昨夜の騒動から一夜明け、江戸の町には穏やかな陽光が降り注いでいた。
吉原へ向かうのは夜、と榊に釘を刺されていた私は、昼間から自分の屋敷で所在なくぼーっと過ごしていた。
(……なんだか、泥を落として普通の着物に戻ると、昨夜の出来事が夢だったみたい。あんな性格破綻者の男に振り回されて、ネズミを懐に入れたり銭湯を駆け抜けたり……)
自分の波乱万丈すぎるここ数日を思い返し、思わず遠い目になる。そこへ、公務を終えた父上が通りかかった。
「雛、戻っていたのか。……それで、例の妖屋とは上手くやっているのか?」
父上に促され、私はここ数日の出来事をかいつまんで報告した。カマイタチの事件、滝夜叉姫との邂逅、そして昨夜の狂った絵師の最期。
黙って聞いていた父上は、不意に真面目な顔で問いかけてきた。
「……その、榊という男。お前からはどう見える」
「えっ? あ、あの人ですか? そうですね……。口は信じられないくらい悪いですし、態度は傲岸不遜で、私を木偶人形扱いしますし、やることなすこと破廉恥で……本当に、最低な性格破綻者ですよ!」
私は勢いよくまくし立てた。だが、一呼吸置いてから、少しだけ声を落として続ける。
「……でも、なんて言うか。誰も見ていないところで、小さな妖を助けたり、江戸の平和を守ろうとする時の顔は……その、少しだけ、真っ直ぐで。……まあ、顔だけは絶世の歌舞伎役者にも負けないですし、実力だけは、認めてあげなくもありません」
最後の方は、自分でも顔が熱くなるのが分かった。すると、父上はなんとも言えない、苦虫を噛み潰したような複雑な表情を浮かべた。
「……そうか。自分から勧めておいてなんだが、雛。あの男は闇が深すぎる。……あまり深くは関わるなよ」
「……? はい、分かっています。あんな毒舌男、こっちから願い下げですよ!」
父上の妙に切実な釘刺しに首をかしげつつ、私は逃げるように屋敷を飛び出した。
夕刻、吉原へ向かう前の寄り道として、私は再び町外れの墓地へと向かった。泥に沈むボロ屋敷。昨日と同じく、カタカタと鳴る骸骨たちに出迎えられる。
「滝夜叉姫、いますか?」
「あー、昨日の子じゃーん、滝姫でいいよー! 堅苦しいのマジ勘弁だし!」
奥から現れた滝姫は、相変わらず髑髏柄の短丈着物を翻し、派手な飾り扇子をパタパタさせていた。
私は彼女に、昨夜の絵師の結末と、黒鵺が雪舟斎の骨を墨に混ぜて悪用していたことを話した。
「……そっか。あいつが消えたことで、うちの手下も少しは報われるかなー。あんがと、雛ちゃん!」
滝姫は満足げに笑うと、骸骨にお茶を淹れさせた。今日は手は付けてみたが、なかなか美味しい。
そして、滝姫はふと悪戯っぽい笑みを浮かべて、私をじっと見つめてきた。
「ところでさー。雛ちゃん、ぶっちゃけ、ぜんちゃんと付き合ってるわけ?」
「……ぶっ!? げほっ、ごほっ!」
お茶を派手に吹き出しそうになり、私は必死にむせた。
「な、ななな何を言っているんですか! あんな、ドブ川に落ちた宝石みたいな性格破綻者の男と、私が!? 天変地異が起きてもあり得ません!」
「ほー、宝石ときたかー」
「ドブに落ちた! です」
「えー、そうかなー? でも雛ちゃん、ぜんちゃんの話してる時、マジで目がキラキラしてるし。……ハハハーン! わかっちゃった。雛ちゃん、ぜんちゃんのこと、好きなんだー!」
「ち、違います! あれは、ただの……仕事上の付き合いで!」
「ハイハイ、お熱いねー。江戸の闇を追う相棒がいつの間にか恋人に……って、マジで熱いじゃん!」
滝姫の容赦ないからかいに、私の顔は真っ赤に茹で上がり、耳の先まで熱くなった。
「……もう、知りません! 行きますっ!」
「あ、逃げたー! がんばってねー、新カノちゃん!」
「……新カノ、って、前に付き合ってたのって、滝姫が……?」
「ぎゃははは! ほら、気にしてるんじゃん。大丈夫だよ、うちとぜんちゃんはそういう仲じゃないから」
背後から響く姫の笑い声を振り切り、私は墓地を全速力で駆け抜けた。夜の帳が降りてくる。
これから向かうのは、江戸で最も華やかな極楽浄土——吉原。騒がしい心臓を落ち着かせながら、私は約束の場所で待つ、あの最悪な男の姿を探した。
吉原へ向かうのは夜、と榊に釘を刺されていた私は、昼間から自分の屋敷で所在なくぼーっと過ごしていた。
(……なんだか、泥を落として普通の着物に戻ると、昨夜の出来事が夢だったみたい。あんな性格破綻者の男に振り回されて、ネズミを懐に入れたり銭湯を駆け抜けたり……)
自分の波乱万丈すぎるここ数日を思い返し、思わず遠い目になる。そこへ、公務を終えた父上が通りかかった。
「雛、戻っていたのか。……それで、例の妖屋とは上手くやっているのか?」
父上に促され、私はここ数日の出来事をかいつまんで報告した。カマイタチの事件、滝夜叉姫との邂逅、そして昨夜の狂った絵師の最期。
黙って聞いていた父上は、不意に真面目な顔で問いかけてきた。
「……その、榊という男。お前からはどう見える」
「えっ? あ、あの人ですか? そうですね……。口は信じられないくらい悪いですし、態度は傲岸不遜で、私を木偶人形扱いしますし、やることなすこと破廉恥で……本当に、最低な性格破綻者ですよ!」
私は勢いよくまくし立てた。だが、一呼吸置いてから、少しだけ声を落として続ける。
「……でも、なんて言うか。誰も見ていないところで、小さな妖を助けたり、江戸の平和を守ろうとする時の顔は……その、少しだけ、真っ直ぐで。……まあ、顔だけは絶世の歌舞伎役者にも負けないですし、実力だけは、認めてあげなくもありません」
最後の方は、自分でも顔が熱くなるのが分かった。すると、父上はなんとも言えない、苦虫を噛み潰したような複雑な表情を浮かべた。
「……そうか。自分から勧めておいてなんだが、雛。あの男は闇が深すぎる。……あまり深くは関わるなよ」
「……? はい、分かっています。あんな毒舌男、こっちから願い下げですよ!」
父上の妙に切実な釘刺しに首をかしげつつ、私は逃げるように屋敷を飛び出した。
夕刻、吉原へ向かう前の寄り道として、私は再び町外れの墓地へと向かった。泥に沈むボロ屋敷。昨日と同じく、カタカタと鳴る骸骨たちに出迎えられる。
「滝夜叉姫、いますか?」
「あー、昨日の子じゃーん、滝姫でいいよー! 堅苦しいのマジ勘弁だし!」
奥から現れた滝姫は、相変わらず髑髏柄の短丈着物を翻し、派手な飾り扇子をパタパタさせていた。
私は彼女に、昨夜の絵師の結末と、黒鵺が雪舟斎の骨を墨に混ぜて悪用していたことを話した。
「……そっか。あいつが消えたことで、うちの手下も少しは報われるかなー。あんがと、雛ちゃん!」
滝姫は満足げに笑うと、骸骨にお茶を淹れさせた。今日は手は付けてみたが、なかなか美味しい。
そして、滝姫はふと悪戯っぽい笑みを浮かべて、私をじっと見つめてきた。
「ところでさー。雛ちゃん、ぶっちゃけ、ぜんちゃんと付き合ってるわけ?」
「……ぶっ!? げほっ、ごほっ!」
お茶を派手に吹き出しそうになり、私は必死にむせた。
「な、ななな何を言っているんですか! あんな、ドブ川に落ちた宝石みたいな性格破綻者の男と、私が!? 天変地異が起きてもあり得ません!」
「ほー、宝石ときたかー」
「ドブに落ちた! です」
「えー、そうかなー? でも雛ちゃん、ぜんちゃんの話してる時、マジで目がキラキラしてるし。……ハハハーン! わかっちゃった。雛ちゃん、ぜんちゃんのこと、好きなんだー!」
「ち、違います! あれは、ただの……仕事上の付き合いで!」
「ハイハイ、お熱いねー。江戸の闇を追う相棒がいつの間にか恋人に……って、マジで熱いじゃん!」
滝姫の容赦ないからかいに、私の顔は真っ赤に茹で上がり、耳の先まで熱くなった。
「……もう、知りません! 行きますっ!」
「あ、逃げたー! がんばってねー、新カノちゃん!」
「……新カノ、って、前に付き合ってたのって、滝姫が……?」
「ぎゃははは! ほら、気にしてるんじゃん。大丈夫だよ、うちとぜんちゃんはそういう仲じゃないから」
背後から響く姫の笑い声を振り切り、私は墓地を全速力で駆け抜けた。夜の帳が降りてくる。
これから向かうのは、江戸で最も華やかな極楽浄土——吉原。騒がしい心臓を落ち着かせながら、私は約束の場所で待つ、あの最悪な男の姿を探した。

