江戸妖屋始末録 ~偏屈なキセル男がお嬢様に振り回され~

 賑やかなお見舞いと、狂乱の酒盛り

 あの大騒動から数日。朱雀門の鬼の骨で作られたサイコロは、榊の手によって厳重に封印され、妖屋敷の奥深くへと保管された。

 これで一まず、子供たちが神隠しに遭うような事件は収束したことになる。

 一件落着したのは良かったのだが、問題が一つあった。目の前で、全身に包帯をぐるぐるに巻きつけられて座椅子に腰掛けている男のことだ。

「おい、雛。あの騒がしい連中をどうにかしろ。俺は怪我人だぞ」

 包帯の隙間から、榊がひどく不機嫌そうな声を漏らした。あの日以来、彼は私のことを「木偶人形」とも「なまくら」とも呼ばなくなった。ぶっきらぼうに「雛」と名前で呼ぶようになったのは、相棒として認めてくれた証拠のようで少しだけ嬉しい。けれど、今の彼にはそんな感傷に浸る余裕はなさそうだった。

「そんなこと言われたって、勝手に入ってきたんだから仕方ないじゃない」

 私が苦笑しながら視線を向けた先では、すでに我が世の春と言わんばかりのどんちゃん騒ぎが始まっていた。

「ぜんちゃんが死にかけたって聞いたからさ、お見舞いに来てあげたよ! ほら、骨(こいつら)に最高級の酒樽を運ばせてきたから、遠慮なく飲んでよね!」

 真っ黒な髑髏柄の着物を翻し、満面の笑みで景気よく酒を注いで回っているのは、伝説の亡霊姫こと滝姫様だ。彼女が引き連れてきた骸骨たちも、カタカタと骨を鳴らしながら楽しそうにお給仕をしている。

「あら、お店からくすねてきた上等な地酒もあるわよ。雛ちゃんも、たまには羽目を外して一杯どうかしら?」

 お菊さんが、しなやかな手つきで徳利を傾け、私に杯を差し出してきた。きっと吉原ではこの一献で何両もするのだろう。

 彼女の膝の上では、猫又が器用に尾を振って、おつまみの魚をねだっている。さらには、屋敷の妖たちまでがこの機を逃すまいと参戦してきた。座敷童が畳の上を走り回り、小豆洗いが酒の肴にと小豆を小気味よく洗い、ろくろ首が天井から首を伸ばして、滝姫様の骨たちと一気飲みの勝負を始めている。

 お見舞いという名の、ただの狂乱の酒盛りであった。

「……武家の娘たるもの、昼間からお酒に呑まれるわけには……」

 最初はそう言って固辞していた私だったが、お菊さんの妖艶な笑顔に押し切られ、一杯だけ、と口をつけたのが運の尽きだった。

 気がつけば、私の目の前には空になったお猪口がいくつも転がっていた。

 灘の酒らしい。驚くほど口当たりが良く、そして何より、張り詰めていた緊張が解けたせいか、ものすごく気分が良くなってしまったのだ。

「よーし! みんな乗ってきたね! それじゃあ、ここらで一発芸大会を開催しちゃうよ!」

 滝姫様が扇子でパンパンと畳を叩き、高らかに宣言した。すっかりお酒が入って出来上がった一同から、地割れのような大歓声が沸き起こる。


 最初は、屋敷の妖コンビだった。

「いくぞ、座敷童! 首縄跳びじゃ!」
「おーっ!」

 ろくろ首がその長い首をびよーんと伸ばし、自らの首を大縄跳びの縄のようにしてぶんぶんと回し始めた。そこへ座敷童が疾風のごとき軽やかさで飛び込み、見事な連続跳びを披露する。

「おおーっ!」

 と骸骨たちが骨を叩いて拍手喝采を送る。

 続いて、お菊さんがすっと立ち上がった。

「それじゃあ、うちの黒猫の芸でも見てもらおうかしら」

 お菊さんがパチンと指を鳴らすと、膝の上にいた猫又がシャッと鋭く目を光らせた。

 猫又は畳を強く蹴ると、宙を舞いながら三連続の空中宙返りを決め、さらには二つの尻尾を器用に回して風を起こし、ふわりと着地してみせたのだ。

「ニャー(これくらい朝飯前だ)」

 と言わんばかりに胸を張る猫又に、滝姫様が

「やばい、超可愛い!」

 と身を悶えさせる。

「よし、次はうちの骨どもの番だ! みんな、あれやっちゃって!」

 滝姫様の合図で、十数体の骸骨たちが一斉に中央へと集まった。カタカタ、ゴトゴトと骨の擦れる不気味な音を響かせながら、彼らは互いの肩を組み、その上に順に登って、なんと座敷の真ん中で見事な『城』を作り上げようとした。

 が、あと一歩で完成というところで、土台の骸骨が激しくくしゃみ。

 ガラガラガラガラッ!

「あちゃー、やっぱり骨組みが緩かったかぁ!」

 無惨に崩壊し、畳の上に骨の山を作った配下たちを見て、滝姫様がゲラゲラと笑い転げる。

 座敷の興奮が最高潮に達する中、お菊さんが悪戯っぽい視線を私に投げかけてきた。

「さあ、トリは西園寺のお嬢様、雛ちゃんの番よ。何か素晴らしい芸を見せてくれるかしら?」

 その言葉に、すっかり酔いが回って目が据わっていた私は、勢いよく立ち上がった。頭がふわふわとして、身体が妙に軽い。

「お任せください……! 西園寺の名にかけて、極上の居合をお見せいたします!」
「おい、雛、やめろ。お前は座ってろ。絶対に嫌な予感しかしない」

 包帯で簀巻き状態の榊が止めに入ったが、今の私の耳には届かない。私は腰にある妖力の宿った相棒、仕込み杖の柄にそっと手をかけた。

「お菊さん、そこのすごろくの紙を投げてください! 西園寺流居合……とくと、ご覧あれ!」

 一歩、足を踏み出す。狙うは、お菊さんが放り投げ、座敷の空中にふわりと浮遊していたすごろくの盤面。
 刹那。
 ——斬ッ!

 シャキィィィン

 と室内に澄んだ金属音が響き渡り、神の牙が放った鋭い剣風が座敷を駆け抜けた。我ながら完璧な抜刀、そして納刀だった。

 パチパチパチ、と一瞬の静寂の後、妖たちから大歓声が上がる。

「決まったわ……!」

 ふふん、と満足げに鼻を鳴らし、ドヤ顔で榊の方を振り返った私だったが、次の瞬間、その場の全員が完全に凍りついた。

「……おい、雛」

 地を這うような、極低音の声。榊の着物の帯、そして彼の全身にこれでもかと頑丈に巻きつけられていた包帯の、すべての「結び目」が、今の私の居合の風圧によって精密に、かつ鮮やかに切り裂かれていた。

 ハラハラハラ……。

 盤面の紙ふぶきを受けながら、実に見事な手際で、榊の着物と包帯が、まるで脱皮するかのように一斉に解け、床へと滑り落ちていく。

 後に残されたのは、包帯から完全に解放され、上半身の生々しい傷跡と晒しを丸出しにしたまま、怒りで血管を浮き上がらせている榊の姿だった。

「……てめえ、わざとやったろ」
「あ、あれ? 榊さん、包帯が綺麗に衣替えしましたね……?」
「衣替えなわけねえだろ! 殺すぞ木偶人形ォ!」
「きゃー! 雛って呼んでくれてたのに、木偶人形に戻ってるー!」

 怒髪天を突いた榊が、傷だらけの身体のまま枕を投げつけてくるのを、私は仕込み杖を抱えて全力で逃げ回った。

 それを見て、滝姫様とお菊さんはお腹を抱えて大爆笑している。

 私たちの、黒鵺を追うための果てしない戦いは始まったばかり。

 だけど、この騒がしくて温かい日常がある限り、私はどんな闇にだって立ち向かえる。そう確信しながら、私は妖屋敷の座敷を、笑いながら全力で駆け抜けるのだった。





 嵐が去った後の座敷は、ひどく静かだった。私は、新しく用意した包帯を手に、再び榊さんの前に座っていた。今度は細心の注意を払いながら、その逞しい胸元に白い布を巻いていく。

「……ごめんなさい。さっきは、ついお酒の勢いで」
「本当にテメエは、手のかかる奴だな、デク……雛」

 不意に名前を呼ばれ、包帯を止める私の手がピタリと止まる。

 月光に照らされた榊さんの切れ長の瞳が、まっすぐに私を射抜いていた。

「私の本体、壊れちゃいましたね。誰かの災厄を引き受けるのが、身代わり雛である私の役目だったのに」
「役目だなんだと、そんなこと言うんじゃねえよ」

 榊さんはふいと視線を外すと、私の頬にそっと手を添え、静かに顔を近づけてきた。

 あまりの近さに、心臓がうるさいほど跳ね上がる。

「お前の依り代は、もう俺だ。お前が誰かの身代わりになる必要はねえ。これからは……お前の受けるはずの厄災も痛みも、この俺が全部代わりに引き受けてやる」
「それじゃあ、榊さんが私の身代わりじゃないですか……っ」
「一蓮托生ってのは、そういうことだろ」

 ぶっきらぼうな言葉の奥にある、独占欲に似た強い響き。

 頬に触れる彼の指先が、ひどく熱い。

「……だったら、絶対に死なないでくださいね、私の依り代さん」
「言われなくても、テメエを遺して死ねるかよ」

 ふっと、いつもの悪い笑みを浮かべた彼の顔が、いつもよりずっと愛おしく見えた。