場。あの頃は裏にまだ畑があったよね。一回駐車場で猫が沢山子猫を生んじゃってて、一番小さい白い子、クミが飼ってあげたくて子猫と親猫を引き離しちゃったら、もうその子の面倒を親猫が見てくれなくなっちゃったよね。クミがショックで泣いてたら、佐藤君が二人で駐車場でこっそり飼おうって約束したけど、子猫はどんどん弱っちゃった。二人でお年玉持って動物病院に行って、飼い主も探してもらったんだよね。ちゃんと責任が取れる大人になったら二人で暮らして猫飼えるようになりたいねって、話したよね。それから隣の町にある大きな巻貝の形をした滑り台のある公園まで自転車で……』)
 クミが選んだ、父さんとクミだけが知っているようなエピソードだ。それから何個か待ち合わせの日の事が書かれていて、最後に『どうしてあの日待ち合わせに来られなかったのか、知りたいです』と書かれていた。
(なんだよ、クミ。父さんがクミの事どう思っていたのかは聞かないのか?)
 そう思ってスクロールしたら、もう一言『夕雨は絶対大葵君の事好きだと思うよ。女子の勘!』なんて余計な一言が書かれていて、俺はこの一文を慌てて送信取り消しをしてから父さんにスマホを手渡した。
「これ、読んでみて」
 未だ俺の事をいぶかし気な目で見てくる父の視線にちょっと傷つきながら、俺はスマホを父に手渡した。
「読んで。お願いします」
 赤桐の方を向いたら、勇気づけるみたいにこっくりと力強く頷いてくれてる。ちょっとスマホの画面を目から離しながら、父さんがメッセージを読み始めた。はやる気持ちと緊張感、落ち着かないでそわそわと机の下で拳を握ったり広げたりしていた俺の手を、赤桐が掌で包み込む。ちらっと目線を送ったら、顔は父さんの方に落ち着いた様子で向けたまま、大丈夫だっていうように手をきゅっと握られた。
(いつも通りの頼もしさだけど、父親の前で息子の手を握るとかちょっと大胆過ぎんか? いや友達だったら普通? いやいや普通はしない?)
 こいつの距離感のバグが通常営業になりつつあって、自分でも何が正解かよくわからなくなってしまった。ただ一つだけ言えることは、俺は全然この手を放したくなくて、自分からもくるって掌を返して握り返したってことだ。
 父さんは何度かスクロールを繰り返して、じっくり時間をかけてメッセージを読むと、まだ複雑そうに眉間にしわを寄せながら呟いた。
「何が聞きたいんだ。夕雨」
「……なんでクミとの待ち合わせに行けなかったの?」
「それを話して、彼女に届くのか?」
「届くよ。今ここで、父さんの話を聞いてる」
「まだそんなこと……」
 と呟いた後、父さんは自分の隣の誰も座っていない席をハッとした表情で眺めた。
「もしかして、ここに彼女が座っているのか?」
「そうだよ」
「……俄かには信じがたい、だけど」
 力なく項垂れた父さんは、すっかり泡がしゅんっと落ち着いたビールをあおった。
「信じよう。息子を信じることで、君に後れを取るわけにはいかない」
 そう赤桐に話しかけてから、偶然のように父さんを見つめてたクミと視線を合わせてた。
「柳木久美子さんは、俺の幼馴染だ。明るい子でね、母さんから連絡が入ったんだが……、夕雨はおじいちゃんと血が繋がっていないと聞いたんだね」
「うん」
「そうか。俺も久美ちゃんの家も母子家庭だったから小さな頃から自然と二人でいることが多くてね。妹のような姉のような存在だったな。大人しい僕とは違ってはっきりものが言える快活な性格でね、たまに周りと揉めたりもしてたけど僕にはその真っすぐな明るさが眩しく思えた」
『照れるなあ』
 それはまさに俺がクミに感じていたのと同じ印象だ。クミはいつもの調子を取り戻して両頬に手を当てて身をよじって喜んでる。
「もう卒業目前で、大学入学も決まってね。結果を出せたこともあってクミちゃんと初めて二人で出かけることにしたんだ。横浜で映画を見て、前の年に出来たばかりの観覧車に二人で乗るって。楽しみだったな……」
「じゃあなんで、待ち合わせに行かなかったの?」
「行かなかったんじゃない。行けなかったんだ。前日の夜から高熱を出してしまって、結果的にインフルエンザにかかって隔離を余儀なくされた」
「『インフルエンザ』だったんだ」
「朦朧とする中、検査のために休日診療に並んだ。連絡をしようにもクミちゃんの自宅に電話しても誰も出なかった。伝言を伝えたくても当時はスマホもない。そのうちにもう動けないほどに体調を崩してしまってね。当時は今みたいに一回投与されたらすぐに熱が下がっていく薬もなかったから、長いことうなされて……。二日目の朝だったか、なんとかクミちゃんの家に電話をした。おばさんが出て、クミちゃんは肺炎で入院したと言われた。まさか俺と待ち合わせしたせいで風邪をこじらせてしまったんならと、居てもたってもいられなくてね。だけどインフルエンザの人間が外に出ていいはずがないって家族に止められた」
 その後のことは大体察しがついた。個室の中は祖父ちゃんの通夜の席よりも湿っぽく暗い沈黙が流れた。沈黙を破ったのは俺にだけ聞こえる、明るいクミの声だった。
『そっか。なら仕方なかったんだね』
「そんなあっさり……。クミ、聞かないの?」
(父さんがお前のこと、どう思ってたか)
 何とも言えない複雑な表情をしているクミの顔がふわりとぼやけて見えた。どきっとする。
「クミ……、消えかかってる」
 それはいいことなのに、なんでか切ない。こんなあっさりと終わっていいことなのか。狼狽える俺の手を掴んだまま、赤桐ががっと椅子を後ろに引きながら立ち上がった。
「蓮見さん、夕雨。一緒に来てほしいところがあります。今すぐ店を出て、俺についてきてくれませんか?」
「大葵?」
「お願いします」
 赤桐が父さんに向かって深々と頭を下げる。俺は何をしようとしているのか測りかねながら、自分も立ち上がって頭を下げた。
「父さん、お願い。大葵のいうとおりにして。こいつは……、俺にとって誰より頼りにできる男なんだ」
 俺たち二人の勢いに突き動かされるように、父さんも鞄を掴んでよろりと立ち上がる。
「そうか、分かった。会計を済ませるから店の外に先に出ていなさい」
(大葵、お前何考えてるんだ?)
「クミも、一緒に来てくれ」
『わかった』
 声が聞こえてないはずなのに、赤桐はクミにもそう声をかけて店を出た。今いるビルから外に出る。春も終わりの風は少し温くて、知らない街の街角に四人でいるのが不思議な感覚になった。
(まるで夢でも見ているみたいだな)
「こっちです」
 赤桐は地図も見ないで迷いなく歩くと、さっきも散々歩き回った地下街に降りて行った。そこからまたたまにちらりと案内表示を確認しながら、七分ほど歩いて目的の出口にたどり着いた。階段を上がっていく赤桐の広い背中を俺は父さんと二人で追いかける。
「ここは……」
「展望台?」
 綺麗なオフィスビルの中に足を踏み入れて、一気にエレベーターで42階まで上がる。
(やっぱり展望台だ……)
 チケット売り場は週末の夜ということもあってそれなりに人が並んでいた。赤桐が先頭に並ぶと、俺達の分のチケットも買って、ガイドさんみたいに手渡してくれる。
「行きましょう」
 中に入っていって驚いた。都会的で洗練された展示スペース、空が見える吹き抜け、全面がガラス張りで、煌めく夜の名古屋の街を一望することが出来た。地上200メートルを超えた、天国に少しでも近い場所。外気の風が心地よく、髪や頬を撫ぜていく。
「大葵……、すごいな。すごく綺麗だ」
 なんか感極まってしまいそうだ。赤桐は俺の肩にぽんっと手を置いた。 
『すごいすごい!』
 赤桐は吹き抜けの上の方を指さす、空中に浮かぶような回廊に人の影が見えた。
「あそこまで、登りましょう。夕雨、一緒に行ける?」
 高いところが苦手な俺を気遣って、赤桐が先に声をかけてくれた。
「ここまで夜景だともはや昼間とは別物だから大丈夫だと思う。観覧車と違って揺れないし」
「そうか。じゃあいこう。行きましょう」
 俺と赤桐が並んで歩き、後ろから父さんとちょっとだけ離れてクミが付いて来る。俺には赤桐が何をしようとしているのかだんだんわかってきた。
(「空の上で成仏させてやるから、ちゃんと天国行くんだぞ」。大葵は俺がクミとした約束を、果たさせてくれようとしてるんだ)
 胸が熱くなる。涙がじわってこみ上げる。感極まった俺は自分から赤桐の腕の取った。
「いこう」
 エスカレーターで上の階に上がると、天空に浮かぶような昏い夜の回廊が現れた。目の前には息を飲むほどに美しい夜景が広がっていた。暗いから周りの目が気にならない。俺も赤桐により近づいて、ぎゅうっと腕を胸に抱き込んだ。
『すごい! すごいね!』
 少し歩いて行って、俺達が並んでも邪魔にならない辺りに四人で立った。父さんクミ、俺、赤桐。しばらく黙って夜景を見下ろした。
 夜の星とはまた違う、人々の営みが生み出す灯りは、沢山の人たちがここで泣いたり笑ったり怒ったりしているのかと思うと、妙にエモい気分になる。今、俺たちはみんな同じ事を考えていたんだろうか。長い沈黙の後、最初に口を開いたのは父さんだった。
「クミちゃんの事が子どもの頃から大好きだったよ。受験が終わって、デートに誘われて『観覧車のてっぺんでキスしたカップルはずっと幸せになれる』何て言われて、俺は有頂天になったな。奥手で自分からはとてもそんな真似できない。俺を引っ張っていってくれる明るくて元気な彼女が大好きだった」
『佐藤君』
「観覧車のてっぺんでキスは出来なくても、告白してお付き合いしてもらおうと思っていたよ。『君の事が小さな頃から大好きだった』って」
 クミの身体が白っぽく発光していく。俺はまじまじとその姿を見た。
「クミ……、逝くの……」
 クミが成仏することをあんなに心から願っていたのに、完全に消えるのを見るのが哀しい。クミの名前を掠れた声で呼ぶ俺を、赤桐は後ろから腕を回して抱きしめてくれた。胸に回った赤桐の手を抱き込むと、手首に巻かれた俺とお揃いのブレスレットが、小さく音をたてた。
「……夕雨、赤桐君と自由に回ってきなさい」
 薄暗い中眼鏡越しには分からなかったけど、父さんの声は少し涙が混じっているように感じた。
「行こう」
 俺も涙が零れそうなこと、父さんに悟られたくない。下を向いた俺の腰を大葵が攫う。こらえ切れない涙の粒がぽたぽたと足元に垂れていく。そんな俺に、後ろから柔らかな優しい声がかかった。
『夕雨、大葵君……、ありがとう』
 たまらずに振り返る。一人で夜景を見下ろす父さんと、その横に光の玉がふわりと窓をすり抜け、天に昇っていく。幻想的な光景にもう俺は堪らなくなった。
「ぐっ……」
 涙が頬を伝う、嗚咽交じりの声が唇をかみしめても喉の奥から漏れた。赤桐は何も言わないで、俺の背を押し歩き出した。回廊の角では写真を撮る人々の楽しげな声がさざ波のように聞こえる。俺達は回廊を曲がって北側の角まで歩いて来た。 
 消火栓の後ろ、吹き抜け側に出っ張った空間に二人で示し合わせたわけじゃないのに吸い込まれるように隠れる。俺は赤桐の腕の中へ迷わず飛び込んだ。
「大葵、大葵……」
 涙声をもう隠せない。俺は子供みたいに泣きじゃくった。
「クミ……、消えた」
「ああ」
「お、俺と大葵に、ありがとうって……」
「そうか」
「わ、笑ってたと思う……」
「そうか」
 背中を摩りながら俺を抱きしめてくれる手が優しい。一しきり泣いて、落ち着いてから、ちょっと恥ずかしくなってしまった。鼻水まででていたかも。ポケットを探っていたら、先回りしたみたいに赤桐がリュックをごそごそやって、ハンドタオルを出して俺の顔を拭ってくれた。
「これ……、お土産に買ったやつじゃん」 
 名古屋名物の黄色いキャラが付いた藍色のハンカチは赤桐が土産物屋さんで選んで買ってたやつだ。
「まあいいだろ、綺麗な方が。お前の顔を拭うんだから」
 そう言いながら鼻先まで柔らかく摘まんで拭きあげてくれた。
(本当に、こいつって……、好きだなあ)
 腕を自然に引かれて、誰もいなくなった展望台の角に立った。映える写真が取れること間違いない場所だ。ちょっと風も強いけど、それがまた気持ちを奮い立たせてくれるような気分になる。足元に広がる煌めく街を背にして、俺達は向かい合った。
「ここを探して、連れてきてくれて。本当にありがとう」
「そっちこそ、俺を一緒に来させてくれてありがとう」
「大葵がいてくれなかったら、俺、四月から学校行けてなかったかもしれない」
「そうか」
「だからその……。大葵、俺の答え、まだ待ってる?」
 この期に及んでまだ告白の返事をモダモダとできない俺に、赤桐はくすって笑って顔をゆっくり近づけてきた。
「ごめん、ちょっと返事を待てそうにない。……キスしてもいいか?」
「うん」
 俺の消え入りそうな返事をちゃんと拾ってくれて、顔を上げた俺の頬に手を添えながら、赤桐がキスをしてくれた。
(唇ってマジで柔らかいんだ……)
 何回か押し付けられて、ふわふわと夢見み心地になる。
「ちょっとしょっぱいな」
「うっさいな。泣いたからだよ」
 言いながら目を開けたらちょっと照れくさそうにして、赤桐が夜景の方を向いてるから、俺はもう一度こいつの胸に飛びついた。
「俺も、お前のこと、好きだ!」
「写真、撮りましょうか?」
 後ろから来たカップルにおずおずと声をかけられて、俺はびっくりして慌てて赤桐から離れようとしたのに、赤桐の奴は慌てる様子もなく、スマホをポケットから取り出してた。
「お願いします」
「えええ、撮るのか?」
「こういうのお互い取り合いたいからするんだろ?」
「な、なるほど……」
 甘い雰囲気がちょっとかすれて、友達のノリに戻るのかと思った。だけど赤桐がいかにも彼氏ですって感じに俺の腰に手を回して、いつもみたいに堂々とした感じで動きを止めたから、俺は仕方なく陰キャピースを決めて一緒に写真に納まった。
「もう一回回るか」
「うん」 
 頷いてさっきのカップルからはそれなりに距離を取りつつも、俺はすぐに立ち止まった。
「夕雨?」
「一周回ったらさ……。すぐ父さんのとこ戻っちゃうじゃん。もうちょっとここで二人で夜景見ない?」
 自然と上目遣いになりながら赤桐を見上げたら、赤桐が珍しく感情丸出しになって「あーっ」って言いながら長い脚をぐっと折ってしゃがんでしまった。
「どうしたの?!」
「お前さあ」
 下から俺を見上げるアングルも中々イケメンだ。困ったように普段は凛々しい眉毛を下げた赤桐は俺の手も引っ張ってしゃがませる。
「東京帰りたくなくなってきただろ。どう責任取ってくれる?」
 それはそれはメロい調子で甘えてきたから、俺は意外なこいつの一面を見てふふんって笑った。
「このままこっそり父さんちに泊まったってことにして一晩中街をうろついてさ。始発で帰ってもいいんだぜ?」
「……その言葉、本当だろうな」
 頭の後ろの赤桐の大きな手が回る。目線の高さが一緒のキスはやりやすいなって思いながら、俺は赤桐ともう一度、夢中で唇を啄み合った。