嘘言〜声を失った姫と嘘つき陰陽師の邂逅〜

 黒泥の咆哮が地下室を震わせる。
 次の瞬間、無数の腕が一斉に襲い掛かった。

「ちっ――!」

 真白が短刀を振るい、迫る腕を斬り払う。
 だが、数が多すぎる。
 斬っても、祓っても、次から次へと湧き出ては襲い掛かってくる
 地下室そのものが妖を生み出しているようだった。

「真白さん、右!」

 悠真が符を放つと、青白い術光が炸裂し、横合いから迫っていた黒い塊を吹き飛ばした。
 だが、その直後、バキッ、と嫌な音が響く。

「……っ!」

 悠真の展開していた結界に大きな亀裂が走った。
 妖気の圧力に耐え切れないのは悠真自身も同じ。表情は苦しげに歪み、鼻血が流れ出る。

「まず――」

 言い終わるより早く、結界が砕け散る。
 砕ける光景がゆっくりと見え、悠真は一瞬反応するのに遅れた。
 はっと意識を取り戻した時、吹き荒れた妖気に悠真の身体が大きく後方へ弾き飛ばされる。

「悠真!」

 音羽の叫びによって、妖は何度でも起き上がる。
 床へ叩き付けられた悠真は、苦しげに息を吐きながらもすぐ符へ手を伸ばした。
 だが、黒泥の中から伸びた腕が、その手首を掴む。 
 キリキリと締め上げられ、悠真の顔は苦痛に歪んだ。

「っ、ぐ……!」

 ぞわり、と冷たい妖気が腕へ絡み付いていく。
 悠真は咄嗟に符を叩き付けた。

「離れろ!!」

 術光が炸裂して腕は弾け飛ぶが、その隙に別の黒い影が真上から迫っていた。
 すかさず真白が地を蹴る。
 間一髪で悠真を引き寄せると、振り下ろされた巨大な腕が床を砕いた。
 轟音と共に地下室がさらに大きく揺れる。

「はぁ、っ……! 次から次へと……!」

 真白が息を荒げながら呟くと、悠真を下ろして再び妖に向き直る。
 その腕には、いつの間にか黒い染みのような妖気が絡み付いていた。
 斬撃のたびに侵食されているのだ。

「真白さん、その腕……!」
「後でどうにでもなります」

 そう吐き捨てながら、真白は再び妖へ踏み込む。
 だがその瞬間、黒泥の奥にあった無数の眼球が一斉に真白を見た。
 嫌な寒気が走る。

「――っ」

 次の瞬間、真白の足元から黒い腕が噴き出した。
 避け切れない。
 咄嗟に短刀を構えるが、横合いから叩き付けられた衝撃に身体が浮く。

「がっ……!」

 真白の身体が壁へ激突し、鈍い音が耳を劈いた。
 床へ崩れ落ちた真白は、苦しげに咳き込みながら妖を睨め付ける。

「真白!!」

 音羽が駆け寄ろうとするが、その前へ黒泥が立ちはだかった。
 どろり、と巨大な影が盛り上がる。
 地下室を埋め尽くすほどの妖気が立ち込め、少しずつ正気が奪われていくのを感じた。

「……まずいですね」

 悠真は手持ちの符の残数を確認し、苦しげに呟く。
 何度も術式を展開した真白も消耗しており、完全に満身創痍。この場で優位に立っているのは、圧倒的に夜鷹だった。
 このままでは押し切られる。
 そして何より、災厄の狙いは最初から一人だけだった。
 無数の眼球が歓喜するように音羽を見つめている。
 その異様な光景に、音羽の背筋が震えた。