療養施設へ行けることになったのは、その二日後だった。
青嶺学園から電車で一時間半。
駅からさらにバスに乗って、丘の上にある白い建物へ向かう。
窓の外には、低い住宅街と、春になりきれない薄い緑が流れていた。
俺は、膝の上で手を握っていた。
真田先輩は隣に座っている。
榊は、ひとつ前の席でスマホを見ていた。
いつも通りの顔をしている。
でも、何度も施設からのメッセージを確認しているのは分かった。
五年。
藤代朔は、五年前の事故から、ずっと眠っている。
俺が中学生だった頃から、朔はずっと目を覚まさなかったことになる。
外階段にいた朔は、高校生の姿のままだった。
俺に名前を呼ばせて。
俺を抱きしめて。
特別だと言って。
好きだと言って。
その朔と、今から会う朔は、同じ人なんだろうか。
分からない。
でも、会いに行くと決めた。
呼ばれたからじゃない。
寂しかったからでもない。
俺が、会いたいと思ったから。
施設の入口には、白い花が植えられていた。
自動ドアが開くと、消毒液の匂いがした。
その匂いだけで、胸の奥がぎゅっと縮む。
ここに、朔がいる。
受付で名前を告げると、職員の人が静かに頷いた。
「藤代様のご家族がお待ちです」
案内された面談室には、ひとりの女性がいた。
黒い髪に、少しだけ白いものが混じっている。
姿勢はまっすぐなのに、膝の上で重ねた手だけが、かすかに震えていた。
この人が、朔のお母さんなのだとすぐに分かった。
「柏木透さん、ですね」
「はい」
声が少し震えた。
「藤代朔の母です」
藤代さんは、俺をまっすぐ見た。
その目は、朔に少し似ていた。
静かで、奥に光を溜めている目。
「お話は、伺いました。すべてを信じられているわけではありません」
「……はい」
「でも、朔の名前を、今も呼んでくれる人がいるなら」
藤代さんは、一度だけ息を吸った。
「会ってほしいと思いました」
胸の奥が熱くなる。
朔の名前が、ここでは普通に聞こえる。
誰にも抜け落ちない。
誰も聞き取れない顔をしない。
それだけで、泣きそうになった。
「こちらです」
藤代さんに案内されて、白い廊下を歩いた。
窓の外には芝生がある。
学校の廊下とは全然違う。
外階段の冷たい空気とも違う。
ここには、五年前の夜ではなく、五年分の朝が積もっている気がした。
病室の前で、藤代さんが足を止める。
「驚かないでくださいね」
そう言われて、喉が鳴った。
俺は頷いた。
扉が開く。
薄いカーテン。
白いベッド。
小さく規則的に鳴る機械の音。
そこに、朔がいた。
でも、俺の知っている朔ではなかった。
外階段の朔は、五年前のままだった。
けれど、ベッドに横たわる朔は、ちゃんと五年分、大人になっていた。
柔らかく伸びた黒髪が、枕の上に流れている。
眠っているせいで少し乱れていて、それが妙に生々しかった。
肩幅はある。
骨格も、手の大きさも、本来はしっかりした人なのだと分かる。
けれど、長く眠っていたせいで、白い寝衣の下の身体は静かに細っていた。
それが、痛かった。
朔は、ここにいた。
怪異でも、噂でも、名簿から消された名前でもなく。
眠ったまま。
呼吸をして。
五年分の時間を、身体だけで受け止めながら。
ここにいた。
「……朔」
名前が、口から零れた。
榊が何か言いかけた気配がした。
でも、止めなかった。
俺はベッドのそばへ近づいた。
ここにいる朔は、俺を知らないかもしれない。
俺に特別だと言った朔じゃない。
俺に好きだと言った朔じゃない。
俺を抱きしめた朔じゃない。
でも。
ここにいるのも、朔だった。
「初めまして」
俺は、小さく言った。
「柏木透です」
自分の声が震えている。
「青嶺学園の、楠寮三〇七にいます」
藤代さんが、後ろで息を呑んだ。
「俺、外階段で朔に会いました」
眠っている朔は動かない。
それでも、言わなきゃいけないと思った。
「怖かったです」
喉の奥が熱くなる。
「でも、優しかったです。ずるくて、寂しくて、俺のことを何度も呼んで」
涙が滲んだ。
「俺は、その朔を好きになりました」
言葉にした瞬間、病室の空気が少しだけ変わった気がした。
気のせいかもしれない。
でも、窓際のカーテンが、ふわりと揺れた。
風なんて入っていないはずだった。
俺は、そちらを見る。
窓際に、朔がいた。
外階段で会った、五年前のままの朔。
けれど、今までよりずっと薄い。
朝の光に透けて、輪郭がほどけかけている。
朔は、ベッドの上の自分を見ていた。
それから、藤代さんを見た。
長い間、動かなかった。
その顔を見て、胸が潰れそうになった。
たぶん、朔も初めて見たのだ。
眠っている自分を。
五年、待っていた母親を。
自分が止まっていた間にも、世界が続いていたことを。
朔の唇が震えた。
声はしなかった。
でも、俺には分かった。
ごめん。
そう言ったのだと思った。
藤代さんには、朔の姿は見えていない。
でも、何かを感じたのかもしれない。
ふいに窓際を見た。
「朔?」
母親の声だった。
窓際の朔が、顔を歪める。
俺は、息を吸った。
「藤代さん」
「はい」
「たぶん、ここにいます」
藤代さんの目が、大きく見開かれた。
「朔が、ここにいます」
藤代さんは何も言わなかった。
ただ、ベッドの上の朔の手を握ったまま、窓際を見た。
「朔」
その声は、震えていた。
「いるの?」
窓際の朔は、泣きそうな顔で笑った。
涙は落ちない。
でも、泣いているのが分かった。
俺は、朔を見た。
「見つけました」
声が震えた。
「ちゃんと、見つけました」
窓際の朔が、俺を見る。
その目が、少しだけ細くなる。
嬉しそうで。
寂しそうで。
でも、どこか安心したような顔だった。
最後に、朔の口元が動いた。
ありがとう。
そう見えた。
次の瞬間、窓際の朔の輪郭が、朝の光にほどけていく。
怖かった。
寂しかった。
でも、それは消えるというより、ようやく戻っていくみたいに見えた。
俺は、ベッドの上の朔を見る。
「朔」
名前を呼んだ。
「俺、来ました」
その時だった。
白いシーツの上で、朔の指先が動いた。
一度だけではなかった。
何かを探すみたいに、かすかに曲がる。
藤代さんが息を止めた。
「朔……?」
ベッドの上の朔のまぶたが、震えた。
俺は息をすることも忘れた。
ゆっくりと。
本当に、ゆっくりと。
朔の目が開いた。
長い眠りの底から、光を思い出すみたいに。
焦点の合わない瞳が、天井を見て、母親を見て、それから俺の方へ動いた。
唇が、かすかに開く。
声になるまで、長い時間がかかった。
「……みつけた」
掠れた声だった。
ほとんど息みたいな声。
でも、確かに聞こえた。
「……透」
名前を呼ばれた瞬間、涙が落ちた。
「覚えてるんですか」
朔は、少しだけ眉を寄せた。
「全部は……分からない」
掠れた声だった。
「でも」
朔の目が、ゆっくり俺を捉える。
「君が、特別だったことは覚えてる」
***
最初に聞こえたのは、名前だった。
朔。
誰かが、俺を呼んでいた。
母の声だった。
何度も、何度も。
途切れそうになりながら、それでも諦めずに、俺の名前を呼んでいた。
その声は、遠くて、あたたかくて、苦しかった。
戻らなきゃいけない。
そう思うのに、身体の場所が分からなかった。
自分がどこにいるのかも、どこへ戻ればいいのかも分からなかった。
それから、もうひとつ声がした。
透の声だった。
朔。
そう呼ばれた瞬間、暗い水の底みたいな場所に、小さく光が差した。
俺は、その声を知っていた。
俺を怖がっていた声。
震えていた声。
それでも、逃げなかった声。
俺を、見つけると言った声。
忘れられるはずがなかった。
長い夢を見ていた。
冷たい外階段。
黄色いロープ。
夜の匂い。
待っていたはずの人は来なくて、俺だけがあの場所に残った。
そう思っていた。
ずっと。
でも、その夜の中に、透が来た。
俺の名前を呼んだ。
消されていたはずの名前を。
誰にも数えられなくなっていた俺を。
透は、怖がっていた。
震えていた。
それでも、俺を見ていた。
俺は、透を連れていこうとした。
たぶん。
夢の中のことみたいに曖昧なのに、そこだけは胸の奥が痛む。
欲しかった。
置いていかれたくなかった。
忘れられたくなかった。
俺だけを見てほしかった。
透に、俺だけを選んでほしかった。
だから、手を伸ばした。
でも、掴めなかった。
怯えているのに、俺を好きだと言ったから。
連れていかれてもいいとまで言って、俺の全部を受け止めようとしたから。
そんな人を、連れていけるわけがなかった。
夢の中で、透は俺を抱きしめた。
冷たい俺を。
消えそうな俺を。
五年前の夜に置いていかれたままの俺を。
透は、ちゃんと抱きしめた。
そして言った。
見つけました、と。
その声で、何かがほどけた。
外階段の夜が、少しずつ遠ざかっていく。
黄色いロープも。
冷たい手すりも。
待ち続けた足音も。
全部が、遠くなる。
代わりに、白い光が近づいてきた。
目を開けるのは怖かった。
そこに透がいなかったらどうしようと思った。
俺の知らない世界だけが続いていて。
俺を待っている人なんて、もうどこにもいなかったらどうしようと思った。
でも、目を開けた。
光の中に、透がいた。
泣きそうな顔で、俺を見ていた。
だから、分かった。
夢じゃなかった。
俺は見つけられた。
五年前の夜に置いていかれた俺も。
病室で眠り続けていた俺も。
透が、ちゃんと見つけてくれた。
そして俺も、透を見つけた。
青嶺学園から電車で一時間半。
駅からさらにバスに乗って、丘の上にある白い建物へ向かう。
窓の外には、低い住宅街と、春になりきれない薄い緑が流れていた。
俺は、膝の上で手を握っていた。
真田先輩は隣に座っている。
榊は、ひとつ前の席でスマホを見ていた。
いつも通りの顔をしている。
でも、何度も施設からのメッセージを確認しているのは分かった。
五年。
藤代朔は、五年前の事故から、ずっと眠っている。
俺が中学生だった頃から、朔はずっと目を覚まさなかったことになる。
外階段にいた朔は、高校生の姿のままだった。
俺に名前を呼ばせて。
俺を抱きしめて。
特別だと言って。
好きだと言って。
その朔と、今から会う朔は、同じ人なんだろうか。
分からない。
でも、会いに行くと決めた。
呼ばれたからじゃない。
寂しかったからでもない。
俺が、会いたいと思ったから。
施設の入口には、白い花が植えられていた。
自動ドアが開くと、消毒液の匂いがした。
その匂いだけで、胸の奥がぎゅっと縮む。
ここに、朔がいる。
受付で名前を告げると、職員の人が静かに頷いた。
「藤代様のご家族がお待ちです」
案内された面談室には、ひとりの女性がいた。
黒い髪に、少しだけ白いものが混じっている。
姿勢はまっすぐなのに、膝の上で重ねた手だけが、かすかに震えていた。
この人が、朔のお母さんなのだとすぐに分かった。
「柏木透さん、ですね」
「はい」
声が少し震えた。
「藤代朔の母です」
藤代さんは、俺をまっすぐ見た。
その目は、朔に少し似ていた。
静かで、奥に光を溜めている目。
「お話は、伺いました。すべてを信じられているわけではありません」
「……はい」
「でも、朔の名前を、今も呼んでくれる人がいるなら」
藤代さんは、一度だけ息を吸った。
「会ってほしいと思いました」
胸の奥が熱くなる。
朔の名前が、ここでは普通に聞こえる。
誰にも抜け落ちない。
誰も聞き取れない顔をしない。
それだけで、泣きそうになった。
「こちらです」
藤代さんに案内されて、白い廊下を歩いた。
窓の外には芝生がある。
学校の廊下とは全然違う。
外階段の冷たい空気とも違う。
ここには、五年前の夜ではなく、五年分の朝が積もっている気がした。
病室の前で、藤代さんが足を止める。
「驚かないでくださいね」
そう言われて、喉が鳴った。
俺は頷いた。
扉が開く。
薄いカーテン。
白いベッド。
小さく規則的に鳴る機械の音。
そこに、朔がいた。
でも、俺の知っている朔ではなかった。
外階段の朔は、五年前のままだった。
けれど、ベッドに横たわる朔は、ちゃんと五年分、大人になっていた。
柔らかく伸びた黒髪が、枕の上に流れている。
眠っているせいで少し乱れていて、それが妙に生々しかった。
肩幅はある。
骨格も、手の大きさも、本来はしっかりした人なのだと分かる。
けれど、長く眠っていたせいで、白い寝衣の下の身体は静かに細っていた。
それが、痛かった。
朔は、ここにいた。
怪異でも、噂でも、名簿から消された名前でもなく。
眠ったまま。
呼吸をして。
五年分の時間を、身体だけで受け止めながら。
ここにいた。
「……朔」
名前が、口から零れた。
榊が何か言いかけた気配がした。
でも、止めなかった。
俺はベッドのそばへ近づいた。
ここにいる朔は、俺を知らないかもしれない。
俺に特別だと言った朔じゃない。
俺に好きだと言った朔じゃない。
俺を抱きしめた朔じゃない。
でも。
ここにいるのも、朔だった。
「初めまして」
俺は、小さく言った。
「柏木透です」
自分の声が震えている。
「青嶺学園の、楠寮三〇七にいます」
藤代さんが、後ろで息を呑んだ。
「俺、外階段で朔に会いました」
眠っている朔は動かない。
それでも、言わなきゃいけないと思った。
「怖かったです」
喉の奥が熱くなる。
「でも、優しかったです。ずるくて、寂しくて、俺のことを何度も呼んで」
涙が滲んだ。
「俺は、その朔を好きになりました」
言葉にした瞬間、病室の空気が少しだけ変わった気がした。
気のせいかもしれない。
でも、窓際のカーテンが、ふわりと揺れた。
風なんて入っていないはずだった。
俺は、そちらを見る。
窓際に、朔がいた。
外階段で会った、五年前のままの朔。
けれど、今までよりずっと薄い。
朝の光に透けて、輪郭がほどけかけている。
朔は、ベッドの上の自分を見ていた。
それから、藤代さんを見た。
長い間、動かなかった。
その顔を見て、胸が潰れそうになった。
たぶん、朔も初めて見たのだ。
眠っている自分を。
五年、待っていた母親を。
自分が止まっていた間にも、世界が続いていたことを。
朔の唇が震えた。
声はしなかった。
でも、俺には分かった。
ごめん。
そう言ったのだと思った。
藤代さんには、朔の姿は見えていない。
でも、何かを感じたのかもしれない。
ふいに窓際を見た。
「朔?」
母親の声だった。
窓際の朔が、顔を歪める。
俺は、息を吸った。
「藤代さん」
「はい」
「たぶん、ここにいます」
藤代さんの目が、大きく見開かれた。
「朔が、ここにいます」
藤代さんは何も言わなかった。
ただ、ベッドの上の朔の手を握ったまま、窓際を見た。
「朔」
その声は、震えていた。
「いるの?」
窓際の朔は、泣きそうな顔で笑った。
涙は落ちない。
でも、泣いているのが分かった。
俺は、朔を見た。
「見つけました」
声が震えた。
「ちゃんと、見つけました」
窓際の朔が、俺を見る。
その目が、少しだけ細くなる。
嬉しそうで。
寂しそうで。
でも、どこか安心したような顔だった。
最後に、朔の口元が動いた。
ありがとう。
そう見えた。
次の瞬間、窓際の朔の輪郭が、朝の光にほどけていく。
怖かった。
寂しかった。
でも、それは消えるというより、ようやく戻っていくみたいに見えた。
俺は、ベッドの上の朔を見る。
「朔」
名前を呼んだ。
「俺、来ました」
その時だった。
白いシーツの上で、朔の指先が動いた。
一度だけではなかった。
何かを探すみたいに、かすかに曲がる。
藤代さんが息を止めた。
「朔……?」
ベッドの上の朔のまぶたが、震えた。
俺は息をすることも忘れた。
ゆっくりと。
本当に、ゆっくりと。
朔の目が開いた。
長い眠りの底から、光を思い出すみたいに。
焦点の合わない瞳が、天井を見て、母親を見て、それから俺の方へ動いた。
唇が、かすかに開く。
声になるまで、長い時間がかかった。
「……みつけた」
掠れた声だった。
ほとんど息みたいな声。
でも、確かに聞こえた。
「……透」
名前を呼ばれた瞬間、涙が落ちた。
「覚えてるんですか」
朔は、少しだけ眉を寄せた。
「全部は……分からない」
掠れた声だった。
「でも」
朔の目が、ゆっくり俺を捉える。
「君が、特別だったことは覚えてる」
***
最初に聞こえたのは、名前だった。
朔。
誰かが、俺を呼んでいた。
母の声だった。
何度も、何度も。
途切れそうになりながら、それでも諦めずに、俺の名前を呼んでいた。
その声は、遠くて、あたたかくて、苦しかった。
戻らなきゃいけない。
そう思うのに、身体の場所が分からなかった。
自分がどこにいるのかも、どこへ戻ればいいのかも分からなかった。
それから、もうひとつ声がした。
透の声だった。
朔。
そう呼ばれた瞬間、暗い水の底みたいな場所に、小さく光が差した。
俺は、その声を知っていた。
俺を怖がっていた声。
震えていた声。
それでも、逃げなかった声。
俺を、見つけると言った声。
忘れられるはずがなかった。
長い夢を見ていた。
冷たい外階段。
黄色いロープ。
夜の匂い。
待っていたはずの人は来なくて、俺だけがあの場所に残った。
そう思っていた。
ずっと。
でも、その夜の中に、透が来た。
俺の名前を呼んだ。
消されていたはずの名前を。
誰にも数えられなくなっていた俺を。
透は、怖がっていた。
震えていた。
それでも、俺を見ていた。
俺は、透を連れていこうとした。
たぶん。
夢の中のことみたいに曖昧なのに、そこだけは胸の奥が痛む。
欲しかった。
置いていかれたくなかった。
忘れられたくなかった。
俺だけを見てほしかった。
透に、俺だけを選んでほしかった。
だから、手を伸ばした。
でも、掴めなかった。
怯えているのに、俺を好きだと言ったから。
連れていかれてもいいとまで言って、俺の全部を受け止めようとしたから。
そんな人を、連れていけるわけがなかった。
夢の中で、透は俺を抱きしめた。
冷たい俺を。
消えそうな俺を。
五年前の夜に置いていかれたままの俺を。
透は、ちゃんと抱きしめた。
そして言った。
見つけました、と。
その声で、何かがほどけた。
外階段の夜が、少しずつ遠ざかっていく。
黄色いロープも。
冷たい手すりも。
待ち続けた足音も。
全部が、遠くなる。
代わりに、白い光が近づいてきた。
目を開けるのは怖かった。
そこに透がいなかったらどうしようと思った。
俺の知らない世界だけが続いていて。
俺を待っている人なんて、もうどこにもいなかったらどうしようと思った。
でも、目を開けた。
光の中に、透がいた。
泣きそうな顔で、俺を見ていた。
だから、分かった。
夢じゃなかった。
俺は見つけられた。
五年前の夜に置いていかれた俺も。
病室で眠り続けていた俺も。
透が、ちゃんと見つけてくれた。
そして俺も、透を見つけた。
