嘘言〜声を失った姫と嘘つき陰陽師の邂逅〜

 紙を握り締めて立ち上がると、我武者羅に走って真白の胸元に飛び込む。
 いつだって、彼はこうして受け止めてくれた。

「いきなり走ってきたら危ないでしょう」
「だ、だって……っ…だって、もう会えないかもって……!」

 本当に、失うかもしれないと思った。
 だから今、こうして目の前に立っていることが奇跡のようで。
 真白は一瞬だけ目を丸くすると、困ったように小さく息を吐いた。

「……ちゃんと生きてますよ」

 その声音があまりにもいつも通りで、音羽は堪え切れず笑ってしまう。
 けれど同時に、じわりと涙が滲んだ。
 音羽は袖で慌てて目元を擦ると、真っ直ぐ真白を見上げた。

「ねぇ、真白。助けてくれて、ありがとう」

 春風が桜を攫い、ひらひらと舞う花びらの向こうで、真白は静かに音羽を見つめていた。

「いっぱい迷惑かけたし、たくさん心配もかけたし……その、色々振り回しちゃったりもしたけど」

 思い返せば、本当に酷いことばかりだ。
 自分の不安へ巻き込んで、勝手に怖がって、それでも真白は、最後まで傍にいてくれた。

「でも、真白がいてくれたから、私、ちゃんと前を向けたの」

 思ったことをそのまま言葉にすることが、こんなに緊張するなんて思わなかった。
 胸の奥が熱くなって、苦しいくらい鼓動が速くなる。
 けれど、不思議と嫌ではなかった。
 今までは怖かったのだ。
 言葉にしてしまえば、全部壊れてしまう気がして。嫌われたらどうしようって、ずっと怯えていた。
 でも、もう逃げたくはない。
 この人は、何度だって自分へ手を伸ばしてくれたから。
 音羽はぎゅっと拳を握り締め、それから真っ直ぐ真白を見る。

「私ね」

 風が止み、世界が静かになる。

「好きなんだ」

 心臓が邪魔をする。それでも、ちゃんと言わなきゃいけないと思った。

「ずっと、真白のことが好き」
 
 言ってしまった瞬間、心臓が壊れそうなくらい大きく跳ねた。
 逃げたい。
 でも逃げたくない。
 真白の返事を待つ時間が、永遠に長く感じる。
 桜の花びらだけが、二人の間をゆっくり通り過ぎていった。
 真白は何も言わない。ただ、少し困ったように目を細めた。

「……知ってました」

 ぽつりと落ちた声に、音羽の目が丸くなる。

「え」
「姫様、顔に出やすいんで」

 くすり、と真白が笑った。
 その表情があまりにも優しくて、音羽は一気に顔が熱くなる。

「な、なんで今言うの……!」
「今だからですよ」

 真白はそう言うと、そっと音羽の頭へ手を置いた。
 撫でる手付きは何処までも穏やかで、そして優しい。

「俺もですよ」

 その一言だけで、胸の奥に残っていた不安が全部溶けていく気がした。
 音羽の目に涙が滲む。けれど、それはもう悲しい涙ではない。
 真白はそんな音羽を見つめながら、ふっと小さく笑った。
 照れ隠しのため視線を逸らして、それでも逃げることなく口を開く。

「音羽。お慕い申し上げる」

 真白はゆっくりと音羽へ向き直ると、穏やかな声音で告げた。
 世界が、優しく色付いていく。
 音羽は堪え切れなくなったように笑って、それからぽろぽろと涙を零した。

「うん……うんっ!」

 何度も頷きながら、音羽は涙を拭う。
 嬉しくて、苦しくて、幸せで。
 こんな風に誰かの前で泣ける日が来るなんて、昔の自分なら想像もできなかった。
 もう、逃げない。
 声を失うことも、一人で抱え込むことも、誰かを遠ざけることもしない。

「これからは、ちゃんと隣にいてくださいね」

 春風が吹く。
 舞い上がった桜が、二人を包み込むように空へ流れていった。
 呪いは終わった。
 長く閉ざされていた夜は明け、ようやく二人の未来が始まる。
 小山の上で寄り添う二人を、柔らかな春の日差しが静かに照らしていた。