もしもあの時

 帰宅して、机の引き出しから学生時代のあの写真を取り出した。
 そこに写る笑顔は、まるで時間を知らないみたいに明るい。
 空っぽだったフォトスタンドに写真を戻す。

 写真を見ながら思った。
 私は成長したんだろうか。
 社会人として働いて、責任ある仕事をして、お給料をもらって……
 学生時代とは違う。そう自分に言い聞かせた。
 いつか仲間たちに再会したとき、
「志保、きれいになったね」
 そう言われたい。

 その日を境に、私は自分磨きを始めた。
 高くてずっと手が出せなかった美容液を思いきって買い、最新のヘアアイロンに買い替え、ヘアオイルも少し背伸びしたものにした。
 デパートのコスメカウンターでメイク指導を受けた。
 初めてのボーナスでは、大人っぽく見える服を選んだ。
 貯金は減ったけれど、代わりに自信が溜まってきた。
 母に言われた。
「志保、きれいになったね。彼氏でもできたの?」
「そんなんじゃないよ」
 少し嬉しかった。
 職場の同期たちにも言われた。
「志保ちゃん、彼氏できたでしょ?」
 そのたびに、心の中で小さくガッツポーズをした。

 帰宅してフォトスタンドを見る。
 そして、鏡に映る自分と見比べる。
 うん、あの頃とは違う。
 もし次に街で貴矢くんを見かけたら、私のほうから声をかけよう。
 貴矢くんに釣り合う女性になれたかな。

 あの日、私に告白しなかったことを後悔させてやるんだ。
 でも、貴矢くんにはもう、彼女がいるのかもしれない。
 それならそれで構わない。
 今の私を見せて、“あのとき告白していればよかった”と思わせてやる。
 私は貴矢くんと付き合いたいというよりも、見返したいという気持ちのほうが強くなっていた。
 だから私は、いつか偶然に会うその日まで、自分磨きを続けた。
 もしかすると、彼とは二度と会わない運命なのかもしれない。
 それでもいい。
 磨いた自分は、誰か別の素敵な人を引き寄せるかもしれないし。
 私は近所のスーパーに行くだけのときでも、念入りにおめかしをするようになった。
 いつ、どこで、誰とすれ違うかわからないから。

 勉強のために、偉人の名言集を買ってページをめくる。
『チャンスは準備ができている人のところにやってくる』
 パスツールの言葉。
 この言葉をお守りみたいにして、私は毎日を送っていた。

 結局のところ、街でも近所でも、私は貴矢くんに会うことはなかった。
 それでも、私の中にでは、たしかな自尊心が育っていた。
 毎日の生活は、以前よりずっと充実したものになっていた。