その日の放課後、寮へ戻る途中で、真田先輩と外階段の下を通った。
楠寮と校舎をつなぐ、あの鉄の手すりのついた階段だ。
初日に藤代先輩に抱き留められた場所でもある。
真新しい板が混じった三段目を見た瞬間、足が少しだけ止まる。
「そこ、気になる?」
真田先輩が聞いた。
「ちょっと」
「昔、事故あったんだよ」
あまりにあっさり言われて、思わず顔を上げる。
「事故」
「詳しくは俺も知らないけど、夜にここで落ちたやつがいるらしい」
風が吹いて、手すりがかすかに鳴った。
「寮生ですか」
「たぶん」
「たぶん?」
「そこが、なんか曖昧でさ」
真田先輩は眉を寄せる。
「噂だけ残ってる感じ。先輩だったとか、一年だったとか、寮監が運んだとか、救急車呼んだとか、言うことみんな違う」
そこで、また少し考える顔になる。
「でも、外階段は夜にあんま使うなって話だけは、やたらはっきりしてんだよな」
嫌な感じだった。
話の中心だけが抜けて、輪郭だけ残っている。
それは藤代先輩の名前が引っかかる時と、少し似ていた。
「柏木?」
呼ばれて我に返る。
「顔色、悪いぞ」
「大丈夫です」
「全然大丈夫そうじゃない」
そう言うわりに、真田先輩は深追いしない。
ただ、階段のほうを見ないようにするみたいに、俺の肩を軽く押して歩き出した。
「今日はもうメシにしようぜ」
夕飯も風呂も、いつも通り終わった。
真田先輩はテレビのない談話室の話で笑っていたし、俺も適当に相槌を打った。
けれど頭のどこかに、ずっと外階段が残っていた。
昔の事故。
夜。
曖昧な噂。
消灯が近づくころ、藤代先輩はやっぱり来た。
窓際に立つ姿を見た瞬間、安心してしまった自分に、少しだけ腹が立つ。
「今日、遅かったですね」
「寮監につかまってた」
「先輩、ほんと何でもやってるんですね」
「そうでもないよ」
そう言って、藤代先輩は俺のベッドの縁に腰を下ろした。
聞きたいことは、いくつかあった。
外階段の事故のこととか。
名前のこととか。
でも、そのどれも口に出す前に、廊下の向こうで足音が止まる。
真田先輩が顔を上げた。
「え」
その声が、やけに小さかった。
次の瞬間、三〇七の扉が開く。
立っていたのは、見たことのない男子だった。
制服の着崩し方は雑じゃないのに、全体に隙がない。背は高すぎない。目つきが少し鋭くて、空気だけが妙に張っている。
手には小さな紙袋。肩には使い込んだボストンバッグ。
その視線が、部屋の中を一瞬でなぞる。
真田先輩。
俺。
それから、ベッドの縁に座る藤代先輩。
見た瞬間、その人の顔色が変わった。
「……は?」
低い声だった。
怒鳴っているわけじゃないのに、部屋の温度が一段下がる。
真田先輩が立ち上がる。
「榊」
その名前を聞いた瞬間、息が詰まった。
榊要。
戻ってくるはずだった、もうひとりの同室者。
榊は俺から目を逸らさなかった。
いや、正確には、俺の向こう側まで含めて見ているみたいだった。
ぞっとするほどまっすぐな目だった。
「……お前」
榊が言う。
「なんで部屋に入れた?」
楠寮と校舎をつなぐ、あの鉄の手すりのついた階段だ。
初日に藤代先輩に抱き留められた場所でもある。
真新しい板が混じった三段目を見た瞬間、足が少しだけ止まる。
「そこ、気になる?」
真田先輩が聞いた。
「ちょっと」
「昔、事故あったんだよ」
あまりにあっさり言われて、思わず顔を上げる。
「事故」
「詳しくは俺も知らないけど、夜にここで落ちたやつがいるらしい」
風が吹いて、手すりがかすかに鳴った。
「寮生ですか」
「たぶん」
「たぶん?」
「そこが、なんか曖昧でさ」
真田先輩は眉を寄せる。
「噂だけ残ってる感じ。先輩だったとか、一年だったとか、寮監が運んだとか、救急車呼んだとか、言うことみんな違う」
そこで、また少し考える顔になる。
「でも、外階段は夜にあんま使うなって話だけは、やたらはっきりしてんだよな」
嫌な感じだった。
話の中心だけが抜けて、輪郭だけ残っている。
それは藤代先輩の名前が引っかかる時と、少し似ていた。
「柏木?」
呼ばれて我に返る。
「顔色、悪いぞ」
「大丈夫です」
「全然大丈夫そうじゃない」
そう言うわりに、真田先輩は深追いしない。
ただ、階段のほうを見ないようにするみたいに、俺の肩を軽く押して歩き出した。
「今日はもうメシにしようぜ」
夕飯も風呂も、いつも通り終わった。
真田先輩はテレビのない談話室の話で笑っていたし、俺も適当に相槌を打った。
けれど頭のどこかに、ずっと外階段が残っていた。
昔の事故。
夜。
曖昧な噂。
消灯が近づくころ、藤代先輩はやっぱり来た。
窓際に立つ姿を見た瞬間、安心してしまった自分に、少しだけ腹が立つ。
「今日、遅かったですね」
「寮監につかまってた」
「先輩、ほんと何でもやってるんですね」
「そうでもないよ」
そう言って、藤代先輩は俺のベッドの縁に腰を下ろした。
聞きたいことは、いくつかあった。
外階段の事故のこととか。
名前のこととか。
でも、そのどれも口に出す前に、廊下の向こうで足音が止まる。
真田先輩が顔を上げた。
「え」
その声が、やけに小さかった。
次の瞬間、三〇七の扉が開く。
立っていたのは、見たことのない男子だった。
制服の着崩し方は雑じゃないのに、全体に隙がない。背は高すぎない。目つきが少し鋭くて、空気だけが妙に張っている。
手には小さな紙袋。肩には使い込んだボストンバッグ。
その視線が、部屋の中を一瞬でなぞる。
真田先輩。
俺。
それから、ベッドの縁に座る藤代先輩。
見た瞬間、その人の顔色が変わった。
「……は?」
低い声だった。
怒鳴っているわけじゃないのに、部屋の温度が一段下がる。
真田先輩が立ち上がる。
「榊」
その名前を聞いた瞬間、息が詰まった。
榊要。
戻ってくるはずだった、もうひとりの同室者。
榊は俺から目を逸らさなかった。
いや、正確には、俺の向こう側まで含めて見ているみたいだった。
ぞっとするほどまっすぐな目だった。
「……お前」
榊が言う。
「なんで部屋に入れた?」
