それは聞こえるか聞こえないかほどの小さな音。
なのに、その場にいた全員がはっきりと理解してしまう。
――封印が、壊れた。
地下室を満たしていた妖気が、一斉に音羽へ向かって膝を折った。
空気が変わる。否、世界そのものが変質したようだった。
「――ぁ」
音羽の喉から、微かな吐息が零れる。
たったそれだけ、それだけなのに、黒泥が歓喜するように震えた。
無数の眼球が見開かれ、妖達が狂ったように唸り始める。
地下室中の妖気が暴風みたいに渦を巻き、音羽を中心に収束していく。
「姫様!!」
真白が咄嗟に音羽の腕を掴む。
だが、その瞬間、ぶわり、と、音羽の長い髪が宙へ舞い上がった。
術式の残滓が、淡い光となって剥がれ落ちていく。
白い喉元に刻まれていた封印陣が、ひび割れるように崩壊していった。
彼岸花が枯れる姿は、あまりにも美しい。
月光すら届かない地下だというのに、音羽だけが淡く光を纏っている。
そして、音羽はゆっくりと口を開いた。
「――下がって」
初めて聞く、橘音羽自身の声が地下室に響き渡る。
鈴のように澄んでいて、柔らかくて、なのに何処か恐ろしい。
その瞬間だった。
地下室を埋め尽くしていた妖達が、一斉に動きを止めた。
「……は」
喉から漏れたのは、理解が追いつかない短い息だった。
目の前の音羽は確かにそこにいるのに、まるで遠い場所から見ているように見えた。
「来ないで」
その一言が、胸の奥に静かに落ちる。真白の足が止まったまま動かない。
音羽は唇を結び直し、もう一度だけ真白を見た。
逃げているわけではない。
拒んでいるわけでもない。
ただ、今はまだ――真っ直ぐ受け止める勇気が足りないだけだった。
「そんな……」
これは“妖を惹き寄せる”程度の力ではない。
もっと根本的なもの、妖そのものの在り方へ干渉する“規格外の声”だった。
呼びかけではない。誘引でもない。
それは境界を曖昧にし、存在そのものの輪郭を溶かす。
だからこそ、夜鷹は封じた。緋彩は命を削って隠した。
そして災厄は、その声の“余波”を喰らい続けながら増殖する。
音羽という一点を中心に、因果そのものが絡まり、逃げ場のない円環を形成していた。
「……やはり、そうか」
その声には、諦めにも似た響きが混じっていた。
この世に放たれれば、終わるのは妖ではない。
人間と妖、その区別すら意味を失う。境界が崩れ、世界が“声”に塗り替えられる。
音ではない。言葉でもない。ただの振動でもない。
封印は正しかったのか。
否、正しさなど最初から問題ではない。
あれは“そうする以外に選べなかったもの”だ。そして今、それが崩れた。
抑え込んでいた蓋は、すでに開きかけている。
音羽が声を取り戻した、その瞬間から。
「っ!?」
音羽が思わず息を呑んだ瞬間、床に刻まれていた赤黒い紋様が“逆流”するように蠢いた。
抑え込まれていたはずの妖気が、解放された声に引きずられるように跳ね上がる。
「姫様、離れて!!」
真白が音羽を抱き寄せた直後、黒泥の奥から巨大な腕が振り下ろされた。
なのに、その場にいた全員がはっきりと理解してしまう。
――封印が、壊れた。
地下室を満たしていた妖気が、一斉に音羽へ向かって膝を折った。
空気が変わる。否、世界そのものが変質したようだった。
「――ぁ」
音羽の喉から、微かな吐息が零れる。
たったそれだけ、それだけなのに、黒泥が歓喜するように震えた。
無数の眼球が見開かれ、妖達が狂ったように唸り始める。
地下室中の妖気が暴風みたいに渦を巻き、音羽を中心に収束していく。
「姫様!!」
真白が咄嗟に音羽の腕を掴む。
だが、その瞬間、ぶわり、と、音羽の長い髪が宙へ舞い上がった。
術式の残滓が、淡い光となって剥がれ落ちていく。
白い喉元に刻まれていた封印陣が、ひび割れるように崩壊していった。
彼岸花が枯れる姿は、あまりにも美しい。
月光すら届かない地下だというのに、音羽だけが淡く光を纏っている。
そして、音羽はゆっくりと口を開いた。
「――下がって」
初めて聞く、橘音羽自身の声が地下室に響き渡る。
鈴のように澄んでいて、柔らかくて、なのに何処か恐ろしい。
その瞬間だった。
地下室を埋め尽くしていた妖達が、一斉に動きを止めた。
「……は」
喉から漏れたのは、理解が追いつかない短い息だった。
目の前の音羽は確かにそこにいるのに、まるで遠い場所から見ているように見えた。
「来ないで」
その一言が、胸の奥に静かに落ちる。真白の足が止まったまま動かない。
音羽は唇を結び直し、もう一度だけ真白を見た。
逃げているわけではない。
拒んでいるわけでもない。
ただ、今はまだ――真っ直ぐ受け止める勇気が足りないだけだった。
「そんな……」
これは“妖を惹き寄せる”程度の力ではない。
もっと根本的なもの、妖そのものの在り方へ干渉する“規格外の声”だった。
呼びかけではない。誘引でもない。
それは境界を曖昧にし、存在そのものの輪郭を溶かす。
だからこそ、夜鷹は封じた。緋彩は命を削って隠した。
そして災厄は、その声の“余波”を喰らい続けながら増殖する。
音羽という一点を中心に、因果そのものが絡まり、逃げ場のない円環を形成していた。
「……やはり、そうか」
その声には、諦めにも似た響きが混じっていた。
この世に放たれれば、終わるのは妖ではない。
人間と妖、その区別すら意味を失う。境界が崩れ、世界が“声”に塗り替えられる。
音ではない。言葉でもない。ただの振動でもない。
封印は正しかったのか。
否、正しさなど最初から問題ではない。
あれは“そうする以外に選べなかったもの”だ。そして今、それが崩れた。
抑え込んでいた蓋は、すでに開きかけている。
音羽が声を取り戻した、その瞬間から。
「っ!?」
音羽が思わず息を呑んだ瞬間、床に刻まれていた赤黒い紋様が“逆流”するように蠢いた。
抑え込まれていたはずの妖気が、解放された声に引きずられるように跳ね上がる。
「姫様、離れて!!」
真白が音羽を抱き寄せた直後、黒泥の奥から巨大な腕が振り下ろされた。

