滝夜叉姫に会うため、私たちは江戸の町を西から東へと横断することになった。
道中、榊は急ぐ風でもなく、「ついでだ」と言ってあちこちの屋台や店を冷やかし始めた。
「ほら、雛。あそこの団子屋、あそこのみたらしは蜜の照りがいいぞ」
「ちょっと! 滝夜叉姫に会いに行くんじゃなかったんですか? 何、呑気に買い食いしようとしてるんですか!」
私が怒鳴っても、榊はどこ吹く風だ。
結局、湯気を立てる焼きたての団子を二串買い、一串を強引に私の口に押し込んできた。
「もぐ……ん、美味しい。……じゃなくて! 私は西園寺家の娘ですよ? 町中で立ち食いなんて……」
「硬いこと言うな。腹が減っては妖の理も解けねえ。ほら、あそこを見てみろ」
榊がキセルの先で指し示したのは、賑わう大通りの真ん中だった。
人混みに紛れて、ひょろりと背の高い見越し入道が、呉服屋の看板を鏡代わりにして身なりを整えている。その足元では、小さな河童たちが魚屋の店先からこぼれ落ちた小魚を、人間に見つからない絶妙な速さで拾い集めていた。
「……すごい。江戸の町って、こんなに妖であふれていたんですね」
榊に力を分けてもらうまで、私はこれほどまでに騒がしい「隣人」たちの存在を知らなかった。
人々が笑い、商人が声を張り上げるそのすぐ隣で、妖たちもまた、自分たちの日常を懸命に謳歌している。
「賑やかでいいだろ。この異様さが江戸の正体だ」
ふと隣を見上げると、榊が見たこともないような晴れやかな笑顔を浮かべていた。
普段の退屈そうな、あるいは他人を小馬鹿にしたような笑みではない。まるで、朝の陽光をそのまま浴びているような、一点の曇りもない少年のごとき笑顔。
「……榊さん、そんな顔もするんですね。意外です」
「……何がだ」
「いえ。もっと、暗い場所や不気味な事件のそばにいるのが好きな、根暗な人だと思っていましたから」
私が素直な感想を漏らすと、榊は少しだけ照れくさそうに視線を逸らし、キセルを軽く振った。
「勘違いするな。俺が扱ってるのは、血生臭いいかがわしい商売だ。……だからこそ、こういうくだらねえ平和な景色を眺めるのが好きなんだよ。壊れやすいからな、こういうのは」
その言葉は、いつになく真っ直ぐだ。
(へぇ……。口を開けばドブ川みたいな毒を吐くのに、心の中にはそんな綺麗な思いがあるんだ。少しだけ良い部品もあるのか……。)
意外な一面に、私の心臓がほんの少しだけ跳ねた気がした。だが、感傷に浸る時間は長くは続かなかった。
「……着いたぞ。ここが、江戸の終点だ」
町外れのさらに外。
そこは、引き取り手のない亡骸を葬る無縁仏の墓場だった。
湿った土と線香の匂いが混ざり合う荒廃した土地の奥。そこには、榊のあの幽霊屋敷を豪邸だと思わせるほど、凄まじいボロボロの屋敷が、泥に沈むようにして建っていた。
「……榊さん。あそこに滝夜叉姫がいるって、本気ですか? これじゃあ……」
「あぁ。地獄の最前線に住む、最悪の女の住処だ。心して入れよ、雛」
榊の表情から先ほどの穏やかさが消え、鋭い「妖屋」の顔に戻る。私は仕込み杖を握り直し、不気味な沈黙を湛えるボロ屋敷の門へと一歩を踏み出した。
道中、榊は急ぐ風でもなく、「ついでだ」と言ってあちこちの屋台や店を冷やかし始めた。
「ほら、雛。あそこの団子屋、あそこのみたらしは蜜の照りがいいぞ」
「ちょっと! 滝夜叉姫に会いに行くんじゃなかったんですか? 何、呑気に買い食いしようとしてるんですか!」
私が怒鳴っても、榊はどこ吹く風だ。
結局、湯気を立てる焼きたての団子を二串買い、一串を強引に私の口に押し込んできた。
「もぐ……ん、美味しい。……じゃなくて! 私は西園寺家の娘ですよ? 町中で立ち食いなんて……」
「硬いこと言うな。腹が減っては妖の理も解けねえ。ほら、あそこを見てみろ」
榊がキセルの先で指し示したのは、賑わう大通りの真ん中だった。
人混みに紛れて、ひょろりと背の高い見越し入道が、呉服屋の看板を鏡代わりにして身なりを整えている。その足元では、小さな河童たちが魚屋の店先からこぼれ落ちた小魚を、人間に見つからない絶妙な速さで拾い集めていた。
「……すごい。江戸の町って、こんなに妖であふれていたんですね」
榊に力を分けてもらうまで、私はこれほどまでに騒がしい「隣人」たちの存在を知らなかった。
人々が笑い、商人が声を張り上げるそのすぐ隣で、妖たちもまた、自分たちの日常を懸命に謳歌している。
「賑やかでいいだろ。この異様さが江戸の正体だ」
ふと隣を見上げると、榊が見たこともないような晴れやかな笑顔を浮かべていた。
普段の退屈そうな、あるいは他人を小馬鹿にしたような笑みではない。まるで、朝の陽光をそのまま浴びているような、一点の曇りもない少年のごとき笑顔。
「……榊さん、そんな顔もするんですね。意外です」
「……何がだ」
「いえ。もっと、暗い場所や不気味な事件のそばにいるのが好きな、根暗な人だと思っていましたから」
私が素直な感想を漏らすと、榊は少しだけ照れくさそうに視線を逸らし、キセルを軽く振った。
「勘違いするな。俺が扱ってるのは、血生臭いいかがわしい商売だ。……だからこそ、こういうくだらねえ平和な景色を眺めるのが好きなんだよ。壊れやすいからな、こういうのは」
その言葉は、いつになく真っ直ぐだ。
(へぇ……。口を開けばドブ川みたいな毒を吐くのに、心の中にはそんな綺麗な思いがあるんだ。少しだけ良い部品もあるのか……。)
意外な一面に、私の心臓がほんの少しだけ跳ねた気がした。だが、感傷に浸る時間は長くは続かなかった。
「……着いたぞ。ここが、江戸の終点だ」
町外れのさらに外。
そこは、引き取り手のない亡骸を葬る無縁仏の墓場だった。
湿った土と線香の匂いが混ざり合う荒廃した土地の奥。そこには、榊のあの幽霊屋敷を豪邸だと思わせるほど、凄まじいボロボロの屋敷が、泥に沈むようにして建っていた。
「……榊さん。あそこに滝夜叉姫がいるって、本気ですか? これじゃあ……」
「あぁ。地獄の最前線に住む、最悪の女の住処だ。心して入れよ、雛」
榊の表情から先ほどの穏やかさが消え、鋭い「妖屋」の顔に戻る。私は仕込み杖を握り直し、不気味な沈黙を湛えるボロ屋敷の門へと一歩を踏み出した。

