嘘言〜声を失った姫と嘘つき陰陽師の邂逅〜

 今まで闇に溶け込んでいた無数の呪式が、脈打つように浮かび上がっていく。
 まるで、地下室そのものが巨大な生き物へ変貌したようだった。
 ぞわり、と、生暖かい妖気が吹き荒れる。

「術式が起動した……!?」

 悠真は咄嗟に周囲の術式へ目を走らせる。
 刻まれているのは、単なる封印陣ではない。
 封呪。
 誘導。
 供給。
 増幅。
 複数の高位術式が地下全体へ幾重にも重ねられている。しかも、それら全てが“何か一つ”を封じ込めるためだけに繋がっていた。

「……この規模、まさか!」

 地下室の奥。光の届かない闇の中から、どろり、と“何か”が溢れ出す。
 真っ黒な泥のようだった。
 だが違う。
 蠢いている。
 粘ついた塊の奥で、無数の眼球がぎょろりと蠢き、何本もの腕が這い出るように伸びていた。
 腐臭にも似た妖気が、一気に地下室を満たす。
 本能が理解してしまった。
 あれは妖なんて生易しいものではない。
 十五年前の異常活性、その中心にいた“災厄”そのものだ。

「下がって!!」

 異変を察知した悠真が咄嗟に音羽の腕を掴み、牢から強引に引き離す。
 その直後だった。
 どろり、と黒泥の中から無数の腕が這い出る。
 真白は即座に二人の前へ飛び出した。 懐から抜き放った呪符を指先で挟み、そのまま地面へ叩き付ける。

「急急如律令!!」

 青白い術光が地下室を駆け抜けた。
 展開された結界陣が真白達の前へ壁のように広がり、迫っていた黒い腕を弾き飛ばす。
 轟音と共に妖気と術式が衝突し、地下室全体が激しく揺れた。
 だが、次の瞬間、黒泥の奥で無数の眼球が一斉に見開かれる。
 バキッ、と、耳障りな破砕音が地下室へ響いた。
 青白い結界に黒い亀裂が走る。そして、まるで硝子のように、結界そのものが粉々に砕け散った。

「はぁ!?」

 砕け散った術式の残光が地下室へ舞い散る。
 真白は咄嗟に音羽の前へ腕を伸ばしながら目を見開いた。
 たった一撃、それだけで高位結界が真正面から破壊された。
 あり得ない。
 術式同士の干渉ですらないのに、純粋な妖気の出力だけで力任せに喰い破られたのだ。

「馬鹿な、こんなの人間が抑えられる出力じゃ――」

 悠真が言い終わるよりも前に、黒泥の中から腕が伸びた。
 人の腕のようで、異様に長い。
 骨と皮だけになるほど痩せ細った腕が、ぐにゃりと不気味に歪みながら真白へ迫る。
 真白は舌打ちすると、即座に音羽を背後へ押しやった。
 そのまま懐から短刀を抜き放ち、迫る腕目掛けて振り抜く。

「っ、邪魔ですねぇ!!」

 銀の刃が妖気を裂く斬撃と共に、黒い腕が宙を舞い、どろりと床へ崩れ落ちた。
 だが、次の瞬間、切断面がぐにゃりと蠢く。
 肉とも泥ともつかない塊が絡み合い、千切れたはずの腕が瞬く間に再生していく。
 地下室へ、不快な水音が響いた。

「再生しますか……っ」
「核を壊さない限り無意味です!」

 悠真が叫びながら追加の呪符を展開する。
 真白のような陰陽師の家系の生まれではないにしろ、悠真が発動する呪符は対抗し得るに足りる力がある。
 2つの術式によって、地下室が閃光で染まった。
 だが、妖はそれでも止まらない。むしろ、妖気がさらに膨れ上がっていく。
 その時だった。

 ──カラン。

 鈴の音によって、全員の動きが封じられる。時が止まったのか、金縛りなのか、身動き一つ取ることができない。
 そんな中、牢の中にいる緋彩が震える手で鈴を握っていた。

「音羽……聞いて」

 水面を指先で突いた時に波紋が広がるように、緋彩の声が辺りに響く。

「その声を……解放しては駄目」

 緋彩の震える声が地下室へ落ちる。
 その瞬間、音羽の呼吸が止まった。真白もまた目を見開く。