榊が戻ってきた翌日も、部屋の空気はまだ少し固かった。
朝食の時も、授業へ向かう時も、ほとんど話していない。
食堂で一度だけ目が合ったけれど、榊はすぐに視線を外した。
避けられているのか。
それとも、俺のほうが避けているのか。
自分でも、よく分からなかった。
放課後、部屋へ戻ると、真田先輩だけがいた。
机に肘をついてスマホを見ている。
榊のベッドは、朝と同じように整えられたままだった。
「おかえり。柏木、今日早いな」
「ただいまです」
鞄を机に置いてから、なんとなく部屋を見回す。
「榊は?」
「いない。放課後すぐ、寮監室の方に行ったっぽい」
「寮監室?」
「うん。さっき廊下で見た。小野寺さんと話すとか何とか」
真田先輩はスマホを伏せて、少しだけ肩をすくめた。
「榊、ああいう顔してる時はだいたい空気終わるんだよな」
「空気が終わる」
「終わるだろ、あいつの場合。
言葉が足りないんだよ。不器用だから」
少し笑いそうになった。
でも、うまく笑えなかった。
名前を呼ばせるな。
返事をするな。
あの低い声が、まだ耳の奥に残っている。
榊は、何を調べているんだろう。
「気になる?」
真田先輩に訊かれて、少しだけ返事が遅れた。
「……少し」
「あいつ、言い方きついけど、悪いやつじゃないよ」
「……そうですか」
悪いやつかどうかは、分からない。
少なくとも今の俺には、嫌なやつだった。
帰ってきてすぐ、藤代先輩を何か悪いものみたいに扱って。
俺のことまで、間違っているみたいな目で見た。
名前を呼ばせるな。
返事をするな。
そんなふうに言われて、はい分かりましたと思えるほど、俺はもう、藤代先輩のことを遠くには置けなかった。
「俺、先に食堂行くわ。柏木も来るだろ?」
「食欲なくて……あとで行きます」
「了解。なんか残しとく?」
「大丈夫です」
「じゃ、混む前に来いよ。食わないと夜に腹減るぞ」
真田先輩が出ていくと、部屋は急に静かになった。
俺はベッドの端に腰を下ろした。
窓の外はもう暗い。
ガラスに映る部屋の中は、妙に薄く見えた。
スマホを取り出して、連絡先の画面を開く。
307号室のグループ。
真田匠。
榊要。
柏木透。
そこまでは、ちゃんとある。
なのに、藤代先輩の名前はなかった。
昨日も、一昨日も、あれだけ一緒にいたのに。
同じ部屋で、同じ食堂で、同じ廊下を歩いたのに。
連絡先を交換していないだけだ。
そう思えば、それで済む話だった。
けれど、なぜか指先が冷たくなる。
「透」
名前を呼ばれて、顔を上げた。
窓際に、藤代先輩が立っていた。
いつからいたのか分からない。
でも、不思議と驚かなかった。
むしろ、息が楽になる。
「スマホ、見てた?」
「……連絡先を」
「連絡先?」
「先輩と、まだ交換してなかったなと思って」
藤代先輩は少しだけ目を細めた。
「必要?」
「普通は、しますよね」
「普通はね」
その返事が、少しだけ引っかかった。
「じゃあ、交換しませんか」
言ってから、心臓が小さく跳ねる。
別に、変なことを言ったわけじゃない。
同じ部屋の先輩だ。
連絡先くらい、あってもおかしくない。
なのに藤代先輩は、スマホを出さなかった。
「必要な時は、俺が行くよ」
低くて、やわらかい声だった。
「透が困ってたら、ちゃんと気づく」
その言い方に、胸の奥がまた変にゆるむ。
おかしいと思った。
連絡先を交換するだけの話だった。
普通なら、ここで画面を出して、コードを読み取って、それで終わりだ。
でも藤代先輩は、そうしない。
それなのに。
困った時に来てくれるなら、それでいいかもしれないと、思ってしまった。
「榊に、何か言われた?」
急に訊かれて、息が止まる。
「……どうしてですか」
「顔に出てる」
「出てます?」
「うん。透、考えすぎると目が固くなる」
そんなところまで見ているのかと思った。
怖い、より先に、見られていることが少しうれしかった。
「榊は……先輩のことを、よく思ってないみたいです」
「知ってる」
「前からですか」
「たぶん」
「たぶん?」
藤代先輩は、少しだけ笑った。
「榊は、自分に分からないものを怖がるから」
その言い方が、やさしすぎて、逆に分からなくなる。
榊は、本当に怖がっていただけなんだろうか。
それとも、俺が怖がらなさすぎるんだろうか。
藤代先輩は、やさしい。
でも、連絡先を交換しようとはしなかった。
どちらが正しいのか、分からない。
分からないのに、藤代先輩が俺の隣に腰を下ろすと、それだけで思考が少し鈍った。
代わりに、身体のほうが先に甘く熱を持つ。
「怖くなった?」
「……分かりません」
「うん」
責める声ではなかった。
「それでいいよ」
「いいんですか」
「透が考えてくれるなら、それでいい」
藤代先輩の指先が、俺の手の甲に軽く触れた。
冷たい。
でも、嫌じゃない。
「俺のこと、分からないままでも、呼んでくれる?」
名前を呼ばせるな。
返事をするな。
榊の声が、頭の隅をよぎる。
だめだと思った。
ここで呼んだら、何かを渡してしまう気がした。
でも、藤代先輩は俺を見ていた。
きれいな顔だと思った。
暗がりの中で、目だけがやわらかく光っている。
俺の返事を急かさず、逃げ道も塞がず、それでも呼ばれるのを待っている。
俺だけを待っている顔だった。
「……藤代先輩」
「朔でいいよ」
息が止まった。
「先輩もいらない」
それは、さすがにだめだと思った。
でも、だめだと思う理由より先に、呼んでみたいという気持ちが来てしまった。
「……朔」
声にした瞬間、藤代先輩がゆっくり笑った。
「うん」
その声を聞いた瞬間、身体の輪郭がほどけていくような感覚に襲われた。
まずい、と思った。
俺はたぶん、もう完全にこの人を好きになっている。
「……透は、俺が怖くない?」
朔が、俺の頬に指を滑らせた。
撫でられた瞬間は熱いのに、通り過ぎたあとだけ冷たい。
不思議な感覚だった。
「少し、怖い、です」
「怖いんだ」
そうだ。
ずっと、違和感はあった。
この人は何かがおかしい。
榊の言うことが、全部間違いだとも思えない。
だけど。
名前を呼ばれるたびに、胸の奥がほどけた。
特別だと言われるたびに、身体の力が抜けた。
触れられるたびに、ここにいていいのだと思ってしまった。
「……でも、それ以上に、離れたくないです」
自分でも驚くほど、素直な言葉が零れ落ちた。
ずっと、誰かに「特別」だと言ってほしかった。
父にも。
前の学校の誰にも。
どこにも届かなかった俺の輪郭を、この人だけが強く、はっきりと捉えてくれている。
たとえそれが、榊の言う「まずいこと」だとしても。
朔は、少しだけ目を伏せた。
「透」
「……はい」
「俺たち、少し似てる」
低い声だった。
「どこが、ですか」
「見つけてほしかったところ」
息が止まった。
そんな言い方をされたら、もう駄目だった。
俺がずっと言葉にできなかった場所を、この人は何でもないみたいに触ってくる。
「俺も、透に見つけてもらえて、うれしかった」
「……朔」
「うん」
返事をされるだけで、身体の奥が甘く痺れる。
怖い。
でも、離れたくない。
その二つが、もう矛盾しなくなっていた。
「俺、たぶん……」
言いかけて、喉が詰まる。
言ってしまったら戻れない。
そう分かっているのに、黙っている方が苦しかった。
「朔のことが、好きです」
言葉にした瞬間、部屋の空気が静かに沈んだ。
取り消せない。
取り消したくもない。
朔は一瞬だけ目を見開いた。
それから、泣きそうなくらいやさしく笑った。
「……それ、言ったら駄目だったのに」
「どうして。……男同士だからですか?」
「そうじゃない」
朔の指が、俺の頬に触れた。
「離せなくなる」
息が止まった。
怖い、と思った。
けれどそれより先に、離されたくないと思ってしまった。
「……離さなくていいです」
自分の声が、熱を帯びて震えているのがわかった。
朔は一瞬、困ったように眉を下げて笑うと、吸い寄せられるように顔を近づけてきた。
触れるだけの、静かなキス。
重なった唇からは、最初は熱くて、それから夜の空気のようなひんやりとした感触が伝わってくる。けれど、そこから心臓へ向かって、甘い痺れがじわじわと広がっていった。
「……っ」
あまりの緊張に、俺は思わずぎゅっと目を閉じる。
朔の指先が、耳の裏から髪へと優しく滑り落ちた。
一度離れて、今度は角度を変えて、もう一度。
さっきより少しだけ深く、確かめるような柔らかな重なり。
鼻先を掠める朔の匂いが、胸の奥を締め付ける。
頭がふわふわとして、まるで重力がなくなったみたいだ。
やがて朔がゆっくりと顔を離すと、至近距離で見つめるその瞳が、少し揺れていた。
「俺も好きだよ、透」
名前を呼ばれた瞬間、視界がぐらりと歪んだ。
部屋の輪郭が遠のく。
窓も、机も、ベッドの柵も、水の中に沈んでいくみたいにぼやけていく。
「……朔」
「うん」
返事だけが、すぐそばに残っていた。
眠い。
おかしいくらい、身体が重い。
でも、怖くなかった。
朔がいる。
朔が俺を好きだと言った。
それだけで、もう何も考えられなかった。
「おやすみ、透」
その声を最後に、俺は深い眠りの底へ落ちた。
朝食の時も、授業へ向かう時も、ほとんど話していない。
食堂で一度だけ目が合ったけれど、榊はすぐに視線を外した。
避けられているのか。
それとも、俺のほうが避けているのか。
自分でも、よく分からなかった。
放課後、部屋へ戻ると、真田先輩だけがいた。
机に肘をついてスマホを見ている。
榊のベッドは、朝と同じように整えられたままだった。
「おかえり。柏木、今日早いな」
「ただいまです」
鞄を机に置いてから、なんとなく部屋を見回す。
「榊は?」
「いない。放課後すぐ、寮監室の方に行ったっぽい」
「寮監室?」
「うん。さっき廊下で見た。小野寺さんと話すとか何とか」
真田先輩はスマホを伏せて、少しだけ肩をすくめた。
「榊、ああいう顔してる時はだいたい空気終わるんだよな」
「空気が終わる」
「終わるだろ、あいつの場合。
言葉が足りないんだよ。不器用だから」
少し笑いそうになった。
でも、うまく笑えなかった。
名前を呼ばせるな。
返事をするな。
あの低い声が、まだ耳の奥に残っている。
榊は、何を調べているんだろう。
「気になる?」
真田先輩に訊かれて、少しだけ返事が遅れた。
「……少し」
「あいつ、言い方きついけど、悪いやつじゃないよ」
「……そうですか」
悪いやつかどうかは、分からない。
少なくとも今の俺には、嫌なやつだった。
帰ってきてすぐ、藤代先輩を何か悪いものみたいに扱って。
俺のことまで、間違っているみたいな目で見た。
名前を呼ばせるな。
返事をするな。
そんなふうに言われて、はい分かりましたと思えるほど、俺はもう、藤代先輩のことを遠くには置けなかった。
「俺、先に食堂行くわ。柏木も来るだろ?」
「食欲なくて……あとで行きます」
「了解。なんか残しとく?」
「大丈夫です」
「じゃ、混む前に来いよ。食わないと夜に腹減るぞ」
真田先輩が出ていくと、部屋は急に静かになった。
俺はベッドの端に腰を下ろした。
窓の外はもう暗い。
ガラスに映る部屋の中は、妙に薄く見えた。
スマホを取り出して、連絡先の画面を開く。
307号室のグループ。
真田匠。
榊要。
柏木透。
そこまでは、ちゃんとある。
なのに、藤代先輩の名前はなかった。
昨日も、一昨日も、あれだけ一緒にいたのに。
同じ部屋で、同じ食堂で、同じ廊下を歩いたのに。
連絡先を交換していないだけだ。
そう思えば、それで済む話だった。
けれど、なぜか指先が冷たくなる。
「透」
名前を呼ばれて、顔を上げた。
窓際に、藤代先輩が立っていた。
いつからいたのか分からない。
でも、不思議と驚かなかった。
むしろ、息が楽になる。
「スマホ、見てた?」
「……連絡先を」
「連絡先?」
「先輩と、まだ交換してなかったなと思って」
藤代先輩は少しだけ目を細めた。
「必要?」
「普通は、しますよね」
「普通はね」
その返事が、少しだけ引っかかった。
「じゃあ、交換しませんか」
言ってから、心臓が小さく跳ねる。
別に、変なことを言ったわけじゃない。
同じ部屋の先輩だ。
連絡先くらい、あってもおかしくない。
なのに藤代先輩は、スマホを出さなかった。
「必要な時は、俺が行くよ」
低くて、やわらかい声だった。
「透が困ってたら、ちゃんと気づく」
その言い方に、胸の奥がまた変にゆるむ。
おかしいと思った。
連絡先を交換するだけの話だった。
普通なら、ここで画面を出して、コードを読み取って、それで終わりだ。
でも藤代先輩は、そうしない。
それなのに。
困った時に来てくれるなら、それでいいかもしれないと、思ってしまった。
「榊に、何か言われた?」
急に訊かれて、息が止まる。
「……どうしてですか」
「顔に出てる」
「出てます?」
「うん。透、考えすぎると目が固くなる」
そんなところまで見ているのかと思った。
怖い、より先に、見られていることが少しうれしかった。
「榊は……先輩のことを、よく思ってないみたいです」
「知ってる」
「前からですか」
「たぶん」
「たぶん?」
藤代先輩は、少しだけ笑った。
「榊は、自分に分からないものを怖がるから」
その言い方が、やさしすぎて、逆に分からなくなる。
榊は、本当に怖がっていただけなんだろうか。
それとも、俺が怖がらなさすぎるんだろうか。
藤代先輩は、やさしい。
でも、連絡先を交換しようとはしなかった。
どちらが正しいのか、分からない。
分からないのに、藤代先輩が俺の隣に腰を下ろすと、それだけで思考が少し鈍った。
代わりに、身体のほうが先に甘く熱を持つ。
「怖くなった?」
「……分かりません」
「うん」
責める声ではなかった。
「それでいいよ」
「いいんですか」
「透が考えてくれるなら、それでいい」
藤代先輩の指先が、俺の手の甲に軽く触れた。
冷たい。
でも、嫌じゃない。
「俺のこと、分からないままでも、呼んでくれる?」
名前を呼ばせるな。
返事をするな。
榊の声が、頭の隅をよぎる。
だめだと思った。
ここで呼んだら、何かを渡してしまう気がした。
でも、藤代先輩は俺を見ていた。
きれいな顔だと思った。
暗がりの中で、目だけがやわらかく光っている。
俺の返事を急かさず、逃げ道も塞がず、それでも呼ばれるのを待っている。
俺だけを待っている顔だった。
「……藤代先輩」
「朔でいいよ」
息が止まった。
「先輩もいらない」
それは、さすがにだめだと思った。
でも、だめだと思う理由より先に、呼んでみたいという気持ちが来てしまった。
「……朔」
声にした瞬間、藤代先輩がゆっくり笑った。
「うん」
その声を聞いた瞬間、身体の輪郭がほどけていくような感覚に襲われた。
まずい、と思った。
俺はたぶん、もう完全にこの人を好きになっている。
「……透は、俺が怖くない?」
朔が、俺の頬に指を滑らせた。
撫でられた瞬間は熱いのに、通り過ぎたあとだけ冷たい。
不思議な感覚だった。
「少し、怖い、です」
「怖いんだ」
そうだ。
ずっと、違和感はあった。
この人は何かがおかしい。
榊の言うことが、全部間違いだとも思えない。
だけど。
名前を呼ばれるたびに、胸の奥がほどけた。
特別だと言われるたびに、身体の力が抜けた。
触れられるたびに、ここにいていいのだと思ってしまった。
「……でも、それ以上に、離れたくないです」
自分でも驚くほど、素直な言葉が零れ落ちた。
ずっと、誰かに「特別」だと言ってほしかった。
父にも。
前の学校の誰にも。
どこにも届かなかった俺の輪郭を、この人だけが強く、はっきりと捉えてくれている。
たとえそれが、榊の言う「まずいこと」だとしても。
朔は、少しだけ目を伏せた。
「透」
「……はい」
「俺たち、少し似てる」
低い声だった。
「どこが、ですか」
「見つけてほしかったところ」
息が止まった。
そんな言い方をされたら、もう駄目だった。
俺がずっと言葉にできなかった場所を、この人は何でもないみたいに触ってくる。
「俺も、透に見つけてもらえて、うれしかった」
「……朔」
「うん」
返事をされるだけで、身体の奥が甘く痺れる。
怖い。
でも、離れたくない。
その二つが、もう矛盾しなくなっていた。
「俺、たぶん……」
言いかけて、喉が詰まる。
言ってしまったら戻れない。
そう分かっているのに、黙っている方が苦しかった。
「朔のことが、好きです」
言葉にした瞬間、部屋の空気が静かに沈んだ。
取り消せない。
取り消したくもない。
朔は一瞬だけ目を見開いた。
それから、泣きそうなくらいやさしく笑った。
「……それ、言ったら駄目だったのに」
「どうして。……男同士だからですか?」
「そうじゃない」
朔の指が、俺の頬に触れた。
「離せなくなる」
息が止まった。
怖い、と思った。
けれどそれより先に、離されたくないと思ってしまった。
「……離さなくていいです」
自分の声が、熱を帯びて震えているのがわかった。
朔は一瞬、困ったように眉を下げて笑うと、吸い寄せられるように顔を近づけてきた。
触れるだけの、静かなキス。
重なった唇からは、最初は熱くて、それから夜の空気のようなひんやりとした感触が伝わってくる。けれど、そこから心臓へ向かって、甘い痺れがじわじわと広がっていった。
「……っ」
あまりの緊張に、俺は思わずぎゅっと目を閉じる。
朔の指先が、耳の裏から髪へと優しく滑り落ちた。
一度離れて、今度は角度を変えて、もう一度。
さっきより少しだけ深く、確かめるような柔らかな重なり。
鼻先を掠める朔の匂いが、胸の奥を締め付ける。
頭がふわふわとして、まるで重力がなくなったみたいだ。
やがて朔がゆっくりと顔を離すと、至近距離で見つめるその瞳が、少し揺れていた。
「俺も好きだよ、透」
名前を呼ばれた瞬間、視界がぐらりと歪んだ。
部屋の輪郭が遠のく。
窓も、机も、ベッドの柵も、水の中に沈んでいくみたいにぼやけていく。
「……朔」
「うん」
返事だけが、すぐそばに残っていた。
眠い。
おかしいくらい、身体が重い。
でも、怖くなかった。
朔がいる。
朔が俺を好きだと言った。
それだけで、もう何も考えられなかった。
「おやすみ、透」
その声を最後に、俺は深い眠りの底へ落ちた。
