嘘言〜声を失った姫と嘘つき陰陽師の邂逅〜

 地下室の床が砕け、衝撃で土煙が吹き荒れる。
 真白は咄嗟に音羽を抱え込んだまま後方へ飛び退いた。

「っ、はぁ……! 洒落にならないですねぇ……っ」

 叩き付けられた巨大な腕が、床を抉りながら蠢いている。
 黒泥は先程までとは明らかに様子が違った。
 動きが鈍っている。苦しいのか、痛いのか、明らかに様子が変わっていた。
 無数の眼球が血走り、音羽を見ながら絶叫する。

「どういうことです!?」

 悠真が術符を展開しながら叫ぶ。
 すると、牢の中で緋彩が震える声を漏らした。

「……拒絶してるの」
「拒絶?」
「あの子は、音羽の声を喰べ続けて育った……でも、完全には取り込めなかった……!」

 緋彩の瞳から涙が零れ落ちる。

「だから今、本物の“声”に耐えられないのよ……!」

 黒泥が“歓喜”していた。
 それは攻撃でも、暴走でもない。ただ、長い空白の後にようやく満たされた反応だった。
 ぐちゃり、と何かが組み替わる音がする。
 まるで、ずっと欠けていた部品がようやく戻ったかのように、空気が震えて地下室の術式が軋む。

「……核」

 その瞬間、地下室の空気が一段階“重く”なった。
 黒泥の奥で、無数の眼球が一斉に音羽を見上げる。
 飢えではない。もっと厄介なもの――“帰還”に近い感情。
 ようやく目覚めた、とでも言うように。

「妖を討つのは中心部です!」
「見えてますよっ」

 真白は地を蹴って迫り来る黒い腕を紙一重で躱し、そのまま短刀を握り締めて災厄へ突っ込んだ。
 だが、直前で黒泥の中から無数の顔が浮かび上がる。
 それは人間の顔だった。
 泣き叫ぶ顔。
 笑う顔。
 苦しむ顔。
 十五年前、異常活性へ呑まれた者達の成れの果て。

「っ……!」

 一瞬、真白の動きが止まる。
 その隙を狙うように、巨大な腕が振り下ろされた。

「真白!!」

 音羽の叫びが、震えながら空気を裂く。
 その声に反応するように、災厄の動きが一瞬だけ“止まった”。
 まるで待っていた、とでも言うようにだ。
 真白はその僅かな隙を見逃さない。唇の端を強く噛み、血の味を確かめながら短刀を握り直す。
 符はすでに限界まで展開されていた。
 災厄そのものが、音羽の“声”へ反応している。

「今です!!」

 悠真は地下室中に響き渡るように声を張り上げ、呪符を再び展開する。
 真白は歯を食いしばると、そのまま核目掛けて短刀を突き立てた。
 ぐしゃり、と、嫌な感触が手に伝わる。
 次の瞬間、災厄が絶叫した。地下室全体が揺れ、黒泥が狂ったように暴れ始める。

「ぐっ……!」

 黒泥の腕が、真白の身体を真正面から捉えた。
 術式で強化されたはずの防御が、紙の如く破られる。
 遅れて骨の軋むような嫌な感覚が走り、真白の身体が吹き飛ばされてしまった。

「真白さん!」

 崩れた壁際に視線を向ければ、真白は片膝をついたまま、短く息を吐いていた。
 口元から流れた血を手の甲で雑に拭い、それでも目だけは死んでいない。

「……まだ、生きてますよ」

 黒泥の“核”が、再び脈打つ。
 一度逸れたはずの注意が、ゆっくりと真白へ戻りかけていた。

「足りない……!」

 符を次々と展開しながらも、その出力に手が追いつかない。
 押し返しているのではない。
 “増えている”。
 声に引き摺られるように、核の周囲から新たな妖気が湧き上がっていた。
 と、その時。不意に前に出た夜鷹が音羽と悠真の視界を遮る。

「……夜鷹?」

 牢屋の中の緋彩が目を見開き、困惑した様子で黒泥の向こうにいる夜鷹を見た。
 夜鷹は何も答えず、ただ、静かに災厄を見つめている。
 黄金色の双眸に映るのは、十五年前から終わらなかった悪夢。

「元は、俺が生み出したものだ」

 その一言で、地下室の空気がさらに重く沈んだ。
 誰もが一瞬だけ動きを止める。黒泥の暴走すら、その言葉に耳を傾けたように揺らいだ。

「ならば、終わらせる責任も俺にある」

 その瞬間、夜鷹の全身から凄まじい妖気が噴き上がった。