この恋全部、オバケのせいにしてしまおう

 午前中が雨降りだったせいか、電気の付いていない放課後の教室は四月にしては肌寒く、空気が湿ってどんよりと重たい。俺は自分の机に着いたまま、誰もいない隣の席に向かって呟いた。
「なあ、やっぱさあ、人を巻き込むのはどうかと思うんだよ。他に方法ないかな?」
 ちょうどそこに廊下から足早な靴音が聞こえてきて、俺は慌てて口を噤む。教室の真ん中で『独り言』を言ってるのを誰かに見られたら気まずすぎる。ただでさえ二年生になってから、すぐにぶっ倒れる『病弱キャラ』って言われてる俺が、これ以上属性が増やすのは止めにしたい。
 身構えつつ目線を上げると、ガラガラっと勢いよく扉が開いた。間髪入れずにクラスメイトの赤桐が入ってくる。部活を抜けて来たのか、ジャージ姿だ。赤桐は俺と目が合うと、くっきりとした二重の目を意外そうに見開いた。
「蓮見? まだ帰ってなかったのか?」 
「ああ、うん」
(えっぐ……、まじか。このタイミングで、今こいつが来るなんてことある?)
 誰もいない教室の中、俺がスマホを見るでもなく一人で座ってるのは奇妙に映ったみたいだ。
「そっちこそ、どした?」
「忘れ物」
 大股でこちらに歩み寄ってきた赤桐の席は俺の斜め前だ。俺は机に頬杖をつくと、浅黒く男っぽい横顔を上目遣いにじっと見つめる。自然と溜息が漏れた。
(いいよな、こいつ。怖いものとか全くなさそう。ビビりの俺とは大違いだ)
 赤桐は陸上部のエースだ。一八〇センチは優に越えた長身、スポーツウェアだと余計に際立つ筋肉が発達した体つき、逞しく存在感があっていつも堂々としている。表情はどちらかといえば乏しめだけど、何事にも動じない、流石アスリートって感じだ。ビビりだからいつも平静を装うことに必死で、心の中では毎度『やばいやばい』と踊り狂っている俺とは真逆の男だ。
(『俺がお前の事ばっかり考えて夜も眠れなかった』なんて言ったら、どんな顔するんだろう)
 こいつが慌てふためいて動揺するところ、ちょっと見てみたいなんて悪戯心もでる。
(ああもう、そんな風に考えなきゃやってらんない。どうしよう、今言う? 忙しいこいつと人目を避けて二人きりになれるなんて、今しかないだろ)
 赤桐から目が離せないまま、言葉をかけるタイミングを計る。胸の鼓動が痛いくらいに高まってきた。身体に余分な力が入って強張り、こくっと喉を鳴らした。目と鼻の先で鍛え上げられた長身を屈めて、赤桐が机からプリントを引っ張り出してる。
(こいつ男らしくてカッコいい顔立ちしてるよな。そう、どっからどう見たって、男。男なんだよ。俺と同じ!)
 きりりと吊り上がり意志の強そうな太い眉に、くっきりした並行二重の目元は切れ長でもあり、今どきあまり見ないクラシカルな雰囲気すら漂う男前だ。 
 俺はちらりとまた隣の席に目線を走らせてから、立ち上がりすーっと大きく息を吸う。
(あーもう、なるようになれ!)
 身体の横でぴんっと腕を張って両手の拳を握り、俺は赤桐に向かって頭を下げた。
「赤桐。頼む! 理由を聞かずに、俺に付き合ってくれええ!」
 語尾もひっくり返るし上擦るし、無様すぎる告白だ。言い終わった後、しーんと、教室が静まり返る。俺等の他に誰もいないから、相手が何も言わなければそりゃそうだ。
(い、居たたまれねぇ……)
 猛烈に恥ずかしくて赤桐の顔が見られない。視線を下に落としたら、赤桐の冷静で穏やかな低い声に聞き返された。
「付き合うって、どこに行くんだ?」
 慌てて顔を上げたら、赤桐が僅かに眉を寄せ、彼にしては分かりやすく怪訝な顔をされた。
「え、どこって……」
(あれ、俺、変な言い方しちゃった? 気まずっ。俺と、じゃなくて俺に付き合ってとか言い間違った? 渾身の告白したつもりがやらかした?)
 むぐっと言葉に詰まり顔が熱くなって、汗がどっと滲むのが自分でもわかった。
「あー、そうじゃなくて、えーと。あの」
 赤桐が口ごもる俺にますます目を凝らす。目鼻立ちがはっきりした濃いめの顔立ちだから、じっと見られると迫力がある。
(ああ……、目力、つっよ。まともに顔見ながらもっかい言うのしんど……)
 俺はさっきまでの勢いが完全に消し飛んで、しどろもどろの俺に、赤桐はもう一度はっきりとした口調で尋ねて来た。
「じゃあ、どういうことだ? お前に付き合うって」
「え、あああ……」
 ヘタレすぎる俺は赤桐の勢いに負けて、よろりと一歩下がりかけて椅子に足を取られてのけ反った。慌ててこちらに歩み寄ってきた赤桐が、俺の肩と腰に手をかけ、心配そうに覗き込んでくる。
「どうした? 顔色悪いぞ。また貧血か? 倒れそうなら、俺に掴まれ」
(ああ本当に、いい奴だな。こっから一年間、こいつとクラスメイトなんだから、絶対に気まずくなりたくない。今ならまだ、何とでも誤魔化せるだろ。ほら、なんか。適当に理由をつけて……)
 頭の中煮え切らない考えがぐるぐる回って落ち着かない。今すぐこいつの前から逃げ出したいぐらいだ。
 視線の端に黒い人影が見えて、身体が冷や水をぴしゃっと浴びたように震えた。俺達の他には誰もいない部屋の中、窓も閉まってカーテンも揺らがない。なのに墨を零したように広がっていく真っ黒な影に、ゾゾッと背中を怖気が走る。
(駄目だ。赤桐んとこ行くな。俺んとこ、戻れって)
 そう念じた次の瞬間、首筋にひやりと冷たい指先が伝わるリアルな感触がした。
『約束破るの?』
 吐息が降りかかりそうな位置で甲高い声が俺に囁く。ぞっと首の後ろの産毛が立つ。心臓の鼓動が増したのは緊張か恐怖か、自分でも判りにくい。俺は一度ぎゅっと目を閉じてから、縋るような目つきで赤桐を見上げた。
「赤桐、あのさ」
「なんだ?」
 赤桐の声は穏やかで優しかった。いつもそう、こいつは俺にだけすごく優しい。だから俺もこいつになら何言っても許してくれるんじゃないかって思っちゃうんだ。
「俺と、その……。ま、まずは友達からでいいんで……」
「すでに友達だと思ってたんだが?」
 そんな少年漫画のヒーローみたいに真っすぐな目で俺を見下ろさないでくれ。生涯の友情を誓いたくなるじゃん。
「いやあの、その俺もそう思ってるけども」
「そうか。良かった」
 満足そうに頷かれて、胸にちりちり痛みが広がる。
(いい奴過ぎるだろおおお)
 俺があまりにも挙動不審に見えたんだろう。赤桐は吊り上がり角がはっきりした眉を顰め、俺の頬にでっかい掌を当ててきた。
「お前、顔が真っ赤だぞ。熱でもあるのか? また保健室まで送るか?」
「顔? 赤い? あああ、緊張ってか怖いってか、どうしたらいいか、あああ」
「俺相手にわざわざ緊張する必要ないだろ?」
「まあ、そうなんだけど」
「どうした。俺に出来ることがあるなら言ってみろ」
『お願い』
 女の子の声がもう一度、耳に直接届く。次の瞬間黒い影がほっそりした人影に変化し、血走った目の透けた女の子が赤桐の横に立っていた。喉がひくっていう程恐ろしかったが、同時にその『オバケ』の必死な表情を見たら放ってはおけないと思ってしまう。
(俺にしか、できない。俺にしか、救えない)
 覚悟を決め、俺は真っすぐに赤桐を見つめ返す。
「……お前にしかできない。お前にしか頼めなんだ」
「そうか。分かった。改まって、何だ?」
 まるで年上みたいな堂々とした立ち姿に声掛け。陸上部エースは腰に手を当てた姿で穏やかに微笑んでる。なんでも許してくれそうなその姿に、俺は一縷の望みをかけることにした。隣には相変わらずオバケがふわふわ浮かんでる。恨めし気にこっちを見るオバケに一度視線を送ってから、赤桐だけを視界にいれて真面目な顔でお願いをした。
「頼む、赤桐。俺と付き合って。映画館デートしてくれ、一回でいいから!」
(言ってしまったああ! 無理なら断ってくれ、頼む! そしたらも諦めつくと思うから!)
「わかった」
 そんな俺の心の叫びも空しく、こいつがいい奴過ぎて、俺の必死過ぎる願いが通じてしまった。
「え……、はあ、いいのか?」
「いいも何も。別に映画ぐらい」
「デ、デートだぞ、デート。付き合うかもって、いい感じの二人が行く、あれだぞ」
(引くよな、引いてくれ。引くなら、引いてよ!)
「ああ。理解してる」
「り、理解、してるのか?」
 度量がデカいというかなんというか。いやもしかしてこいつそもそも俺の事が好き? 女子から熱い視線を浴びてる男が、俺の事好き? そんなわけないよな。
 「それより」と前置きされて、載せられたままだった赤桐の手に俺は肩を引き寄せられた。そのまま距離感バグってるほどの至近距離で顔を覗き込まれる。
「顔が赤くなったり青くなったりして、お前本当に体調大丈夫なんだな? 昨日みたいに倒れたりはしないだろうな?」
 迫力あるイケメンにぐぐっと念を押されたから、俺は勢いに吞まれつつ、小さく「だいじょうぶ、です」と呟いた。黙ってるとちょい強面だけど、俺の事を本当に心配してくれてるって、覗き込んでくる顔つきとか、気づかわし気な仕草から伝わってくる。
(そっか。俺が必死だからOKくれたんだ。こいつってこんな風に、面倒見が良くて進んで人助けできちゃうタイプなんだよな)
 赤桐は俺の肩をぽんぽんと叩いてドアに向かっていく。
「じゃあ、部活行ってくる。映画何見たいか決まったら連絡くれ」
「ご、ごめ……。なるべく早くがいい」
「ああそうか。分かった。近く、いけそうな日程送っとく」
 赤桐が部活に戻る背中を見送り、へなへなって脱力して椅子に腰を下ろした俺の周りを、白い光のピンポン玉みたいなやつがぐるんぐるん浮かれた調子で飛んで回っている。
『イケメンとデート! デート!』
 さっきまでのおどろおどろしい雰囲気が吹き飛んだような、弾んだ女の子の声が耳に直接聞こえて来た。気が抜ける、ああもう怖がっていいのかほっとしていいのかなんだか感情ぐちゃぐちゃだ。
(言っちゃったよ……。もう、取り返しつかないだろ)
 廊下に出る直前に赤桐がくるって俺を振り返った。
「蓮見。映画、楽しみにしてる」
「え、ああ」
 なんかレア中のレア、いつもは無表情よりの赤桐の、イケ散らかしたいい笑顔を見てしまった……。
(あいつ部活忙しすぎて、映画見に行くの久々なのかな……)
 あああ、ついに「デート」に赤桐を誘ってしまった。俺はもう赤桐と『オバケ』女子。どっちに気を取られていいのか分からなくて机に突っ伏した。
※※※
 四月、新学期。俺は高校二年生になった。カバお君ってあだ名の担任や、仲良くなったクラスメイトとも今日でお別れだ。
 春休み中、夜更かしばかりしてたから、教室の中の温い空気に眠気が増してくる。前から順々に、新しいクラス分けが書かれた紙が回ってきた。
 一年のクラスも賑やかでいい感じだったけど、二年生のクラスは高校生活最大のイベント、修学旅行があるから、とにかくめっちゃくちゃ重要だ。早速新クラスの名簿が載った紙を見て、前の方の席から絶叫が上がっている。
 俺はクールを装ってゆったりとプリントを捲った。自分の名前『蓮見夕雨』の文字をプリントの下の方をざっと眺めて探して行く。
(あった。二年A組か)
 A組の列を上から目でなぞろうとして、先頭ですぐ止めた。
(赤桐だ。今年は一緒のクラスか)
 にまって口元が緩む。赤桐大葵は去年都の新人戦で入賞も果たした陸上部のエースだ。今年は全国に行けるんじゃないかって期待されてるらしい。デカくて一見取っつきにくい強面だけど、性格はいたって穏やか。そんで走っている姿をわざわざ見に行く女子がいるぐらいカッコいい。
 そんな赤桐と俺は一年の体育の合同授業が一緒だった。あいつは俺とは違って存在感抜群だから「陸上部のデカい奴」と一方的に知ってた感じだ。
 俺達の関係がぐっと近づいたのは去年の秋頃だったか。俺が引き当てたレアなガチャガチャ景品を、あいつにあげたのがきっかけだ。そっからあとはDMでたまに喋る仲になった。何はともあれ、赤桐がいるなら、まるっきり知らないやつばかりにはならない。絶対ぼっちを回避できる。すごくほっとした。
「おい、A組チート過ぎねぇ?」
 隣の席の友達が俺の方に身を乗り出してきて、A組の名簿を忙しげに指差す。
「この子とこの子、ダンス部の活動でテレビ出てた。こっちの子はモデルもしててすげぇ可愛い。お前のクラス、羨ましすぎる。ああ、男子もやばいな。こいつとこいつとこいつ、バスケ部、サッカー部、バレー部の主力。こいつは生徒会役員で今年は会長選に出るっていう学年主席。こいつも動画サイトでバズってからいくつか案件貰って活動してるやべぇイケメン。ライバルが多すぎる……」
 狙っている女子でもいるのか、友達はやたら前のめりになって饒舌だ。
「詳しすぎるお前にびっくりなんだけど。そういうお前は何組だ?」
「俺はB組。お前んとこ毎休み時間、遊びに行くからなあ」
「女子目当で、がっつきすぎだろ……」
「いいだろ、別に。あーあ、羨ましい。蓮見もまあまあイケメンだし、きっとクラスでも良い感じのグループはいれるよなあ。いいなあ」
 俺は頭も身長も平均値だし、顔だってまあ悪くはないかもだけど、イケメンとまで言われると恥ずかしいレベルだ。さっき友達が名前を連ねた目立つ奴らに比べたら、取り立てて特技もないし、至って地味だ。
(今年も目立つ奴らの陰でのほほんと穏便に暮らそう)
 そうしている間に教室移動が始まった。一組だけ階段を挟んで右側に教室がある。去年の二年より一クラス多いせいだろうか。俺も友達と二階までは一緒に移動して、階段で左右に分かれてた。
 新しいクラスが近づくにつれて、緊張が増してきた。俺の場合、人見知りっていうかまた別の問題があるんだけど……。
 無意識にお尻のポケットに手を回して、スマホからぶら下がってるお守りストラップを手繰り寄せた。
(『いやな感じ』のクラスじゃありませんように……)
 教室の扉の前にはすでに移動してきた生徒が列をなしている。空いている奥の扉に移動してから、程なく扉の前に立つ。
 教室の中を覗いた瞬間、ざざざっと二の腕を鳥肌が覆った。続けて「うわあああ」って濁音つきの声を漏らしかけて、何とか手の甲で口元を覆ってそれを押し殺した。
(くっそやばい! A組、めっちゃ、オバケいる!)
 脚ががくがくと震える、扉を掴んだ手が離せない。引き戸のレールが境界線みたいになって、これ以上中に入るのが恐ろしい。
(やばいどうしよう、久々に『視た』)
 こんなに同時に何体も視たのは久々だ。なんなら成長と共に視えなくなるのかもって思ってたぐらい、高校に入ってからは見る頻度が減っていたのに。
 立ちすくむ俺の肩にぶつかりながら、後ろにいた奴らが入っていく。俺は人が通れるスペースを開け、先を譲るが引いた血の気は戻りそうにない。
(見間違いでありますように……)
 扉を支えに、教室の中を覗き込むと、パッと見ただけで四人はいた。黒い影が一番やばそうに視えるけど、だんだん人の形になってきたところで、怖くて見るのをやめた。中学の時、学校中全教室を見て回った時でも最高三・五人だったから(一人は上半身だけだった!)どんだけ多いんだろう、このクラス。俺的新記録だ。
 今すぐ誰かに伝えたいぐらいだけど、オバケと二重写しみたいに座っている奴ですら驚いていないから、俺にしか視えていなさそうだ。
(早く落ちつこう、心臓バクバクする……)
 扉にしがみついて堪えていたら、教室の中央にいた赤桐が俺のすぐ目の前まで近づいてきていた。
「どうした、蓮見。顔色悪いぞ」 
「あ……」
(変に思われるだろ……、早く中に入らないと……)
 呼吸が荒くなって、指先が震える。今すぐ取り繕って平静を装えそうもない。縋るような気持ちで赤桐を見上げたら、眉をやや顰めてこっちを見下ろしてくる。
「ちょい、立ち眩み……」 
 まさかオバケ視て体調崩したとは言えないから、赤桐を見上げてにへらって感じに力なく笑って、適当に誤魔化した。
「立ち眩みか……。保健室行くか?」
 赤桐はふむって感じの仕草で顎のあたりに手を当ててる。
(なるほど……。このまま保健室行くって手があるか。赤桐ナイスアイディアありがとう。そんで一旦落ち着こ……)
 今俺すげぇ顔色悪そう。じっとり嫌な汗が脇に滲んできてる。蹲りかけた俺の背中を、赤桐が向かい合わせにぐっと自分の方に引き寄せ支えてくれた。いきなりハグしてる状態のゼロ距離感に、びっくりして赤桐の顔をまじまじと見上げてしまった。
「誰か! 担任が来たら俺と蓮見は保健室に行ってるって伝えておいてくれ」
 冷静な表情のまま赤桐は俺を片手で支え、中のクラスメイトに向かって声を張り上げた。普段物静かな男なのに、流石運動部って感じの腹から出た声に驚いてしまう。
「い、いいよ。一人でいけるから」
 ぎょっとして赤桐のブレザーの胸元に手をついて離れようとしたら、むしろ抵抗を封じられて、より強く身体を引き寄せられてしまった。
「気にするな。ホームルームが終わったら、今日はどうせすぐ下校だ」
 まだちょっと身体が震えてるのを悟られたくない。だけど教室の中をもう一度覗いて平然と入って行ける勇気もない。
(くそ、元気だってアピールしたかったのに……)
 俯いた俺の肩を、赤桐の大きな手が力強く支えてくれた。
「そんな青白い顔して、階段落ちたらまずいだろ。ちょっと待ってろ」
 赤桐はおもむろに俺の前に屈むと、俺にピンと張った広い背中を向けてきた。
「乗れ」
「いや……、いいって」
『いいなあ』
「ひぃ!」
 急に耳元に女の子の声が聞こえた。びっくりした拍子に俺はよろけて、期せずして赤池の広い背中に縋る形になってしまった。
(赤桐の事が好きな女子? ごめんなあ……、赤桐の事借りちゃって)
「しっかり掴まれ」
 長く逞しい首に腕を回させられ、俺はクラスメイトになったばかりの赤桐に背負われて、保健室まで運ばれる羽目になった。
(い、居たたまれねぇ……)
 女子がきゃあきゃあいってるし、まだ教室に入っていなかった生徒たちからどよめきも聞こえてる。恥ずかしすぎて顔が熱い。さっきからゾクゾクしたり熱くなったりもう訳が分からない。俺は本当に気分が悪いふりをして、赤桐の肩に顔を埋めるほかなくなった。
「先生居ないみたいだな」
 無人の保健室に担ぎ込まれて、カーテンの空いたベットまで歩く間に鏡の中の自分と目が合った。
(顔色悪っ……)
 いつにも増して青白い顔、唇も色を失ってる。これは本当に貧血を起こしているのかもしれない。俺の顔は主張は強くないけど、その分バランスがいいって褒められる。つまり赤桐みたいに立体的かつシャープなラインで、横顔ですら力強さに溢れた顔とは対照的だ。今なんて情けない表情を晒してて、俺ばかり幸薄そうに見えてがっかりする。
「ごめん……。赤桐。迷惑かけて」
「いや、ぜんぜん」
「ほんとごめん」
「そんなに謝ることでもない。コンディションが悪いのは誰にでも起こりうることだろ。気にするな」
「うん……。ありがと」
 ベッドが二台あって、レールカーテンは全開だった。赤桐は奥側のベットの手前でゆっくりと屈む。床に下ろしてもらった後もたった数歩の距離なのに、赤桐にまた肩を抱かれて歩いて、ベットの縁に腰かけさせて貰った。
「寒くないか」
「うーうん」
 正面にあるのは日差しが柔らかく差し込む窓だ。カーテンが開け放ったまま、暖かな春風に吹かれる。ちょうど桜の木々が見えて、沢山の花びらが一斉に青空に舞い散っていた。
「蓮見のお陰で得したな。ここからのんびり花見ができる」
「……」
(迷惑かけてるのに、優しいな……)
 レアガチャガチャの恩にしては貰いすぎ。面倒見が良すぎる赤桐に頭が上がらない。
(明日からどうしよう)
 また同じように気分が悪くなったら、そう思っただけで暗鬱たる気分になる。顔の前に翳したら、手がまだ震えたまんまだった。
「横になった方がましなんじゃないか?」
「うん」
 赤桐に促され、力なくベッドに横になる。赤桐がすかさず毛布を引き上げてかけてくれた。そのまま俺の傍に付いていてくれる気らしく、ベットの横に置いてあった椅子に腰かけた。
(こいつ、見た目は厳つい武士みたいな感じなのに、もの凄く気遣いができる)
 深呼吸をして、両手を胸の上で組んで震えを止めようとしたんだけどうまくいかない。そしたら赤桐が俺の手を上からそっと握ってくれた。
「手、冷たくなってるな……」 
 指が長くて掌もとても大きな手だ。俺の組んだ拳をすっぽりと覆えるぐらい。赤桐の掌からじんわり伝わる熱に、情けなくも少しずつ不安が溶かされていく気分だ。
(こいつの包容力ありすぎ。男としての度量が俺とはけた違いだ)
 もう片方の手で、俺の汗で湿り目にかかった前髪を払ってくれた。
「先生が来るまでついててやるから安心しろ。少し眠るか?」
 囁く声が大人っぽい低いイケボで、男の俺でも弱り切った今の状態ではきゅんってなってしまいそうだ。
(優しすぎる、いい奴過ぎる。女子なら即落ちてる)
 本当ならもう教室に帰りなよっていうところなんだけど、なんだか今は心細い。見るからに逞しくて頼りになりそうなこいつに、このまま傍にいて欲しい気持ちになってしまった。
「……なんか、話しよ」
「眠らなくて大丈夫か?」
「うん」
「それで気晴らしになるなら」
 俺の我儘にも赤桐は嫌な顔一つしない。同級生みたいなのにお兄ちゃんみたいだ。
「新しいクラスに同じ中学の奴いた?」
「一人だけ。お前は?」
「居なかったよ。てか、あんま仲いい奴もいない。知らん奴ばっか」
「俺がいるだろ?」
 赤桐が目を細める仕草が甘くて、俺も素直に頷けた。
「そうだね。赤桐がいるから心強いよ。なあ、部活の一番近い大会いつ?」
「地区予選の後に都総体がある」
「今年は全国行けそう?」
「どうだろう……。まずは都で入賞しないとな」
「お前去年、新人戦で入賞したからいけるって」
「……そうありたいとは思ってる」
「今年こそ応援に行くから」
「ああ。頼んだぞ」
 赤桐の話口調は俺と違ってせかせかしたところが一つもない。
(こいつの声聞いてると落ち着く、海に小舟で浮かんで、のたりのたりって揺れてる気分)
 赤桐のお陰で気持ちがすっかり落ち着いて来たけど、リラックスしすぎて逆にはあって本音のため息が漏れた。
「明日も……、体調悪くなったらどうしよ」
 穏やかな眼差しで俺を見てくれる赤桐の前では、なんだか取り繕う気が失せてしまう。
「体調悪くなったらすぐ言え。俺がついててやるから」
 もう一度俺の髪を撫ぜ梳きながら、赤桐が穏やかに口元を緩めた。笑うと凛々しい二重の目元が優し気に変わる。うう、なんか涙が出そうだ。何が原因かとか、言うことはできないけどさ。応援してくれる人が近くにいるだけで、こんなにも心強いんだ。
「中身もイケメンなんてずる過ぎ」
「なんか言ったか?」
「別に……」
 口の中で聞こえないぐらいに小さく呟いて、情けない自分と対比に落ち込みそうになる。でも赤桐がいるな明日からもあのやばすぎる教室の中でも何とか耐えようって、そんな風に思えた。
 なんか安心したら眠くなってきて、目がしょぼしょぼする。窓から、たまに強く風が吹き込んでくる。少しだけ埃っぽくて、でも頬に心地よい。目を閉じると太陽の光で網膜がオレンジ色に透けている。
 眠気が増してきて微睡んでいたら瞼越しに影が落ちる。その影が髪に触れ、頬に触れる感触が伝わってきた。その刺激にぴくっと唇を震わせ目を開いたら、手がぱっと離れていく感覚があった。
 目を開いたら思いのほか柔らかな表情をしている赤桐と目が合った。
「ごめん、起したか」
「うん」
「ちょうど吹き込んできて、お前の髪に……。綺麗だったから、つい……」
 赤桐のごつごつと大きな手の指先を見たら、そっと摘まれている桜の花びらがあった。
(陸上一筋の体育会系だと思ってたけど、赤桐ってこういう風流っていうか、繊細なところがあるんだ)
 じっと見上げたら目を反らされずに赤桐もこっちをじっと見てきた。目を反らすタイミングが分からなくて、なんだか二人で見つめあっていたら、がらがらって保健室の扉が開いた。
「おい、大丈夫か?」
「あ……」
「葛本先生」
 その後ろから白衣の先生も続いて来た。
「赤桐は良く知ってるが、陸上部の顧問の葛本だ。今年から二年A組の担任になった。体調は大丈夫か? ぶっ倒れたって聞いたぞ」
「はい、すみません」
 ゆっくり身を起こしたら赤桐が背中にすっと手を差し入れてくれた。
「どうしちゃった? 気分はどう?」
 小さい子にでもいうような口調で、若い養護の先生が手指を綺麗にしてから俺の元にやってきた。そのまま俺の顔色をみたり熱を測ってくれたりした。
「寝不足だったりしたかな?」
「……はい」
 病気を疑われても面倒なことになりそうなので、俺は頷いてたまたま気分が悪くなったような素振りを装った。
「体育館に移動して、新任の先生の紹介をしてから、教室に戻って今日はもう解散になった。お前たちも体調が大丈夫そうなら下校していいぞ」
「もう平気です。このまま帰宅します」
「俺が一緒に帰るのでなんかあったら蓮見のご家族に連絡します」
 先生たちの前でそう堂々と言い切った赤桐につられてか、先生たちも「たのんだ」なんて請け負わせてる。もう皆下校してたのもあって赤桐と一緒に帰ることになった。
「なあ、腹減ってねぇ?」
「すいたすいた」
「だよな。折角だから昼飯食べてから帰らないか? これ持っているから」
 赤桐がごそごそと財布を探って、中華チェーンの割引券を俺の前に翳した。
「いいねえ。弁当始まったら食べに来られないもんな」
「だろ。行こう」
 まだ遅めに学校を出たのかそれなりに同じ制服を着た学生がうろうろしている。俺達は線路を越えて中華料理屋に向かった。お昼時とあって店内は結構混雑している。
「奥の二人掛けにどうぞ!」
 威勢のいい店員さんに勧められてちょっとペタペタする床を奥まで進んだ。店内に充満する食欲をそそる香りに、じゅーっと鉄板の上で油が弾ける音、赤桐に聞こえるんじゃないかってぐらいに腹が鳴った。
「お前ここ来たことある?」
「ここじゃない店舗なら家族と来たことがあるよ。この店舗は今日が初めて」
「そっか」
 赤桐がラー油や醤油の向こうに立てかけてあった、ランチメニューの表を手に取るまでもなく指差した。
「俺はこれ。お得セット。お前は?」
 赤桐が頼もうとしてるのは、ラーメン、チャーハン、唐揚げにザーサイ、杏仁豆腐までついたセットだった。
「俺も同じがいい」
 赤桐が長い腕を上げたら、目立つからかすぐに店員さんが来てくれた。俺の場合だったらこうはいかないからありがたい。
「このトッピング無料券って使えますか?」
「はい、この中のものならどれでもいけますよ」
「俺はチャーシュー二倍、お前はどうする?」 
「俺もそれ!」
 張り合っているわけじゃないけど同じ物にしたら、赤桐なんてさらに野菜炒めまで注文した。
「「いただきます」」
 いきなり食べ始める赤桐と違って、俺は猫舌。でも赤桐が豪快に食べ始めるのをみてたら腹が減り過ぎて、居ても立っても居られない。
「あちっ」
 ラーメンをふーふーってして、ほんの一口だけすすったけど、駄目。熱すぎる。仕方なく小皿に載せたチャーシューを小さく箸で割いて、はむはむと食べた。
(ジューシー、うまっ!)
 これは箸が進む。なんか夢中で食べてたら視線をすごく感じて、肉を頬張ったまま目線を上げる。じっとこっちを伺いながら、赤桐はなんだか嬉しそうに目を細めてた。
「蓮見はすごく美味しそうに、綺麗に食べるんだな」
「……?」
 何だろう、これ。見守られてる? 首を傾げたら赤桐が我に返ったみたいに自分も蓮華でチャーハンを掬う。
「顔色良くなったな」
「うん。お陰様で。腹が満たされると人間心に余裕が出る」
「だな」
「やる気出てきた。ありがとう赤桐」
 赤桐は頷いて、口角をちょっとだけ上げて笑う。
「どういたしまして」
「俺も明日から頑張って、クラスに早く馴染まないとなあ」
 熱いものを立て続けに食べて、すっかり身体が火照ってきた。水をごくごく飲んでたら、赤桐がスマホを取り出してる。ゆらりと揺れたストラップに見覚えがあった。
「あ、それまだつけてくれてるんだ」
 嬉しくて声が弾んでしまう。だって赤桐がわざわざストラップホルダーまでつけて、俺があげた白猫のストラップをぶら下げてくれてたから。
「……気に入ってるから」
(きっとこいつんちの猫に似てるからだよなあ)
 そういうところ、こんなにデカいのにちょっとかわいいなあと思う。
「A組に俺と部活は違うけど、仲良くしている奴らがいる。お前もそいつらとの通話グループに入っておくか?」
(あー、朝、友達が言ってたエース級って奴らの事かな?)
「すげぇありがたい。正直初日からやらかしたから、明日からぼっちになりたくないって思ってたからさ」
「まあ、お前には俺がついてるから、ぼっちには絶対にならない」
 表情からは伺い知れない。赤桐は真顔だとちょっと強面だ。でもきっと心の中では俺の事を心配しているのかもしれない。でもちょっと不器用だな。
(俺そんなにぼっちになりそうに見えるのかな?)
「だから、嫌ならいいんだぞ?」
 食いつき気味だったことが悪かったのか、誘ったくせに赤桐が肩眉を上げながら撤回するようなことを言いだした。
「いや、はいる」
(うーん。俺の事、大人しくて人見知りとかする、弱弱しい奴って思ってる? そんなこともないぞ。オバケさえいなけりゃ普通にやってける自信があるぞ)
 どんなに見つめても、すんっとした赤桐の表情からは何考えてんのか今いち分かりにくい。でもせっかくの提案に乗ることにした。
「お前もいるグループなら、入りやすい。俺の事、追加しといて」
「そうか、分かった」
 俺の返答が良かったのか、今度はあっさりと追加してくれた。赤桐はなんか意外性の塊で色々面白い。オバケは嫌だけど、こいつと過ごす一年はなんだか退屈しなさそうだなって、ちょっと心が弾んだ。