この恋全部、オバケのせいにしてしまおう

 午前中が雨降りだったせいか、電気の付いていない放課後の教室は四月にしては肌寒く、空気が湿ってどんよりと重たい。俺は自分の机に着いたまま、誰もいない隣の席に向かって呟いた。
「なあ、やっぱさあ、人を巻き込むのはどうかと思うんだよ。他に方法ないかな?」
 ちょうどそこに廊下から足早な靴音が聞こえてきて、俺は慌てて口を噤む。教室の真ん中で『独り言』を言ってるのを誰かに見られたら気まずすぎる。ただでさえ二年生になってから、すぐにぶっ倒れる『病弱キャラ』って思われてる俺が、これ以上属性が増やすのは止めにしたい。
 身構えつつ目線を上げると、ガラガラっと勢いよく扉が開いた。間髪入れずにクラスメイトの赤桐(あかぎり)が入ってくる。部活を抜けて来たのか、ジャージ姿だ。赤桐は俺と目が合うと、くっきりとした二重の目を意外そうに見開いた。
蓮見(はすみ)? まだ帰ってなかったのか?」 
「ああ、うん」
(えっぐ……、まじか。このタイミングで、今こいつが来るなんてことある?)
 誰もいない教室の中、俺がスマホを見るでもなく一人で座ってるのは奇妙に映ったみたいだ。
「そっちこそ、どした?」
「忘れ物」
 大股でこちらに歩み寄ってきた赤桐の席は俺の斜め前だ。俺は机に頬杖をつくと、浅黒く男っぽい横顔を上目遣いにじっと見つめる。自然と溜息が漏れた。
(いいよな、こいつ。怖いものとか全くなさそう。ビビりの俺とは大違いだ)
 赤桐は陸上部のエースだ。一八〇センチは優に越えた長身、スポーツウェアだと余計に際立つ筋肉が発達した体つき、逞しく存在感があっていつも堂々としている。表情はどちらかといえば乏しめだけど、何事にも動じない、流石アスリートって感じだ。ビビりだからいつも平静を装うことに必死で、心の中では毎度『やばいやばい』と踊り狂っている俺とは真逆の男だ。
(『俺がお前の事ばっかり考えて夜も眠れなかった』なんて言ったら、どんな顔するんだろう)
 こいつが慌てふためいて動揺するところ、ちょっと見てみたいなんて悪戯心もでる。
(ああもう、そんな風に考えなきゃやってらんない。どうしよう、今言う? 忙しいこいつと人目を避けて二人きりになれるなんて、今しかないだろ)
 赤桐から目が離せないまま、言葉をかけるタイミングを計る。胸の鼓動が痛いくらいに高まってきた。身体に余分な力が入って強張り、こくっと喉を鳴らした。目と鼻の先で鍛え上げられた長身を屈めて、赤桐が机からプリントを引っ張り出してる。
(こいつ男らしくてカッコいい顔立ちしてるよな。そう、どっからどう見たって、男。男なんだよ。俺と同じ!)
 きりりと吊り上がり意志の強そうな太い眉に、くっきりした並行二重の目元は切れ長でもあり、今どきあまり見ないクラシカルな雰囲気すら漂う男前だ。 
 俺はちらりとまた隣の席に目線を走らせてから、立ち上がりすーっと大きく息を吸う。
(あーもう、なるようになれ!)
 身体の横でぴんっと腕を張って両手の拳を握り、俺は赤桐に向かって頭を下げた。
「赤桐。頼む! 理由を聞かずに、俺に付き合ってくれええ!」
 語尾もひっくり返るし上擦るし、無様すぎる告白だ。言い終わった後、しーんと、教室が静まり返る。俺等の他に誰もいないから、相手が何も言わなければそりゃそうだ。
(い、居たたまれねぇ……)
 猛烈に恥ずかしくて赤桐の顔が見られない。視線を下に落としたら、赤桐の冷静で穏やかな低い声に聞き返された。
「付き合うって、どこに行くんだ?」
 慌てて顔を上げたら、赤桐が僅かに眉を寄せ、彼にしては分かりやすく怪訝な顔をされた。
「え、どこって……」
(あれ、俺、変な言い方しちゃった? 気まずっ。俺と、じゃなくて俺に付き合ってとか言い間違った? 渾身の告白したつもりがやらかした?)
 むぐっと言葉に詰まり顔が熱くなって、汗がどっと滲むのが自分でもわかった。
「あー、そうじゃなくて、えーと。あの」
 赤桐が口ごもる俺にますます目を凝らす。目鼻立ちがはっきりした濃いめの顔立ちだから、じっと見られると迫力がある。
(ああ……、目力、つっよ。まともに顔見ながらもっかい言うのしんど……)
 俺はさっきまでの勢いが完全に消し飛んで、しどろもどろの俺に、赤桐はもう一度はっきりとした口調で尋ねて来た。
「じゃあ、どういうことだ? お前に付き合うって」
「え、あああ……」
 ヘタレすぎる俺は赤桐の勢いに負けて、よろりと一歩下がりかけて椅子に足を取られてのけ反った。慌ててこちらに歩み寄ってきた赤桐が、俺の肩と腰に手をかけ、心配そうに覗き込んでくる。
「どうした? 顔色悪いぞ。また貧血か? 倒れそうなら、俺に掴まれ」
(ああ本当に、いい奴だな。こっから一年間、こいつとクラスメイトなんだから、絶対に気まずくなりたくない。今ならまだ、何とでも誤魔化せるだろ。ほら、なんか。適当に理由をつけて……)
 頭の中煮え切らない考えがぐるぐる回って落ち着かない。今すぐこいつの前から逃げ出したいぐらいだ。
 視線の端に黒い人影が見えて、身体が冷や水をぴしゃっと浴びたように震えた。俺達の他には誰もいない部屋の中、窓も閉まってカーテンも揺らがない。なのに墨を零したように広がっていく真っ黒な影に、ゾゾッと背中を怖気が走る。
(駄目だ。赤桐んとこ行くな。俺んとこ、戻れって)
 そう念じた次の瞬間、首筋にひやりと冷たい指先が伝わるリアルな感触がした。
『約束破るの?』
 吐息が降りかかりそうな位置で甲高い声が俺に囁く。ぞっと首の後ろの産毛が立つ。心臓の鼓動が増したのは緊張か恐怖か、自分でも判りにくい。俺は一度ぎゅっと目を閉じてから、縋るような目つきで赤桐を見上げた。
「赤桐、あのさ」
「なんだ?」
 赤桐の声は穏やかで優しかった。いつもそう、こいつは俺にだけすごく優しい。だから俺もこいつになら何言っても許してくれるんじゃないかって思っちゃうんだ。
「俺と、その……。ま、まずは友達からでいいんで……」
「すでに友達だと思ってたんだが?」
 そんな少年漫画のヒーローみたいに真っすぐな目で俺を見下ろさないでくれ。生涯の友情を誓いたくなるじゃん。
「いやあの、その俺もそう思ってるけども」
「そうか。良かった」
 満足そうに頷かれて、胸にちりちり痛みが広がる。
(いい奴過ぎるだろおおお)
 俺があまりにも挙動不審に見えたんだろう。赤桐は吊り上がり角がはっきりした眉を顰め、俺の頬にでっかい掌を当ててきた。
「お前、顔が真っ赤だぞ。熱でもあるのか? また保健室まで送るか?」
「顔? 赤い? あああ、緊張ってか怖いってか、どうしたらいいか、あああ」
「俺相手にわざわざ緊張する必要ないだろ?」
「まあ、そうなんだけど」
「どうした。俺に出来ることがあるなら言ってみろ」
『お願い』
 女の子の声がもう一度、耳に直接届く。次の瞬間黒い影がほっそりした人影に変化し、血走った目の透けた女の子が赤桐の横に立っていた。喉がひくっていう程恐ろしかったが、同時にその『オバケ』の必死な表情を見たら放ってはおけないと思ってしまう。
(俺にしか、できない。俺にしか、救えない)
 覚悟を決め、俺は真っすぐに赤桐を見つめ返す。
「……お前にしかできない。お前にしか頼めなんだ」
「そうか。分かった。改まって、何だ?」
 まるで年上みたいな堂々とした立ち姿に声掛け。陸上部エースは腰に手を当てた姿で穏やかに微笑んでる。なんでも許してくれそうなその姿に、俺は一縷の望みをかけることにした。隣には相変わらずオバケがふわふわ浮かんでる。恨めし気にこっちを見るオバケに一度視線を送ってから、赤桐だけを視界にいれて真面目な顔でお願いをした。
「頼む、赤桐。俺と付き合って。映画館デートしてくれ、一回でいいから!」
(言ってしまったああ! 無理なら断ってくれ、頼む! そしたらも諦めつくと思うから!)
「わかった」
 そんな俺の心の叫びも空しく、こいつがいい奴過ぎて、俺の必死過ぎる願いが通じてしまった。
「え……、はあ、いいのか?」
「いいも何も。別に映画ぐらい」
「デ、デートだぞ、デート。付き合うかもって、いい感じの二人が行く、あれだぞ」
(引くよな、引いてくれ。引くなら、引いてよ!)
「ああ。理解してる」
「り、理解、してるのか?」
 度量がデカいというかなんというか。いやもしかしてこいつそもそも俺の事が好き? 女子から熱い視線を浴びてる男が、俺の事好き? そんなわけないよな。
 「それより」と前置きされて、載せられたままだった赤桐の手に俺は肩を引き寄せられた。そのまま距離感バグってるほどの至近距離で顔を覗き込まれる。
「顔が赤くなったり青くなったりして、お前本当に体調大丈夫なんだな? 昨日みたいに倒れたりはしないだろうな?」
 迫力あるイケメンにぐぐっと念を押されたから、俺は勢いに吞まれつつ、小さく「だいじょうぶ、です」と呟いた。黙ってるとちょい強面だけど、俺の事を本当に心配してくれてるって、覗き込んでくる顔つきとか、気づかわし気な仕草から伝わってくる。
(そっか。俺が必死だからOKくれたんだ。こいつってこんな風に、面倒見が良くて進んで人助けできちゃうタイプなんだよな)
 赤桐は俺の肩をぽんぽんと叩いてドアに向かっていく。
「じゃあ、部活行ってくる。映画何見たいか決まったら連絡くれ」
「ご、ごめ……。なるべく早くがいい」
「ああそうか。分かった。近く、いけそうな日程送っとく」
 赤桐が部活に戻る背中を見送り、へなへなって脱力して椅子に腰を下ろした俺の周りを、白い光のピンポン玉みたいなやつがぐるんぐるん浮かれた調子で飛んで回っている。
『イケメンとデート! デート!』
 さっきまでのおどろおどろしい雰囲気が吹き飛んだような、弾んだ女の子の声が耳に直接聞こえて来た。気が抜ける、ああもう怖がっていいのかほっとしていいのかなんだか感情ぐちゃぐちゃだ。
(言っちゃったよ……。もう、取り返しつかないだろ)
 廊下に出る直前に赤桐がくるって俺を振り返った。
「蓮見。映画、楽しみにしてる」
「え、ああ」
 なんかレア中のレア、いつもは無表情よりの赤桐の、イケ散らかしたいい笑顔を見てしまった……。
(あいつ部活忙しすぎて、映画見に行くの久々なのかな……)
 あああ、ついに「デート」に赤桐を誘ってしまった。俺はもう赤桐と『オバケ』女子。どっちに気を取られていいのか分からなくて机に突っ伏した。